第四章 ④
一時間目のチャイムと同時に俺が大きな扉を開けると、長机には三人の女子が着いていた。
一人は当たり前だが萌先輩、もう一人は見慣れた顔の天宮、そしてもう一人は――。
「では、これで失礼します」
「気ぃ付けて帰るんよ~」
「ミホちゃん、本当にありがとっ」
姿をよく見る前に、立ち上がって帰ってしまった。
とりあえず、萌先輩に負けず劣らずの小柄な女子だということは一目で分かったが。
きっと、あの人が渡辺さんだろう。
「やっと来たかぁ~……ちょいと怪我もしとるし、それは想定外やったなぁ」
「それはこっちの台詞ですよ……なんでこんな状況になっているんですか?」
早速一番聞きたいことを遠慮なく聞いてやる。これは天宮も同じ意見に違いないだろう。
「なんでって……林檎から聞いとらんの?」
「〝萌に聞いてくれ〟って鈴木さんから言われましたけど……」
何でもいいけど、あのクールな女性の名前が〝林檎〟ってしっくり来ないなぁ。
萌先輩は心底面倒くさそうな表情をすると、渋々といった様子で口を開く。
「ウチ、説明下手やで?
……あのな、龍馬は前も会ぅたことあるし分かると思うけど、奴らは結構実力行使が多いねん。
今回の一件で、それが明白になったっちゅう訳や」
――確かに説明は下手くそだ。しかしその言葉だけでも、状況は大体読み取れる。
つまり、親衛隊は今までも同じように暴力行為を働いてきたが、今まで動かぬ証拠を掴むことが出来なかったのだろう。
それを今回、連中を一斉に取り締まるチャンスとしたわけだ。
「って、ちょっと待ってくださいよ。じゃあ俺が呼び出されたのって……」
俺の言いたいことが伝わったのだろう、萌先輩は困ったような表情を浮かべる。
「ホンマはそないなつもり一切ないねん。
けどな、昨日の一件できっと根に持っとるやろし、もしかしたらと思ぅてメンバーには伝えといた。
せやから、決して龍馬を利用した訳やない。……ウチの言ぅこと、信じてくれるか?」
相手が他の人間だったら、間違いなく疑っていただろう。
しかしあの萌先輩が、そこまで頭を使って行動するとは到底思えない。そりゃあ信じるしかないだろう。
「……大丈夫です。もしそうだったとしても、絶対に萌先輩は主犯じゃないでしょうし」
「龍馬……軽くバカにしとらんか?」
ぎろりと俺を睨みつけた萌先輩は、小さく息を吐くとその場ですっくと立ち上がる。
そして昨日俺も入った部屋、つまりあの給湯室まがいの部屋に向かって歩き出した。
「龍馬、それに天宮ちゃんも……付いて来ぃ」
俺は小さく首を傾げると、ちらりと天宮の表情を覗き見る。こちらも俺と同じで、顔に疑問符がいくつも浮かんでいた。
しかし昨日と同じで、機嫌は優れていないらしい……弱ったな。
天宮が無言で立ち上がって付いて行くと、俺も釣られてその後を追い部屋に入る。
相変わらず狭い室内にぽつんと置いてある椅子に、萌先輩は腰掛けるようにと促した。
言われたとおり(思い切り天宮と対面する形になってしまったが)腰掛けると、すぐさま萌先輩は部屋を出ようとする。
「先輩っ、何処行く気ですか?」
慌てて呼び止めてしまった俺に対して、返答の代わりに厳しい視線が送られた。
――二人きりで話す機会を作ったったんや! そんくらい理解せぇ!
まるでそのような言葉を送られたようにも思えるその視線に、こちらも視線だけで精一杯の感謝の意を表した。
このチャンス、逃したら次は無いと思わねば……。
「ほな、準備が出来たらウチを呼んでぇな?」
準備? 何のことだか分からないが、とりあえず話が終わったら呼べばいいのだろう。
そう勝手に解釈した俺は、部屋を出る萌先輩の背中を見送った。
完全に姿が見えなくなり扉も閉まると、俺は改めて天宮の方を向き直った。
「…………」
天宮はやはり無言で、どう見ても俺と目を合わせようとしていない。
一日経てば多少は忘れると思っていたけど、そんなに甘いものではないみたいだな。
「えーと……何から話せばいいのやら」
「…………」
軽口を叩いてみても、やはり無言を貫き通すらしい。これは結構苦労しそうだな……。
とにかく、萌先輩のくれた時間を無駄にするわけにはいかない。
今は天宮と面と向かって話をして、俺の気持ちを伝えないといけないんだ。
「その……悩み抜いた結果、やっぱり昨日の出来事には俺に非があるという結論に至った。
俺はあの時、平静じゃいられなかったんだ……天宮を泣かせてしまったから。あのときはただ、天宮を心配していただけで、決して信用していない訳じゃない」
「…………」
遂に天宮は俯いてしまった。
もう彼女の反応はしばらく期待せず、ただ気持ちをぶつける為に俺が独壇場に立つとしよう。
視線を浴びて話すよりは楽だろうし。
「俺は……怖かったんだ。大切な友達である天宮が、いなくなってしまうのが。
天宮ってさ、どうにも俺を心配させる人間なんだよな。……だからさ、放っておけない。
たとえ天宮が俺のことを過保護だとかウザイだとか思ったとしても、絶対にそれだけは譲れない。いつまででも心配し続ける」
「…………」
まだだ、まだ足りない。こんなんじゃ天宮は満足しないぞ!
「それと……寂しい思いをさせてゴメン。
少し考えれば天宮の気持ちにも気付くことは出来たはずなのに、萌先輩の言うとおりにばかりしていた。
結果的に天宮を一人残してしまったのは、完全に俺の責任だ」
「…………」
もう一押し、まだ天宮の心には響いていないっ!
「謝るだけで許してくれるとは思っていない。
俺に出来る精一杯の償いは、これからは天宮を蔑ろにしないこと。
そして……これからもきちんと気持ちを伝えること」
「…………」
これでもダメか……だったら、今日覚えたばかりの奥の手を出すしかない。
俺は大きく息を吸い込むと、先程よりも大きな声で一気に言い放つ。
「君の命一つ救えなかったら、僕は絶対に世界なんて救えない。
……君のいない世界なんて、生きている意味が無いんだ!」
「……えっ?」
ここにきてやっと、天宮から反応らしい反応が返ってきた。
やっと目を合わせることが出来たので、俺は苦笑して抱えていた小説を机の上に優しく置いてやる。
「今朝読み終わったばかりだ。全く、フィクション丸出しって感じの気障な台詞だよな。
……でも、俺の気持ちもこいつと変わらない。天宮のことを守れなければ幻界は守れないし、天宮がいない幻界も学校も、そんなつまらない場所には俺が居る意味が無い」
「……龍馬、君」
天宮は今にも泣き出しそうな表情をしている。
果たしてそれは嬉し泣きなのか、それとも悲し泣きなのか……俺には知る由も無い。
前者であることを祈りたいところだ。
「だからさ……これからも一緒に、ずっと傍にいてくれないか?」
止めの一言をそっと言うと、天宮は俯いて震えだした。
まさか……泣いているのか?
「お、おい天み――」
ガバッ、という音と共に言葉を遮られ、俺の体が急に熱を帯びる。
何かが密着しているのだと気付いたときには、天宮の腕が俺の背中に回っていた。
――俺、抱きしめられている?
「ちょ、ちょ、ちょっと待て……い、一応学校だし、授業中だぞ!」
「うぅあぅぅ……バカっ。何で龍馬君はそんなに格好いいのよぉ~……ぐずっ」
罵りながら褒めるという訳の分からない行動に出た天宮は、一向に力を弱める気配がない。
しかし泣いている女性を無下に突き放すことも出来ず、仕方なく頭を撫でることにした。
「……本当にゴメンな。もう、寂しい思いはさせないから」
思い切り抱きしめられているので表情は覗えないが、肩に伝わる涙は感じられる。
思いの外暖かく、そしてなんだか切ない。
今までにも何度か抱きつかれたことがあったが、あの時は羞恥心しか感じなかった。しかし今回はそういうものもほとんど感じられず、どこかほっとするものがあった。
この感覚……そう、幻界で死に掛けたときに抱きしめた爺ちゃんを彷彿とさせるのだ。
「あたしもね……謝らないといけないの」
不意に、天宮が俺を抱きしめたまま口を開いた。
「あたし……本当は自分のことしか考えていなかった。
あの完璧な先輩につられて動く龍馬君を見て、すごく悔しいって思ったの。このままじゃいつか龍馬君の心も先輩の方に引き寄せられて、あたしから離れていくんじゃないかと思って。
それが気付いたら嫉妬に変わっていて、龍馬君にもきつく当たっちゃったし……最低だよね、あたし」
「天宮……」
きゅっ、と天宮がさらにきつく抱きしめてくる。
俺は何をするべきか瞬時に悟り、気付けば自主的に天宮の背中に腕を回していた。
「そんなこと、誰にだって一度はあるさ。いちいち気にしてたら身が持たんぞ?」
きっと天宮も辛い思いをしていたのだろう……俺がもっとしっかりしていれば、こんなに辛い思いをさせずに済んだのに。本当に、申し訳ない。
すると天宮は急に力を緩め、その場でまた震えだした。
密着している俺にもその振動は伝わり、否応無く不安な気持ちにさせられる。
「……どうしたんだ?」
「龍馬君……本当に優しいんだね。あたし……もう、我慢出来ない!」
耳元で急に大声を出され、少しだけ耳鳴りがした。
何が我慢出来ないんだ? そう聞こうと口を開きかけると、言うより早く天宮が抱擁を解いて口を開く。
「あたし……龍馬君のことが好き、大好きっ!
……付き合って、くれますか?」
付き合ってくれますか、と言ったのか? 付き合うって……要するに俺と恋人になってくれと、そういうことなのか?
「えっと、その……」
今ここで〝はい〟と答えれば、天宮はきっと幸せになるのかもしれない。
俺も正直なところ告白されたのは嬉しかったし、俺だって天宮のことは好きだ。
……でも、俺はまだ恋愛感情というものがよく分からない。どこまでが友達で、どこからが恋人なのか、俺は今でも線引きすることが出来ないのだ。
そんな曖昧な感情で決めてしまったとしたら、もしかしたら天宮を結果的に不幸に陥れるかもしれない。
「俺も、天宮のことは好きだ」
「うん……それでっ?」
いつの間にか、天宮には今までのような元気が戻っていた。
目にはまだ涙を湛えているが、笑顔も見えるようになっている。
――断りたくない。でも、これが天宮の為になるのなら……。
「でも、俺はまだ恋愛感情で言う〝好き〟の概念が分からないんだ。
そんな状況で気安く返事をして、もし違っていたときに天宮を傷つけたくない。
……だから、俺が心から天宮のことを愛せるようになったら、その時には俺が気持ちを伝える。それじゃ……ダメかな?」
天宮はしばらく黙り込み、またしても俯いてしまった。
「気持ちに応えられなくて、本当にゴメン」
「ううん……いいの。そういう答えは想定内だし、龍馬君の本音も聞くことが出来た。
それだけで充分だよっ!」
すぐに顔を上げると、天宮は久しぶりに見る満面の笑みを見せた。
そして眼鏡の奥で輝いている目がこちらを見ると、急にこんな提案を持ちかけてくる。
「その代わりっ! これからはあたしのこと……名前で呼んでくれない、かな?
先輩は一応名前で呼ぶのに、あたしだけまだ苗字なのはずるいよぅ」
そういえば……以前もそんな話題を出したことがあったっけ。
あの時俺は〝気が向いたら〟と返したまま、結局今日まで一回も名前で呼んでいない。
「……そうだな。気持ちを切り替えるのにいい機会だし、これからは聖子って呼ぶよ」
発した名前の響きが気に入ったのか、聖子は満面の笑みをより一層輝かせる。
その時、丁度一時間目終了のチャイムが校内に鳴り響いた。
「げっ……もう一時間も経っていたのか」
「ふふっ、そうみたいだね。……それじゃあ先輩を呼んでくるから、ちょっと待っててね」
良く言えば微笑を浮かべたまま、悪く言えばニヤついた表情のまま部屋の扉を開ける。
しばらくすると、萌先輩が例のにがり水を片手に現れた。
「……なんとか仲直り出来たみたいやな。ほな、幻界に行こかぁ!」
「えーと、何考えてるんですか? まだ授業ありますけど……」
さっき一時間目が終わったばかりなのに、この先輩は後の授業を放棄して幻界に行こうとしているのだ。
絶対に正気じゃないだろ。
「だいじょーぶや! 今はあくまで生徒会の呼び出しを喰らっとるんやで、ウチが言わんければ問題ないっ!
せやから、はよ幻界行こっ!」
「いやいや、もし行くにしてもミカドが無ければ無理……だよな?」
指摘しつつ、一応現所有者の聖子を見ると……分厚い本を小脇に抱えている。
あれ、さっき返した小説はもっと小さかったはずだが?
「えーと、その……持って来ちゃった」
どうやら反応に困っていたみたいで、数秒目を泳がせた挙句〝テヘッ〟と舌を出す聖子。
さてはこいつも授業サボる気満々だったな……。
「はぁ……どれくらい幻界にいるつもりですか?」
「うーん。まぁ午後の授業から出ればえぇで、こっちの時間で大体四時間やな」
つまり幻界では二十時間。それだけあれば、シュン奪還の作戦もスムーズに行けば終了することが出来るだろう。
「了解です。それじゃ聖子、ミカドを開い……どした?」
「はわっ! な、あな、何でもないよっ!」
聖子は俺が呼びかけた途端に、顔を紅潮させ激しく狼狽する。訳が分からん。
言われるままにミカドを机に置いた聖子は、どこか嬉しそうな雰囲気を醸し出していた。
さっきまでの悲愴感は一体何処へやら……。
『ふむ……この様子だと、きちんと仲直り出来たみたいだな。
だがしかし、平日の昼間だというのに幻界に行っても平気なのか?』
ミカドはもっともな疑問を文に著してぶつけてくるが、主犯格たる萌先輩はさもありなんといった表情で胸を張る。
「ウチの使える権利をフル活用しただけや。ノープログラムやっ!」
自信たっぷりに言い放った言葉に、俺と聖子は目を見合わせ絶句してしまう。
指摘したくは無いが、間違いに気付かないのも可哀想なので、渋々指摘することにした。
「あのー……〝プロブレム〟です。そこまで行くと結構重症ですよ?」
この人の英語力は、時々目を覆いたくなるものがある。
初めて幻界に来たときによく〝ジェネレート〟の英単語を言えたなぁ。奇跡とは重なって起こるものだな、うん。
「オホン、まぁそないなことはどうでもえぇ。とにかくウチらは幻界に行くで?」
俺の指摘はどうでもえぇと一蹴されてしまい、がっくりと肩を落とすしかなかった。
ミカドも空気を呼んで何も反応せず、いつもの文章を浮かび上がらせる。
『我らの世界を、その身を以って確かめたいか?』
「「「はい」」」
三人の声が重なると、文字列が消え新たな文章が浮かび上がった。
『では、行くがよい』
そして俺たちは想創光に包まれ、ミカドの内部へと侵入する。




