第三章 ④
行きはあんなに早く辿り着いたのに、帰り道は途轍もなく長く感じる。
そんなことは今まででもしばしばあったのに、今はいつもより二割増でその徒労感を感じた。
それは俺に限らず、シュガーにも伝染していたようだ。
「……はぁ。これからどうする気なん? セインになんて言ぅたらえぇか分っからへんわ」
「どうするも何も、とりあえず役場であったことをそのまま話せばいいんじゃないか?」
「……呑気な奴だな」
別に好きでこんな風に言っている訳ではない。
頭の中では監獄に潜入しようとか、最悪監獄を襲撃しようとか、そんな考えが嵐のように荒れ狂っている。
しかし、それを実行に移せば悪者になるのは間違いなく俺だし、それが原因で旅をまともに続けられなくなったとしたら、それこそセインに合わせる顔がない。
――とにかく、今は冷静にならないといけないんだ。
「ほんならえぇねんけど……」
俯きながら呟いたシュガーは、ずるずると足を引きずるようにして歩いている。
その真意は相当にしょぼくれているのか、それとも単に空腹なのか……。
「しっかし、腹減ったなぁ~。結局何も食べとらんやん、ウチら」うん、後者みたいだ。
辺りを見渡すと、そこかしこにいい匂いを漂わせている屋台が点在している。
貝を焼いた物や魚の干物、さらには巨大なマグロらしき魚をを丸焼きにしたものもある。
こんな光景を見せ付けられたら、空腹の俺たちには精神的に応えるだろう。
「うーん……金さえあれば食えるのだが」
呟いてみたものの、結局のところ俺たちは一文無しなのだ。
目の前の屋台には〝本日は大特価! サザエの串焼き一本十ブレド!〟という商売文句が踊っている。
めちゃくちゃ安いはずなのに、それさえも俺たちは買えないのだ。
「……そういえば、この世界の食べ物って何で形が残っているんだ?
あのサザエだって、調理された時点で絶命しているはずなのに……」
ふと感じた疑問を一人で呟いてみる。
しかし俺自身の知識のみでは答えを導き出せないのは明白だったので、さして気にせず歩き続けた。
いつかシュンにでも聞いてみようか……。
そんなことをぼんやり考えつつ歩いていると、考え事をしている間にシュガーの姿が消えていることに気がついた。一体何処へ……?
「おばちゃん、ホンマありがとぉ~!」
聞き慣れた関西弁、それは紛れもなく先程見ていた屋台から聞こえてきた。
「……何をしているんだ」
軽く溜め息をつきつつ、ホクホク顔のシュガーへと近づく。
腕に抱えているのは大きめの紙袋、そして口にはサザエの串焼きをくわえていた。
「ほーひ! ひゅうほふふは?」
――おーい! リュウも食うか?
みたいなことを言っているのだろう。食べるかしゃべるかはっきりすればいいのに。
口の周りを醤油らしき液体で汚しているシュガーに苦笑すると、差し出された一本を受け取って一口齧る。
うん、醤油の香ばしさが堪らないね。
気付けば小さくなったフェンリルまでもがサザエを齧っている。
いくら肉食だからって、狼がサザエ食うなんて聞いたことないぞ……この世界は不思議だらけだ。
俺たちはあっという間に、一袋分のサザエの串焼きを食べ終えた。
空腹も収まったところで、俺は何故タダでサザエを貰えたのかを聞いてみた。大体予想は出来ているが。
「そりゃまぁ……なんちゅーか、極限まで負けてもらった。そんだけやわ」
「つまるところタダでくれとゴリ押しした、ってことだよな?」
呆れ気味に言った俺の言葉に、シュガーはバツの悪そうな顔をしていた。
流石にストレートに言い過ぎたか、と少しだけ反省していると、シュガーはすぐいつも通りに戻る。
「細かいことは気にしちゃあかんわ。
それよりさぁ……これからどうするん? 今すぐシュンを助けるんも無理やし、早ぅに帰っても……なぁ?」
何が〝なぁ?〟なのかはよく分からなかったが、確かに今の状況で早く帰っても空気を悪くするだけだと思う。
先程のやり取りの後に顔を合わせづらいのもあるし、何よりセインはあぁ見えて頑固なところがある。
もしも強行でシュンを助け出そうというのならば、本気でそれを実行しかねない。
街との間でトラブルを起こすのは控えたいところだ。
それに、心なしかシュガーの目がいつも以上にキラキラと輝いている。
この期待の眼差しはおそらく、観光でもしたいのだろう。そんな気がする。
「まぁ……セインもラナたちから事情を聞くのに時間が掛かりそうだからな。あんまり早く帰って邪魔するのも悪いだろう。
だったら、この街の地形に慣れるのもいいかもしれないな」
もっともらしい理由を述べたものの、確かにその通りかもしれない。
シュガーと話をしているうちに俺の頭に浮かんだのは、シュンを奪還する方法だ。
あの女性は確か、明日の正午に騎士団を呼んで死刑を執行すると言っていた。
彼女の言動や表情からして、きっとこの街の人間は雑種に対してかなりの憎悪を抱いているはずだ。
だとしたら、死刑の執行もおそらく見せしめ的に――すなわち屋外の何処か広いところで行われる可能性が高い。もしその仮定が正しかったとしたら、まだシュンを救うチャンスは残されている。
つまり……死刑執行寸前に乱入すればいいのだ。
もちろん問題点はいくつもある。
第一に、死刑執行が屋外で行われず、姿を現さなかったときは手の打ちようがない。これは俺たちにとって最悪のパターンと言えよう。
第二に、襲撃するからには人前に顔を晒さなければならない点。
この街に対して雑種差別反対を訴えかけるにはまたとない機会ではあるが、同時に街全体で暴動を起こすリスクもある。それが現実になれば、俺たちはおとなしく捕まるしかないだろう。
最後に、王都からやってくるという騎士団の存在だ。
俺たちの全力を以ってすれば太刀打ち出来るレベルの集団であれば良いのだが、仮にすごく強かった場合、これも捕まるしかない。
これらの問題点以外にも、セインやシュガー、ラナたちにも危険が及ぶかもしれないということが、俺の決断を揺るがせる要因になっている。
今すぐ結論を出せる訳ではないが、現状ではこの作戦が最も確実だと言えよう。成功したときのリターンもかなり大きいだろうし。
「…………い。……ーい! 聞いとんのかぁっ!」
「わっ!」
急に、耳をつんさぐ様な声が聞こえた。
どうやら俺はあの後、シュガーをほったらかしにして長いこと考え込んでいたらしい。
そりゃ叫ばれて当然か……ハリセンで殴られなかっただけまだマシだろうな。
「わ、悪い……ちょっと考え事をしていた」
正直に言って平謝りすると、シュガーはぷいっとそっぽを向いたまま横目で俺を見てくる。
その視線は……立腹三割、期待七割ってところか。
「それより、せっかくだから少し散歩しがてら街を見て歩こうぜ?
もちろん、シュガーがよければの話だけどさ」
俺の予想では、こうすれば機嫌は少しだけ良くなるはずだ。
その予想を裏切らず、シュガーの表情が一気に明るくなった。
まぁ元から明るい性格ではあるけれども。
「ホンマかっ? リュウがそこまで言ぅならしゃあないなぁ~」
仕方ないと言いつつも、シュガーの足取りはものすごく軽かった。さっきまでの暗い空気が嘘のように思えるくらいだ。
このような笑顔を見せられると、先ほど考えた作戦を話すのは少し躊躇われる。
シュガーは幻界に来てまだ間もないのに、今日一日分の時間だけでもかなり精神的にストレスを与えてしまった。
今のささやかな時間くらいは、楽しんでもらってもいいだろう。
そんな楽しい時間に、こんな殺伐とした話題は必要ない。
「それじゃあ、一回入り口の噴水まで戻るか。
あそこからいくつか通路が分かれていたから、あそこを中心にすれば色々見て回れるだろうし」
「せやな。……リュウ、なんかコレってアレみたいやん?」出来ればもうちょい主語下さい。
「アレって何だよ? 今一つよく分からないが……」
首を傾げる俺を見たシュガーは、急に不敵な笑みを浮かべる。
「アレって、そりゃあもちろん――」
そしてシュガーは、衝撃の一言を口にした。
「デート、に決まっとるやん」
デート、に決まっとるやん。
あまりの不意打ちに、俺は一瞬して氷の彫像のように固まってしまう。
――今、この人デートって言った? 日付って意味のDateじゃないよな?
止まりかけた思考回路を何とか再起動させた俺は、改めて薄笑いを浮かべているシュガーに視線を注ぐ。
もしかして……からかわれたのか、俺は?
「あっはっは! ホンマにリュウは恋愛事になっちゃあウブやなぁ~」
「……ほっとけ。どうせ俺は一回もデートなんてしたことねぇよ」
顔を背けて結構真剣にふてくされていると、シュガーは軽い足取りで俺の目の前に立つ。
否応無く視界にシュガーが移ると、彼女は俺の目を見据えるとニコッっと笑った。
「せやったら……今日がリュウの初めてのデートやな! エスコート頼むでっ?」
その時――不覚にもドキッとしてしまった俺がいた。
後ろで手を組みながら、前傾姿勢のまま上目遣いでこちらを見てくるシュガーは、正直すごく可愛い。
こういう仕草はドラマなんかに出ている女性がやったりするけれども、これだけ自然にやっても違和感が無いシュガーは、ある意味すごいと思った。
これが経験豊富な女性のなせる技なのだろうか……俺に知る術はないのだが。
俺はしどろもどろにならないよう、いったん咳払いをして心を落ち着かせる。
「エヘン……分かった。それじゃあ行こうぜ」
俺が足早に歩き出そうとした瞬間、後ろからシュガーが俺の手を掴んできた。
「全然分かっとらん! ……普通は手ぇくらい繋ぐやろ?」
最初は怒っていたシュガーも、俺の手を握った途端に急に柔らかい笑顔を浮かべる。
そんな状況に俺が耐えられる訳もなく、体温がどんどん上昇していくのを感じた。
心なしか手も汗ばんできて、シュガーに気付かれないか心配になってくる。
「……俺はもはや忘れられているな」
フェンリルよ、別にお前のことを忘れているわけではない。
だからそんなにしょんぼりしないでくれないか? 俺だって精神的には厳しいんだよ。
寂しげな表情で後ろからついてくるフェンリルに、届かない念波を一応送っておく。
「ふんふふ~ん、ふふふ~ん」
歩きながらシュガーの様子を盗み見るが、随分とニコニコしながら鼻歌を奏でている。
俺の脳や心臓もやっとこの状況に慣れたようで、冷静さを徐々に取り戻しつつある。
しかし冷静になればなるほど、何故か後ろめたい気持ちがこみ上げてくる。
同時に浮かび上がってくるのが、セインの悲しげな表情と親衛隊の怒り狂った様子。
――こんな状況を知られたら、きっと殺されるな……主に親衛隊に。
そんなことを考えつつ、何故セインの悲しげな表情が浮かび上がったのかを疑問に思った。
彼女は別に俺に対して特別な感情を抱いているわけではないのに……よく分からないな。
そんなことを思いながら歩き続けること数分、やっと噴水まで辿り着いた。
「はぁ……さて、これからどっちへ行こうか? まだ二時間近くはあるが」
「うーん、結構長いなぁ。フェンリルはどうすりゃえぇと思う?」
急に話題を振られたフェンリルは努めてクールに、しかし嬉しさを隠しきれない様子で尻尾をブンブン振りながら返答する。
「俺個人の意見では……西側の道を勧める。何だかいい匂いがするからな」
フェンリルも今は仔犬なのだから、きっと嗅覚は敏感なのだろう。
いい匂いということは、何か美味しい食べ物でもあるのかもしれない。
「じゃあ、こっち行こうか」
そう言って、今度こそは自分からシュガーの手を引いて歩き出す。
シュガーは一瞬驚いたような表情をしていたが、すぐに笑顔を取り戻して俺と歩調を合わせた。
フェンリルは、そんな俺たちについていく形でトコトコと歩いている。
西側の通りも、建物の見た目は他の例に漏れず真っ白だった。
しかし宿へと向かう大通りでは魚介類の屋台が中心だったものが、こちらでは肉や野菜に重きを置いている感じだ。
「はぁ~……えぇ匂いやわぁ~」
フェンリルが言っていた匂いとはこのことだろうか。
青果を売っている屋台の中に、ちらほらと焼いた肉を売っている店が見える。
しかしその値段は魚介類の比ではなく、ハンバーガーらしき食べ物で一つ百五十ブレド、大きな肉の丸焼きに至っては一つで三百ブレドだった。
「……アレ一食で宿に泊まれるのかよ」
シュガーたちに聞こえないようボソリと呟くと、通りをひたすら突き進む。
さらに進み続けると、俺たちは少し大きめな建物に一つの看板を見つけた。
「〝この先染血の広場〟、だってよ。不気味な名前だな……」
「字面がもうヤな感じやなぁ。きっと広場が真っ赤なんやろな~」
「いや~、流石にそこまで真っ赤じゃないと思うぞ?」
笑いながら言葉を返してしまったが、後に俺たちは衝撃的な光景を目撃することになる。




