第三章 ②
「うわぁ……きれ~い!」
開口一番、セインは感嘆の声を上げた。
門をくぐって最初に目に入ったのは、太陽の光を反射してキラキラと輝いている、真っ白な建物の群れだった。
どこか地中海の建物を思わせるそれは、セインだけでなく俺の心をも惹きつける不思議な魅力があった。
社会の資料集などでも見たことがあるはずなのに、実際目の当たりにしてみると妙に感動を覚える。
「すごいだろう?
これはこの街でよく採れる貝類の貝殻を砕いたものを、これまたこの街でよく採れる海草から出る粘液に混ぜて作った塗料を塗っているのだ。
この世界のどの街を見ても、こんなに美しい建物が建っているのはアズポートだけだ」
「そうなんですかぁ~。あたしもこういう家に、一度は住んでみたいなぁ……」
うっとりした表情のセインを見た門番は、どこか嬉しそうに鼻の頭を掻く。
なんだかんだで、この人はいい人間なのだろう。騙していることが少し後ろめたい。
そのまま通りを歩いていくと、急にいい匂いが立ち込めてきた。
大通りには果物や魚介類を置いている出店や屋台がたくさん出ていて、どれもこれもが美味しそうだった。
――ぐぅ~。
「……そういえば、腹減ったなぁ」
「せやなぁ。結局昼飯食べとらんから無理ないやろ~」
「……私も」
「確かにそうだけど……先に宿屋を探そう?
門番さんにいつまでもザックを運ばせるってのも、悪いと思うし……」
セインの提案に、全員が頷いて肯定した。
「決まりだね。それじゃあ門番さん、安くて大人数が泊まれる宿屋さんに案内してくれる?」
「そうだな……個人的には〝カモメの巣〟がオススメだが」
名前がいかにもファンタジーらしい。ちょっと親近感を覚えるな。
「へぇ……じゃあそこで頼むよ。何から何までありがとう」
「構わないさ。先程の無礼のお返しには、まだまだ足りない位だしな」
ニヤリと笑った門番は、そのまま大通りをひたすら突き進む。
だいぶ人込みが多くなってきているが、人の波を押しのけて通るものだから後ろには道が出来る。
おかげではぐれることもなく、進むことが出来た。
五分くらい歩き続けると、大通りを抜け港へと入った。
小さな船から漁業船、さらには巨大な観光用の蒸気船も停泊している。
「うーん……潮風が気持ち良いなぁ」
セインの感想に心の中で同意していると、門番が立ち止まった。
「ここだ。この宿は海沿いだから景色もいいし、安くて飯も美味いぞ」
そこには白い外壁で三階建ての建物があった。
入り口の上には、やたらとリアルなカモメの絵が描いてあり、下に〝gull‘s nest〟と筆記体で書いてある看板がある。
「ここかぁ! えぇ感じの宿やなぁ……おっちゃん、ホンマにありがと!」
「いいってことよ。それじゃ、この街の観光を楽しんでくれ」
門番はザックを下ろすと、手を振ってこの場を立ち去った。
残された俺たちは建物に入ろうとしたが、セインが小さくあっと声を上げる。
「セイン、どうかしたか?」
俺の質問に、セインは少し青ざめた顔で小さく答える。
「宿に行くのはいいけどさ……あたしたち、一文無しじゃない?」
宿泊するには金が要る。
そんな当たり前のことさえすっかり忘れていた俺は、事の重大さを遅まきながら悟った。
確かに、俺たちはこの世界の通貨を持っていない。
「……まずいな。これじゃ泊まれないぞ」
「ホンマかいな? ラナ、どうにかならんか?」
シュガーが困った表情で尋ねると、ラナはキョトンとした表情を見せる。
「……金って、ブレドのこと? 旅人なら、多少は持っているはず」
ブレド――聞きなれない言葉だが、おそらく幻界の通貨のことだろう。
それさえも知らないと流石に彼女にも怪しまれるので、俺は自然に話を合わせる。
「そうだ。俺たちは途中でブレドを落としたから、ずっと野宿だったんだ。
金の無いところをシュンが助けてくれて、今こうして旅が出来ているわけだが」
後付の理由だったが、実際シュンがいなかったらまともに旅なんて出来なかっただろう。
嘘はついていない、と自分に言い聞かせてラナの返答を待つ。
「……そう、なんだ。私は最低限のブレドを持っているけど、全員泊まるには足りない」
「いや、構わないよ。それより……物々交換とかは出来ないのか?」
ファンタジー小説では、割と物々交換が一般的な作品も多い。
半分期待、半分ダメ元でラナに尋ねてみると、少し考えてから小さく呟く。
「……出来ないことは、ない」
「そうか。それじゃあ、淡い期待を込めて宿屋の主と交渉してみようぜ?」
「……最初から淡いとか言わないでよ~」
方針も決まったところで、俺たちは宿屋〝カモメの巣〟のドアを開いた。
「いらっしゃい。おや、あんたたち見ない顔だねぇ。旅のお方かい?」
宿屋に入って出迎えてくれたのは、恰幅のいいおばさんだった。
外見は純粋な人間そのものなのだが、耳が少しだけ尖っているのを俺は見逃さない。
きっとエルフとか、そんな感じの種族なのだろう。この世界の人間観察も慣れてきたものだ。
「まぁそんな感じです。この街の門番に勧められて来たのですが……いい感じの宿ですね」
「まっ、若いのに礼儀正しいじゃないか。
お連れさんもみんな若いし……アレかい? 親から離れるために移住先を探しているとか。
だとしたら、この街はいいところだよ~。何せ――」
それから十分ほどはおばさんの独壇場で、こちらが宿泊の話を持ち出さなければあと半日は話し続ける勢いだった。
「それで、俺たちここに泊まりたいと思うんですけど……」
「あぁ、だいぶ長話をしちゃったねぇ~。どうにも話し出すと止まらないタチでね。
それで、あんたたちはどれくらいこの街にいるつもりだい?」
「期間は未定なので、一応三日ってことにしておいてください」
本当はそんなに観光を楽しんでいる暇は無いのだが、これほど美しい街なのだ。
多少は観光をする余裕を持っても構わないだろう。
それに、情報収集もしなければならないし。
「わかったよ。……ちなみに、何人で泊まるつもりだい?」
おばさんの表情が少しだけ険しくなり、後ろで未だぐったりしているザックとシュンを見て尋ねてきた。
流石におばさんも、シュンが雑種だということはお見通しみたいだ。
「見ての通り、五人や。
そこの雑種は後で役場に連れて行くし、今は早ぅこの男を休ませたいねん。
そこにおる仔犬も含めたら、プラス一匹やけどな」
シュガーの的確な返事に、おばさんは安心したように深く頷く。
「そうかい。じゃあペットの宿泊料金はサービスしとくよ。
料金は……一人三百ブレドだから全員で千五百ブレドだね」
一日百ブレドが安いのか高いのかはよく分からないが、それでも良心的な宿だと思う。
でも今すぐ払えるブレドはないので、ここで物々交換の交渉をすることにした。
「あの~……実は――」
現在の所持ブレドはゼロであること、多少はラナが持っているが出来れば使いたくないということ、そして物々交換でも可能かエトセトラ。
俺では少し口ベタだったみたいで、やはり会話の上手い女性陣に任せる形になった。
なんとも情けないが、俺が交渉して失敗するよりはまだマシなはずだ。
おばさんはしばらく唸っていたが、カウンターの奥にある本棚の上を指差しながら、俺たちを試すかのような口調で話し出す。
「そうかね……それじゃあ、あんたらがなかなかの腕利きだと見込んで頼もうかしら。
あたしはね、実はたまに上空を飛んでいく飛竜から舞い落ちてくる、竜の鱗を集めるのが趣味なのさ。
なにせあの空を飛ぶ竜の鱗って、抜け落ちても輝きを失わないんだよ。ほれ、こんな感じさ」
そう言って、本棚の上に飾ってある色とりどりの鱗を数枚持ってきた。
大きな赤い鱗、笹の葉のような形をした藍色の鱗、丸くて小さい無色の鱗……確かにどれも綺麗だった。
「すごいですね~……まさか全部拾ったんですか?」
「そうさ。この街の上空を飛ぶ飛竜なんて、飛竜便のよくいるワイバーンくらいだからねぇ。
このような綺麗な鱗を落とす竜が飛ぶこと自体、滅多にないのさ」
確かに、街の上を飛んでいく竜なんてあまり想像できない。
創世時の俺とセインの想像次第では、当たり前のように街を飛んでいたのかもしれないが。
「つまり、あなたが欲しいものは――」
「綺麗な〝リュウ〟の鱗ですね! 任せてくださいっ!」
俺の言葉を遮りセインは明るく言い放った。
そして、言葉と同時にこちらに視線を送ってくると、急にニコニコと微笑みだす。
妙に悪い予感がするのは何故だろうか……まさかな。
「あんたら……どうやって手に入れる気だい?
竜の生息域はここいら辺じゃ何処にも無いのに、妙に自信あり気じゃないか」
「まぁ、結構すぐ見つかると思いますよ?」セイン、頼むからその満面の笑み止めてくれ。
「ほぉ……それじゃあ、とっておきの鱗を期待しているよ」
おばさんの言葉を最後に、セインはペコリとお辞儀をすると俺の袖を引っ張って外に出る。
「あっ、待ってぇな! ……ラナ、じぶんはここに残っとり!」
「……わかった」
シュガーが慌てて追いかけてくる中、セインはすたすたと歩いて、近くの路地裏へと俺を引っ張り込んだ。
シュガーが追いつくと、薄暗い路地裏には俺たち三人以外の人は見当たらない。
「さて……あたしのやりたいこと、分かるよね?」
まだ少し半笑いを浮かべているセインに、ある種の恐怖を感じた。
多少冷や汗を流しながらうろたえていると、いつの間にか背中は建物の壁に付いていた。
――完全に追い込まれたって感じだな、コレは。
「え、えっと……まぁ分かるけど」
「はぁん……ほんなら、ウチはおらん方がえぇんかな?」
シュガーは完全に状況を把握したような顔をしているが、何故この場を離れなければいけないのだろう。
ただ〝成長種族〟になって〝鱗を引き抜く〟だけなのに。
同じことを思ったらしいセインは、訝しげな表情をしながらも視線で俺を追い詰める。
正直まだ鱗を抜いたことは無いが、セインにやられるとなると否応無く恐怖を感じる。
実際、中学の頃からこやつは加減というものを知らない女の子で、よしんば俺の頭に少しだけ目立つ白髪を発見しようものならば、遠慮なく二、三本は周りの髪の毛も引っこ抜くのだ。
――そんな人に、鱗は出来れば抜かせたくない。いや本当に。
「は・や・く。おばさん、待ってるでしょ?」
そろそろ視線が本気になってきたので、堪忍袋の尾が足りているうちに小さく呟く。
「……想創。〝成長種族:龍人〟」
言葉とともに、俺の体が想創光に包まれる。
数秒間発光が続くと、それは急に掻き消えて俺の体を今までの姿とは一新させる。
これで三度目の成長種族だが、今までより心なしか想創の時間が早くなっている気がする。
使い込めば、それだけ想像もしやすいということだろう。尻尾の存在にも大分慣れているし。
「……あれ、尻尾は以前切り落とされたはずなのに」
デーテとの激戦の最中、俺の尻尾は確かに切り落とされたはずだ。
龍人の弱点は尻尾だと奴は言っていたし、実際切り落とされてそのまま俺は死んだのだ。
後に尻尾を〝龍刀龍尾〟として想創したが、あの後はセインの介抱に夢中で、どうなったのかはっきりと覚えていないのだ。
そのまま俺に戻ったのだとしたら……また尻尾になるのか?
「今はそんなことどうでもいいでしょ。さ、早く引っこ抜こう!」
俺の熟考をばっさりと切り捨てたセインは、満面の笑みを浮かべながら俺へとにじり寄る。
行けないと分かりつつも後ずさりしていると、その場面を見ていたシュガーは呆然とした顔になってこちらを見ていた。
「……あれ、ここに来た理由って、それなん?」
俺がついにセインに捕まったとき、シュガーは俺を指差しながらポツリと尋ねた。
セインはさらに訝しげな表情になると、俺も聞きたかったことを口にする。
「そうだけど、それ以外に何があるの?」
数秒後、シュガーはとんでもないことを口にする。
「そりゃあ路地裏といったら、なんかやらしいことするかと思うやろ?」
「「……は?」」
完全に俺とセインの口調が一致した。
数秒間固まったまま、俺はシュガーの言葉を理解することが出来なかった。
きっとセインも同じに違いない。
「いやだって、セインなんか今にも襲い掛かる雰囲気やったやん……あれ、ウチなんか変なこと言ぅたかいな?
ほんなら、唇を奪――むぐっ!」
「な、な、なんてこと言いだすにょよ~!」
セインは俺から離れるとシュガーに駆け寄り、開きかけの口を思い切り塞ぐ。
セインは言葉を噛んでいるし、何かものすごく焦っているような……そんな気がする。
「えーと……もう抜くぞ?」
この件については、深く考えるとまたセインがおかしくなりそうなのでサラッと流すことにする。
俺は窒息しかけのシュガーに心の中で合掌すると、左腕の辺りにあった艶のいい鱗を
いつもより鋭い爪でつまむ。
「……何とも使いづらい指だ。まぁいいか」
ぼやきながらも鱗を持ち上げてみると、根元が繋がっているだけで他はすぐに浮き上がる。
爬虫類のような剥がれにくい鱗だったらかなり苦労しただろうが、魚のような俺の鱗ならすぐに剥がすことが出来そうだ。
「せいっ!」
歯を食いしばって引き抜くと、純粋な人間の体で体毛が抜けたときよりは若干痛かったが、無事に引き抜くことが出来た。
俺の葉型の鱗は外観こそ青緑色だが、一枚の鱗として光を透かして見てみると、その輝きはさしずめエメラルド色と言ったところか。
確かに、竜の鱗を集めたい気持ちも分かる気がする。
「ふぅ……よし、宿屋に戻るぞ」
既に魂を抜かれたかのようにぐったりしているシュガーと、何故か息を切らしているセインに言う。
セインは疲れた表情をしつつ、少し残念そうな表情をしていた。
「はぁ、はぁ。シュガーが変なこと言わなければ抜けたのにぃ」抜かせてたまるか。
「……死ぬ思ぅた。セインはホンマ容赦ないなぁ」
二人してフラフラと歩く姿は少し面白かったが、ずっと見ているわけにもいかない。
俺は二人の手を同時に掴むと、引っ張って歩くことにした。
「あっ」
息を小さく漏らし俯くのはセイン。
「おぉ、楽チンやなぁ」
思いっきり体を預けるのはシュガー。
俺がしっかりしないといけないな、としみじみ思う昼下がりだった。




