第三章 ①
ザックとラナに襲撃されてから小一時間が経った。
太陽はかなり高く昇り、この世界の住人にとってはそろそろ昼飯時だろうか。俺も昼飯を食べていないままこの世界に来たから、そろそろ空腹を覚えているが。
「はぁ~……やっと着いたねぇ」
セインが感嘆の言葉を漏らすと、俺もシュガーも同意するように頷く。
あれからの道のりは意外に長く、シュンを背負いながら歩く俺はかなりの体力を消耗した。
フェンリルは体格的に、そこまで苦労している様子は無かったが。
「ホンマやなぁ……リュウ、フェンリル、ご苦労やったな。褒めて遣わすで」
「……シュガー、すごく偉そう」
俺とフェンリルを除いた女子は、道中かなり言葉を交わしていたらしく、ラナはいつの間にかシュガーの名前を覚えていた。
その会話にセインが加わる形で盛り上がり、今やこの女子三人は軽口を叩けるまで仲良くなっている。
本当に、馴染むのが早いなぁ……。
「……これくらい、なんということは無い」
「まぁな。それじゃ、とりあえず街に入ろうぜ」
〝潮騒の街アズポート〟と書かれている看板には、可愛らしい魚介類の絵が描いてあり、少し魚市場を彷彿とさせる雰囲気だった。
門はシェイディアのそれよりも倍くらいの大きさで、門番の格好もかなり丈夫なつくりになっていた。
……流石は大きな街だ。警備も万全ってことか。
シュガーが先頭を切って、門の前まで歩く。
俺たちは後ろからついていく形で歩いていたが、やはりそう簡単には通してもらえそうにない。
案の定、門番の一人が俺たちに近づいてきた。
「お前たち、この街にはどのような目的で来たのだ? この辺では見ない顔だが……」
門番の質問に、俺は少しだけ焦りを覚えた。いくつかの要因によって俺たちはこの街に入ることが出来ない気がしてきたからだ。
まず初めにシュンの存在。
シェイディアの門を通るときは、シュンの想創〝変身(メタモルフォーゼ)〟を使うことによって、純粋な人間になることが出来た。
しかし意識を失っている今、シュンの姿は純粋な人間が忌み嫌っている雑種なのだ。
この街での雑種の差別がどれ程のものか分からないが、不安要素としては十分すぎる。
次にシュガーが先程調教し、使役しているフェンリルの存在。
ただでさえ純粋な人間にも襲い掛かるとして恐れられている存在が、堂々と街に乗り込めるものなのだろうか?
最後は、俺たち外の世界から来ている人間だ。
幻界に来てからの時間はまだ一日も経っておらず、それ故に幻界の知識も乏しい。
もしも何か答えられない質問を投げかけられたとき、ボロを出さずに答えられる自信がない。
さらに、通行料がいると言われても、幻界の通貨さえ一度たりとも見たことが無いのだ。払えるわけが無い。
そんな俺の胸中を悟ったシュガーは、さも当然そうに胸を張って答える。
「あぁ~……ウチらは観光に来ただけや。別に怪しいモンではあらへんで?」
どうか何も質問しないでくれ……しかし俺の祈りは無残に打ち砕かれる。
「怪しいものではない、と。その狼を連れていてもそう言えるのか。そいつはな、この街の周辺に現れては商人や旅人を襲っていたそうだ。
そんな獣を連れている集団を、易々とこの街に入れることが出来ると思っているのか?」
なんと都合の悪い話だろう……このままでは説得する間も貰えずに追い返されそうだ。
もしそうなったら、重症を負っているシュンはかなり危ない状態になるのではないだろうか。
いくらセインが治癒の想創を行えるといっても、苦痛を和らげるにも限度があるはずだ。
最終手段としてはシュガーが復活させることが出来るのかもしれないが、むやみにあれほど高度な想創を行っていては、きっとシュガーの身が持たないと思う。これも出来れば避けたいところだ。
「せやなぁ……ほんなら、こいつを何とかすればえぇんやな? ちょっと待っとりぃ」
一度話を中断したシュガーは、フェンリルの近くまで行くと小声で話しかける。
「なぁ……何とか出来んか? せめて姿だけでも変えられりゃ、何とかなる思うねん」
「無理を言うな。俺にも出来ることと出来ないことがある」
「ケチ臭いこと言うなやぁ……ラナ、何とかならんか?」
いきなり話題を振られたラナは、少し悩んだ末に一つの提案をする。
「だったら……かなり難しいけど、外観だけを変化させればいい」
するとラナはおもむろに、雑草を一束地面から引きちぎった。
それを握り締めると、目を閉じて静かに集中し始めた。
あれは……何かを想創するつもりだろうか?
「……変化(シフト)。〝蝶(バタフライ)〟」
今までとは違う単語を発するとともに、雑草が想創光を帯びて眩く光る。
それは徐々に形を変え、十秒ほどの時間が経つと静かに想創光を掻き消した。
そこには、俺たちの世界でも見慣れたアゲハチョウが乗っていた。
しばらくラナの手の平でじっとしていたが、そのうちにひらひらと遠くへ飛び去ってしまう。
「……今のは変化。想創の応用で、形あるものを別の物質に変化させる。
想創よりも想像力を多く使うけど、今のは簡単な方」
簡単な方とはいえ、ラナの顔にはかなり疲れの表情が浮かんでいた。
やはり元ある物質を想像だけで変化させるのは、途轍もなく難しいことなのだ。
しかしシュガーは、それを見ても余裕の表情を崩さなかった。
「そうなんかぁ……よし、ウチもやってみるわ。
とりあえず、外見がこれじゃなければええんやろ? せやったら簡単な話やわ」
シュガーはフェンリルを見ると、不敵な笑みを浮かべて何かボソボソと呟いている。
あれはきっと、何かよからぬことを企んでいるに違いない。
心なしかフェンリルの表情が引きつって見えるのは、気のせいだろうか?
「よっしゃ、これで行こかぁ!」
急に拍手を打ったシュガーは、フェンリルの背からザックを降ろすと地面に寝かしておく。
フェンリルの姿を変えるにあたって、ザックが背に乗っているのは邪魔なのだろう。
シュガーは数秒目を閉じて集中すると、澄んだソプラノの声で叫んだ。
「……変化! 〝仔犬(パピー)〟!」
シュガーの発声とともに、フェンリルの体が想創光に包まれていく。フェンリルは足元から駆け上がってくる想創光に恐怖を覚えたのか、大きな目をきゅっと閉じていた。
ラナが雑草をアゲハチョウに変化させたときと同じくらいの時間をかけ、想創光に包まれたフェンリルの体がどんどん小さくなっていく。
眩い光がさっと掻き消えると、そこには予想だにしない生物が存在していた。
毛並みの色は今までのフェンリルと変わらず、首元と耳元、そして尻尾の先は白、それ以外は灰色だった。
しかし、体のサイズは今まで三メートル超あったものが、今ではその十分の一程の大きさしかなかった。
もはや小形犬の領域だろう、これは。
「かっ、可愛ぇ~! 想像以上の出来やわぁ!」
興奮しきったシュガーは、変わり果てた姿のフェンリルへ近寄ると、その小さな体を軽々と持ち上げて思い切り抱きしめた。
シュガーに抱きかかえられている事実が信じられないといった表情のフェンリルは、つぶらな瞳を瞬かせながら一言呟く。
「……どうなっている?」
先程まで年季の入った渋い声だったのに、外観が変わるだけで声もかなり高くなっていた。
その声を聞いたシュガーはさらに表情を輝かせ、己の声を聞いたフェンリルは小さく身震いをすると、表情が一層硬くなる。
「あり得ん……この姿、もはや俺ではない」
「気にすなぁ! さっきよかめっちゃ可愛くなっとるがな~」
うっとりした表情でしばらく抱きしめていると、思い出したように門番の方を向き直る。
一部始終を見ていた門番は、シュガーの言いたいことを悟ったようで、苦々しい表情を浮かべるとあからさまに溜息をついた。
「……まぁ、その姿ならこの街に入るのも許可出来よう。
しかしだな、その男が背負っている男はどう見ても雑種のようだが……事情を聞かせてもらおうか?」
門番は俺の背負っている男、つまりシュンのことを指摘し始めた。
この追求の仕方、少しでもボロを出せばきっと俺たちが捕まりかねないだろう。
出来れば荒事は避けたいところだ。
「リュウ、どうするの? 正直に言ったらきっと捕まえられちゃうよ?」
後ろからセインが小声で囁きかけてくる。
それくらいは俺も重々承知しているのだが、こういう場面に遭遇したときの切り返し方が分からない。
悩んだ末に、俺はふと思いついたことをそのまま口にしてみる。
「それは~……さっきこいつを見かけて痛めつけたのだが、気絶して動かなくなったんで持ち帰ってきた訳だ。
手配書にあった顔だから、え~っと……」
「……役場」
「そうそれ。役場に差し出せば懸賞金がもらえるだろ? ……これじゃ理由にならないか?」
ラナの空気を読んだ助言によって苦し紛れの理由を作り上げると、門番も少し疑いの眼差しを送ってきたが、渋々納得したようだった。
「……上官と話をつけてくる。少し待っていろ」
俺たちの前からそそくさと立ち去っていくと、門番は詰所に入っていった。
緊張感から解放された俺は大きく溜息をつくと、隣に立っているラナに向けて親指を立てる。
「さっきはありがとう。ラナのおかげでそこまで怪しまれずに済んだよ」
「別に……構わない」
やはり俺に対して、ラナはまだ少しだけよそよそしい所がある。
女子同士は仲良くなるのが早かったが、俺と打ち解けるにはまだ時間がかかりそうだ。
「まぁ、今回はリュウの臨機応変さに感謝しなくちゃね!
……それより、街に入ってからはどのように行動すればいいのかな?
肝心のシュンが倒れているんじゃ、街の様子なんて分かるはずも無いし……」
段々と表情に不安を浮かべ始めたセインを見て、俺はセインの肩を軽く叩く。
「まぁ、なんとかなるだろ。
とりあえず二人をゆっくりと休ませられる場所があれば、それでいいんじゃないか?
あとはシュンが目を覚ましてから考えればいい」
我ながら他力本願だなぁと思ったが、それでもセインは少し安心した様子だった。
シュガーに関しては、小さくなったフェンリルに夢中なので、気にすることは無いだろう。
そうしているうちに、詰所から先程の門番が出てきた。
急ぎ足でこちらに歩いてくると、先程とは打って変わって爽やかな笑顔を見せている。
「……先程は無礼な事を聞いてしまったかもしれない。すまなかった。
何はともあれ、〝潮騒の街アズポート〟へようこそ。我らは客人を心から歓迎する」
門番の言葉とともに大きな門が中央から割れ、十数秒をかけてその全てが開ききった。
門の向こうにはすぐに建物が見え、住民もなかなかの賑わいを見せている。
「ほな、行こかぁ! おっちゃん、ホンマありがとな!」
やはりシュガーが先頭に立って歩き出したので、それにシュンを背負った俺、セイン、ラナが後ろに並んだ。
そこで俺は、あることに気がつく。
「そういえばさ、一人足りない気がするのだが?」
セイン、シュガー、フェンリルが一様に首を傾げる中、ラナがボソリと呟く。
「……ザックがいない」
そういえば、せやったなぁ、素で忘れていた、各々の感想が飛び交う中で、俺はまだ意識を失っているザックの運び方に頭を悩ませていた。
流石に女性に運ばせるわけにはいかない。
「……なぁ、どうする? フェンリルもその姿じゃ運べないだろ?」
「うむ、確かに。かといって、主や生意気娘の手を借る訳にもいかないだろう」
「だっ、誰が生意気娘ですって~!」
ムッとしたセインがフェンリルを捕まえようと追いかけ、フェンリルは小さいながらも素早い動きで逃げ回る。
そんな風景を遠巻きに眺めつつ、ラナにも目配せで問いかける。
「……起こせば早いと思う」
「それはそうだが……すぐにでも俺を殺しに来そうだなぁ」
俺が渋っていると、その様子を見ていた門番がこちらに歩いてくる。
耳聡く会話を聞いていたのか、この状況を悟った様子で助言をくれる。
「あの……何なら宿まで運んでやっても構わないが? 見た感じ、事情が複雑そうだしな」
「ホントか? そりゃ助かるぜ」
「……感謝」
「おっちゃん、なかなかえぇ奴やなぁ!」
フェンリルとセイン以外の意見は一致し、門番は武装していた槍を詰所に置くと、ザックを楽に背負う。
そうしている間に、体力の尽きたセインはフラフラになってこちらに歩いてくる。
「はぁ、はぁ……あの狼、いつかギャフンと言わせてやるんだから」
「全く、運動音痴が無理するなよ」
セインは息も切れ切れにフェンリルを睨むが、シュガーの肩にちょこんと乗っているフェンリルはすまし顔でそれを流した。
一連の流れをを見ていた門番は、感慨深げに呟く。
「君たちは、楽しそうだな。
今まで何人も旅人を見てきたが、こんなに楽しそうに旅をしているのは君たちくらいだろう。羨ましい限りだ」
その言葉に、俺はこの世界について多少の不安を覚えた。
そんなにも、殺伐としているのだろうか? この世界は。
門番の言った言葉を心中で反芻しつつ、俺たちは今度こそ門をくぐり抜ける。




