50年後 1月
初めて書く小説です。誤字脱字があるかと思いますが、暖かい目で読んでやってください。
50年後.1月 「冬」
最近眠りは、いつも浅い。
こうやって年齢を重ねた今になってよくよく思い返してみても、深く寝具に包まれ穏やかな気持ちで、安心して眠りに落ちていく感覚は、あまりなかった気がする。
ただ普通の幸せを、思い出せないだけなのかもしれない。
深く考えれば考える程、ただでさえ少ない睡眠時間が更に減りそうな気がして考える事を辞めたかった。
だけど、今まで気にも留めなかったあの人の言葉や行動が、些細な事でも気になってしまう。
あの人が、今の病気になったからとかでは無い。今の病気の事は誰よりも私が支えたいと強く思っているし、昔あの人が必死になって私を助けてくれたように今、私が支えて助けたいのだ。
どれくらいの時間が経ったのかは解らない。起きていたような寝ていたような曖昧な感じだ。
ふっと隣を見ると、あの人はいなかった。
目を強く閉じて奥歯をかみ締める。自分に対する歯痒さで胸がズキンとした感じになった。
隣に寝ていたあの人がベットを離れるのを解らないほど眠っていた自分が恥ずかしかった。
眠る前まであの人の事ばかり考えていたのに。
とりとめも無い事ばかり考えてもどうしようもないので、すぐにベットをでた。
暖房のタイマーはすでに切れていた。掛け布団をめくり上げただけで真冬の寒さが覆い被さってきたようだった。
焦っていたため、照明も点けず足元のスリッパを探したがとうとう足先でスリッパを見つける事が出来なかったので素足のまま部屋を出た。
フローリングの床は、あまりにも冷たく痛かった。寒さのせいかよろめいてしまった。壁に手をつくと間接照明に照らされた花瓶が目に入った。
一瞬あの人が床暖房を設置したがっていた3年前の冬を思い出した。
あの人が、床暖房を諦めたのは私の欲しがっていた薩摩切子の花瓶を買う事に二人で決めたからだ。
今歩いている廊下にそれはある。間接照明を浴びながら紫色のグラデーションと氷の様な透明で鋭利な模様を輝かせ自分の存在を照明しているような薩摩切子の花瓶。
痛ささえ感じる床を歩いても床暖房と薩摩切子の天秤は、薩摩切子が乗った皿が下がったままである。その花瓶は、輝きながらあの人の笑顔も一緒に写してくれる。
今の病気になって我を失っていてもあの人が優しい顔で花瓶の前に立っている事が何度かあった。
生憎今回は、立っていなかった。