表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

聖女の葬列

作者: ぴこのあ
掲載日:2026/08/09

東の森の遠征で当代の聖女が儚くなった。

聖女ティナは王太子エドワルドの婚約者だった。

実力者ばかりの騎士団での遠征でなぜ聖女は魔獣に殺されたのか?

エドワルドはティナにもう一度会うため、神殿での不寝番を買って出る。


ゴーン、ゴーン、ゴーン




東の森の遠征で当代の聖女が儚くなった。


王都には分厚く薄暗い雨雲が覆っていた。

聖女の訃報を嘆く中央神殿の鐘の音が重く暗くどこまでもこだましていた。また1人、また1人と黒い人影がポツポツと神殿を目指して登っていく。陰鬱な天気が人々の足を重くする。


王太子・エドワルドは昏い瞳で王宮の上にある執務室からまばらな葬列を見下ろしていた。


女神クリスティナと戦神アレイスが作ったと言われるこの国には何年かおきに聖女が生まれる。

癒しの力を持ち、いるだけで場を整え、豊穣をもたらす女神の娘。女神クリスティナと同じ夜の闇と暁の髪に月の光の瞳を持って生まれてくる女神の娘。当代の聖女ティナは歴史ある伯爵家の娘でエドワルドの婚約者だった。初代から数えて17代目。初代のような圧倒的なカリスマもなく、2代目のように吸い寄せられるような美しさもなく、7代目のように法律家顔負けで立法することなく「歴史書に記されるような華やかな功績を持たない日陰に咲く野花のようなパッとしない聖女。」

それが彼女の評判だった。

だがエドワルドはその儚い花のような彼女を愛していた。ティナには何故か聖女にしては不名誉な評判が付き纏っていたため、エドワルドは動き方を考えねばならなかった。表立って庇えば王家の庇護を周知するが彼女の努力を無碍にする。ティナは癒しと浄化・祝福の異能の聖女だった。毎日神殿に通い、祈り重症患者を癒す。ティナを守るだけでなく、真摯に役職に向き合う彼女の一助になりたかった。

その王家に表立って守らない姿勢をつかれるとは思ってもみなかったのだ。聖女は女神の娘。害することは女神に反旗を翻すこと。そんな畏れ多いことをするほど平和である時代が人間の知能を退化させるなどとエドワルドは考えていなかった。


「東の森の遠征中に魔獣に襲われ、聖女様が身罷られました。」


エドワルドがその簡素な一報を受けたのは、貴族院との会議の途中だった。国王、宰相、大臣たちがいる会議でよく叫ばなかったと後から思った。実力派の第一騎士団と共に東の森の浄化に向かったのは昨日の朝のことだった。今日の夕方には王城に、エドワルドの元に戻ってくる予定だったのだ。 

そうしたら、晩餐は共にし、城でゆっくり疲れをとってから、褒賞と久しぶりに二人で王都を共に歩くはずだった。そう誘ったら普段俯きがちで頼りなげなあの娘が頬を染めて思いがけない贈り物をもらったかのように、嬉しそうに笑うものだからこちらも照れてしまった。


「エドワルド様、王都のお散歩、楽しみにしていますね。この前お話ししてくださった、珍しく美味しい屋台ご一緒できるのを楽しみに遠征頑張ってまいります。」


王城の門の手前で見送った時のあの滲むような笑顔が思い出され目頭が熱くなっていく。

内気な彼女からもらった気持ちを思い出し執務室全部を壊したくなるような破壊衝動を逃す。


エドワルドが内気な彼女と打ち解けるまでは時間がかかった。初めて顔を合わせた日、王子らしい海の瞳と金の髪を持ったエドワルドにティナは一歩引き気味だったから。


仲良くなるには時間がかかりそうだと直感したエドワルドはじっくり戦略を考えた。エドワルドはティナが居心地悪くならないよう時間をかけて打ち解けた。10歳になったティナが神殿で判定を受けて聖女を確定させてから7年。柔らかなリネンで包むように、悪意で傷つかないように、内気なあの娘が逃げ出さないようにゆっくり向き合ってきた。


やっと自分の気持ちを言葉にして伝えてくれるようになったのに。公務の時エスコート以外で手を握っても逃げずに握り返してくれるようになったのに。

ようやっと俯きがちだった小さな顔をあげてエドワルドを見て照れながら微笑んでくれるようになったのに。あの愛らしい笑顔がもう見れないなどという恐ろしいことがあるだなんて思ってもみなかった。

来年には二人とも成人し、婚姻式を。という時期であった。


自身の執務室の出口の手前でティナの護衛につけていた騎士が膝をついている。

騎士からは特段失意も何も見つけることができなかった。

「ティナ様をお守りすることが叶わず、申し開きの仕様がございません。全てのことが終わりましたら如何様にも御所罰ください。しかし、平に、平にお願い申し上げます。エドワルド殿下のご心痛察することもできないのでございますができましたら我が身一つに何卒、」


「一つ聞きたい。私はお前にティナをその身に変えても守れと命じた。しかし、祖方は生きている。何故だ?何故、ティナは1人で大型の魔獣の前に対峙することになった?

報告書にはその何故の記載がない。」


ごくりと騎士が唾を嚥下し、脂汗と土埃の嫌な匂いが香った。


エドワルドは「大きな戦時でもなく、動乱の時代でもない太平な時代に最適な王太子。」そう噂されていた。


今この報告をするまで騎士はエドワルドのことも聖女のこともを見誤っていた。王太子と、政略的に結ばれた聖女なら多少蔑ろにしても構わない。太平の世なら王妃は聖女でなくても良い。大金をちらつかせ、公爵令嬢からそんな依頼を受けたのも王太子と聖女の関係を完全に見誤っていたからだ。その結果、護衛からさえ蔑ろにされる聖女は魔獣の森で誰からも守られなかった。


柔らかな物腰と話術に長けた王太子。騎士はそのように侮っていたエドワルドからかけられた圧に崩れ落ちそうになる身体を歯を食いしばって耐えて、自分の見る目のなさを呪った。

騎士を見つめるエドワルドの眼は昏く普段の王子らしい柔和さなどかけらも見つからない。

騎士の額に脂汗が滲み出て、こめかみを伝い目に入るのに目が閉じられない。目の前の王子から目を逸らした瞬間に命が潰える。そんな恐怖。つま先からじわじわ小さな蟲の軍勢がゆっくり這い上ってくるような不快感。内臓を鷲掴み引き倒され蹂躙されるような虚無感


()()()()()()()()()()()()()()()()()()


身体を覆っていた違和感がなくなった瞬間。騎士の意識は刈り取られ、戻ることは2度となかった。


公爵令嬢アンティアナ・ノストレイクは逸る心を抑えて王城の回廊を歩いていた。今日ばかりは宝石のついたギラギラと美しいが重たいドレスもバランスのとりにくい靴も気にならない。エドワルドの目を楽しませるために少し露出が高く大人っぽい形を選んだ。

「ずっと目の敵にしていた聖女が遠征中に死んだ」恋敵が消えたことは思いの外彼女の気持ちを浮き立たせた。

エドワルドは王太子だから聖女がいないなら次の王太子妃を決めないといけない。

近い年の高位貴族の婚姻は整っている。

エドワルドをずっと思っていたアンティアナを除いて。


「次は私の番!」興奮に頬を染め

ぽつりと回廊に落ちた独り言に応えがあるとは思わなかった。

 

()()()()


黒い闇が滴るような声に回廊を振り返ると柱の陰に溶けるようにエドワルドが立っていた

アンティアナは目を潤ませ、華やかな自分の美しさを引き立たせるような姿勢で甘く囁いた。

その言葉は決して婚約者を亡くした相手のことを案じた響きはなく、自分の思い通りにことを運ぶためのポーズのような傲慢さが滲んでいた。


「エドワルド様!聖女様のことお聞きしましたわ。ご心痛のことと思いお慰めに…」


「弔問ありがとう。ノストレイク嬢。しかし弔問にしては装いが豪華なようだ。

今はそのような華美な装いは見るに耐えない。ティナを蔑ろにされているようで気分が良くない。」

「そのようなこと!落ち込まれている時だからたのしいことを一緒にしましょう?そうすれば、」

そっと体の柔らかさがわかるようにエドワルドにしなだれかかった。

だがエドワルドは体を捻り、アンティアナをさける。

「そのために騎士団の中で聖女の守りであろう面子を買収し、彼女をは1人にしたのかい?」

アンティアナは自分の顔から血の気が引く音を初めて聞いた。

貴公子らしい仮面はそのまま、エドワルドの声だけが、薄暗い恨み節が混々とアンティアナの耳に届いた。

(なぜ?なぜわかったの??)

「なぜ?」

ごくりと恐怖を飲み込み恋焦がれたエドワルドの顔を見上げた。

だが、アンティアナを見返すエドワルドの顔には人間らしい温かみが一つも見当たらない。

本能的に壊してはいけない一線を壊したのだと傲慢なアンティアナでさえ認識した。

アンティアナは初めてこの王子が怖いと思った。逃げ出したいのに逃げれないか弱い足は縫い付けられたようにその場から一歩も動かない。


じわりと厭な汗が滲み鉄壁の化粧の上を流れて筋を作っていく。


()()()()()()()()()()。」


「エドワルド様…」


アンティアナの震える声は闇に呑まれてもう誰にも届かない。



****


サリ、サリと衣擦れの音だけが響く。

ティナの棺が収められた天空神殿。ティナを諦められないエドワルドは月の光が満ちた神殿の祭壇の棺の淵に身体を預けて、復元されたティナのまろい頬を撫でていた。王城についた時のティナは魔獣に喰い荒らされてボロボロだった。顔だけが綺麗に残り柔らかな内臓はごっそり失っている姿を見て騎士たちが誰もこの聖女を守らなかったことを知った。

同行している治癒師が彼女を癒さなかったことを知った。


第一騎士団の団長師団長以外の下位職騎士たちは買収されあの遠征で聖女は無惨にも守ってくれるはずだった騎士たちに魔獣の前に突き出され食い殺された。

その姿を見た完璧な王太子が崩れ落ちて初めて側近以外の臣下たちは王太子が聖女を愛していたことを知った。美しく華やかな公爵令嬢から恋慕を向けられれば政略的な婚姻などせず公爵令嬢を選ぶのではないかと臣下たちは思っていた。その点若い王太子よりも公爵家の情報操作の方が上だった。王城を()()()()()()()にするのがうまかった


ティナの不名誉な噂も公爵家が流したものだった。少し蔑ろにされて、拗れれば儲け物程度のもののはずだった。

戦のない太平の世、飢饉もなく安定した御代に聖女の価値は薄く見積もられすぎた。

「少しくらい蔑ろにしてもいいか」という傲慢な考えの集大成がうら若きティナの無惨な遺体だった。


側近たちは崩れ落ちたエドワルドを支え、王城の魔導士にティナの体を復元させた。

身体の形が戻っても魂は戻らない。エドワルドは必死に考えた。崩れ落ちたままではこのままティナにもう逢えない。もう一度ティナに逢える方法を必死に考えた。


エドワルドの異能、「絶対王政」は他者を跪かせ相手を意のままに操ることができる。王家に数代おきに生まれるこの強力な異能は戦乱の世であれば強大な力になり、王家に忠実な騎士団を作り、太平の世であれば畏怖の対象になる。

父祖戦神アレイスの異能のうちの一つ。今はこの異能があることを出すべきではないと判断した王家はエドワルドの異能を隠し、戦場からは一歩引かせエドワルドを政務に打ち込ませた。だからエドワルドの異能を知っている人間は少数だった。エドワルド自身平和なこの国で自身の異能をつかう気がなかったのだ。ティナが害されるその時までは。


ティナの最後を知るために行使したエドワルドは支配対象が見たものを全て知ることができる。意識を刈り取った騎士やアンティアナからティナが受けたものを全て知り、守れなかったティナを思い無力感に打ちのめされた。その中で一つ優秀な頭で考えた希望。

立ち上がる気力がなくても、ティナに逢えるのは今夜が最期。エドワルドはどうしてもティナに逢いたかった。



****

聖女が儚くなると月の光で編んだ舟で神国ディナヤルクの扉から列聖された聖女たちがが迎えにやってくる。これは「聖女の葬列」と呼ばれ御伽話ではなく本当に迎えに来る。揃いの星空のベールを被り、暁のドレスを身に纏い。正しく聖女の仕事を終えた彼女たちは死後神の国でゆったりと暮らす。

苦しみのない安らかな神の国へ見送るための不寝番。通常は親族の役目だが、どうしてもとエドワルドが名乗りを上げた。


月の光で編んだ舟に乗り出発までのひと時だけ、間違いなく逢いたい聖女の名を呼び、間違いなく聖女の手を取り、彼女のベールをあげ、彼女が応じた時だけ愛しい聖女にひと時だけ会える。

迎えにくる聖女は揃いのベールに揃いのドレス。顔は見えず声に反応せず、生者は間違いなく自分が逢いたい聖女を引き当てなければ命を失う。エドワルドはティナに会うために聖女の葬列に乗り込む気でいた。


深夜、月が真上に登り、光の道が輝き出す。

ガラスでできた果実が打ち鳴らすような澄んだ音と共に月の光で編まれた船が静かにティナの棺に横付けされた。

不寝番をひとりでこなしていたエドワルドは月の光で編んだ舟の来訪を待ち構えていた。

月の光で編んだ舟には9人のベールをつけた聖女が乗っていた。どの聖女も違いがあるはずなのに同じに見える。ぼんやりとするエドワルドの目の前で10人目のベールをつけた聖女が船に乗り込む。普通に考えれば彼女がティナだ。

でもエドワルドにはどうにもティナとは違うように見えた。詳細に語るなら指の爪の形が違う。内気な彼女に嫌がられない触れ合える手はティナを感じる唯一の場所だった。小さくほっそりとした指、フニャッとした手のひら、桜貝のような爪どれもずっと見ていたものだ。だから確信を持って違うと思った。


最も魂の形が生前の形と一緒かどうかもわからない。舟出まで時間はもうない。生身の人間に魂が捕まえられるのか?考えたいことは死ぬほどあるのに頭がいつものように働かない。

エドワルドは月の光で編んだ舟の1番奥に隠されるように佇んでいる聖女を見つめ、月光の舟を駆け上がった。


「ティナ、どうか私に貴女と過ごす時間を与えてはくれないだろうか?」


左手を逃げられないように捕まえて、名前を呼び、ベールを上げる。


(ああ、婚姻式でのベールみたいだなぁ)


この星空のベールには魔法がかかっていたのか、さっきまで血の気がなかった聖女と少しも見分けられなかったのに果たしてそのベールの奥にはクリッとした目を見開いた珍しい表情をしたティナがいた。


見る間にティナの目が潤んでいく。どんなに不名誉な噂があっても、陰口を叩かれていても泣いた顔などついぞ見たことがなかったティナが涙を流してエドワルドにしがみついてきた。

初めての抱擁が葬列の真中だなんて、それでも


「エドワルド様!エドワルド様!エドワルド様!もう逢えないと思ってた!」


「貴女を守れなくてごめん。貴女の死に際を考えたらもしかしたら辛い思いをなん度もさせてしまうかと思ったけど貴女に逢いたかった。冒涜するようなことをしてごめん」


抱きしめたティナの体は柔らかく小さく体温がなかった。このティナは魂なのだと苦く歯を食いしばり、ティナの左手を両手で包みその足元に跪いた。


ティナが目を見開いて小さな口をぽかんと開けている。

(ああ、このかおも珍しいなぁ)


「列聖された皆様、妻問いをお許しください。」

聖女たちに宣言する。どんな書物にも乗っていなかった。神の国に向かう船から聖女を下ろす方法は。

でもそのまま見ていたらティナは行ってしまう。

やけっぱちの求婚である。


「私を戦神から人にしてくれる。愛しい人。どうか神の国に行かないで。私の隣にいて欲しい。貴女を守れず害された私を憎く思っても構わない。どうしても人生の伴侶は貴女以外考えられない。愛していますティナ•ノーウェル伯爵令嬢、この安寧の月光の舟から貴女を下ろし私の妻とする許可を、「できるならば喜んで」


普段引っ込み思案なティナからは想像できないくらい喰い気味の返答にエドワルドは泣きそうになった。


(私一人だけではなかった。ティナも同じように思ってくれていた!)


周りの聖女たちがざわめいている。こんなことは今までなかったから。慈悲深い彼女たちは妹聖女の願いを叶えてやりたいがどうしたらいいかわからない。生者と触れ合えるのはこの舟が止まっているいっときだけ。この船は幽世、あわい、ディナヤルクに向かうまでの仮初。彼女たちはあくまで妹聖女を迎えるための使者だった。聖女たちのさざめきのの中から1人の聖女が抱きしめ合うふたりの前に躍り出た。


エドワルドはティナを両腕で抱きしめティナはエドワルドの礼服をしっかりと掴んだ。どちらも取られないように抱きしめ合った。


「2人で過ごすなら、この国でなくとも良いだろう?特別に神国は2人を受け入れよう。」


何人もの女性がピッタリ同じタイミングで話しているような不思議な声音。エドワルドはティナと共にいられるなら神の国でもよかった。ティナのいない人生を生きる方がどう考えても無理だから。この1日でさえどうにかなりそうなのに。


「神国に美味しい屋台はありますか?」

しっかり捕まえているはずのティナから、ちょっと想像してなかった言葉が聞こえてくる。

 

「エドワルド様が案内してくれるはずだった串にささっていて、ふわふわしてて、ぱちぱちしてて、さっと食べないと逃げちゃう美味しいお菓子を食べたいのです。」

言葉にしていて場違いだと思ったのか、目元を赤くして最後の方は消え入りそうな声だった。

抱きしめているティナが一回り小さくなった気がする。可愛くて困る。


恐る恐る目の前の聖女に目を向けると予想外にニヤニヤ笑っていた。

「ティナ、ティナ、()()()。欲しいものが言えるようになったんだね?

私がその地にいた時にはそのような食べ物は無かったね。いいだろう、内気なティナが初めておねだりしたのだから。戻してやろう。

生者の国に戻ったなら私にもその()()()()()()()()()()()を備えておくれ」


(ティナを娘と言うなら貴女は、女神クリスティナ様…!)


光の渦が眼前を通過していく。エドワルドが目を開いたとき、月光の舟はもう無かった。抱きしめていたはずのティナもいなかったので急いで棺に駆け寄った。


棺の中のティナの目は閉じていて、もしかしたらさっきのは全て幻視だったのかとエドワルドが肩を落とした時、ティナの周りを埋め尽くしていた月光花がカサカサと枯れていき、そのかわりにティナの青かった顔に血色が戻り潤んだ月の光の瞳が開かれエドワルドを認めてニコリと微笑んだ。


もうその瞳を見た瞬間ダメだった。

抱きしめたティナの体は月の光の船で抱きしめた時のように小さくて柔らかくてでも暖かく鼓動を感じた。エドワルドは身体中を喜びが駆け巡り、ティナを抱えて神殿を飛び出した。


月は隠れ、朝日が王城を照らしている。

厳正な空気で満ちていた謁見室は、エドワルドが目を白黒させるティナを横抱きにして殴り込んだ後は阿鼻叫喚の坩堝だった。

厳しい父王と宰相が顎が外れそうなほど驚いているのをエドワルドは未だ嘗てない高揚した気持ちで見ていた。


臣下たちはおっかなびっくりエドワルドを見返した。彼らは我らが王太子が壊れてしまったのかと思ったのだ。聖女の遺体を愛し気に抱きしめ謁見室の扉を蹴破るなぞ正気の沙汰とは思えなかったから。

しかし聖女の遺体が動いてる。昨日魔獣に喰い荒らされた遺体を見ていた臣下たちは恐慌した。死に戻りか!アンデットか!しかしよくよく見たら生前のようにオロオロしてる…少なくともアンデットはあんなふうにオロつかない。オロオロする聖女を認めると一人、また一人と静かになっていった。 


エドワルドはその日のうちに父王に進言し公爵家に責任を問い、公爵家に買収された臣下たちを左遷し完膚なきまでに叩きのめした。

そして少しずつ蔓延していたティナの噂を書き換える。最も、神国ディナヤルクから死に戻った奇跡の聖女という評判の方が強く パッとしないどころか奇跡の聖女に早替わりだ。



それからエドワルドはティナを愛してますという気持ちを隠さなくなった。


「む!」

愛しいティナは()()()()()()()()()()()食べないと逃げちゃうお菓子と対戦中だ。

星屑の森で取れる果実からとった甘い星屑を飴の中に入れると飴の核を中心に円形に軌道を描く。軌道を描くうちに雨の周りがふわふわぱちぱちになる。この星屑が1番美味しいのだが、何度か食べ逃すと外に飛んでいってしまう。ティナの周りには飛び出す星屑を狙った鳥が数羽目を光らせている。

ティナはおっとり鈍臭いので3つ目の挑戦だった。つまり2つ程星屑を逃している。食べ逃した残りのふわふわ2つはエドワルドの腹の中だ。

あの後、騒動が落ち着いてから二人で食べたこのお菓子は幸せの象徴だった。もちろん神殿にもお供え済みだ。


エドワルドは必死に星屑と対戦してるティナをうっとりと見ていたが一向に捕まえられない様は流石に可哀想だったので、さっと星屑を指で捕まえティナの口元に持っていく。

半目のティナがエドワルドの指にかぶりついた。ティナの小さな歯で噛み付かれるならいくらでも噛みつかれたい世間曰く理想の王太子(18歳)。

あの聖女の葬列から一年もうすぐふたりの婚姻式だ。ティナはあれからずっとエドワルドに遠慮がなくなったし、エドワルドは気持ちを隠さなくなった。

城下町で見られる2人の姿は一時は政略だ!契約結婚だなんて言われていたイメージからかけ離れて仲睦まじい恋人同士で婚約者だった。


****

一年前ティナが棺に収まっていた祭壇で今日2人は夫婦の契りを結ぶ。3年ほど政務の引き継ぎを受けてから戴冠式だ。ティナが隣にいてくれるならどんなことでも解決できる気がしている。

エドワルドはキラキラと光が差し込む祭壇の前でティナの手をひきながらあの夜を思い出して、感慨深くティナのベールをあげた。どんなアクシデントでもあの葬列からティナを下ろすために飛び込んだことより心臓に悪いことはないと思っている。


暗闇の星空のベールではなく花嫁の白いベールの奥では、愛しい月の光の瞳が笑っていた。

滲むようなティナの笑顔にたまらなくなって、エドワルドはティナに口づけた。

奥手カップルが好きです。

エドワルドはどっちかというと元気な陽キャ男子ですがティナと仲良くするため、小出しにしています。

イメージ的にはでっかいゴールデンレトリバーが小さいばや毛でやんのかステップしてる鈍臭いので黒い子猫をヨシヨシしてる感じです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ