第四曲目
ヒビキは屋上で作りかけの音源を再生した。未完成の曲。彼の思い出の中にある音楽はいつも、母親と共にあった。
「…もう、完成することの無い曲なんか…」
音源を削除しようとしたその時、柔らかい歌声が聞こえて来た。記憶の蓋をそっと開ける様な歌声。
「また、あいつか…」
屋上から音楽室に目を向ける。音楽室の窓の向かうには楽しそうに歌うスバルの姿があった。
「…くそッ」
朝、長テーブルの向こうに座る父親から告げられた言葉を思い出す。家の中はやけに広く、冷たかった。かつて彼の母親が育てていた薔薇ももう庭に咲いていない。
「…お前には財閥を継いでもらう。あのピアノも捨てろ」
彼の部屋に今も大切に置かれているピアノは母親の物だった。
「…母様の形見まで捨てんのかよ」
父親が片眉を上げる。
「…まだ音楽に未練があるのか?もう忘れろ。…音楽も、お前の母親のことも」
呟いて父親は一枚の書類を置いた。
「お前の席は用意してある」
そう言って部屋を出て行った。重厚な扉が閉まり、音が響く。
「…」
ヒビキは目を開けた。音楽室から歌声が聴こえる。彼は音源を消せなかった。ただ静かにスバルの歌声を聴いていた。
放課後。スバルが楽器屋で音を合わせていると店にヤクモがやって来た。
「どうも、こんばんは」
片手を上げた彼にスバルは驚いて叫ぶ。
「ヤクモ!?どうしてここに!?」
「あはは。何?テンション高いじゃん。俺に会いたかったわけ?」
からかう様にそう言って意地悪く笑うと彼はポケットからライブのチケットを二枚、取り出した。
「ライブのチケットあげるよ。一応、恩人だし?」
「いいのか!?マジでサンキュ!絶対行く!」
喜ぶスバルにヤクモが笑う。
「大袈裟すぎでしょ。じゃ、今夜ライブあるからもう行くね〜」
来た時と同じ調子で彼は去って行く。
「時間も時間だし、俺がバイクで送るっすよ。免許はあるんで安心して欲しいっす」
シキがスバルにバイクのヘルメットを渡す。スバルが後ろに乗ると走り出す。風が強く吹いて頬を冷やす。
「ちょ、早いって!」
「普段よりスピードは落としてるっす!」
スバルはしがみつきながら叫ぶ。声を張らないと聞こえないのでシキも大きな声で言い返した。しばらく走り、ライブ会場に着く。すでに人が集まっていた。
「ここっすね」
チケットをスタッフに渡し、二人はライブ会場に入る。狭い空間は熱気と興奮で満ちていた。ペンライトを持っている客もいる。
「暗いんで足元、気をつけてくださいよ。転ばないでほしいっす」
「転ばねぇよ!さすがに!」
暗闇の中、二人は話しながらステージの前に行く。その時、スポットライトが光り、ヤクモ達の姿を照らし出す。ボーカルの声がマイクを通してよく聞こえた。
「皆ー!盛り上がってるかー!?」
歓声がライブ会場の空気を震わせる。ヤクモは後ろでドラムスティックを持っていた。女性客を見つけると軽薄な笑顔を浮かべて手を振る。
「今日はドラムにヤクモが来てくれた!」
女性客の歓声が上がる。
「じゃ、最初の曲を聴いてくれ!」
曲が始まると、ヤクモがリズムに合わせて身体を揺らしながらドラムを叩く。彼は僅かに笑顔を浮かべていた。いつもの軽薄な笑顔とは違う、どこか楽しそうな笑顔だった。
「すげぇ…!上手いなあいつ」
スバルはボーカルの歌声より、ギターの音より、ヤクモのドラムの音に夢中になった。
「本当に上手いっすね。プロ並みっす。…正直、他の音が見劣りするくらい」
シキが小さく呟く。やがて曲が終わり、ヤクモ達のバンドの出番は終わった。
「すごかったな。あいつのこと勧誘したいけど…」
「会うのは難しそうっすね」
控え室には出待ちのファンがいる。スバルは諦め切れず、会場の前をウロウロした。
「あれ。まだいたんだ?」
ヤクモが裏口から出てくる。彼は帽子のキャップを深く下げ、黒いマスクを付けていた。
「ヤクモ!…バンドメンバーは一緒じゃないのか?」
ヤクモは肩をすくめた。
「打ちあげあるらしいけどパス。ダルいし」
そう言って前髪を弄る。
「お前の演奏聴いたよ!すげぇ良かった!なんか…すごかった!」
「語彙力無さすぎでしょ」
ヤクモは微かに笑った。馬鹿にする様な言葉だったが、柔らかい響きの声だった。
「なぁ、軽音部に入らないか?何で嫌がるんだ?」
スバルの言葉にヤクモは嫌そうに眉を寄せた。
「昔、人間関係で揉めてバンドを解散した。だから入らないって決めてるんだよ」
彼はため息をつく。
「普通、踏み込んで聞いてくる?正直、うざいんだけど」
その言葉にシキが目を細めた。
「…バンドが解散した理由、分かりましたっす」
冷たい声でシキがそう言うとヤクモが鋭く目を光らせる。
「…は?何、俺のせいだって言いたいわけ?」
スバルが慌てて二人の間に割り込む。
「喧嘩は辞めろよ!」
シキは苛立ちを逃すように息をはくと、スバルの背を押す。
「…もう行きましょ。嫌がってる相手に無理強いは出来ないし」
スバルは迷うように視線を彷徨わせる。ヤクモはもう顔を背けていた。
「…なぁ、明日!一度だけ学校に来てくれ!そうしたら、お前のこと諦めるから!」
返事は無いまま、ヤクモは背中を向けて去って行った。
「どうするつもりなんすか?」
「…あいつ、口では色々言ってるけど、本当は音楽が好きなんだよ」
スバルは笑顔を浮かべた。
「どこに居たって響かせるから」
小さく呟き、スバルは決意した。




