上流貴族の姉に踏みつけられ婚約者には裏切られた私が、家を飛び出した先で隣国の皇太子に一目惚れされ、拒否している間に全員に復讐してくれて、気づけば次期王妃になっていました
「お前は、家の恥だ」
その言葉がアメリア・セレスタインの人生の起点だった。
名門・セレスタイン公爵家の次女として生を受けたものの、彼女の居場所は家にはなかった。金髪碧眼という高貴な容姿を持ちながらも、姉・ミリアンヌの影に隠され続けた人生。美しく聡明で、帝国王太子との婚約をも手にした姉こそが家の「誇り」。アメリアは常にその引き立て役だった。
そして――ある日、運命が崩れ落ちる。
「アメリア・セレスタイン、公的に婚約を破棄する」
王太子カイル・エルヴァンからの婚約破棄宣言。理由は「アメリアの冷淡な性格と不適格な素行」。だが、それは嘘だった。
彼は、姉のミリアンヌと通じていたのだ。
「妹さんよりも、お姉さんのほうが僕には合っていた。それだけだよ」
何気ないその言葉とともに、アメリアの名誉は地に落ちた。皇族との婚約破棄というスキャンダルは、彼女を“悪役令嬢”と貶め、社交界から追放するに足る理由になった。
「ふふ、いい気味ね。あなたなんて最初から何の価値もなかったのよ」
姉の笑顔が、脳裏に焼きついた。
心を砕かれたアメリアは、その夜、自室の窓から身一つで屋敷を抜け出した。従者も連れず、金も持たず。ただ、この地獄のような屋敷から――家族から、逃げたかった。
◆ ◆ ◆
「……水……」
朦朧とした意識の中で、アメリアは誰かの手に抱き起こされていた。温かな掌が頬を撫で、喉に水が流し込まれる。
「おい、大丈夫か。目を覚ませ」
男の声だった。低く、落ち着いた声。しかし、その声には焦りと怒りが滲んでいた。
彼女が倒れていたのは、帝国の国境地帯、ルヴァン王国との境。飢えと寒さに倒れた彼女を救ったのは――ルヴァン王国皇太子、ユリウス・ヴァレル・ルヴァンその人だった。
アメリアが目を開いたとき、彼は驚くほど真っ直ぐに彼女を見つめていた。
「――綺麗だ。お前は、俺の婚約者になるべき女だ」
「……は?」
「いや、間違いない。お前のような女は、手放してはならない」
彼はその場でプロポーズしたのだった。
◆ ◆ ◆
「断ります」
アメリアはきっぱりと言った。
「お前は命を助けられたのだぞ?」
「だからと言って、愛もない相手に従うほど落ちぶれていません」
ユリウスは驚きもしなかった。ただ笑った。
「……ますます気に入った」
彼はそれ以降、粘り強くアメリアのもとに通い詰めた。丁寧な礼儀、優れた戦略眼、美しい筆跡、そして容赦ない手腕。そのすべてで彼女を包み込むように、距離を縮めてきた。
だがアメリアは頑なだった。誰かを信じることに疲れきっていた。拒絶することでしか、己を守れなかったのだ。
ある日、アメリアは問いかけた。
「私に構っている暇など、貴方にはないでしょう」
「俺が構いたいのはお前だけだ。……だが、それだけではない」
ユリウスの目が鋭く光った。
「お前の家族と、元婚約者。連中には天罰を下す。俺のやり方でな」
◆ ◆ ◆
それからの日々、帝国では異変が次々に起きた。
まず、セレスタイン公爵家が保有していた鉱山の権益が突如凍結された。続いて、王太子カイルの秘密裏の財務不正が発覚。公の場で告発され、彼は即座に次期皇帝候補の座から引きずり下ろされる。
さらに姉・ミリアンヌの社交界デビューにて――
彼女の仮面を剥がす匿名の文書がばらまかれた。そこには、アメリアに対する暴行と侮辱の数々、そして王太子との密通の証拠までもが詳細に記されていた。
帝国中が騒然とした。
そしてその裏にはすべて、ルヴァン皇太子ユリウスの影があった。
彼は静かに、だが確実に――アメリアのためだけに、彼女の仇を討ったのだ。
その報せを聞いたとき、アメリアは涙を流した。
それは、初めて誰かに“守られた”と感じた瞬間だった。
そして――彼女は、ようやくユリウスに向き合うことを決意する。
「……ありがとう。私の代わりに、罰を与えてくれて」
「お前の涙は、俺だけが拭う権利があると信じている」
その言葉と共に、彼は彼女の手にキスを落とした。
アメリアの心の扉が、静かに音を立てて開かれていく――。
ーーーー
「私は、貴方のような人に愛される価値が……本当にあるのでしょうか」
夜の王城のバルコニー。ルヴァン王国の澄んだ空気の中、アメリアは小さくそう呟いた。
「あるとも」
ユリウスは即答した。力強く、迷いなく。
「お前が自分で思っている以上に、ずっと強く、ずっと美しい。そして、優しさを失わなかった」
「……」
「そんな女を、どうして俺が手放す?」
月明かりの下、ユリウスはアメリアの肩を抱き寄せた。
「お前が何度拒んでも構わない。だが、俺は何度でも口にする。――アメリア、お前を愛している」
言葉が胸に深く突き刺さった。
幼少期から愛されなかった少女が、今、確かに誰かに必要とされていた。
もう、逃げなくていい。
「……はい。今なら……その言葉を、信じたいと思えます」
ユリウスの瞳が柔らかく揺れた。
そして、アメリアの手に、小さな箱が差し出される。
「受け取ってくれるか?」
開けば、そこには――王家の紋章が彫られた、美しいエメラルドの指輪。
「俺の婚約者に。いや……未来の王妃に」
アメリアは、涙を浮かべながら、静かに頷いた。
◆ ◆ ◆
二ヵ月後、ルヴァン王国で発表された皇太子ユリウスの婚約者は――
かつて帝国で“悪役令嬢”と呼ばれたアメリア・セレスタインだった。
帝国から逃れ、ルヴァンで庇護された令嬢が次期王妃に。
噂は瞬く間に帝国中に広がり、人々の口に上った。
当然、セレスタイン家と元王太子カイルは動揺した。
すでに地位も名誉も地に落ちていたが、今や完全にルヴァンに“踏まれて”いる構図だ。
追い打ちをかけるように、ルヴァン王国は帝国に対し、公的に通商の制限と外交的抗議を表明した。
名目は“自国皇太子妃に対する過去の不当な扱い”についての制裁。
事実上の外交的勝利。
「まさか、ここまで利用されるとはな……!」
カイルは玉座を追われ、王弟の王位継承により辺境地へ追放。
ミリアンヌは社交界を永久追放され、両親は爵位を返上。セレスタイン家は没落した。
◆ ◆ ◆
「敵に情けをかける気はない。――だが、許すかどうかは、お前の自由だ」
ユリウスはすべての裁定をアメリアに委ねた。
彼は、彼女の痛みを奪ったが、赦しを強制することは決してしなかった。
「許しません」
アメリアは静かに言った。
「でも、もう振り返るつもりもありません。私には……これから築く未来がありますから」
そう。
この手を取ってくれた男と、歩む未来が。
◆ ◆ ◆
そして――盛大なる婚約式。
ルヴァン王国王宮。
広間は純白の花々で彩られ、参列者たちの拍手が祝福の嵐となって響いていた。
アメリアは、純白のドレスを纏い、ヴェールの奥で優しく微笑んでいた。
「まるで、本物の女神みたいだな」
ユリウスがそう囁いたとき、アメリアは少し照れたように笑った。
「本物の悪役令嬢ですが?」
「――俺の中では最愛の王妃だ」
彼はそう言って、彼女の手にそっとキスを落とした。
アメリアの過去に傷はあれど、今はもう誰にも奪わせない。
彼女は愛され、選ばれ、守られる存在になった。
そして彼女自身もまた、かつての弱さを超えて――未来を選ぶ者になった。
「私はもう、“誰かの影”じゃない。私は、私自身として生きていく」
その言葉に、ユリウスは深く頷いた。
「共に、歩もう」
ルヴァン王国の未来を担う者として。
そして、一人の女性として幸せになるために。
祝福の鐘が鳴り響く中――二人は未来へと歩き出した。