刃物が苦手なドン
裏社会。そこはならず者が集まる社会。麻薬カルテル。そこは善意を母の腹に置いてきた者たちの集まり。紛争。そこには生きる意味など無くした悲劇を背負う青年たちの衝突。
I国の最南端の島に麻薬カルテルのドンが身分を隠して住んでいた。気候は温暖だ。今の季節は春でのどかな雰囲気が島一帯を覆う。しかしドンの住む地域は麻薬が蔓延していて社会の光の当たらない場所は常に危険に満ち溢れている。
ドンは豪邸に居を構え、優雅に表通りをなんとなしに見ていた。
表通りには行商人が行き交う。異国情緒溢れた場所だ。様々な国の言語が飛び交う。食品を扱う出店が通りの脇に出店していて、I国で取れる海産物が並んでいる。背中にいっぱいの荷物を背負い、何やら怪しい薬を売っている者がいる。
ドンは眉根を寄せた。この地域でドンが許可された売人でないからだ。ドンはI国出身の人間では無い。見た目が明らかだから。I国の人間は肌が白い。その売人は肌が黄色かった。
ドンは高価な調度品に囲まれた部屋でソファに横たわりながら指を鳴らした。すぐに部下が飛んできた。
「いかがされましたか?」
「あそこに売人が見えるな。あれは許可してない者だ殺せ」
「承知しました」
殺しのやり取りにもかかわらずドンとその部下には感情の昂りは無い。事務的なやり取りなのだ。
ドンは茶をすすった。その時、表通りから騒ぎが起きた。ドンは様子を覗く。背中に大荷物を背負った売人が血を流して倒れていた。
人だかりができていて人混みに紛れて金髪の男が逃げているのを見た。ドンのお気に入りの部下だった。
ドンはソファに深く座り、重心をソファに預けた。天井を仰ぎ見る。ドンは自分の作った組織が上手く回っていることに満足している。ここまで組織を作り、発展させていくのに20年の歳月と100人の犠牲を払った。自分の半生を振り返り、しんみりとした気持ちになった。
ドンは再び表通りに視線を向けると見知った女性が歩いていた。ドンは自分の心が暖かくなるのを感じて玄関へと向かった。扉を開け開けるとその女性が立っていた。
「コルニスさんお久しぶり」
「どうもナザリア。さぁ入って」
ドンの招きに応じて女性はドンの館の中に入った。そこは豪奢なデザインが刻まれていて女性はハッとした気分になった。
ドンは自分の館がナザリアという女性に感銘を与えていることに喜びを感じた。
ナザリアはドンを頭からつま先までジロジロ見た。
「どうした」とドン。
「いや、ひったくりから助けてくれた人がこんな豪華な館を持っているなんて不思議だと思って。それに路地裏に館を構えるなんて。こんな館を立てる場所じゃないわよ、この土地」
「まぁ、いいじゃないか」
「とても不思議で怪しい」
ナザリアは目の前にいる男が麻薬カルテルのドンだとは露ほどもにも思わなかった。
ナザリアは再びドンの姿をまじまじ見るとつま先に注意が向いた。
「コルニスさん、爪伸びすぎよ」
「爪くらい勝手に削れて短くなるよ」
「なんでぇ? 危ないわよ」
「爪ぐらい切らなくて良いじゃないか」
「切ってあげようか? ひったくりのお礼。ほらっ」
ナザリアは嫌がるドンを椅子まで引っ張って行った。椅子に座らされ、ドンのサンダルはナザリアに脱がされた。ボーチから爪切りを取り出すとドンの親指の爪に爪切りの刃を引っ掛けた。
「勘弁してくれぇ」とドンは弱々しい声を上げた。
「何? 爪切りがそんなに怖いの?」
ドンは耳を真っ赤にして頷いた。
「じゃあ新聞でも広げて爪が切られている足元を隠したら」
ドンの部下が新聞紙を持ってきた。ドンはそれを広げて足元が視界に入らないようにした。
パチンパチンと音が鳴る。
ドンは恥ずかしさと硬質な音の恐怖に震えていた。




