「禁じられた罠」
なんてこった禁じられた罠だろそれ!
啓太郎は心の中で叫んだ。彼は飲み屋街の一角にある油にまみれて汚れた居酒屋に居た。机には枝豆とビールが並んでいた。机の下向かいには会社の同僚の洋介が座っていた。
洋介の顔は青ざめており、救いを求めた縋るような目付きで啓太郎を見つめていた。そんな洋介は弱弱しい声を出した。
「なぁ、けいちゃん。俺どうしよう」
「どうしようもないだろそれ」
「突き放すなよぉ」
洋介はさらに顔を曇らせた。啓太郎は洋介のことをさらに哀れんだ。洋介はロマンス詐欺に会ったのだ。事の顛末はこうだ。洋介はマッチングアプリで知り合った女性と関係が進み、カップルから婚約者になろうとアプローチをかけた。相手の女性は快諾し、結婚式をあげようとした。そんな折、女性から借金があると言われ、洋介はそれを肩代わりした。お金を払ったらその女性はドロン。音信不通となった。払った金額は1000万円。洋介の全財産だった。
「俺はこれからどうしたらいいんだ」
「ようたん、もうそれは警察に任せるしかない。捕まえてお金を取り返すしかない」
「違うんだ。けいちゃんそうじゃない。お金を取られたことが問題じゃない」
「ようたん? どういうことだよ?」
「あのなけいちゃん。お金なんてまた稼げばいいんだ。だからそれは問題じゃない。問題はもう俺は女の子を信頼出来ないことなんだよ」
「あぁ。なるほど」
「あんな綺麗で良い子がさ。人を騙すなんて一体誰を信じればいい? 幸せに2人で積み上げてきた日々がただの嘘なんて世界が崩壊する感覚にさえ陥るんだよ」
「だからその女に罪を償わさせるんだ。お前のやったことは間違っているんだ。そう、法廷で突きつける。まずはそうしないと前に進めないんじゃないのか」
「いやいや。復讐とか、天罰とか、あるいは因果応報なんて俺には興味が無いんだ。ただあの日々が嘘だったこと。それが俺を苦しめるんだよ」
啓太郎は逡巡した。さてどうしようか。このまま自分の殻に閉じこもりこうしてうだうだと心情を吐露する友人を介抱するのも大事だが、一方でこのままおめおめと友人の金を貪る悪女を野放しにはしておけない。社会に存する正義とは何たるかをあの女に教えなくてはこちらの気が済まない。こう考えた啓太郎は洋介にその女のことを尋ね、すぐ近くの交番に行った。
交番の詰め所はデスクが1つの殺風景な場所だった。大柄な警官は背格好とは裏腹に酷く臆病な様子だった。しきりに自分の爪を気にしていじっている。
啓太郎はそんな警官に不安を感じたものの他に頼る場所もなく本題を切り出した。
「すみません、お巡りさん。実は私の友達が詐欺に会いまして」
「はぁ」と警官。
気の抜けた返事に啓太郎はますます不安になった。啓太郎は一部始終を警官に伝えた。警官は頷くと言った。
「ご友人の方は非常に運が悪い。その彼女は有名な詐欺師なんですよ」
「そうですか、と諦める訳にはいかないんです」
「お気持ちは大変分かります。ですが残念ながら我々どもも逮捕に難儀しておりまして」
啓太郎は眉をしかめた。体格の癖に自信のなさそうに話すのがさらに癇に障った。あんた達は庶民を守るためにいるのでは無いのか? その体格と権限は何のためにあるんだ。啓太郎は苛立って足の爪先をトントンと鳴らした。警官は恐縮した。その様子にさらに腹が立った啓太郎は交番を出た。
交番を出た啓太郎は夜の冷たい風に当たった。ひんやりとした爽快な風は啓太郎の怒りを少し抑えた。
警官には頼れないならば自分が動くしかない。そう考えた啓太郎は洋介が使って件の女と出会ったマッチングアプリからコンタクトを取ろうと考えた。
啓太郎は自分の家に戻り、スマートフォンからそのアプリをインストールした。筆記体でオシャレなロゴが表示され、女性の写真が流れてきた。名前を見る。洋介からアカウント名は聞き出して風貌は画像で見た。
彩花、違う。瑠奈、違う。春菜、違う。
次々とスワイプしていくが詐欺師は出てこない。やはり名前は変えるのだろうか。次の手を考えながら啓太郎は半ば上の空で画面をスワイプしていく。次の瞬間、啓太郎の無意識があの女を捉えた。
愛菜。見つけた。あの女だ。啓太郎はコンタクトを取ると愛菜から返信が来た。
来週の土曜日、午後4時から北ノ沢にて。
啓太郎は口の端をわずかに上げた。禁じられた罠だ。お前をはめてやる。啓太郎は興奮を抑えて眠りについた。
日曜日の洋介との飲みの後、平日に仕事を済ませ、来たる土曜日に啓太郎は北ノ沢駅に向かった。そこへ向かう電車乗った。電車の中で啓太郎はシミュレーションしてどうやって本性を暴いてやろうか考えていた。車内にアナウンスが流れた。思考を中断して北ノ沢駅で降りた。
駅前には事前の打ち合わせ通りの場所に指定された服装で詐欺師が立っていた。
啓太郎は彼女に声をかけた。彼女は快く応じた。
「啓太郎さんですね」
「はい、そうです」
「会えて嬉しいです」
「こちらこそ」
啓太郎と詐欺師である愛菜はそのまま雑談をしながらカフェに向かった。カフェに着いて着席した啓太郎と愛菜はコーヒーを飲みながら話した。
休日は何してる? 趣味は? 故郷は?
そんな他愛のない話しを続けた。啓太郎は洋介から聞いていた彼女の素性と食い違うのを知った。嘘をついている。啓太郎はそう感じた。愛菜は雑談の中でこう続けた。
「私、責任感の強い人が好きなんです。困ったら助けてくれるそんな優しい人が」
彼女の言葉に啓太郎は腹の底で怒りが燃えるのが感じられた。
責任感だって? そうやってお前はたくさんの人間を騙してきたのだろう。愛菜は啓太郎が眉根を寄せたのを気づかずにこう続けた。
「前の彼氏も責任感の強い人で。でも私にはとても勿体ない人で。だから上手くいかなかったんです」
啓太郎はその言葉を洋介のことだと受け取った。その責任感とやらを利用して奪って傷つけた事実になんの痛みも感じていない様子の目の前の詐欺師。啓太郎はついに怒りを抑えられずに言葉を吐いた。
「お前はそうやって何度も何度も男を騙してきたのか?」
愛菜は困惑したような表情をした。
「急にどうされたんですか?」
「急にもどうでもない。お前が奪ってきた金額はいくらなんだ」
啓太郎の怒りをいなす愛菜は小首を傾げた。
その時、誰かが啓太郎の肩を背後からトントンと叩いた。啓太郎は振り向くと背後にガラの悪い大柄な人相の悪い男が居た。
啓太郎は自分の軽率さを呪った。グルだったんだ。彼女一人が詐欺を働いている訳ではなくチームで動いていたんだ。
ぞろぞろと男が啓太郎の周りに集まって来た。
「兄ちゃん。ちょっとツラ貸せや」
啓太郎は立ち上がった。奥の部屋へ連れていかれてドアを閉められた時、そのドアの向こう側から何やらバタバタと騒がしくなった。啓太郎のすぐ背後に立つ男が舌打ちをしてそばの仲間の男に様子を見てくるように指示を飛ばした。
ドアを開けてその男が出ていこうとしたときこちらへ吹っ飛んで来た。啓太郎のそばを滑っていく。
啓太郎と背後にいる男は目をぱちくりとして見合わせた。
ヌルッとドアから顔を出したのは先週の頼りない警官だった。啓太郎は逞しい体に信頼感を覚えた。
「人を監禁するのは違法ですが」と頼りなかった頼りになる警官が言った。
クソっと罵声を吐く背後に居た男。男はナイフを取り出して警官に向けた。警官は涼しい顔で
「銃刀法違反ですね。逮捕します。」
男は腰だめにナイフを構えて突っ込んだ。警官はさらりと軽く交わして男を押し倒した。男は気絶して動かなくなった。
警官は啓太郎に向かって優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫ですか?」
啓太郎は頷いた。
カフェを出るとパトカーが2台止まっていた。痩せた警官が啓太郎に向かって来た。
「すみません。事情聴取をお願いします」
パトカーの中で取り調べを受けながら啓太郎は心の中でガッツポーズを取った。
ーーやったぞ。洋介。仇は取ったぞ。
翌日。愛菜と仲間の暴漢は詐欺のグループとして逮捕されたとニュースに載った。