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サーシェ  作者: 天山 敬法
第2章 相容れぬもの
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9話 戦災夫婦

 その日、粗末なパンだけの朝食を食べ終えた後、仕事に向かう前に再度会議が行われた。トレンティアからズミへやってきている魔法学者、レーヴァーの元へ潜入するにあたっての打ち合わせだ。

「まず最低限の知識は共有しておこう。レーヴァーの研究対象であり、俺が欲しているもの……、“マナ”と呼ばれるものについて……。再度聞くがジュリ、お前はどれほど知っている?」

 そう聞かれ、ジュリは不安げな表情ながらに頷いた。

「術者の魔力を増幅させるための消費媒材ですよね。私も使った経験はあります」

「ほう、ズミでもそこそこには普及してたんだな」

 パウルはのんきな様子で言う。事情の分からない僕は無言だが、やがてパウルがこちらに向き直って説明を始めた。

「嬢ちゃんも説明してくれたが、マナってのは、ひと言でいえば魔術の力を強化する資材だ。魔法は言わずともがな術者の魔力を使って起こす術だが、植物や鉱物といったものの中に含まれている魔力を吸い出して術に混ぜることができる。まあ、物理戦に例えるなら武器のようなものだ。丸腰なら弱い人間でも、剣や弓を取れば戦う力は強くなるだろう? そういうもの」

 その説明には僕も頷いた。なるほど、兵士なら誰だって強い武器が欲しいだろう。それも魔術を強化するものだというのなら、パウルが躍起になって欲しがるのも分からなくはない。

「まあ一概にマナと言ってもその種類はいろいろある。今言ったみたいに植物……特に果実や種が多い……とか、宝石みたいな鉱物。動物性のものも無いではないが例は少ない。やはり良いマナになる条件としては、魔力の安定性が不可欠だ。その点で言えば鉱物は優秀なんだが、いかんせん硬くて精製に骨が折れるし、魔力が均一すぎるとその吸い出しにも高い技術が要求されたりする。ある程度の柔軟性と方向性を持ち、かつ安定したエネルギーの循環の中で魔力を蓄積できる植物ってのはバランスという面で一番扱いやすく……、ああ、ここでいう精製ってのは……」

 興味のない講釈がつらつらと続き、次第に話にはついていけなくなった。ともかく、レーヴァーの元には魔術師にとって強力な武器となるものがある。それを盗みたいという、そういうことだろう。それだけ分かれば十分だ。

「だが、何を盗んでこればいいんだ? 奴の家の中に入ったが、確かに部屋の中には草とか木の類のものがゴロゴロあった。ああいうのを持ってこればいいのか?」

 そう結論を急かす僕に、パウルは呆れた表情を浮かべた。

「いやそれはたぶん精製前のものだ。しかし精製したマナとそうでないものを見分けるには……。いや、それ以前にレーヴァーが研究してる内容を知らねばならん。いきなり何かをかっぱらってくる必要はない。まずは情報を……」

 くどくどと話を迂回させる様子に、だんだん苛立ちが募ってくる。

「そんなことは僕には分からん」

 そう言い捨てると、パウルは力なく項垂れた。

「ああ、そうだな……。それで嬢ちゃんが王都で使っていたマナというのはどういう……」

 話はジュリの方へと移った。ここからは僕には関わりのないところだ、それは聞かずに、ただ二人がやいやいと言い合うのが終わるのを待った。

「……というか、むしろ僕要らないよな?」

 そうぽつりと言うと、パウルとジュリがぽかんとした顔で振り向いた。

「魔法の分野なんだろ、どうせ僕が行ったって役には立たない。ひとまずはジュリ一人に行かせて、いざ盗みだという段階になってから僕が仕事を……」

 ジュリが魔法の分野についての偵察をしている間にも、僕は別の仕事を探した方が効率がいい。そういう、いたって合理的な提案をしたはずなのだが……しかしパウルは険しい顔で首を振った。

「お前も行け。ジュリの護衛だ」

「はあ?」

 そう聞き返した。ジュリも、何を言うでもなく何やら強張った顔をしている。

「護衛が要るならフェリアが適任だろ。そもそも危険は無いと」

 そう反論しかけたが、パウルはぶんぶんと首を振った。

「そういう危険じゃない。……この嬢ちゃんに諜報員としての能力があるとは到底思えん。迂闊にこちらの情報を漏らしやしないかが心配なんだ。……お前は嬢ちゃんが下手踏まないように補佐するんだ」

 そしてびしりと人差し指を突きつけてきた。ちらりとジュリの方を見ると、何か悔しそうに口を尖らせているが、否定するだけの自信はないのだろう。……確かに、魔法は使えてもそのあたりの機転が利く人間には見えない。何よりそのような仕事を一人でやることは単純に不安なのだろう。

 更にパウルは苦い表情で言った。

「……それと、荒事も絶対に起こらんとは言い切れない。こちらがレジスタンスの関係者だと知られなくてもいかんせん少女だ、レーヴァーのジジイやトレンティア兵に強姦されないとも限らん。だからって魔道人形なんてとんでもない代物を、よりによって魔法学者の目になど晒せない。……いざとなったらお前が守れ。いいな」

 そう強く言いつけられて、僕は顔をしかめた。ジュリの顔もさっと青くなる。

 確かに少女だ、殺されなくとも犯される危険はある。そこまで心配をしてやるのはさすがに手厚い気配りではないか……。

「フェリアの起動は停止しておく。……だがもし、次に起動した時に既にジュリの身に危険が及んだ事後だった場合、この人形がどんな暴発を起こすか予測ができん。くれぐれもジュリの身は安全に守っておけ」

 そう続けた言葉で僕も頷いた。

「だが、そうだな……。同行するにしても、怪しまれないようにそれなりの設定がいる。宿屋の主人には親戚だって言ったんだっけか」

 そう言ったのを聞いて、僕はジュリとなんとなく目を合わせた。

「……レーヴァーに、僕が親を知らない孤児だとは言ってしまった。親戚という設定は難しいかもしれない」

 言うと、パウルはむすっと顔をしかめて首を傾げた。

「じゃあ……夫婦だな」

 途端、ジュリは床に座っていた姿勢から飛び上がって後退った。後ろにあった椅子に足を絡ませてひっくり返りそうにまでなる。咄嗟にフェリアが支えたようだ。そんな仰天をしてみせる少女を、僕は無表情で見つめていた。

「じっ、冗談じゃ……っ!」

 しどろもどろにジュリが慌てているのを見て、パウルは呆れたようにため息を吐いた。

「ただの設定だ、真に受けるな。別にお前らの年頃ならおかしくもないだろう」

「い、いやいや、いくらなんだって、設定って言ったって、そんなの、そんなのダメですよ!」

 ジュリは顔を真っ赤にしてブンブンと首を振った。フードを被っていない後頭部で、長い三編みが動物のしっぽみたいに大きく揺れているのが面白い。……ただの設定だ、仕事のための演技だ。そう割り切れば、僕の方に思うことは特に無いが……。ジュリは貴族の出である少女だ、突然得体のしれない孤児と夫婦扱いされるなんてとんでもない、というところだろう。

 パウルは顔を険しくする。

「嫌だってんなら……、落ちぶれ貴族とそのお付き人でいくか。嬢ちゃん、その髪ちょん切って男装しな。その体つきならいけるだろ」

 そうびしりと言って指さされた、豊かな黒髪の三編みを握りしめて、ジュリは更に暴れた。

「ぜっったいイヤですうう!」

 女貴族の従者に男というのは確かに不自然だ。ジュリが男のフリをするなら……ズミの男は髪を伸ばさないので、いくらジュリが子どもっぽい体つきだと言っても髪は切らないといけないだろう。しかし髪は女の命とも言われる。切ってしまうなどなおのこととんでもない……、だからと言って僕が女装するのはもっと無理があるだろうし。

「なら夫婦だ。……おいジュリ、分かってんだろうな? 今は贅沢ワガママ言ってられる状況じゃないんだ……。フェリアもろとも放り出されたくなけりゃ、協力的になってもらう必要があるってもんだぜ」

 パウルは有無を言わせぬ調子で凄む。……尤もだ。この期に及んで、夫婦のふりをするのも嫌だとか髪を切りたくないだとか、貴族のお嬢様の我儘を聞いていられる余裕は無い。こちとら今まで命のやり取りをして生き延びてきたというのに……。

 ジュリの顔は次第に張り詰め、青ざめていった。その二者択一の前に立たされて……、彼女が選ぶ選択は当然、夫婦案だった。ズミの女が髪を捨てられるわけはない。

 そんな一連のやりとりを、フェリアはいつもと同じように、ニコニコと笑顔を浮かべたまま黙って見ていた。ジュリが苦しい選択に追い詰められていても助け舟を出すことはない。人形が守ってくれるのは、物理的な身体の危険が迫った時に限るのだろう。


 ……しかし、命のやりとりをすることは幾度となくあったものの、女と夫婦ごっこをした経験は僕にも無かった。

「……ジュリ。パウルも言ったが、これは単なる設定だ、割り切れ。……レーヴァーというトレンティアの魔法学者、そいつの元から“マナ”を盗み出せれば、魔術師がとれる戦略は広がる。……作戦のために必要なことだ。冷静になれ」

 宿から出発してレーヴァーの家に向かう途中に、僕は鋭い声色でジュリに言った……それは自分に言い聞かせた言葉でもあった。

 ジュリはすでに諦めの念を抱いているらしく、慌てふためく様子はないものの、暗い顔でこちらを振り向いた。そこには緊張とも恐怖ともつかない表情が漂っている。

「そんな顔をしていると怪しまれるぞ。もう少し明るい表情をしろ」

 そう言いつけると、ジュリはやや驚いた様子だが、やがてもにょもにょと頬を動かして、不機嫌そうに口を尖らせた。

「あ、あなたに言われたくありません。そっちこそ、もう少し愛想よくしてみたらどうですか」

 そんな反論をされ、僕は思わずむっと眉を寄せる。……確かに愛想に自信はないが、ジュリなどに指摘されるのは気に入らない。

 前髪の奥で睨んだ僕の目を見て、ジュリは萎縮したようだった。僅かに身を震わせて、こちらから目をそらす。そんな彼女を見て、僕も何も言わずに小さく鼻息を吐いた。

 そして沈黙が降りる。その間に漂う空気の重さたるや、到底仲睦まじい夫婦のものではない。……作戦のために必要なことだ、冷静になれと、自分で言った言葉が早速跳ね返ってくるようだ。

 仕方がないな。そんなふうに胸中で呟き、僕は小さな舌打ちをひとつした。それを聞いてまたびくりとしたジュリを振り向いて、僕は恐る恐るながらも、それに歩み寄る決意をした。

「……夫婦のふりをするんだ、もう少しお互いの情報は共有しておこう。ジュリ……、えっと、名字はなんて言ったっけ?」

 そうできるだけ声色を軽くして尋ねる。ジュリは緊張したままの顔で、ぽつりと答えた。

「……ニスカ・リューノ」

「貴族の出なんだな。だけど僕には家名がないから、夫婦でそれは不自然かもしれない。その名字はレーヴァーには名乗らない方がいいかもしれない」

 ジュリは何か言葉を詰まらせたように小さく呻いたが、黙って頷いた。田舎育ちの孤児に貴族という肩書きの重みはよく分からないが、色々と思うことはあるのかもしれない。

「……ヨンは、孤児だと言ってましたね……。それにしても、失礼かもしれませんが、変わった名前ですね。親のことは知らないと言っていましたし、もしかして自分で決めた名前なんですか」

 ジュリもやがて、次第に落ち着いた様子になってそう探りを入れてきた。実際変な名前だが、生憎この名前を名乗り始めた時に気の利いた名付け親がいなかったので、仕方がない。

「まあ、そんなところだな……」

 ジュリからは目を逸らして前を向きながら、適当な返事であしらった。はあ、とジュリの驚いたような呆れたような声が返ってくる。

「本当にそうだったんですか……。本当に親のことは分からないんですね……捨て子だったのですか」

 ああ、と低く相槌を打つ。

「育ててくれた人はいたんですか」

 その質問にも、同じように頷く。……生みの親のことは本当に何も憶えていない。物心もつかないうちに捨てられた僕を拾って育てたのは、一人のズミ人の男だった。今でも時々に彼の顔を思い出してしまう。

「育ての親は医者だった。長く僕と二人で暮らしていた……」

「お医者さん……」

 ジュリは驚いた声でそう相槌を打つ。僕はわざわざそちらを振り向きはしない。

「その人は今……?」

 ジュリはまだ踏み込んでくる。面白くもない話だが、話して不都合なものでもない。成り行きのまま僕は答える。

「さあ、運が悪くなければまだ生きてると思うけど。故郷を離れたのももう何年も前だ、今は知らない」

「ふるさとは戦争で焼かれたと言ってませんでした?」

「それは作り話だ。もっとも今は本当になっているかもしれないけど」

 そうですか、と相槌を打ったジュリの声は沈んでいた。ただ生きていくために武器をとり、各地を転戦しているうちに既に遠くまで来てしまった。今頃故郷の村のあたりはどうなっているのか……などと、考えたところで何も分からない。

「私のふるさとは焼けました」

 ぽつりとジュリが言った。何気なくそちらを振り向くと、ジュリは視線を足元に落としていた。

「……王都に住んでいたと言ってたな」

 そう言うと、ジュリは頷いた。僕は王都には行ったことがないし、それが陥落したという報せは聞いたものの、それがどんな戦場だったのかは知らない。小さな村ならいざしれず、都が丸焼けになるなんてことがあるのだろうかと……想像はできない。

 しかしいつかパウルがトレンティア軍の基地を破壊したことを思い返せば、パウル一人でもあの所業が為せるのだ、トレンティア軍が大掛かりな魔法を使って町まるごとひとつを消し炭にできたとしてもそうおかしな話ではない。

「もう帰ることはできません。家族にも会えません。ですがヨン、あなたは一応でも、故郷も親もあるのでしょう。帰りたいとは思わないのですか」

 その声には苦しげな感情が滲み出ている。……孤児だろうと貴族だろうと、戦火の中で多くを失った悲しみは同じなのだ。

 おかしな話だ、もし戦争のない平和な時代であれば、王都に住む貴族の少女などと会って話す機会などなかっただろう。それが、夫婦の真似事をするというのだから。

「……僕は混血の孤児だ、故郷もいい思い出ばかりじゃない……」

 そう答える声も、無意識にも苦い感情が滲む。侵略者の象徴である青い瞳を持つ子は、それだけで蔑まれ、石を投げられた。ただでさえ親元も分からないのだから、いつなぶり殺されたっておかしくはなかった。……そんな中でも僕がかろうじてこの歳まで生きたのは、ひとえに養父が医者という立場にあったからだ。

 村の中の疫病神だった僕を、それでも守り育ててくれた養父には恩義も感じている。会いたくないと言えば嘘になるが……しかし会いたいと言って会えるほどの余裕も、今の身分には到底ない。

「故郷にいても食っていく方法はなかった。どうせ兵士にでもなるしかない、村にはいられないさ」

 吐き捨てるように言う。ジュリはまた、そうですか、と沈んだ声で相槌を打って、それ以上は話を続けなかった。

 気が付けばまた、二人の間には重たい沈黙が降りている。……しかし、最初の沈黙とは少し質の違う重たさだった。

 どのみち、僕に明るい話など到底できない。お互いに戦時のさなかに育った子どもだ、せいぜいそういう境遇なりの夫婦を演じるほかあるまい。

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