8話 望郷のイルミネーション
レーヴァーの家を去った後、しかしもう一度酒場に戻る気にもならなくて、僕は他の場所を探して当てもなくうろついていた。
道の端にある井戸を囲んで、現地人らしいズミの女性らが数人で賑やかに喋っている景色が目に留まる。……こうして侵略者が入り込んだ町でも、地元の市民にはそれなりの日常がある。
「あらやだあ、じゃあ、この町にもゲリラが入り込んでるってこと?」
そんな大声で喋るものだから、その言葉が僕の耳にも入ってくる。思わず、何気なしを装って足を止めた。
「ここまでは来てないんじゃない? でも南の方だとまだしょっちゅう戦いが起こってるんですって、いやですね」
「もうゲリラ狩りはごめんよ、家の中まで全部ひっくり返されるんだもの。たまったものじゃないわ」
彼女らにゲリラと呼ばれているのは……レジスタンス部隊のことだろう。僕はどちらかと言えば森の中に潜みながら移動する部隊にいることが多かったが、村や町の中に紛れ、また市民を取り込んで戦闘行動を行う部隊もあると聞く。
ズミ人が各地で散発的に、そうした抵抗活動を行っていることは既にトレンティア軍にも共有されていることだ。そのため彼らは村落を暴いて、トレンティアに敵なすものを炙り出そうとする……それがゲリラ狩りだ。女性らの口ぶりからするに、この町で既に前例があったらしい。
彼女らが恐れているのは再度のゲリラ狩り。それは単なる彼女らの勝手な心配なのか、それとも噂話程度にでもこれから行われるという話があるのだろうか。町にいるトレンティア兵の様子を見るに、到底緊張感を抜いているようには見えない。レジスタンスによる攻撃が周辺で盛んであれば、そのような行動に出るのも不自然ではなさそうだ。
仮にこれからゲリラ狩りなんてものがなされれば……少し面倒だな。僕には実歴があるにせよ、今は若い女性を含む少人数での一行だ、そう怪しまれはしないだろうが……パウルはどう見たって怪しい……。
しかしゲリラ狩りが行われるのであればそれは僕にとっては良い兆しであるようにも思う。トレンティア兵が警戒を緩めていないということは、付近に現役のゲリラ……、レジスタンスの部隊がいる可能性も高くなるということだ。それに接触できれば……。
そこにいた女性たちにはもう少し話を聞いてみたいところだったが、女だらけのところに見知らぬ男が割り入っても警戒されるだろうな。そんなことを思って、なんとなく気が引けた。……もっと諜報の上手な人間なら、上手く話を聞く方法も思いつくのかもしれないが……。僕には、町中での調べ物より森の中の捜索の方が向いているのだ。
結局その後も、いくつかの店を見て回ったが、いくつか断片的な噂話を聞いた程度だった。皆一様に、南方や北方で起こっているトレンティアとレジスタンスの戦闘の噂を聞いて怯えているようだ。この町では戦闘が収まってから久しいようだが、まだ、戦乱の臭いはすぐ近くに漂っている……、そんな実感の中で人々は暮らしているようだった。
日が傾いて空が暗くなってから、ひとまずの諦めをつけて僕は宿屋に帰ることにした。
宿に戻るとやはり気の抜けた喧騒が聞こえてきた。
「だから何なんだよこの禁則コードは! ズミの文字だろ、お前解読しろよ!」
「む、無茶言わないでくださいよ、古代文字ですよこれ! 辞書がないと私にも読めませんよ!」
パウルとジュリがぎゃあぎゃあと言い合っているのは、魔道人形に施された魔術をめぐってのことらしい。何を言っているのか僕にはさっぱり分からない。
例のごとく床に仰向けの転がされたフェリア、その額から顔面全体を覆うような広さに広がるいくつもの魔法陣。それを二人の魔道士が弄り合っている。
僕の姿を見つけたパウルの顔は、何やらげっそりとやつれて見えた。
「何やってんだ」
呆れた声で聞いてみる。パウルは荒っぽくため息をついた。
「この人形のハッキングに挑んでんだよ。まったく、ここまでごちゃごちゃと作り込まれてるとは思わなかったぜ、読めば読むほど全く分からん!」
その隣にいるジュリも疲れ果てているようだった。
「私にだって分かりませんよ……。フェリアのコードをこんなに奥まで見るのも初めてでしたが……」
僕は何も言わず、ぐったりとしている二人の魔道士を眺めていた。僕が働いている間も退屈をしているのかと思ったが、彼らには彼らなりの戦いがあったということか。……まあ、僕の知ったことではないが。
やがてパウルがフェリアの頭の上にあった魔法陣を消し、作業を切り上げた様子だ。フェリアは目を開けて起き上がり、いつも通りの美しい笑顔を無言で浮かべ始める。
「……で、ヨン。そっちの首尾はどうだ」
体を伸ばしながら、ぼんやりとパウルが聞いてくる。僕は両手を広げて、力なく首を振ってみせた。
「こっちも芳しくはない。仕事は見つからないし、他のレジスタンス部隊にだってそう簡単には出会えない。物騒な噂をいくつか聞いたぐらいだ」
「物騒な噂?」
「あっちへ行ってもこっちへ行っても戦争が続いてる。よその村では子どもがトレンティア人に攫われてるとか、あちこちの町でゲリラ狩りが行われてるとか」
「ゲリラ狩り……」
パウルはげんなりとした顔で言った。やはり彼にとっても気になる話題か。
「ただ、ゲリラ狩りが行われているのであれば、レジスタンスの部隊がこの近くでも動いてるってことなんだと思う。どうにかそれに接触したいが……、やっぱり彼らは町中では身を隠しているだろうからな……」
そう言うと、パウルは眉に深く皺を寄せて唸り始めた。
「……いかんせん、情報がなさすぎる。だいたいどのあたりでどういう部隊が動いてるとか、直近で戦闘があったのはどこらへんなのかとか、せめてそれぐらいの情報は知りたいんだがな……。ああくそ、やっぱり部隊から一度抜けるとそこが痛いな……」
そうぼやくのには同感だ。ヒューグ隊にいたころは、多くの仲間の情報網が既にあって、任務のためにどこへ向かって何をすればいいのかが明確だった。味方や敵の位置を探るのも、各地に散っている調査員からの情報があってこそできることだった。今や、頼れる伝手は何もなく、僕たった一人の足で集められる情報はあまりにも少ない。こうしてはぐれものになって初めて、組織というものの大きさを痛感する……。
「情報網……。いっそトレンティア軍から……いや……」
考え込みながらそう呟いたパウルの言葉を聞いて、僕は閃いた。
「そうだ、お前がトレンティア兵になりすまして情報を集めたらいいんだ」
トレンティア軍なら、当然彼らにとっての敵であるズミの部隊の動きも調べ、記録しているはずだ。これは名案だ。そう思ったのだが、パウルは不服そうに顔をしかめる。
「無茶を言うな、俺はトレンティアではお尋ね者だ、名前が知られれば即刻に命をとられるんだぞ、そんな無茶苦茶なことができるか!」
僕は小さく舌打ちをした。トレンティアの国軍ともなると、さすがに兵士の統率も取れている。身元を伏せたままに潜入ができるほど容易くはないということだろう。……それにしたって、知られればすぐに殺される、なんて怯える彼は一体何をやらかした犯罪者なのだろう……。わざわざ尋ねもしないが。
すっかり結論のくじけた会議は一旦切り上げて、食事をとることにした。
野宿中は鳥や獣を狩ることはできたので肉を口にする機会はあった。この日は久々にと思って、香辛料と一緒に漬けた野菜を買ってきた。やはり町にいると食べ物がいろいろあるのが嬉しい。
しかしそれをパンと一緒に頬張る面々の顔は暗い。今はなんとか手持ちの金で食ってはいるが、宿賃なんかも考えれば、それもそこまで潤沢にあるわけじゃない。しかも今は同行人数も増えているのだから……。
僕は疲れた顔でパンを齧っているジュリをちらりと見た。……フェリアは人形だから食事や睡眠は要らないらしいが、どう見たってただのお荷物の少女……。フェリアを連れていきたいと言ったパウルの望みのために仕方なく同行させているが、それだけで食費と宿賃がかさむ。
「……パウル。やっぱりこの女は置いていかないか? 人形のことも諦めて」
そう切り出した。途端、ジュリがむせ返った。
パウルのげんなりとした顔がこちらを向く。
「魔道人形が戦力になることは重々分かるが、それより先に金が底をついたら元も子もないだろ」
そう続けて言うが、パウルはすぐに返事はしなかった。疲れた顔のまま、ぐっと片手で額を押さえた。
「……いや。ここまでやりかけたんだ、俺はこの人形のコードを全部解読しないと気が済まん」
そんなことを言って首を振る男に、僕は呆れのため息を吐いてやる。……そんなくだらない意地を張れるほど、彼から預かった財布の中に余裕があるようにはあまり思えないが……。僕に知らせていないだけで、まだへそくりを持っているのかもしれない。
パウルはどこかぼんやりとした目になって僕を見た。
「……というかお前、ヒドイこと言うなあ」
「はあ?」
僕はそう聞き返す。
「こんなちんちくりんの嬢ちゃんひとり……いやフェリアはいるが、こんなのを放り出したら、その後どうなるんだとか心配しないのか。人形は馬鹿力はあっても考える力はあまりないし、魔力を切らせばそこで終わりだ。行く当てなく彷徨ったあげく、野垂れ死にか戦死か、よくて娼婦か野盗に成り下がり……」
そう言って指さされたジュリを見やると、彼女もそれを想像したのか、みるみる顔が青ざめていった。
自分が食うに困るのに他人の心配なんてしてられるか……という言葉が突いて出そうにはなったが、そんな様子の少女を見ると、さすがに憚られた。
言われて初めて、パウルの言葉に思いを巡らした。この人形と二人で放り出されたジュリの姿……。フェリアは強力な護衛にはなるが、自分から仕事を見つけて金を稼ぐのは難しい、ということだろう。魔力を切らせばそこで終わり……の意味は人形の仕組みを知らないのでよく分からないが、食事要らず睡眠要らずの人形にも、何かしらの限界はあるということだろうか。
フェリアが動けなくなればいよいよジュリは身ひとつ。頼れるあてのない幼い少女一人が、この戦乱の世でどうやって生きていくか、なんて……、想像もできない。
その本名の長さや立ち振舞いからして、恐らく貴族の出身なのだろう、この気品ある少女が娼婦に身を落としている様などを考えると……確かにまあ、非道いことを言った。
だけど、だからって自分が飢える前には構っていられないし、綺麗事ばかりを言って生きていける世の中でもない。というかそもそも、フェリアだけを連れ去ってこの少女のことは捨てていきたいと最初に言い出したのはパウルだったはずだ。なぜ僕だけが一方的に悪人のように言われなければいけないのだ。
しかしそんな話を少女の目の前で言い合うのもばつが悪くて、結局僕は何も言わずにそっぽを向いた。
そこから降りた沈黙が居心地悪く、僕は別の話題を振った。そういえばと思い出したのは……、おかしなトレンティア人の姿だ。
「そういえば……、変なトレンティア人に会った。軍人でもないらしいのにこの町にいて」
そう切り出すと、パウルもジュリも若干の興味を示したらしく、食事の手を止めてこちらを見やる。
「魔法の研究をしてるとか言ってた。兵士だけじゃなくて、ああいうのも来てるんだな」
「魔法の研究……? わざわざ異国の地まではるばると……となると地理学か植物学か……。お前そんな変なものと会って話したのか」
「たまたまの成り行きでね……。えっと、レーヴァーとか言ったかな」
その名前を出すと、パウルは訝しげに眉を寄せた。
「レーヴァー? レーヴァー……。学者でレーヴァーっつうと、あのエルド・レーヴァーか……?」
その名前にも心当たりがあったらしく、そう聞き返してくる。生憎名乗られたフルネームを正確には憶えていないが、確かそんな感じの名前だった気もする。
「知り合いか」
そう聞くと、パウルはどこか遠い目になってため息を吐いた。
「まあ……直接会ったのはガキの頃に何回かってところだが……、恐らく優秀な学者だ。奴とこんな場所で一緒になるとは、奇遇も奇遇だな……。でヨン、そいつと会って何話したんだよ」
そう続けて尋ねられて、苦い記憶を思い出す。
「……僕が仕事を探しているというのを聞いて、魔法の研究を手伝えなんて言ってきた。断ったけど」
それを聞いて、パウルはぴくりと眉を動かして固まった。何を思ったのか、みるみるうちに難しそうな顔になって唸り始める。
「何だよ」
なんだか嫌な予感がして、そう聞いた。パウルは眉間を手で押さえながら苦しげに言った。
「……あのレーヴァーが、ズミで研究をしている……。正直その研究内容が気になって仕方がない……! ヨン、なんでそれ断ったんだよ……」
「なんでって、トレンティア軍の魔術の研究の手伝いなんかやってられるか。その研究の成果は、どうせズミ人を殺すための戦いに活かされるんだろう」
そう呆れまじりの憤りをぶつけてやる。昼間と同じ問答をしているようだ。まさかパウルは人々の幸せのために……なんてことを言いはしないだろうが。案の定、彼はニヤリと悪い笑いを浮かべた。
「ああ、そうかもしれんな。……つまり、その研究成果を横からくすねれば、こちらの武器にできるということだ……」
「……横からくすねる?」
僕は顔を固まらせて繰り返した。……そんな発想は僕にはなかった。
「もともとレーヴァーの専門はトレントを始めとする植物性のマナの研究だ。確かにズミで暮らしているとマナの原材料として質の良さそうな、見たこともないような植物に出会うことも少なくなかった。生憎俺ではマナの精製までは一人じゃできんが、しかしレーヴァーなら……。その成果は……もしかするとトレンティアでも手に入らないような稀有な……極上のマナが手に入るかもしれないってことか!? なあ!」
パウルは見るからに興奮して、何だか分からない言葉を饒舌にまくし立てた。呆れた顔で見ていると、パウルは悪い顔をして……、ぐっとこちらに詰め寄ってくるではないか。
「なあ、ヨン……」
「いやだ、やるなら自分でやれよ」
言われる前にそう答えてやった。まだ言ってないだろ、と慌てつつも、パウルが続けて言った言葉は予想通りだった。
「俺は顔が割れると非常にマズイんだよ……。ひとつその学者の懐へ潜入してはみないか……」
そう懇願してくるのを、鬱陶しく睨み返す。
「僕が潜入したって魔法の研究成果なんか分からないぞ」
「なんとなく分かる様子だけでも伝えてくれりゃいいから。学者が言ってた言葉とか……。もしこの目論見が上手くいけば、そりゃ強力な武器になる。強力な武器が手に入ればとれる作戦の幅は広がる。この町のトレンティア軍を駆逐する道だって開けるかもしれん!」
そう大仰に言うのは、その研究成果とやらの欲しさあまりに大げさに言って見せているだけなのだろうか。……しかし魔術師がこうまで食いつくのだ、そう語った内容は本当かもしれない。
「そうだ、ジュリお前、王都で魔法を習っていたと言っていただろう。植物マナのことは分かるか?」
パウルは唐突にジュリへと声をかけた。驚いたのは彼女も同じだ、ぎょっと目を丸くして体を強張らせた。
「え、ええ……、マナを扱ったことはありますけど、分かるというほどは分かりませんよ」
「扱ったことはあるのか。ならヨンよりは当てになりそうだな……、お前もヨンと一緒にその学者の所へ行ってこいよ」
パウルはそう頷いて平然と言った。ジュリは呆気にとられて口を開けたまま固まってしまった。
「ただついできて宿賃を食ってるだけじゃあヨンにつまみ出されるかもしれないからな? 少しは俺達の仕事にも協力してもらわないと困るってもんだぜ」
パウルはきりと表情を引き締めてジュリに言いつける。ジュリは慌てふためいて目を泳がすが、働かざる者食うべからずという言葉がある、咄嗟に言い返す言葉は思いつかないようだ。……とはいえ、トレンティア人学者の元へ潜入するって、この少女が?
やがて先に折れたらしいジュリが小さく頷いた。
「わ……分かりました。不安ですけど、トレンティアの魔法学者さんの研究というのなら私も興味はあります。やってみます」
「待て、本気か」
僕は慌てて口を挟んだ。しかしすっかりその気になったパウルはどうにも引き下がるつもりもないようだ。
「……なに、どうせお前一人で情報集めてたって限界があるのは分かってるだろ。それなら付近で戦闘が起こるなりトレンティア軍が動くなりといった状況の変化を待ってみてもいいだろう。……それまでの間の銭稼ぎだと思えばいい。うまくいけばレーヴァー経由で敵軍の動きの情報も入ってくるかもしれんしな。……これは合理的な判断だ。そうだろう?」
そう畳み掛けるように話を広げられると、咄嗟の反論も息詰まる。……合理的、だろうか。言われてみればもっともらしい気はするが、うまく言いくるめられているような感じも否めない……。
いや……、ともかくパウルの指示には従おう。そうするべきだ。諦めてそう考え直したものの、しかし問題は、今日の昼間にあれだけ敵意をむき出しにして啖呵を切ったところへ、やっぱり雇ってくれなんて行って受け入れられるかどうかだ……。いや温厚そうな人柄だったから、頭を下げて、彼の語る理想に理解を示すふりをすればどうにかなるだろうか。
「ジュリが行くなら、わたしも!」
そう口を挟んできたのは魔道人形。ああ、なんだか話がどんどんおかしな方向に進んでいくぞ……。しかしそのフェリアのことは、パウルがぴしりと制する。
「お前は絶対にダメだ。……学者のところへの潜入ならジュリの身の危険は何もない。お前は大人しく待っとくんだ」
そう強く言いつけられ、フェリアは頬を膨らませて何かを言いたげだ。
「むしろお前が出てった方が危険だ。……こんなところに魔道人形があるなんてことが知れてみろ……、途端にジュリは身元を怪しまれて捕らえられ、トレンティアに連れ去られて手も足も出なくなるぞ……」
そんなふうに凄むのは、フェリアの行動を抑止するために大げさに言っているの、だろう。たぶん。
フェリアはなおも不満そうな顔だが、それに反論はしないらしかった。人形の行動原理はいまいち分からないが……。それはパウルも同じなのか、そんなフェリアの様子をどこか不安げな様子で見ている。
「……まあ、念のため仕事の間は起動停止しときゃいいか」
そう呟いた。それに対してはジュリが不満そうな顔でパウルを睨んだが、やはり反論はできないようだ。
やがて夜は深まっていた。寝る時は部屋を男と女とで分けることにして、僕はパウルとベッドを並べて寝そべる。数日ぶりのベッドだ、これからの計画への不安をよそにして、それだけで気分が良くなる……。
パウルもベッドの上で寝そべって、一人で寝酒を呷っている。
「お前も飲むか」
そう言って麦酒の瓶を突き出してくるが、首を振った。酒は飲まないようにしている。
「なんだ下戸なのか? お子様だな」
案の定そう挑発してくるが、乗らない。無視してやったがパウルは気分良さそうに勝手に喋った。酒に酔っているせいか、それともレーヴァーの話を聞いてよほど舞い上がっているのか。
「まあ、ズミの安酒はやっぱり不味いな。酒だけはやっぱりトレンティアのものがいい」
そんな話をし始めたのを聞いて、僕はだらりと寝返りを打ってそちらを振り向いた。
「……トレンティアでは、作物も魔法で作るのか」
なんとなしにそう尋ねる。うん? と軽い視線がこちらを向いた。部屋の中に灯したランプの光を受けて、透き通った水みたいな色の瞳がいつも以上に明るく見える。
「レーヴァーに聞いたんだ。魔法で作る作物は美味いとか、魔法で木を光らせるのが綺麗だとか、得意に喋ってた。魔法で作る野菜はそんなに美味いのか」
そう言うと、パウルは僕から目を逸らして、何もない空中を見つめる。
「……別に、飯の美味さはズミも変わらんさ。魔法が助けるのは利便性だけだ。少ない労力で森を開き、土を耕し、多くの作物を作ることができる。だからトレンティアにはズミほど森は多く残っていないし、狩人も少ない。ズミにはズミのいい所があるぜ? 魔法がなくても畑を作る技術があるから、魔道技師を雇わなくても誰でも畑作ができるし、国民は皆揃って弓の名手だ。狩った獣をその場でさばいて食う飯は、一味違ったうま味がある。森は深く夜は暗く、ズミで見る月は一層に綺麗で……」
その目はゆっくりと細くなって、遠く……祖国の情景を見つめる。
「だが……そうだな、トレンティアのその、光る木ってのはいいもんだった。毎年冬至の季節になると、王都にある木という木全部に光をともす。炎とは違う、白い魔法の光だ。まるで星空が地上に落ちてきたみたいで、本当に綺麗なんだ。そして冬至の日の儀礼に合わせて、王都の一番奥にある聖樹……、トレントが光る。その時にトレンティアの神様がそこに降りてくるんだ。……その景色の荘厳で、美しいさまと言ったら……」
うっとりとした様子で、パウルは言葉を失った。さすがの魔術師も望郷の想いは捨てきれないか。そんな思いがよぎっていく。
「トレンティアに帰りたくなったか」
そうからかって、僕は皮肉った息を吐き捨てた。遠くを見ていたパウルの瞳がゆらりとこちらを向いて、じっとこちらを見つめてくる。やがてほろりと頬をほころばせた。
「……いや、帰らないさ」
そう吐き捨てた言葉は、しかし郷愁の色に染まっている。そんな異邦人を見ていた目を、僕はやがて、ぐっと瞼の内側にしまい込んだ。