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サーシェ  作者: 天山 敬法
第1章 出会いと旅立ち
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6話 初めての魔法

 翌朝、まだ窓から差す光は淡い頃、僕はゆっくりと目を覚ました。床の上で丸まって寝ていた状態から体を起こすと、寝る前と同じ景色がある。ベッドの上で寝息を立てているパウルとジュリ、そしてジュリの傍らにしんと座っているフェリア。……夜通し、座っていたのだろうか。

 なんとなく視線を向けていると、フェリアの美しい笑顔がこちらを向いた。

「おはよう。……ああ、そうだ。あなたの名前、聞いていなかったわね」

 フェリアは美しく、軽やかな声で言う。僕は寝ぼけた頭で、うっとりとその人形に見入っていた。朝の淡い陽に照らされたその顔は、よくよく見ても大層美しい女性だった。

「……ヨン」

 小さく名乗る。フェリアはまた美しい笑顔を浮かべた。……昨夜、僕達はこの人形と交戦し、パウルは酷い怪我まで負ったのだ。しかしそれがまるで何も無かったかのように、こうして今は何の屈託もない笑顔を浮かべている。戦闘中の凍りついた死人のような顔との落差を思い起こせば、今の美しい笑顔はかえって不気味でしかない。

 それにしたって表情は豊かで美しく、驚いたり戸惑ったりといろんな顔を見せる……、本当に、よくできた人形だ。

「ヨン。……とっても綺麗な色の瞳だわ」

 フェリアは言った。途端にどきりとして、眠気が全部吹っ飛んでいった。思わず、顔ごとフェリアから逸らす。

 僕の、青い目のことを言った。……綺麗? そんなことを言った人間は今まで誰もいなかった。トレンティア人の血の色、それは忌まわしい侵略者の色……。綺麗なはずがないのに、そんなことを言ってのけるのも、人形の為せる技なのか……。

 それ以上何も言わなかった。フェリアも話を続けはしなかった。沈黙の中、時間が過ぎた。寝ている二人を除けば人形と二人きりの時間。なんとなく、動く気にもなれなかった。

 やがてパウルが起き上がってきて、僕に向かって催促する。

「ヨン。めし」

 そう言われて、やっと僕は朝食の準備をし始める。

 この宿屋は一階の台所を使ってもいいという話だったので、食材を持って降りる。パンと干し肉を適当に切って焼くだけだが、飯が温かいだけでも気分は違うものだ。

 聞けば魔道人形は食事は不要らしいので、三人分。もともと二人分で考えて用意していた食料だから、もう少し買い足す必要が出るかもしれない。

 ……しかし、あの少女と魔道人形はをパウルはどうするつもりなのだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、とにかく今は三人分の食事を作って、また二階の部屋に上がった。

 調理をしている間にジュリも起きたようで、部屋の中はすっかり賑やかだった。

「ちょっ……、ちょっと待って、待ってくださいパウルさん! 今のもう一回、もう一回見せて!」

 昨夜はすっかりくたびれて見えた少女、ジュリがやたらに息巻いてパウルに噛み付いている。何事だ、と驚いて僕は部屋の入口に立ち尽くした。

「ああ? しつこいぞ、何回見たところで同じだ! 一回で分からないようならまだ実力不足だ、もっと基礎的な勉強を……」

 何かと思えば、またフェリアを床に寝かして、その額の魔法陣を二人で弄っているらしい。戻ってきた僕に気付いて、パウルがぱっと顔を明るくした。

「おお、飯が来たか」

 その声を受けてジュリもこちらを振り向いた。一晩寝ると既に疲労の色も薄く、今は怯えているような様子もないようだ。

 食事を狭い机の上に置いて、やがてめいめいに頬張り始める。寝かされていたフェリアは今は起きて、にこにこ笑顔を浮かべながら黙ってそれを眺めている。

「あの……そういえば、あなたは? パウルさんの……従者?」

 ジュリがおずおずと、控えめな様子ながらに僕に視線を向けてきた。従者扱いに思わずムッとした視線を返した。前髪で視線を隠した人相の悪い男に睨まれ、ジュリは表情を強張らせる。

「こいつは……ヨン。まあ俺の弟子ってところかな」

 パウルも軽い口調で受け答えしている。僕は拳を握って静かに机を叩いた。

「誰が弟子だ」

「だから、悪いこと言わねえから俺に魔法教わっとけって」

 パウルはからからと言う。そういえばそんな話があったな、と三たび思い出す。今となってはあえて断る理由もないが、しかしこの男の弟子? 僕が魔法をこいつから教わる? そう思うとやっぱりなんだか癪に障る。

 一度も承諾した覚えはないのだが、どうやらパウルはすっかりそのつもりなのか。なんて強引な奴だ。

「パウルさんから魔法を教えてもらってるんですか!?」

 何やら驚いた様子でジュリが身を乗り出してきた。

「教えてもらってない……。こいつがしつこく教えようとしてくるだけだ」

 僕はそう気だるく言う。えー、と小さく声を上げて、ジュリは身を引っ込めた。

「この人から魔法を教われるのに断る理由があるんですか……」

 ジュリはそう不思議そうに聞いてきた。その問いに答えるなら、単純にパウルの人柄がなんとなく気に入らないとか、魔法を学ぶなんて面倒くさそうとか、その程度のことだろうか。

「もしかして、パウルさんの凄さを分かってないんですか? この人すごいんですよ、いやだいたい昨日もそう、戦闘の最中に魔道人形の起動停止をやるなんて尋常じゃない! 一体このひと何者なんですか!?」

 ジュリはそう興奮気味に詰め寄ってくる。だんだん鬱陶しくなってきて、僕はぎろりと視線を上げてジュリを睨んだ。その視線に刺されるとさすがに怯んだらしい。ジュリは言葉を詰まらせてしゅんと肩を落とした。

「……魔術師。なんなんだこの女は。お前いつの間にそんな打ち解けてるんだ」

 そうパウルを睨んで言うと、パウルも呆れたような顔で肩をすくめる。

「知るか。俺がフェリアのコードを弄ってたら起きるなり食いついてきたんだ。まあ一晩寝て元気になったんなら良かったじゃねえか」

 そんなパウルの態度に、ジュリは何やらどんどん萎縮していって、やがて何も言わなくなった。肩を縮めたまま恥ずかしそうに、黙って食事を口に運んでいる。不可解な女だ。

 ともかく食事を腹に収め終えて、僕は話を切り出す。

「……で、魔術師。次の仕事はあるのか」

 そう真正面から聞くと、パウルの顔にも真剣な色が浮かんだ。しかし即答はせず、神妙なままの顔でゆっくりと首を傾げて考えているようだった。

「……仕事は……探さなきゃならん。別に俺は食いっぱぐれなきゃなんでもいいんだが……俺にできる仕事はどうせ、手段を選ばねえ傭兵稼業だけ……。ヒューグの野郎とは別れたが、これからも戦場を探して放浪するしかねえな……」

「いくら腕が立つと言ったって、トレンティア人であるお前を雇うズミの部隊はそう無いだろう。実際、ヒューグにも裏切られたじゃないか」

 そう言うと、パウルは苦々しく顔を歪めた。

「ああ、そうだな。捨てられればそれまで……、また次の場所を探して移るんだ。……そうしてあちこちを転々しながらなんとか生きてきたもんでね」

 その苦い感情は僕にも伝わってくる。……同じ思いをしてきた。

「だからってトレンティアに帰ることもできん」

 パウルはそう言ってため息を零した。

「お前はどうなんだよ、ヨン。せっかくあの極悪非道のヒューグ隊から抜けられたんだ、もう兵士なんてやめてカタギに戻ったらどうだ」

 そう続けて軽口を言ってくる。僕はため息とともに苛立ちを吐き出した。

「ただでさえこの時代だ、こんな混血の孤児にまともな仕事なんてあるものか。僕だってレジスタンス活動を続けるさ。他に行く場所はないし……、何より、トレンティアが憎い。奴らを倒すために戦いたい」

 パウルはまた大きなため息を吐いた。

「ああそうかい……、そんならまだ俺と一緒に来てもらおうかね。……とにかく、次の雇い主を探さないとな」

「……まだ僕を連れ回すつもりか」

 諦めたように言うと、パウルはニヤリと笑った。

「この見てくれだからなあ、連絡員がいないとやりづらくてしょうがないんだ。せっかく見つけた有能な部下だ、そうやすやすと手放したくない」

「……くそ、変なのに好かれたな……」

 そうぼやくと、パウルは少し不機嫌そうに、むっと口を尖らせた。

「お前は俺といるのがそんなに不服か?」

 そう改めて問われると、なんとも言い難い。確かに人柄はいけ好かないが、別に僕に暴力を振るうようなことはないし、宿や食事の工面までしてくれている。それだけ考えたならいい同行者なのだろう。

 まあ、請け負った仕事はどうせ危険だったが。早速魔道人形に殺されかけるとは思わなかった。そう、昨夜の景色を思い出した。そしてその眼前に割り込んできた、パウルの背中も……。

 やっぱり不可解で、僕はパウルの青い目をじっと見つめた。……何を考えているのかはいまいち分からないが、しかし少なくとも言えることはある。当然だろうが、彼は僕の中に半分流れているトレンティアの血を貶しはしない。ただ目が青いというだけの理由で、殴られたり、持ち物を取り上げられたり、疑われたりことはない。少なくとも、平時において彼の隣にいる時は、身の危険を考えずに落ち着くことができる。

 もろもろを総合して考えれば、少なくとも合理的判断においては。

「……悪くはない」

 そう率直に言うと、パウルは楽しそうに笑顔を浮かべた。

「そいつは良かった。俺たち、いいコンビになれるぜ!」

 そう調子に乗って言うのはどうだろう。そのまま肯定するのは癪だが、まあ、この同行がずるずると続くのなら、魔法を習うのも考えても良いかもしれない。

「……だが、パウル。次の仕事を探す前に……」

 そう声をかけると、パウルは青い目を丸くして瞬かせた。何をとぼけているのか、と思いながら、目の前に縮こまっている少女を指差した。

「この女と人形はどうするんだ」

 僕に指をさされて、ジュリはぴしりと背筋を伸ばして緊張した。途端に、パウルの顔が険しくなった。

「……魔道人形は馬鹿力だ。戦力になるから連れていきたい。だがこのちんちくりんのお嬢ちゃんは足手纏いだ、どこかに置いていきたい」

 そして低い声で言った。ちんちくりんと言われたジュリは悲壮な顔をして固まった。すかさず口を出してきたのは、今まで後ろで黙っていたフェリアだ。

「ちょっと待ってパウル! わたしはジュリと一緒じゃないとダメなんだから! わたしを連れて行くならジュリも一緒よ!」

 そう言ってフェリアはジュリを後ろから抱きしめた。ジュリは恥ずかしそうに身を竦めていた。それを見てパウルはため息をつく。

「……こうなるんだよなあ。ああ、フェリアのコードの全部を書き換えられればなあ……」

 ぎょっとして、今度はジュリが口を開く。

「フェリアのコードを!? だめ、そんなのだめですよ!」

 話から推察するに、このフェリアという魔道人形は、魔術によって書き込まれた命令に従って動いている。その命令によって今フェリアはジュリの子守を任されているようだから、ジュリと引き離すことはできない。その魔術を書き換えることができれば……というところだろう。

 僕はジュリを無視して、パウルを窺った。

「書き換えできないのか?」

「生憎だが、ちょっと見た感じだけでも製作者によって厳重に鍵がかけられていることが分かった。あれをハッキングするには相当骨が折れそうだ。一昼一夜じゃ無理だな……」

 そう渋い声で言った。

「だからハッキングなんてダメですからー!」

 ジュリがフェリアの腕を抱きしめながらそう喚いていた。パウルは意を決して頷いた。

「……嬢ちゃんはちょっと邪魔だが、しょうがない。鍵を開けるまでの間は二人一緒に連れて行こう」

「ぎゃー! だめです、だめです! フェリア、この人と一緒にいたらだめです、逃げましょう!」

 ジュリがそうフェリアに向かって喚く。しかしそこへ、パウルの重たい声がかぶさった。

「フェリア。お前は俺についてこい。ジュリと一緒にだ」

 そう命令を受けて、フェリアは満面の笑顔で頷いた。

「分かったわ!」

 そんなフェリアを見つめて、ジュリの顔が青ざめる。パウルは悪い笑みを浮かべた。

「残念だったな嬢ちゃん……、悪いが既に、フェリアには新規で俺への服従命令を書き込ませてもらった。深層の命令と競合しない限りは、フェリアは俺のしもべだ」

「ななな、なんてことを!? というか人形への命令術式なんてそんな高度な魔術をどうやって……」

 ジュリは頭を抱えて机に突っ伏してしまった。見ていると緊張感の抜ける女だ。

「悔しかったら俺の書いたコードを自力で解いてみるんだな! ハハハ!」

 そう勝ち誇って高笑いする男の人相は悪く、いかにも悪の権化だ。騒いでいる二人を置いて、僕は冷静に話題を戻す。

「パウル。人形はともかくこの女も連れていくなんて本気か? 女連れで部隊に入るのはさすがに難しいぞ」

「ああ、だから女は部隊には入れない。あくまで鍵を開けるまでのお荷物だからな。作戦の間は近くの町に待機させとくとか……、まあいろいろ気を使う必要はあるだろうが……」

 そう難しそうな顔になって言う。……どういう立ち回りになるのか、僕も今から不安だ。しかし、ひとまずパウルが下した判断には従おう。


 正午になる前に、僕とパウル、そしてフェリアとジュリという四人一行はリルバの町を出発した。

 向かう先はジンク地方の北部、ガダンという町だ。……とにかく当てずっぽうでも、所属できそうな部隊を探さねばならない。レジスタンス活動の活発な地域の街を回ってみるほかないだろう。

 レジスタンス活動の活発な地域といえば、トレンティア軍の侵攻も苛烈になっているはずの地域だ。これからも戦いの日々は続くだろう。

 しかしリルバからガダンの間の道中は……途中いくつかの村落はあるものの、戦乱のせいもあって貧しく、旅人に対する態度は厳しい。どうせ宿を探すのも苦労するだろうことを思えば、ということで、一行は川沿いの道を野宿しながら進むこととなった。

 リルバで久々にまともな家屋で寝れたのは得難い休息だった。再び野宿の日々に戻るのかと思うとやや物悲しい気分になるものの、大したことではない。ただ、野宿に慣れていないらしいジュリは悲壮な顔をしていた。

 疲れ果ててぐったりとしたジュリは、そのうちフェリアがおぶって歩くようになった。

 冬の日は短い。太陽が西に傾き、高い木々の奥に隠れ始めた頃、先頭を歩いていたパウルがおもむろに荷物をおろし始めた。

 僕は空を見上げてから言う。

「まだちょっと早くないか?」

 しかしパウルは適当に相槌を打って首を振った。

「ヨンお前、弓は使えるか」

 そしてそう聞いてくる。僕は何気もなく頷いた。そんなもの誰だって扱えるだろう。

 パウルはおろした荷物の中から弓矢を取り出した。

「実は俺も弓ってのを使えるようになりたくてな、良かったら教えてくれよ」

 そしてのんきな声でそんなことを言い出した。僕は怪訝に眉を寄せる。

「使えるようにって、使えないのか。男のくせに?」

「……トレンティアではあんまり弓を使う奴なんておらんのだ」

 パウルはむっとして首を振った。

「じゃあ狩りはどうやってするんだ」

「魔法でだよ」

「ああ……」

 そういえばそうか、なんて適当な納得をしながら、僕も弓を手に取る。

「教えろって言ったって……。こうやって矢をつがえて、こっちの手を離すだけだ」

 そう言って一本、ばしりと川の向こうの木の幹に矢を突き立てた。おお、なんて言って隣でパウルが歓声を上げる。

「実演見せてくれよ。なあ狩りに行こう」

 そう楽しそうに言うのだから、渋々言うことを聞くことにした。

「いいけど、騒がしくすると獣が逃げるからな。気配を殺してくれよ」

「そこはゲリラ仕込みだ、自信がある」

 そうにかりと笑って胸を張って見せた。あっそう、と僕は素っ気なく流した。

 どうやら狩りの練習がしたくて早めに野営地を決めたらしい。まったくのんきなものだと思うが、今は作戦中でもない、ただの移動道中だ。たまにはのんびり動くのも悪くはない……。

 とりあえずパウルに矢を射たせてみる。魔法ばかり撃っている腕は細く軟弱なのかと思っていたが、存外に筋力はしっかりあるらしかった。ただ当然、矢を飛ばす方向の調整はへたくそだ。実戦での使い物にはならない。

 しかしパウルは矢を飛ばすだけでもとりあえずご満悦らしく、明後日の方向にぴょんぴょんと矢を飛ばして遊んでいた。

 それを放っておいて、結局僕は一人で狩りに出かけた。なんとかウサギ一羽を射止めて戻ってきた時には、パウルは不機嫌そうに待っていた。なぜ黙って出かけた、と言いたいのだろう。

「すまん。お前があまりに弓に夢中だったから」

 そう言うと、パウルはフンと鼻をならしてそっぽを向いた。……年齢は、三十五歳ぐらい。自分より十以上も歳上の男に弓矢を教えてやるなんて、奇妙な体験だ。

 野営地に戻ると、まだ日も暮れないうちからジュリがフェリアに抱きしめられるようにして眠っていた。

 狩ってきたウサギを血抜きのために木の枝からぶら下げ終えた時、パウルが手招きする声が聞こえた。

「ヨン、こっちこい」

 パウルは焚き火を起こすために集めた木の枝の近くに座り込んでいた。

「今度は俺の番だ。火の点け方を教えてやろう」

 そう楽しそうな顔で言う。僕は呆れて肩を竦めた。

「バカにしているのか?」

「火打ち石は使用禁止だぜ」

 パウルはニヤニヤと笑いながら言う。……火打ち石を使わず火を点けろとは、一体何のとんちを始めるつもりなのだろうか。

 訝しんで顔をしかめている僕に、パウルは細い木の枝を一本投げてきた。まさか木の枝をこすって発火させろなんてバカなことを言い出すんじゃないだろうな。

 パウルも同じように細い枝を一本手に持って、地面を引っ掻いて何かの図形を描き始めた。

「まず、基本は円だ」

 その仕草には見覚えがある。ようやく僕は彼の意図するところを察した。お前も書いてみろ、と促され、僕も小さなため息ひとつ、地面にしゃがむ。教える方がそこまで乗り気なら少しぐらいは付き合ってやろうと、そう思った。

「丁寧に描けよ。形が歪んでいると魔力の流れが不安定になる。できるだけ真円に近いように。で、同じようにもうひとつ中に円を描け。この二重円が陣の基礎部分だ。内側の円との間隔も気を付けろ。近すぎず、離れすぎず、この割合を覚えておけ……」

 僕は黙って、言われるがまま見様見真似で地面に二重の円を描いた。

「あと必要なものは、導線って言うんだが、基本はこういう直線だ。基礎の円を支えて魔力の流れを補助する役目を果たす。基本的には均一なバランスで配置するんだが、導線の数は術や術者によってやりやすい数ってのが違ってくる。こればかりは経験を積んで感覚を掴むしかない。とりあえずは三本引いてみろ。正三角を描くんだ」

 パウルは淡々と言う。その顔にはもうニヤけた様子はなく、いたって真面目そうな、落ち着いた顔をしていた。

「あとは術式の効果を補強する魔道文字を書き込んだりするわけだが、今回は初めてだしいいだろう。これで魔法陣は完成」

 そう言われて、僕は足元にある、二重円の中に正三角があるだけの図形を見下ろした。

「これが魔法陣……? そもそも魔法陣とは何なんだ。お前が戦闘中に魔法を使う時は、こう手の平の上に光で浮かべるだろう? こんなのいちいち書かないじゃないか」

 そう率直に疑問を言うと、パウルは手の平の上にふわりと、早速その光の魔法陣を浮かべてみせた。それも、二重円の中に三角形があるだけの簡素なものだ。

「これはソル・サークルと言って、もともとの魔術の基本から言えば特殊な技術だ。それなりの修練を積まないと習得できるものじゃない。ま、プロだからできる技ってことよ。しかしソルでできるのは簡易的な魔法だけだし、高い威力を出すのも難しい。大掛かりな術になれば当然、魔法陣は設置しておく必要がある」

 そう説明を受ける。今まで交戦してきたトレンティア人のほとんどは、パウルの言うソル・サークルで魔法を使っていた。便利なものだと思っていたが、さすがに誰でもできることではなかったらしい。

 パウルは僕が描いた魔法陣の上に、乾いた葉っぱと小枝をいくつか載せた。この陣で火を起こし、葉っぱに着火させるというそういう算段なのだろう。

「魔法陣を書いたら、あとはそれに魔力を流すだけだ。手の平を陣に向かって向けろ。陣に直接触れた方が確実だが、今回は火起こしだ、火傷するといかんから手は離す。爆発したら危険だ、もう少し離せ。……それは遠すぎる、そこだ」

 たどたどしく魔法陣に向かって右手を向けた僕の手首をパウルはぐいと掴んで位置を整えさせた。

「手をぶれさせるな。円の中心と手のひらの中心がまっすぐ紐で結ばれているイメージだ。そう、それで、起こしたい術を頭に思い浮かべろ。今回は炎だ。慣れないうちは目を瞑った方がやりやすい。魔力が呼応してくるのを感じるはずだ。それを限界まで引っ張って、弾けるタイミングで放て」

 言っている意味はいまいち分からないが、目を閉じて炎を思い起こす。瞼に塞がれた視界の中でも、不思議と手のひらが空に縫いとめられたようにブレない。魔力が陣と呼応している、そういう感覚なのだろう。

「ああ……そうだ。左手を貸せ」

 パウルは何かを思い出したようで、そう低い声で呟きながら僕の空いた左手を勝手に掴んだ。そして何かと思えば、手のひら同士を重ね合わせ、そのまま僕の手をぐっと握り込んだ。男の指同士が絡まり、思わず僕は目を瞑ったまま眉間に皺を寄せた。

「……なんだ、気色が悪いぞ」

「いいから、お前は右手に集中しろ。ちょっとした補助だ」

 パウルはそう短く言ってから、すうと息を吸って、やがて、低く静かに語り出した。

「……神聖なるトレント、汝が子より祈りを捧ぐ。偉大なる我らの父よ、正しき血を宿す汝が子の声に応えたまえ、力を与えたまえ。その第三の目を開かしめたまえ。聖樹と魔族の王の盟約に基づき、我汝が子らの正しき導師たることを誓う」

 それは、聞いたこともない祈りの言葉。そしてその言葉で直感する。彼が祈っているのは、トレンティアの神……。

 その祈りの声に、ぞっと悪寒を覚えた気がした。背中を這い上がってくるようなその奇妙な感覚を感じるのは、いや、これが初めてではない。トレンティア軍の基地の中やパウルとともにいる中で、魔術というものに触れるたびに感じていたもの。

 それがはっきりとしたエネルギーとなって体の中で大きさを増し、行き場を求めるように荒れ狂うのを感じて、分かった。それが、魔力というものだった。それを、限界まで引っ張って……、弾けるタイミングで……!

 頭の中で稲妻が走るような感覚を覚えて、思わず閉じていた瞼を開けた。同時に、手の平から魔力が放たれる。

 視界に張り付くようにあった魔法陣……、砂の上を引っ掻いただけの線が、途端に黄白く光り出す。そして数拍の後、その円周から、火柱が上がった。

 その炎はあまりに強く、激しい熱を持って天を穿つ。まるで地面から炎の槍が突き上がったようだ。その熱と風圧に押されて、思わず僕は自分の魔術から飛び退いた。

 火柱はすぐに立ち消え、後には一瞬にして炭になった火口だけが残っていた。火柱が消えていったあとの空を見上げて、僕は唖然とする。……ここまで威力が強すぎると、焚き火を焚くどころの話ではない。

 それを見て、パウルはケタケタと笑い声を上げていた。いつの間にか、僕の手を握っていたのは離している。

「ははは、見事に爆発! さっすがだなあヨン!」

 そしてやや離れた場所から慌てたような声を上げるのがもう一人。

「う、嘘でしょう!? 何なんですか今の魔法は! あなた、魔法を使うのは初めてじゃなかったんですか!」

 いつの間にか起き出してきてたらしいジュリが、目を丸くしてこちらに身を乗り出していた。僕が答えるより早く、パウルが愉快そうに言う。

「ああ、やっぱり……やっぱり俺の見立てに狂いはなかったな。それがヨン、お前の中に眠っている……、稀有な、力だ。今のはそいつを確かめるためのちょっとした実験さ」

 僕は顔をしかめてパウルを睨んだ。言っている意味がよく分からなかった。

「実験……? 僕の中に何が眠っているって?」

 パウルはすっと目を細めて、怪しげに笑う。

「なんと言えばいいかな……とにかくお前の体の中には特別な……力があるんだ。それを発動させれば、ろくに魔力を扱い慣れていない初心者でも今みたいな威力の魔術を起こすことができる。お前の中にあるのは、そういうものだ」

 そう言いながらパウルは、僕の胸の真ん中を指さした。ぎょっとして自分の胸を押さえる。……体の中に何があるって?

 いきなり聞かされたってわけの分からない話だが……、ともかく嫌な感覚だ。今まで疑問もなく扱ってきた自分の肉体の中に、得体のしれない力があるなど……。

「まあもちろん、今のは連術と言って……ま、俺が間接的にそれを発動させたからできたことだ。まだ自分で扱うには早いし、単なる火起こしにそんな大層な術はいらん。今のはあくまで実験だ。じゃ、今度は俺の補助なしでもう一回」

 そうあっけらかんと笑う顔を見ると、なんだか腹が立ってきた。もう放り投げてやろうかとも思ったが、不機嫌な顔を向けるだけにしておいて、もう一度魔法陣を書き直す。

「ああ、それから……、今言ったお前の体の中の魔術の話は人には言いふらすなよ。トレンティアでも扱い方が特殊なんだ、余計な嫌疑をかけられるかもしれん」

 パウルはやや神妙な声色になってそう釘を刺してきた。言われなくても、そんな気持ち悪い話を他人に言う気にはならない。僕は適当に相槌を打った。

 しかしパウルが余計な干渉をしたにせよ、魔法というものを初めて使った。正直魔力が体の中を駆け巡る感覚は好きになれないが、それでも、自分の力が起こした術を目にしてみると妙な達成感もあったのだ。その感覚をもう一度確かめておきたい……。そう思って、また火起こしの魔法陣に向き直る。

 二回目は、魔力の量が不足していて失敗。火は起こらずにぽんと空気が動く程度の爆発が起こっただけ。三回目は火は起こったが短すぎて火口への着火までは至らず……。

 そうして失敗を繰り返すうちに、もう一度、もう一度と挑み、気が付けば夢中になっていた……。

 ようやく着火を果たして焚き火が灯った頃、すっかり空は暗くなっていた。持ち前の魔力を使い果たした僕は全身に力が入らないほどに疲れ切って、ぐったりと地面に倒れている。体が鉛のように重い……、魔力切れとはかようなものかと実感するのも、なんだか新鮮で爽やかな気分だ……。

 焚き火の近くでは、パウルとジュリが焼いたウサギの肉を食らいながら何かわあわあと喋っているようだった。……狩ってきたのは僕なのに、倒れている僕を放って先に食ってやがる。そんな恨みがましい思いを抱くも、体が重くて抗議する気にもなれない。

「人間の体の中に魔術があるってどういうことですか!? そんな話初めて聞きました! 教えてください、どういう仕組みなんですか!」

 今は活発らしいジュリが息巻いて、パウルに詰め寄っているらしい声が聞こえる。

「やなこった。嬢ちゃんみたいな子どもが手を出すには早い術だよ」

 パウルはそう冷たくあしらっている。

「子ども扱いしないでください! 私は八歳の頃から魔法を習ってました! 初心者じゃないんですよ!」

「俺は五歳からやってたもんね! お前なんかまだまだヒヨッコだ!」

 子ども相手に張り合っているパウルも、傍目にはどこか子どもっぽいが……。そんなパウルに対して、ジュリは不満の声を次々にあげている。

 ……よくも、あのか弱いだけの女がトレンティア人の男に対してずけずけと話ができるものだ、と驚きさえ覚える。幸いパウルは態度は荒っぽいながらも乱暴な行動を起こすことはないようだが……いやそれも、ジュリにはフェリアという強力な護衛兵がいるからかもしれない。

 僕はやっとの思いで重たい体を起こして、這うように焚き火の方へと近付いた。

「おおそうだヨン、ほら食え食え。飯を食えば魔力切れも多少は良くなるぞ」

 そう言ってパウルが串刺しにしたウサギ肉を差し出してくる。何も言わずにそれを受け取り、力無くかぶりつく。空いた胃袋の中に肉を飲み込む感触が心地よかった。

 腹を満たすと、再び倒れるように地面の上に寝転がる。まだパウルとジュリは騒がしく言い合いをしているようだったが、その声さえも遠のいていく……。

 鳥や獣の声も気配も分からない。……仮に戦闘中に魔力切れを起こすと相当に危険だな、なんてことも学習しながら、今はただ、意識が落ちるままに身を任せた。

第1章 完

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