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サーシェ  作者: 天山 敬法
第1章 出会いと旅立ち
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5話 癒やしの手

 怪我をしているわりに足は速かったらしい。僕達より先にパウルは宿に辿り着き、ベッドの上でぐったりと寝込んでいた。左手に巻いた布は既に真っ赤に濡れている。

 僕達が部屋に入ると薄く目を開けたが、何かを言う元気はないようだ。

「早く医者に行ったほうが良い」

 僕はそう言ったが、パウルの顔は渋そうだ。……顔を隠した怪しい男の刀傷を見てくれる医者がこの町にいるだろうか。

 ひとまず僕は担いでいたフェリアを床におろした。後ろには、ローブの少女が確かに一切抵抗することも逃げる素振りもなく付いてきている。

 パウルはその負傷の中でもぎらりと目に怒りを滾らせて少女を睨む。

「……話してもらおうか。その人形は何だ、なぜ俺のことを探っていた……」

 手負いの男の剣幕に睨まれ、少女はすっかり萎縮している。しかしそれでもなんとか、ぽつりぽつりと返事をする。

「わ、私には分かりません。パウル……さんというのはあなたなのですか……? フェリアと知り合いの方ではなかった、のですか……?」

 途端にパウルはぎょっとしたように目を開いた。

「こんな人形のことなんか知らん! お前は……、お前がこの人形の飼い主じゃないのか? 誰なんだよ、この人形を作ったのは!」

 少女は萎縮したまま、消え入るような声で呟く。

「……ミョーネ・アルティーヴァ様……」

 それは僕には全く知らない誰かの名前であった。しかしパウルには心当たりがあったらしい。途端に更に目を見開いて、固まった。その驚きの程はあまりに大きかったらしく、そこにあった険悪な怒りの色さえもその瞬間に立ち消えてた。

「は……? ミョーネ? いや、あの女はもうとっくの昔に……」

 パウルの声は戸惑っているようだった。それに少女は力なく頷く。

「……はい。もう五年も前に……、亡くなりました」

「飼い主が死んだのに人形が動いてんのか?」

「……私にも理由は分かりませんが……、おそらく、ミョーネ様が亡くなる前に残した命令が残っているのでは……」

 パウルはやがて片腕で頭を抱えて唸り始めた。相当腕が痛んでいるのか、頭が痛んでいるのか。僕には話も分からないので、黙って聞いているだけだ。

「……それで、女。お前は何者だ、顔を見せろ。俺のことをどこまで知っている?」

 疲れた声でパウルが尋ねる。少女はまだ緊張と不安で消沈しているようだが、もう体を震わせていることはなかった。力ない仕草でフードを下ろし、やつれた顔を覗かせた。長い黒髪を三つ編みにしてローブの内側にしまっているらしい、品の良い印象のズミ人の少女だ。歳は僕と同じぐらいだろうか。

「私はジュリ・ニスカ・リューノと言います。国軍で……衛生兵として従軍していました。部隊が壊滅してから、フェリアと二人きりで逃げてきて……、ただフェリアについてきただけです。あなたのことは何も知りません。フェリアもただ会いに行くと言うだけで何も教えてはくれませんでした」

 少女、ジュリの言葉はか細く、苦しげに詰まっていく。このか弱いばかりの少女も、戦火の憂き目に追われてきたらしい。

 パウルは訝しげにジュリの顔を睨んだ。

「国軍の衛生兵? その若さで……、怪我の治療ができるのか」

 そう聞かれ、ジュリは俯いたまま小さく頷いた。

「子どもの頃から王都で……怪我を治療する回復魔術を習っていました」

 少女がそう消え入るような声で言うと、パウルは驚いたようで目を丸くした。

「王都の魔道士? いや、なら早く治療しろよ、目の前にこんな怪我人がいるだろうが!」

 そう言ってその血に濡れた腕を突き出した。ジュリは慌てた様子で飛び上がる。話を聞く限り、このジュリという少女は戦闘に巻き込まれただけの哀れな非戦闘員だ。負傷した男などにそう威圧されては動けなくもなるだろう。見かねて僕は横から口を出した。

「お前が萎縮させるからだ。女には優しくしろ」

「俺はそこの女に腕をザックリやられたんだぞ! 優しくなんてできるか!」

 パウルは床の上で転がっているフェリアを指さしてそう抗議した。魔道人形を女と言うのが適切なのかどうか分からないが、確かに見た目は女の格好をしている。

 考えてみれば僕だってその人形にはあわや殺されるところだったのだ。結果的にパウルが身を挺してでもその動きを封じたわけで、その意図があったかどうかは分からないが僕は彼に助けられたことになる。そのために怪我まで負ったのだから……、礼ぐらい言うべきなのだろうか。

 そんな思いが頭をよぎったが、しかし僕は黙っていた。別に僕だって好き好んであんな戦いに巻き込まれたわけではない。

 ジュリはあたふたとしながらも、何か準備をし始めていた。鞄の中から出したのは、墨で魔法陣を描いた布のようだ。大きさは、ちょうどパウルの片腕の肘から上が収まるぐらいだろうか。

「パウルさん、腕をこちらに」

 そう言ってベッドの上にその布を広げて置く。

「ああ……、すまんが頼む」

 布の上に腕を置きながら言うパウルは、怒るのも疲れた、とでも言いたげに打って変わって覇気の無い顔になっていた。元衛生兵だという少女も怪我人を前にして、既に見るからに怯えている様子はなさそうだ。

 やがてジュリがその魔法陣の円周を手で触れると、途端に墨色の魔法陣が淡く光り始める。どうやら魔法は怪我を治す技術にもなるらしい。その治療の光景を、僕は物珍しげに眺めていた。

 傷口は包帯の下だ、肉が繋がっていくような様子が見えることはないが……その一瞬で見るからにパウルの顔色は良くなったのが分かった。薬もないというのに、そんな瞬時に怪我が治癒すると言うのか……つくづく憎らしい技術だ。

「ん……、随分腕がいいんだな。まあ……助かるよ」

 パウルも治療者には一応の礼を言うらしい。ジュリは魔法に集中しているようで返事はしなかった。

 ジュリが魔法陣に触れ、そこを光らせるその治療は数十秒に渡って続いていたが、やがて、ふっと魔法陣から光が消えた。

「あ? おい、まだ……」

 パウルが不思議そうにそう声を上げた途端、ジュリの頭がぐらりと傾いて、そのままベッドの上に突っ伏してしまった。

「バカ、術の最中に魔力切れ起こすやつが……」

 そうパウルは焦ったように言いかけるが、どうやら既にジュリの意識はないようだ。突然のことに僕まで驚いてそれを見つめるが、背中が僅かに上下しているのを見るに死んだわけではないらしい。

 パウルは呆れたようなため息を吐きながら、ベッドに突っ伏した少女の頭を見下ろしていた。

「はあ……、相当疲労ためてたな。まあ、ひとまずはこれだけ動きゃ問題ないだろう……」

 そう言ってパウルは左手の拳を開いたり握ったりしてから、ずるりとベッドから降りた。

 そして何かと思えば、床に転がされている魔道人形の元にかがみ込み、その額を指で突いて魔法陣を浮かび上がらせた。

 目まぐるしくくるくる回る魔法陣を見つめて、ははあ、とかふーむ、とか独り言を呟く。

「ミョーネの作った人形か……」

「なんだ、やっぱり心当たりがあったのか」

 そう尋ねると、疲れたため息が返ってきた。

「大昔に縁のあった女だ。……まさかとっくに死んだ奴が人形をけしかけてくるとは思わなかったが……、俺が心配していた追手とは無関係みたいで、ひとまず安心安心……」

 そうして息をつく男を、僕も呆れた顔で見下ろしてやった。追われる身というのは大変そうだな、と無責任な同情を寄せる。トレンティア人でありながらズミで暮らし、謎の追手やら女の人形やらから追い回され、ズミ人の部隊からも忌み嫌われて裏切られる……よくもそんな状態で、今まで生きてきたものだ。

 しかしそれは同じ青い目を持つ僕にだって他人事ではない……トレンティアという国は憎いが、このトレンティア人に対しては変な親近感を懐きつつあった。

 やがてパウルがフェリアの額の上の魔法陣を消すと、途端、フェリアがばしりと目を開けた。思わず僕は身構えて後退する。また襲われたらかなわないと、直感的に体が恐怖していた。

 しかしパウルにその様子はない。フェリアは慌てたように飛び起きたが、確かにパウルを見るなり攻撃を繰り出してくることはなかった。

「ど、どうなったの!? ここは……わたしは?」

 そうして戸惑うフェリアに、戦っているときのような冷めきった気迫は既になかった。その表情はまるで本物の人間のようだ。そんなフェリアに向かうパウルものんきな様子だ。

「おうフェリア、さっきは悪かったな。ちょっと人違いで敵かと思ったもんでね」

「レーン……?」

 フェリアは戸惑ったままパウルの偽名を呼ぶ。パウルはほろりと、力の抜けた笑顔を浮かべた。

「いや、パウル・イグノールだ。俺のことを探してたんだろ?」

 そう名乗ると、フェリアの目はみるみるうちに見開かれ、やがて満面に笑顔を浮かべた。

「パウル……? パウルなのね!? やっと会えた!」

 そしてそのままの勢いで、両手をパウルの首に回して抱きつこうとした……のを、パウルの右手に顔面を押さえられ、あえなく制されてしまった。抱きつかれるとは思ってもいなかったようで、パウルが浮かべた笑顔もその一瞬で消えてしまっていた。

「人形風情が触るな、気色が悪い」

 その声にはあからさまに侮蔑の色が浮かんでいたが、フェリアはきょとんと目を瞬かせて、言われるがままにすっと手を引っ込めた。

「で、俺に何の用だ?」

 そう聞かれると、フェリアはまた明るい笑顔を浮かべた。

「何も……ただ会いたかったわ」

「はあ?」

 パウルは怪訝そうに眉を寄せた。フェリアはにこにこと、美しい笑顔を浮かべている。人形なればこそなのだろうか……、その顔立ちは整っていて、知らなければ人形だなどとは分からないだろう、二十歳ほどに見える美しい女性の顔……。ズミ人らしい艷やかな黒髪はしっとりと床の上に垂れ、その深い黒色の瞳も長く分厚い睫毛に縁取られている。

 その美貌を見て、しかしだからこそ余計に戦闘時の凍りついた顔との落差を感じて僕は背筋が寒くなるのを覚えた。

 なぜこんなものがあるのか、そんなものになぜ追われているのか、人形の制作者だとかいう女はパウルの何なのか、何やらもやもやとした不透明なものが胸にわだかまったが……まあしかし、僕の知ったことではないといえば、そうでもある。

 それ以上何も答えないでいるフェリアを見て、パウルはみるみる顔をしかめて、やがてまた唸り声を上げ始めた。見る限り、パウル本人にもよく分かってなさそうだ。

「ああくそ、とりあえず今はもういい。それよりあの嬢ちゃんの子守りはお前の役目だろ。あんなところで寝られちゃ邪魔だ、どけろ」

 そうしてベッドの上に上半身だけを突っ伏しているジュリを指差した。

「きゃあ!? ジュリ!? どうしたの!?」

 フェリアは悲鳴をあげてジュリのもとに駆け寄った。魔力を切らして気絶していた少女は、フェリアの声を聞いてぼんやりと意識を取り戻したようだ。むにゃむにゃと、何か寝言を言っているが、何を言っているかは分からない。

「相当疲れてたところに魔法を使わせたからぶっ倒れたんだ。寝かせときゃ治る」

 パウルに言われ、フェリアはジュリの体を丁寧に抱きかかえて、隣のベッドの上に寝かしつけた。されるがままにジュリは布団に身をうずめ、すやすやと寝息を立て始める。それを僕は無言で見届けていた。

「じゃあ今日の仕事は終わりだ。ひとまず寝よう」

 パウルもパウルで、のんきに言いながらベッドの上に戻ってしまう。もともとパウルと二人でとったつもりの宿部屋だ。ベッドは二つしか無い。

 ……屋根があるだけマシだ。そう自分に言い聞かせて、僕は床の上で膝を抱えた。

「……おいヨン。お嬢ちゃんが一緒だからって悪さはするなよ」

 ベッドの上からひらひらと手を振りながらパウルが言った。思わず顔を上げたが、言い返す言葉は出てこなかった。そう言われて初めて、同じ年頃の少女が同室で眠っているということを意識してしまったのだ。片方のベッドの上で寝息を立てている小さな体が、途端に気になって仕方がない。

 その傍らでは魔道人形フェリアが、愛おしそうにジュリの頭を撫でている。

「あの人形、どうやらジュリのお守り役も命令されているらしい。ジュリに手を出そうものならひねり殺されるから気を付けろ」

 パウルがそう付け加えたを聞いて、僕の高ぶった気持ちは瞬時にして地に落ちた。激しい戦闘のさなかでフェリアに殺されかけた一瞬の記憶が蘇って、背筋は寒いばかりだった。

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