4話 造られた命
ズミの国土のうち、中央よりやや南東に寄った場所に位置するジンク地方。その中でも森深い一帯でヒューグ隊は活動していた。かの部隊と決別した魔術師は、まずはその拠点から離れ、ジンク地方の一辺、リルバと呼ばれる町に身を寄せた。
その成り行きに巻き込まれるままヒューグの元を離れた僕は、魔術師パウルと二人で行動することとなる……。
長い間、どこかの部隊に所属して隊員とともに拠点を移しながら移動する生活を続けていたから、町の中に滞在するというのは随分と新鮮だ。戦闘とは遠くに身を置く市民らが生活を送る風景を見て、僕はぼんやりと感慨に耽った。今は部隊ではなく二人での行動だ、トレンティア人の容貌が目立つとはいえ、こうして町の中に紛れることもそう難しくはない。
パウルが僕に下した最初の命令は、買い出しだった。
「携帯食、ひとまず七日分ぐらいだ。それから酒、布、ロープと小刀。それからそのなまくら武器の代わりがありそうなら買ってこい」
パウルは顔を隠すために、いつもフードを目深に被った怪しい見た目をしている。そして町の中にいる間ほとんど日中に外に出るつもりはないらしい。町へ買い物にいく、水を汲みに行くといった外出をともなう雑用仕事を僕にやらせるということだ。
買うものの指示を飛ばして、パウルは銀貨の入った袋を無造作に僕に放り投げた。その重みを確かめて、僕は黙って目を瞬かせる。……意外に金持ちなのだな。
そしてそれを渡してから、素っ気なく宿部屋の扉を閉めた。そりゃ確かに、あの見た目なのだから外に出たくないのは分かるが、それにしても投げやりだなと思う。僕がこの金を持って一目散に逃げるとか、そういうことは考えないのだろうか。
……生憎、金を持って逃げたところで行く先もない。魔術師に追いかけ回されるリスクを追うぐらいなら、わざわざ逃げ出しはしないが。
携帯食料と日用品と……。よほどの贅沢をしない限り、パウルに手渡された銀貨はあり余る。残りはなまくら武器の代わりを買う金ということだろうか。
彼がなまくらと言って指差したのは、僕のマントの内側に隠して挿している短剣だ。お気に入りのものをトレンティア基地でなくしてしまったから、今はヒューグ隊の基地からとってきた間に合わせのものしかない。
せっかく金があるならいい武器を工面したいところだが……、しかしジンクの田舎町にそう大層な業物は、おそらく転がっていない。武器屋を探し出すのも面倒で、結局僕は今のなまくらを研ぎに出すことにした。
やがて言いつけられた品物を揃え、研がれた短剣を胸に納めてから宿に戻る。パウルは部屋のベッドの上で寝転がりながら、地図らしい紙面を睨んでいた。部屋の中ではローブを脱いで金髪をむき出しにしている。
僕の姿を見るなり、勝手に淡々と喋り始めた。
「早速だが今夜、仕事に出かける。お前も手伝え」
「仕事? 何の」
こちらも淡白な調子で返事をした。
「ヒューグの野郎から聞いたんだよ。俺のことを嗅ぎ回ってるとかいう連中の情報をな。お察しの通り、俺には身を追われる心当たりがある。俺を追ってきてる奴がいるってのなら、始末しなきゃならん」
そう呟くように言う声はどうやら真剣そうだ。しかし僕にとっては彼の事情など知ったことではない。……命令されれば、従うだけだ。
「場所は」
短く聞く。
「ここだ」
パウルも短く答えた。は? と小さく言って振り向く。
「この町にいるはずだ。……俺を追ってるわけだからな、すぐ近くまで来てたってことだ。“魔術師”の居場所を知っていると、すでに餌をぶら下げた。俺自ら出てって探りを入れる。おそらく戦闘になるだろうからな、お前はその要員だ」
僕はただ頷いた。パウルの私用に使われるのは癪だが、今は従うほかあるまい。
「それまではしっかり休んでおけよ」
そう言って、パウルは地図を投げ出してごろりとベッドの上に寝そべった。その仕草から感じる印象は、やはり無防備。だがそうだと思って寝首をかこうとしたあの時も、魔術による警戒の陣を張っていた。……今も、この部屋にも何か仕掛けてるんだろうか。疑ってみたところで僕には分かりようもない。
諦めて、僕も装備を解いてもうひとつのベッドの上に寝そべった。……ベッドで眠るのなんていつぶりだろう……。
やがて夕暮れ時に起き出して、僕はパウルとともに外へ出かけた。まだ日は沈みきっていないが、事前の準備が要るらしい。
相手を呼び出す場所は町のはずれの空き地だ。打ち捨てられたらしい空き家が、半分ほど取り壊されたような状態で放置されている。その前の砂地に、パウルは拾った木の枝で引っ掻いてがりがりと魔法陣を描いていた。
子どもの落書きのような仕草を見て、僕はぼんやりと言う。
「魔法陣てのはそんなものでいいのか」
「円になってりゃなんでもいい。魔力を流しさえすりゃ立派な陣だ」
そう言いながら描いたのは、なるほど枝で地面を引っ掻いただけのものだが、その形は綺麗な円だった。
「ま、やりづらいがな。他にやりようもねえし」
木の枝で魔法陣の中に細かい文字を書き込みながら、パウルはだるそうに言った。ふうん、と適当な相槌を打って、僕は自分の仕事に戻る。
夕暮れ時の町はずれに他に人影はない。周囲の茂みや木の上などに視線を巡らせても、罠が仕掛けられている様子も、人が潜んでいる様子もなさそうだ。落葉している草木が多く、雪もない土地の冬は偵察も容易だ。
次第にパウルから距離を広げながら、更に周囲を捜索する。注意深く物陰や茂みを見回すが、やはり怪しいものは何もない。
「何も無いよ」
そうパウルに報告する。パウルは難しそうな顔で自分の顎を押さえた。
「ふん……、わざわざ場所を指定したんだ、向こうも何かしら準備をしているかもしれんと思ったが、そこまで周到ではないか」
「というか、相手はどんな奴なんだ。トレンティア人……、魔法使いなのか?」
僕がそう尋ねる。一応戦う相手のことは前もって知っておいたほうがいいだろう。しかしパウルが返事を言う声は曖昧だ。
「さあ……。ヒューグの話じゃあズミ人の女らしいがな。さすがにそんなもんに追われる心当たりは無い。誰かの差し金であるなら、全く別モンが飛び出してくることも十分あるだろう」
「女?」
僕は変な声を上げた。パウルの様子からよっぽど危ない橋を渡っているものだろうと思っていたが、そこに女が出てくるというのはおかしな話だ。僕が戦う相手も女かもしれないということか。
「奴ら、ズミの女スパイでも使ってるのかもしれん。相手がどんな美女だろうと気を緩めるなよ」
パウルは真剣な顔でびしりと言い渡してきた。そうは言われても、さすがに女を斬りつけるのは躊躇がある。どうにかそんな事態にはならないようにと祈ることしかできないが……。
やがて日が落ちて、作戦の刻は近付いた。パウルは顔を隠したまま朽ちた空き家の前に立ち、僕はやや離れた茂みの奥から遠巻きにそれを観察する。
人の足音が近付いてくる。どきりとするが、息を殺してじっと身を潜めた。近付いてくる足音は、ひとつ……、いや、ふたつ。二人の人間がすぐ脇の道を通り、パウルの方へ向かっていく。どうやら、件の相手が現れたようだ。
薄い月明かりに照らされたその人物の影を見て、僕は思わずぐっと唇を噛んだ。その事前情報に誤りはなく……、そこに歩いていたのは、どうにも……女のようだ。
暗くて顔ははっきり見えないが、さらさらと揺れる黒髪は長く、あまり見慣れない部屋着のような女服からは、この寒い時期だというのに肩の肌を露出し、その胸元は緩やかに女性らしい曲線を描いている。
そしてその一歩後ろを歩くのは、もう一回り小柄な体躯。……子ども? パウルと同じような、フード付きのローブをすっぽり被っていて、その顔は窺えない。体つきも小さく、少年とも少女とも分からない。そんな二人組が、パウルの元へと辿り着く。
前を歩いていた女性は、ぱっと長い髪を払って、嫌に爽やかな声を上げた。
「こんばんは、あなたがレーンさん?」
そうパウルに喋りかける。レーンというのはパウルの偽名らしい……、いや、何が偽名で何が本名なのか、今となってはよく分からないが。
「フェリアさん……と言ったかね。会えて嬉しいよ」
パウルはフードの奥から暗い声を出す。女性の名前はフェリアと言うらしかった。
「協力の申し出、ありがたく思うわ。早速聞かせて? レジスタンス部隊で戦っている魔術師とあだ名されている人……、その人は今どこに?」
フェリアの軽やかで美しい声は、単刀直入な要件を言う。あまりに直球なものだから、見ているこちらがハラハラしてしまう。パウルは小さく首を振った。
「その前にこちらも聞かせてくれ。あんた、なぜ魔術師を追っているんだ」
それに答えるフェリアの声は、やはり軽やかだ。
「私、人探しをしてて。魔術師の噂を聞いて、もしかしたらそれが私が探している人かもしれないと思ったのよ」
「レジスタンスにいる魔法使いが? そりゃ物騒な人探しだな。一体誰を探しているんだ」
更にパウルは探りを入れるが、フェリアの声は変わらず屈託のない明るい声で、まるで目の前のパウルに警戒の姿勢を見せているようにも見えなかった。
「名前は言わない方がいいと思うんだけど、あるトレンティア人の男性よ。そうだ、もしあなたが魔術師と知り合いであるなら、心当たりはあるかしら。金色の髪、青い瞳。年齢は三十五歳、太ってるか痩せてるか、今は分からないけど、背丈は、そう、ちょうどあなたと同じぐらいで……」
そう言ってフェリアはパウルの頭を指差したようだ。パウルの表情は暗闇のフードの奥で分からない。体はぴくりとも動かなかった。
「名前を聞いてみないことには分からんな。……こちらも魔術師との約束がある、情報を渡すのなら、それ相応の情報をそちらも示すことだ。……あんたが探している男の名前はなんだ」
やや声に力がこもったのが分かった。こうも見るからに怪しい男に凄まれているのに、フェリアもまた、全く動じる様子がない。不可解な女だった。
「魔術師さんは名前を隠しているみたいだから、あんまり言わない方が良いのかなって思ったんだけど。もしかしたら命の危険にも繋がるのかも。それでも聞く?」
明るく、屈託のない声でそんなことを口走った。ぎょっとして僕は胸元の短剣に手を伸ばし、そろりそろりと茂みの奥から這い出た。
パウルは肩を揺らして笑った。
「ますます面白そうだ。……言ってみろ、その名前を」
フェリアの美しい声が、さらりと響く……。
「パウル・イグノール――」
大当たりだ。そんな気持ちのいい言葉を胸中で吐いた時、パウルはすぐさま動き出していた。両手の平を真正面からフェリアの眼前に突きつけて……、魔法を撃つ動作だ。僕は考えるよりも早くに駆け出した。事情は分からないが、とにかくパウルは戦闘開始と判断したのだから。
しかし当然、僕が辿り着くよりも早くパウルの魔法は放たれている。両手の上に浮かんだ大きな魔法陣から、眩い火の玉が飛んで目の前にいるフェリアを襲った。……よくも、女相手にああも容赦なく攻撃ができるものだ。
「きゃああっ!?」
途端に上がった悲鳴は女性のもの。フェリアが叫んだのかとも思ったが、どうやら彼女の一歩後ろに控えていた小柄なローブの方がへたり込んで悲鳴を上げたようだった。
フェリアはその顔面に真正面から火の玉を食らった。女の体がその圧力に押されて倒れる様を見るのがなんとなくつらくて、目を逸らす。……しかし、次の瞬間には僕は目をむいて再びフェリアの方に視線を向けていた。
フェリアは倒れなかったのだ。信じられないことにその場に踏みとどまり、火の玉を顔面に受けてのけぞった状態から、ぐんと上体を立て直した。そして同時に、手が動く。彼女の手が伸びたのは、腰の後ろ。長い髪の奥に隠れて見えなかったそこに、武器が携えられていた。
その大きさからして、短剣か手斧か。流れるような動きでそれを手にとって、振った。その振りの迷いのなさと力強さにも……思わず目を疑う。その身のこなしは明らかに歴戦の戦士のものだ。
鋭いフェリアの攻撃を、パウルは間一髪でのけぞって躱したようだった。その風圧でフードが浮きそうになるのを片手で押さえながら一歩後退する。しかしフェリアの動きは速い。すぐさま彼女も前へ強く足を踏み出し、次の一撃を繰り出していた。今度もパウルは躱せない。両手を突き出した先に魔法陣を浮かべると、その陣の上でがちりとフェリアの持つ斧が食い留まった。防御の魔法陣らしい。
「……ヨンっ!」
パウルが叫ぶ声を聞いてハッと我に返る。フェリアという女性の信じられない身のこなしに、呆気にとられて動けないでいた。
既に戦闘は始まっている。すぐに援護しなければならない。そう駆られて再び駆け出すも、相手は女……いや今は躊躇っている場合ではないか? どう見ても、ただの女ではない。
フェリアの追撃をパウルは防御の魔法陣で受けては流し、躱しながらなんとか後退していく。しかし防戦一方に追い込まれ、反撃のすきは無いようだ。その無駄のない足取り、まるで武器の重みを感じさせないような腕の動き、フェリアの腕は相当のもののようだ。
「躊躇うな! こいつは人間じゃない!」
パウルの叫びがずしりと耳を突いてくる。そんな言葉の意味をゆっくりと確かめてる暇はない……だけどその瞬間にその実感はいやに体に重みを与えてきた。彼女の身のこなしが、そして見開かれた死人のような目が圧倒的な威力を持ってそれを訴えかけている。
ほとんど何も考えないまま僕は短剣を突き出していた。防具もまともにつけていない女の服は、その上からでも容易く肉を傷付けられるように見えた。しかしその刃がそれを突いたその瞬間に、僕はまた愕然として息さえも詰まらせた。
フェリアの脇腹を確かに突いた刃伝いに手に伝わってくるのは、まるで土の壁を突いたようなずしりとした感触。体を覆っていた布は確かに突き抜けた、だけどのその先で刃は僅かな深さの皮膚を切っただけで、その奥にある人ならざるものの肉体にがちりと食い留められていた。
しかしその攻撃の感触を彼女も当然理解している。ぎろりと、無機質にさえ見える黒い瞳が僕の方を見たのが分かった。その攻撃の予感には、人間らしい殺気すらも浮かばない。
「ヨン!」
またパウルの叫び声が聞こえる。同時に目の前の至近で……恐らく彼の魔術によるものだろう、熱を帯びた爆発が起こる。その衝撃で我に返って僕はすぐに身を引いた。その時、後ろに引いた体がそこにいた人間へとぶつかった。
「いやだ……、やめて……!」
その弱々しい悲鳴は、子どものようなローブの女が発したものだ。その少女はフェリアと違って戦う力を持たないらしい、目の前で起こった戦闘にただ怯え、震えながらその場にへたり込んでいる。……今はこの少女を気にしている場合ではない。そう判断して、僕は再びフェリアの方へ視線を向ける。
しかしその眼前で、フェリアはパウルの攻撃を受けてもなお、その爆炎の余韻を引いた煙の中からかっと目を見開いて……、僕の方を見ていた。
「ジュリから離れなさい!」
フェリアがそう怒鳴り、同時に足を切り返し、グンとこちらへ突っ込んでくるではないか。フェリアに対して防戦の構えをとっていたらしいパウルは、すぐに攻勢にも出られなかった。まさか彼を無視して真っ直ぐ僕の方へ標的を切り替えてくるとは、僕だって思わなかった。その迫力を正面から受けて思わずまた息が詰まる。
素早い刃物の一振り。それがブンと空気を揺るがす音を聞く。……なんて重い一撃なんだ、あんなの食らったら一発で死んでしまう。たった一振りでそれが直感できた。
なんとかその一撃を躱した、その動きの中でローブの女からは離れる。しかしやはりフェリアの攻撃は速い、反撃の隙も少ない、逆上したように僕を負う足取りに迷いはなかった。しかしその間にパウルも動いていた、地面を叩くようにばしと両手を付いて、事前に仕込んでいた魔法陣を発動させる。途端に地面から炎の矢が幾本も吹き上がってフェリアの体を襲う。至近距離にいた僕まで一緒に焼かれそうになって、慌てて飛び退いた。
しかし魔法の炎を受けてもなお、フェリアは怯まなかった。凍りついたような無表情のまま、眉一つ動かさず、燃え盛る矢の中を強引にかき分けて平然とこちらを追ってくる。……嘘だろ。そんな言葉が胸の中で漏れた。まるで、化け物だ。
ぞっとした恐怖が胸を襲う。パウルの炎から逃れて飛び退いた後、素早く体勢を整える、その僅かな間もフェリアは猛攻をやめない。まるで肉体の限界などないかのように繰り返される重く速い攻撃の連なりを、僕が躱し続けるにも限界があった。無我夢中で運ぶ足は近くにあった茂みを踏み、その不安定な足場で次の一撃はもう避けられない。
そう悟った瞬間、しかし視界の横から割り込んでくるものがあった。目に見えたのは黒いローブの裾とともに空を揺れた、長い金色の髪だけだ。その体をぶつけられて僕は背の低い茂みの枝を折りながら地面に転がる。
その一瞬で何が起こったのかは分からなかった。フェリアの斧が魔法陣とぶつかって激しい火花を散らしたのを見て理解した。僕を押しのけてまでパウルが割り込んできて、そこに防御の魔法を張ったのだ。
しかしそれは咄嗟の姿勢で、その魔法陣を支えるパウルの腕は左手のみだった。そこに浮かんだ光の輪のなかに、目に見えてヒビが入り、やがて砕けた。
「パウル!」
思わず僕は声を上げた。フェリアの斧が、防御の陣を破ってその奥にあったパウルの左手を打ったのだ。刃は彼の手首の横から入ったらしく、そこから肘にかけての肉を縦に切り裂き、血が飛んだのがはっきりと目に見えた。
「……っこんの、ポンコツがああっ!」
そうパウルはそう叫んで、左腕から血飛沫を飛ばしながらも……、右手を、振るっていた。その右手は人差し指と中指だけを前に突き出し、そして、武器を振り切った隙間から、フェリアの顔面……、その額を刺すように突いた。武器を持たない素手の指でだ。
彼の二本の指がフェリアの額をトンと突いたその瞬間に、そこにふわりと魔法陣が浮かび上がり、その円の中で無数の文様がぐるぐると回った。彼女の目は、まるで死体のように見開かれたまま……、魔法陣が額に展開されている数秒の間、彼女は動きを止めていた。
やがてフェリアは、武器を振り切ったそのままに、糸が切れたように力を失って地面の上に倒れた。
気が付けば僕は地面の上にへたり込んでいた。突然静まり返った中に残ったのは、なんとかその場に踏ん張っているパウルと、動かなくなかったフェリア、そしてやや離れたところでぶるぶると身を震わせているローブの少女。
「……ヨン! 止血を頼む」
パウルに言われて我に返る。彼の左腕からはぼたぼたと血が垂れていた。
慌てて起き上がると同時に、パウルがどさりと地面に腰を下ろした。その手をとって見ると、骨は無事のようだが中の筋をぱっくりと断裂させている……角度が違っていれば腕ごと千切られていたかもしれない。
そんな深い傷をどうすればいいのかは分からないが、とりあえずは包帯で巻くぐらいしかできないのだろう。僕は無心で応急処置にかかった。その間にも傍らで倒れているフェリアが起き上がりやしないかとハラハラしたが、フェリアは死んだようにぴくりとも動かなかった。
「……死んだのか」
僕が聞くと、パウルは青ざめた顔で首を振った。
「起動を停止させただけだ」
しかしその言葉の意味は分からなかった。何を停止だって?
「……こいつは魔道人形というものだ。魔法仕掛けで動いている……人間の形をした兵器だよ。その魔術さえ停止しちまえば、動かなくなる」
そう言われて、ぎょっとしてフェリアを見た。魔道人形? 外側の見た目だけ見れば、本物の人間と何も変わらない……、これが魔法仕掛けの……人形?
「なんでこんなモノがここにあるのか……、どうしてパウル・イグノール様をお探しなのか……。事情はそこのお嬢ちゃんに聞くしかなさそうだなあ……」
パウルは苦しそうな声で言って、蹲って震えているローブの少女に視線をやった。途端に少女はびくりとして全身を跳ねさせた。
「……見たところ非戦闘員だ。無いとは思うが……、ヨン、捕まえて逃がすなよ。それからその人形も回収してくれ。……俺は……、帰って休む……」
そう言って、パウルはフラフラと立ち上がって一人で歩き出した。その怪我で一人で宿へ戻れるのか……、不安はあったが、僕に下された命令はローブの女を捕らえることだ。ひとまずパウルには無理をさせることにした。
僕が少女のもとへ歩み寄ると、少女はわなわなと震えながら僕を見上げた。フードの奥の顔は恐怖に染まりきっているようで、本当にただのか弱い少女らしい。そんな少女を拘束したり、乱暴な真似をするのはどうにも気が引けた。
「抵抗はしないな?」
そう念を押すと、少女は千切れんばかりに首を縦に振った。頼むから乱暴はやめてくれ、ということだろう。
「ではついてこい」
そうとだけ言って、パウルの後を追う。パウルは人形も回収しろと言っていた……仕方なく、そこで倒れているフェリアの体を担いでいくことにした。また急に動き出して攻撃してくるのではないかと、そんな不安は直感的によぎったが……、パウルの言葉が本当ならもう動かないはずだ。
魔道人形なんてものがこの世に存在することさえ初めて知った。人間の形をした、人間ならざるもの……。その戦う時の死人のような顔といえば、不気味以外の何でもない。……だというのに、どうしてこうも、その肉体はまるで生身の人間のように温かいのだろう。初めて触れる女性の体の柔らかさに、ドキドキする気持ちは当然全く湧いてこなかったが……。