3話 二人の行く先
同じ小川のもとへ戻ると、そこにはのんきに食事をとるパウルの姿があった。川の近くで火を焚いて、狩ってきたらしい何かの獣の肉を焼いている。その匂いに鼻をくすぐられ、思わず僕の胃袋も悲鳴をあげた。そういえば、昨日から何も食べていない。
その金色の髪を隠すためだろう、ローブについたフードを頭にすっぽり被って、僕の足音を聞いて振り向いた。
「戻ったか、ヨン。ヒューグの野郎はなんて?」
そう尋ねられ、前もってヒューグと打ち合わせていた通りに僕は答える。
「お前への指示は、ひとまず待機だ。追って任務があれば連絡をする。……それから、僕には今後もお前の連絡員を務めろってさ」
パウルはそうかい、と軽く言って肉を頬張った。その声色を聞くに、僕が言った内容に特別関心を寄せる様子はない。
パウルは串に刺したままの焼き肉を、こちらにもずいと差し出してくる。無言で受け取って、遠慮なくかぶりついた。血抜きも適当だったのだろう、その味には臭いほどの血の味が絡みついている。
肉を咀嚼しながら、長い前髪越しにパウルの姿を見つめる。その目はぼんやりと何もない宙を見つめていて、静かな森の中、彼はいたって脱力しているようだ。
ヒューグの言うような警戒心の強い人間のようには僕の目には映らないが……、彼と付き合いの長いというヒューグの言葉がやはり正しいのだろうか。
ふと、パウルの青い目がこちらを向いて、視線があった。
「……そうだ、ヨン。やっぱり気になってな。良かったら聞かせろよ。お前、どこの出身だ? 孤児だと言っていたが……親はどうした」
何を喋りだすのかと思えば、また世間話をし始めるらしい。……黒い髪に青い瞳、ズミとトレンティアの混血である僕の容貌に興味を示す人間はいくらでもいたが……、そのほとんどは軽蔑や恐怖を伴ったものだった。こんなにあっけらかんと、のんきに尋ねてくるのは珍しい。
面白い話は何もないが……、どうせこの男とはすぐに今生の別れを告げることになる、どうでもいいか。そんなふうに諦めて、僕は気だるく相手をし始めた。
「出身は……セラーラ地方の村だ。親のことは知らない、赤ん坊の頃に捨てられて……」
「セラーラ……。トレンティアとの国境だな。なんでその歳で兵隊なんぞに……って、まあ、この戦争の中のセラーラだ、事情は大方想像がつくが……」
パウルは疲れたようにため息を吐いて、肩を落とした。何を想像しているのかは知らないが、恐らくその予想は大きく外れていないだろう。戦争が始まれば人は死に、町は焼け、食うに困った貧民は武器を握るほかに選択肢が無いのだから。
「で、お前は何なんだ。なんでトレンティア人がズミの部隊にいる」
僕はそう切り返した。どうせすぐに別れることになるだろうが、興味本意で話を聞いてみたかった。
「俺は……まあ、いろいろあってトレンティアから追い出されたはぐれものさ。もともとズミには用事があって来たんだが、こっちでぐずぐずしてる間に戦争が始まって、帰るに帰れなくなった間抜けだよ。他に食う方法もないもんで、傭兵やってたらレジスタンスに雇われて、今に至る」
パウルはのんきな顔のまま、ぼんやりと言う。ヒューグの予想も大きく外れてはいなさそうだ。
「食うために傭兵稼業……? 祖国を敵に回してまで」
「愛国心なんぞとうにどっかに忘れてきちまったよ。この見てくれだが、すっかり心はズミ人……、今や邪悪なトレンティア人どもに報復を果たす、誇り高きレジスタンスの一人ってわけだ」
そう冗談めかして拳を握っている。あっそう、と呆れた相槌を打ってやった。こうして他愛のない世間話をしていると、やはりこの男から、警戒心の強い、という評価は離れていく。ヒューグの言ったとおり、僕にだけ気を許しているとでもいうのか。……この、目の色だけで。
もしそうだとしたら哀れなものだと、やはり思う。トレンティア人であるがゆえにズミの部隊で敵意を持たれ、そして同胞だと思って気を許した相手に、呆気なく裏切られるのだから。
僕がヒューグから受けた任務は魔術師の捕縛。聞く話によると、魔法の出どころは手の平だ。手さえ封じてしまえば魔法攻撃の心配もない。寝ている時でも飯を食ってる時でもなんでもいい、隙を見つけて縛り上げろ、という話だった。この男ののんきな様子を見るに、その時はそう遠くないだろう。
何となしに男の手を見つめていた。それに気付いたのかどうかは分からないが、パウルはぱっと両手のひらを開いてこちらに見せた。
「……それで、そうだ、ヨン。さっきの話の続きだが」
一瞬、胸の内を見透かされたような気がしてどきりとしたが、平静を装ってその楽しそうな笑顔を見返す。
「俺の連絡員になったんだろう? ならどうせこれから一緒にいることになるんだ、もののついでに、やってみないか」
「……何を?」
僕は淡白に聞いた。パウルは呆れた顔になって肩を竦めた。
「だから、魔法だよ魔法。お前の才能は捨て置くには惜しい」
何かと思えば、そういえばヒューグに報告に行く前にそんなことを言っていたな、と思い出した。その時は状況もよく分からず、突拍子のない話だったものだからほとんど考えもせず蹴り飛ばしたが、パウルはまだ乗り気だったらしい。
しかし今になって考えたところで、やっぱり自分が魔法を使うなんて想像もできない。それに、どうせこいつはこれから僕が縛り上げて突き出すことになっている。どちらにせよ無駄な話だ。
そう思って黙っていると、パウルはぐっと眉間に皺を寄せながら、にたりと悪い笑みを浮かべた。
「魔法はトレンティアの伝統技術だ。敵国の技などに頼るのは嫌だと思っているのなら、そんな意地は早々に捨てろよ。……これは他の何でもない“力”だ。力に国家の別は関係ない。ズミ人だってやり方さえ覚えれば誰でも魔道士になれる。……お前だって、今まで、そして昨日も魔法という力の大きさは身をもって体感してるはずだ。あの力が、欲しくはないのか?」
そんな言葉に誘われて、昨夜の景色が脳裏に浮かんだ。……肝心のパウルが放った魔術は途中で気絶したので記憶していない。しかし今まで敵兵たちが使う魔法攻撃には苦しめられてきた経験は確かにある。もしあの技術を、自分が使えたら……? 考えたこともなかった。
「俺が敵国人でありながらズミで生き続けられたのも、力あってこそのことだ。力をもって味方に取り入り、敵なす者はねじ伏せる。……そうして、一人で生きてきた」
パウルはやや目を伏せてそう語った。……この戦時中にトレンティア人がしぶとくズミで生きているのだ、それだけの困難はあったことだろう。ただ目が青いだけでもこれだけ息苦しい時代で、その想像は僕にも難くない……。そんなことを思う僕の胸を見透かすように、パウルは言葉を刺してくる。
「お前だって混血なせいで苦労してきたクチだろう? 力を習得しておくことに損はないと思うがな。……なにせお前には才能がある。稀有で、強大な力だ」
パウルの言葉は力強い。……よっぽど本気なのだろうか。そう思うと少しだけ気持ちが揺らぐのを感じた。この男の言葉が本気だとしたら、僕は本当に魔法使いになれるのか。……あの、忌まわしくも恐ろしい力を行使できるのか。一瞬にして敵の基地を破壊するような、強大な術を……。
しかし僕には任務がある。他でもないこの男を裏切って囚えなければならない。この男に魔術を教わるなど、どうせそんなことは叶わない。
しかしパウルの青い瞳は熱く僕に選択を迫る。その目にも何かの魔力が宿っているのだろうか、僕の同じ色の瞳と、まるで離れ離れになっていた欠片同士がかちりと噛み合うような……、奇妙な一体感があった。
……もしかすると、ヒューグの命令に背いてこの男の味方をした方が得策なのではないか。そんな考えがよぎって、気が付けば僕はヒューグとパウルとの言葉を天秤にかけていた。
……いや、さすがにその重さは釣り合わない。かたや魔術師といえどもただ一人のトレンティア人。そしてかたや、レジスタンスの一隊を束ねる将軍だ。どちらに従うのが賢明か、分からないほど僕も馬鹿じゃない。
だがどうせパウルを裏切るのなら、今は上辺だけでも合わせておいたっていいだろう。
僕はパウルから目を逸らして、呟くように言った。
「……考えておくよ」
そんな素っ気ない答えに、パウルはまたため息をついて肩を竦めた。
ほどなくしてその時は訪れた。俺はまだ眠い、寝直す、と言って、パウルは河原に寝そべってしまったのだ。やがて静まり、定間隔の寝息を立て始めた。……やっぱり、警戒心が強いようには見えないな。
僕は静かに呼吸を整えた。胸元から、ヒューグ隊の基地で調達した間に合わせの短剣を抜いて、静かに、パウルの丸まって寝ている背中に近付いた。
しかし胸の中に何か苦しいものがつっかえている。その苦しさの正体を手繰り寄せる。……どこかでやっぱり、ヒューグの命令に従うことを躊躇っている自分がいる。
ああ、この男は憎きトレンティア人。そのことに間違いはない。……だけど、確かに昨日は共に戦った仲間じゃないか。なのにトレンティア人だからという理由で、こうして仲間に裏切られる。金色の髪と、青い目を持つが故に。ヒューグが彼に向けたその敵意がそのまま、同じく青い目を持つ僕にまで向けられている気がしてならなかった。
「お前は誇り高いズミ人だ」と言ったヒューグの声が蘇る。……きっと違う。僕だってきっと、利用価値がなければ簡単に捨てられる。これまでヒューグ隊で仲間として戦いながら、“金になる”なんて理由で売られる魔術師と同じように……。
だけど迷ってはいられない。ヒューグとパウル、どちらに従うのが賢明なのかは分かりきっている。……いつ見捨てられるのか分からないとしても、それでも、強いものの下にいなければいけない。それは、我が身を守るために……。
そう心を決めてもう一歩を踏み出した。……途端に、ぞわりとした感覚が背中を這う。明確な触覚があるわけではない、ただ言いしれぬ奇妙な感覚。それは己の迷いゆえなのかと思って、歯を固く噛んだ。
「ヨン」
唐突に名前を呼ばれ、びくりとして動きを止めた。短剣を振り下ろそうとしているその下にいる男……、いや、更にその下に光るものを見つけた。いつの間にか、僕とパウルは河原の上に浮かび上がった魔法陣の上にいた。昼の日の下では、魔法陣の光が見えづらい。
パウルは背を丸めて寝ていた状態から、ごろりろ仰向けに寝返って、その目で僕を見上げた。
「俺を殺すつもりか?」
そう、冷めた声で問うてくる。敵意を、悟られた。僕としたことがなんという失態だ……、いや、これも奴の魔法が為した技なのか? 足元に光る魔法陣がそれを物語る。それが何の魔法なのかは分からないが、僕が攻撃しようとしていたことを察知された……、当然、この魔法陣も穏やかな意味を持っていないはずだ。警戒心がなかったのは見せかけだったか。
敵意同士がぶつかればすぐに戦闘が始まる。そう思って一瞬で僕の緊張感は高まるが、しかしパウルは動かなかった。そして僕も動けなかった。すぐにでも攻撃に移るべきだったのかもしれない。だが、足の下には魔法陣。どんな魔法が襲ってくるのかは想像もつかない。下手に、動けない。
パウルは冷めたままの声で、しかしそこに緊張感は不思議なほどになかった。
「別に、無抵抗でいてやっても構わんぞ。……やるならやれよ」
そしてそう言った。そんな不可解な言葉を聞いて、僕は答えることも動くこともできない。どこの世界に、自分を殺してもいいなどとのたまう奴がいるものか。それが言葉通りであるはずはなかった。
瞬時に思考を巡らせて、やがて、僕は短剣を地面に投げ捨てた。魔法の可能性は底知れない。昨夜、敵の基地をまるごと焼き払ったような……あんなことが可能だと言うのなら、今この瞬間にも命をとられても何もおかしくない。少なくとも今の状況では、一旦剣を収めざるを得ないと判断した。しかし一度敵意を悟られれば、次の機会が来るのかは……既に怪しい。
パウルは短剣を捨てた僕を見上げて、ゆっくりと体を起こした。
「……そんなに俺が……トレンティア人が憎いか?」
そう問うてくる。僕はぐっと目を瞑って首を横に振った。
「憎いさ。だがお前が憎いわけじゃない。お前は確かに、昨日僕とともに戦った……同志だ」
そんな答えを言う僕を見て、パウルは訝しげに眉を寄せた。
「これはヒューグから受けた命令だ」
そう端的に答えてやる。……今、目の前のパウルからの敵意を逸らすためには真実を語って聞かせるほかに方法はないと思った。
途端にパウルはかっと目を開いて、あからさまに驚いたようだった。みるみるうちに、その表情は怒りに染まっていく。
「……ヒューグが俺を殺せと?」
「殺せとは言われていない。生け捕りにしろと言われた」
暗く怒りを燃やした顔のまま、パウルは僕を睨んでいる。
「……お前、トレンティアのお尋ねものなんだろう? お前の存在を嗅ぎ回ってる奴がいるそうだ。そいつらにお前の身柄を売り渡そうってことらしいよ」
聞くやいなや、パウルは更に目を大きく見開いて、やがてがばりと勢いよく立ち上がった。咄嗟に僕は身構えるが、パウルは僕には構わない。ずかずかと荒い足取りで僕の横を通り過ぎて歩き出した。
「どこへ行くんだ」
慌てて聞くと、パウルは振り向きもせずに怒鳴った。
「ヒューグの野郎を締め上げる!」
「無茶だ、他の仲間もいるんだぞ! 大人しく逃げろよ!」
そう声をかけたが、パウルは立ち止まらなかった。
「俺は魔術師だ、あんなジジイなんぞに負けるか! ……それに、昨日の作戦で近くに張っている隊員が減ってる今が一番の好機だ。ヨン、お前はここで待ってろ!」
そう吐き捨てて、構わず走り去ってしまった。
唖然として、僕はその場に立ち尽くす。……ここで待ってろ、だって? 一体何のつもりで僕に指図などするのか。
しばらく迷ってから、僕はパウルの後を追いかけた。……パウルを裏切り、しかもヒューグの任務も遂行できなかった僕に、果たして行く先はあるのか。我が身のためにも事の顛末は見届けなければならない。
極力気配を殺し、草木の中に潜み、少しずつ僕はヒューグ隊の拠点へと近付いた。
すでに戦闘は行われた後らしい。パウルの魔法によるものか、周辺には草木が焼け焦げた様子があった。しかし洞穴の入り口付近に人の気配は無い。
パウルはどうなったのか、勝ったのか負けたのか、ハラハラしながら入り口に近づく足は早まる。やがて、洞穴の奥から怒号が聞こえた。
「ヨンなら返り討ちにしてやったぜ。ガキを使うとはお前も狡くなったなあヒューグ!」
どうやらパウルは五体満足でヒューグの元にたどり着いたようだった。この様子では、中に入らなくても会話を聞くことはできそうだ。……返り討ちにされた覚えはないが……、まあ、似たようなものか。
しかし対するヒューグは大声を出していないのか、返事さえしていないのかは分からないがその声は聞こえない。
「そう身構えるなよ。俺だってかの名高きヒューグ殿を敵に回したくはない……。今までの付き合いに免じて、報復はしないでおいてやろう。二度とお前と協力はしねえがな!」
そう啖呵を切るパウルの声が聞こえる。二度と協力をしない、は当然のことだろうが、報復をしない……、パウルはヒューグ自身と命のやり取りをするつもりはないらしい。血の気が多いように見えたが、自分の身柄を売り渡そうとした裏切り者への対応としては存外に穏便だ。
「だが……、命は取らないでおいてやる代わりに……」
やがて凄んだらしいパウルの声量が落ち、その先の言葉はくぐもって聞こえなくなった。何か駆け引きをしているようだ。どんなやりとりをしているのか気になりはしたが、中に入り込むわけにはさすがにいくまい。僕はパウルに返り討ちにされたことになっている。
諦めて僕はその場でただ留まっていた。会話している様子は聞こえてくるが、何を話しているのかはわからない。
数分の間会話がされたようだが、結局洞穴の中での再度の戦闘は行われなかったらしい。やがて突然、どかどかと乱暴な足音がこちらに近付いてきた。咄嗟に身を隠すが、さすがに距離が近すぎた。洞穴から出てきた人物……パウルの目が、ばちりとこちらを見た。
パウルは僕を見るなりぎっと怒りの表情を深めたが、何を言うでもなく……、ただ、僕の肩掛けマントの襟首を掴んで乱暴に引っ張った。
引っ張られるがままに足をつんのめらせながら歩き、僕はパウルの怒りの表情を見上げた。
「待ってろって言っただろバカ」
パウルは小声で僕に怒鳴った。お前の指図など受ける義理はない、と言い返したいところだが、そう強く出ることもできない。僕は彼に負けたのだから。
仕方がなく僕はパウルに引っ張られるがままになって、ヒューグ隊の洞穴が遠くなってから、尋ねた。
「どうなったんだ」
パウルはむすっと仏頂面のまま、こちらに視線さえ向けない。
「当然、ヒューグの野郎とはお別れだ。ヨン、お前も俺に殺されたことになっている。ヒューグの元にはもう戻るな」
何を勝手なことを、と言いたいが、やはり魔術師に首根っこを掴まれている今、抗うことはできない。……確かに戦いもせずに降参したよりは、戦って返り討ちにあったという方が、ヒューグから買う恨みも少なかろうが……。
なら、もはや僕はヒューグ隊には戻れない。一体これからどうしろと言うんだ。目まぐるしい状況の変化に混乱している僕に、答えるように。パウルがにやりと悪い笑みを浮かべた。
「これからは俺と一緒に来い。どうせ他に行く場所も無いんだろう?」
……当然抗えない。そして彼の言う通り、他に行く場所もない。
考えてみれば、僕は一度はこの男に向かって刃を向けた。それなのに報復を受けなかっただけでも幸運だ。一緒に来いなどと言ったパウルが、僕をどうするつもりなのかは全く分からない。……よほど酷い扱いを受ける覚悟はしておかなければならないだろうが……。