⑦ 秘密を知っても エドガー視点
それから、俺たちは休日ごとにあちこちに出かけ、ゆっくりと仲を深めていった。
ソフィアが前より明るくなったと分隊長も大喜びで、たまに夕食に招待してくれるようにまでなった。
誰かの手料理を食べるのは故郷を出て以来のことで、美味しいと言うとソフィアは頬を染めて嬉しそうに笑った。
俺はそんなソフィアが可愛くてしかたがなかった。
そして、当然ながらもっと深い関係になりたいと願うようになった。
だが、俺には秘密がある。
いつもは優しい光を湛える青い瞳が、嫌悪や恐怖で染まるかもしれないと思うと、怖かった。
それに、もしソフィアに求婚したら、その時点で俺の伴侶がソフィアに決まるだろうというのがなんとなくわかっていた。
そうなった後に拒絶されたら、俺は父のように弱って死ぬことになるのだ。
いろんな意味でリスクが大きすぎた。
なんで俺は獣人に生まれてしまったんだ。
普通の人間だったら、とっくの昔に恋人になってほしいと言えていただろうに。
そんな思いを抱えながらソフィアとピクニックに行った帰り道で、大きな黒い犬が飼い主と散歩しているのを見かけた。
ソフィアより体重がありそうな、毛がふさふさの犬だった。
まるで熊みたいだな、と思ってしまい、
「ソフィア嬢……ああいうのは、どう思いますか?」
と、つい妙なことを尋ねてしまった。
「ふわふわで可愛いですね」
「(可愛いのはきみのほうだ)あんな感じの動物は、好きですか」
「ええ、好きですよ」
「そうですか……」
我ながらなんの質問なんだと思いながらも、熊のような大型犬を可愛いと言うソフィアを抱きしめたくなる衝動を抑えるのに苦労した。
もしかしたら、ソフィアなら大丈夫なのではないだろうか。
秘密ごと俺を受け入れてくれるのではないだろうか。
そんな希望が胸に宿るようになった。
だが、そう簡単に踏ん切りがつくものでもなく、煮え切らないまま現状維持を続けていた。
その日もいつものように、同僚と二人で警邏をしていた。
市場のあたりを通りかかったところで、別の任務に出ていた二人の同僚に偶然いきあい、そのまま一緒に警邏をすることになった。
ふと、覚えのある匂いが鼻孔をかすめた気がした。
ソフィアの匂いだ。
この近くにいるのだろうか、と匂いがする方に視線を向けると、やっぱりソフィアがいた。
しかも、俺の方を見ていて、俺と目が合うと嬉しそうに笑った。
可愛い。
あんなに可愛いのに、一人で買い物なんかして大丈夫なのだろうか。
勤務中でなければ、家まで送って行くところだが、さすがに今は無理だ。
それでも、少し言葉を交わすことくらいは許されるだろう。
王都の人々と話をするのも、警邏隊の任務の内だ。
知り合いがいるからと同僚に一言断ろうとした瞬間、不穏な悲鳴が響いた。
はっとそちらを振り返ると、興奮した馬から男が振り落とされたところだった。
そして、身軽になった馬は、よりにもよってソフィアがいる方向に向かって暴走を始めたではないか。
ソフィアもそれを見ているが、とっさのことに動けないでいる。
まずい!
ソフィアに向かって走ったが、このままでは確実に間に合わない。
俺は一瞬で覚悟を決めて、走りながらもう一つの姿に変身した。
全身が大きく膨らみ警邏隊の制服がびりびりと破れ、その下から黒い被毛が現れた。
周囲で驚きの声が上がるが、そんなことにはかまっていられない。
四足歩行になり全速力で駆けて、馬に思い切り体当たりをした。
鋭い爪で馬の首を掻き切り、馬を無力化してからソフィアを振り返った。
ソフィアはさっきと同じ位置で、青い瞳を零れ落ちそうなくらい大きく見開いて俺を見ていた。
ソフィア。よかった、無事だった。
それだけ確認すると、俺はその場で座り込み、安堵の溜息をついて目を閉じた。
驚愕が去った後、ソフィアがどんな顔で俺を見るのかを知るのが怖かったからだ。
同僚たちが抜剣して俺を取り囲んだ。
俺はもちろん暴れるつもりなどないのだが、警邏隊としては当然の対応だろう。
ソフィアが無事なら、それでいい。
ソフィアを助けることができたのだから、俺の秘密を晒したことも無駄ではない。
ここで殺すにしても、せめてソフィアがいなくなってからにしてくれないだろうか。
ソフィアに俺が殺されるところを見てほしくない。
優しいソフィアはきっと気に病むだろうから。
そう思いながらじっとしていたところ、
「やめて!」
と、ソフィアの声がして、なにか柔らかいものがぶつかってきた。
「やめて!殺さないで!私を助けてくれたのよ!」
耳元でソフィアの声がして、俺は思わず目を開いた。
「なにも悪いことしてないわ!お願いだから殺さないで!」
ソフィアは俺の頭を抱えるようにして、必死に声を張り上げていた。
こんな化け物に躊躇なく抱きついて、小さな体で守ろうとしてくれている。
そう認識した瞬間。
俺の心は、ソフィアを生涯の伴侶だと定めた。
俺のすべてはソフィアのもので、ソフィアなしでは生きられなくなったのだ。
ソフィアは俺を受け入れてくれた。
それが心が震えるほどに嬉しい。
この瞬間のためだけに、命を投げ出しても惜しくないと思えるくらいだ。
同時に、もっと早く秘密を明かしておけばよかったと後悔もした。
そうしていたら、俺とソフィアの仲はもっと深まっていただろうに。
すぐに別の警邏隊員が駆けつけてきた。
幸いなことに、その中には分隊長もいた。
分隊長は驚愕しつつも、黒い熊が俺だと確認するとすぐに様々な手配を始めた。
こういう非常事態にも柔軟に対応できるから、分隊長は隊員たちから信頼されているのだ。
ソフィアは、俺が殺されないとわかるまで離れないと俺に抱きついたままだった。
それが心地よくて愛しくて、俺も涙が零れそうだった。
やがて馬車が到着し、その中で人の姿に戻ることになったのだが、それでもソフィアは離れなくて、分隊長が力ずくで引き剥がした。
できることならずっとソフィアとくっついていたかったが、そういうわけにもいかない。
馬車の中で人の姿に戻った俺は、分隊長の判断で留置所にいれられることになった。
ソフィアは馬車で家まで送られるということで、俺が着替えた馬車に押しこまれた。
「エドガー様……」
馬車の窓から伸ばされた小さな手を、俺はそっと握った。
きっと、これが最後なのだ。
「ソフィア嬢。優しいきみの幸せを、ずっと祈っている」
手の甲にキスをすると、青い瞳がまた涙で潤んだ。
俺とソフィアがデートをすることになったのは、ソフィアが男に慣れるの訓練をするためだった。
その目的は、もうとっくに達成できている。
今のソフィアなら、分隊長が選りすぐった男といい関係を築けるだろう。
もしくは、自分で恋人を見つけることもできるかもしれない。
ソフィアの隣に他の男が立つことを想像すると、死にそうなほど胸が痛くなった。
だが、それでいいのだ。
ソフィアには、誰よりも幸せになってほしい。
俺でない誰かがそれを叶えるというなら、それでいい。
ソフィアが熊になった俺を抱きしめてくれた。
俺のために泣いてくれた。
冥途の土産には十分すぎるくらいだ。
俺は隊長と数人の同僚に囲まれ、留置所に向かった。
王都で捕らえた罪人を留置所にぶちこんだことは何度もあったが、自分で入るのは当然ながら初めてのことだった。
分隊長や同僚たちが忙しく走りまわっているのを申し訳なく思いながら、俺は一人で硬いベッドに腰かけて大人しくしていた。