⑥ ソフィアとの出会い エドガー視点
「すまない、エドガー……」
母が亡くなってからまだ二か月もたっていないのに、父の命の灯が消えようとしている。
愛する妻を失った悲しみのあまり、ほとんど食事も喉を通らなくなったのだ。
あれだけ大きく逞しかった父は、みるみるうちに見る影もなく窶れてしまった。
「エドガー、どうか幸せになってくれ……
おまえを受け入れてくれる女が、きっとどこかにいるから……」
枯れ枝のようになった父の手を俺は握り続けた。
もう他にできることなどなかった。
だって、母が亡くなった時点で、父も後を追うことは決定だったのだから。
それが獣人の宿命なのだ。
まだ十三歳の俺を一人残して逝くことを詫びながら、父は静かに息を引き取った。
俺は母の墓の横に父の墓をつくり、周りにありったけの花の種を蒔いた。
そして、家にあった金と僅かな衣類と両親の形見をバックパックに詰めこんで、町へと向かった。
俺とも顔見知りだった薬屋が親切だったのは、後になって考えるととても幸運なことだった。
俺が問題なく王都にたどり着くように手配し、士官学校に入れるようにと紹介状まで書いてくれた。
あの薬屋がいなかったら、俺は騎士にはなれなかっただろう。
士官学校には、特に問題なく入学することができた。
体力面では問題なかったし、剣も父から習っていた。
それだけでなく、俺は母から勉学を叩き込まれてもいたのだ。
というのも、実は母はいいところのお嬢様だったのだそうだ。
お嬢様なのに薬草が大好きで、どうしても薬草を育てたくて家を飛び出し、無謀にもなんの装備もなく森に分け入り、怪我をして動けなくなっていたところを父に助けられたと聞いている。
母は将来の俺の選択肢を広めるためだと言いながら、俺に字や計算を教えてくれた。
森の家で暮らしていた時は、なんの役に立つのかと思っていたが、いうことを聞いておいて正解だったと心の底から思った。
体が大きく人一倍体力がある俺は、士官学校での生活は苦ではなかった。
むしろ、田舎者で世間知らずだった俺に、同期の友人たちがいろいろと教えてくれたので、そういう意味でも多くのことを学ぶことができた有意義な日々だったと思う。
ただ、士官学校はほとんど男しかいないため、十八歳で卒業するまで女と接する機会はほぼなかった。
騎士になり王都警邏隊に配属されると、近くに年頃の女がいる環境に身を置くことも多くなった。
はっきりいって、騎士はモテる。
俺の同期たちはさっさと恋人をつくったし、俺にも粉をかけてくる女は何人もいた。
その気になれば、あの中の誰かと恋人になることが俺にもできたと思う。
だが、そうなる前に俺は思いとどまった。
興味がなかったわけではない。
いつかは俺の両親のように、愛し合えるような相手と結婚できたらと思っていたのだ。
それでも、俺が抱えた秘密は大きすぎた。
この秘密を共有し、俺を受け入れてくれるような女など、存在するのだろうか。
親しくしている友人にも打ち明けられないまま、一人で悩み続けているうちに、騎士になってから五年がたっていた。
同期の中には結婚して子供までいるものも珍しくない。
俺は女っけのないやつだと言われるようになり、その頃にはもう結婚を諦めていた。
父の最後の願いを叶えられないのは申し訳ないが、父にとっての母のような奇跡が俺に起こるとはとても思えなかった。
ソフィアに出会ったのは、そんな時だった。
任務中に負傷した分隊長が入院することになり、それを分隊長の家に知らせに行ったのがきっかけだった。
分隊長と同じ澄んだ青い瞳から、話に聞いていた一人娘だということがわかった。
名を伝えると、意外にも俺が剣術大会で準優勝したことを知っていた。
「……決勝まで残るなんて、すごいです……」
その言い方が妙にしみじみしているように聞こえて、それがなんだか気になった。
剣術大会で準優勝というのは、言うまでもなく名誉なことだ。
大会の直後は、多くの人に褒められ称賛された。
だが、ソフィアの言葉には称賛だけでな別のなにかも含まれているような感じた。
気にはなったが、それだけだ。
理由を尋ねたりはせず、分隊長の荷物を受け取りすぐにブロムバリ家を辞した。
ソフィアについては、『なんだ栗鼠っぽいな』くらいの印象しか持たなかった。
だというのに、翌日書類を届けがてらに分隊長の見舞に行くと、
「いいことを思いついたぞ!
エドガー、おまえソフィアの婿になれ!」
と、とんでもないことを分隊長が言いだすではないか。
俺は心底仰天し、同時に呆れた。
ソフィアのことが気に入らなかったわけではない。
むしろ、可愛いと思っていた。
だからこそ、俺なんかを婿にと言われて、嫌がらないはずがないと思ったのだ。
それに、騎士がモテるとはいっても、俺は体が大きく優しげな容姿ではない。
たまに警邏中に小さな子供に泣かれることもあり、怖そうな顔をしている自覚がある。
そういう意味でも無理だろうと思った。
なのに、ソフィアはそんな俺の予想を覆した。
「婿になってくれなんて、おこがましいことは言いません。
私が異性に慣れる訓練に、つきあってくださいませんか?」
父娘そろって、なんでそんなに俺を驚かすのだ。
ソフィアが男と接することに慣れていないのは、なんとなくわかった。
それを克服するために訓練をしたいと思うのもわかる。
だが、なんでその相手が俺なのだ。
どう考えても適任ではない。
なんというか、もっと器用で、甘い言葉の一つくらい簡単に口にするような男のほうがいいのではないか。
……いや、そんな軟派な男に大事な一人娘を任せるなんて、分隊長はしないだろう。
婿に望まれるくらい、分隊長は俺のことを信頼してくれているのだ。
そう思うと、単純な俺はとても嬉しくなった。
仮にもしソフィアと結婚するとなれば、生まれてくる子供のこともあるので分隊長にも俺の秘密を明かす必要があるが、分隊長ならきっと秘密を守ってくれるだろう。
そう思えるくらい、俺も分隊長のことを信頼している。
分隊長は田舎出身で天涯孤独な俺のことを気にかけてくれている。
見たところ、ソフィアは優しく善良そうな娘だ。
なら、協力してあげようじゃないか。
これで少しでも分隊長に恩返しのようなことができるなら、それもいいだろう。
そう思って引き受けたのだが、分隊長の勢いは止まらなかった。
握手をさせられた上に、お互いに名前で呼びあうようにと言われてしまった。
「エ……エドガー、様」
俺が躊躇っていると、ソフィアが赤くなりながらも先に俺を名を呼んだ。
こうなると、もう後には引けない。
「……ソフィア嬢……」
女を名で呼んだのは、生まれて初めてのことだった。
俺の頬も赤くなったのを感じ、ソフィアから目を逸らした。
そんな俺だから、デートに行くのも人生初だ。
正直、なにをどうしていいのかわからない。
しばらく悩んだが、友人に助言を求めることにした。
そいつは面白がりつつも揶揄ったりせず、エスコートする時のコツなんかを教えてくれた。
「おまえの出自のことを、最初にはっきりお嬢さんに伝えておいた方がいい」
最後に、少し真面目な顔で友人はそう言った。
「士官学校でも、たまにそのことで絡んでくるやつがいただろ?
俺はおまえがそんなのに関係なくいいやつだって知ってるし、分隊長もおまえのことを認めてる。
分隊長の娘さんなら大丈夫だとは思うが、後になって話が違うってなるのも嫌だろ。
だから、最初に伝えるんだ。
それでダメになるなら、それまでってことだ」
なるほど、と思った。
士官学校に入ってすぐの頃、貴族階級の学生から嫌がらせをされたりしたことがあった。
卑しい身分の孤児が同じ学校にいるのが気に入らないとか、そんなくだらない理由だった。
ソフィアが同じような考えを持っているとは思えないが、念のため確認しておいた方がいいのは間違いないだろう。
そして迎えたデート当日。
俺も緊張しつつ、親切な友人に教えられたことを頭の中でなぞりながらソフィアをエスコートした。
ソフィアの方も緊張していたのは同じで、俺がしたように従姉に助言を求めたと聞いて、少し笑ってしまった。
その後、目的地の公園でアマリリスという赤い花の花壇のところで俺の出身地を尋ねられたので、話の流れとしてもちょうどいいとここで俺が平民の孤児であることを伝えた。
思った通り、ソフィアはそんなことは気にしないと言ってくれた。
それだけでなく、俺を尊敬するとまで言いだした。
騎士になりたかったのになれなかった、と悔し気な顔をするソフィアに、最初に会った時に気になったことを思い出した。
俺が剣術大会で準優勝したことに対する称賛だけでなく、もっと複雑な気持ちが混ざっていたから、しみじみとしているように感じられたのだろう。
最初はお互いにガチガチに緊張した状態で始まったデートだったが、それぞれに胸の内を少しずつ晒したこともあり、公園を一周して家までソフィアを送る頃には、すっかり緊張が解けていた。
そして、このデートを一回だけで終わらせたくないと思うようになっている自分に気がついた。
自然な笑顔を見せてくれるようになったソフィアが可愛くて、また会いたいという気持ちがこみあげてきた。
だが、ソフィアのほうはどう思っているかわからない。
嫌われてはいないようだが、二回目のデートの誘いに頷いてくれる自信はない。
そうやって思いあぐねているうちに、ソフィアの方からデートに誘ってくれた。
ありがたいことだが、またソフィアに先に言わせてしまった。
ソフィアは大人しい気質の娘なようだが、思い切りがいいところがあるようだ。
もしくは、それだけ俺に好意を持ってくれているのだろうか。
いやいや、思い上がるな。
勝手にそう思いこんで妙に拗れたら、後から痛い目にあうことになる。
とにかく、またソフィアとデートできるというのはとても嬉しくて、久しぶりに胸が踊るようだった。