② 父の無茶ぶり
「もう、お父様ったら!すごく心配したのよ!」
朝一番に病室を訪ねた私だったが、父のクヌート・ブロムバリは予想以上に元気そうで肩透かしをくらったような気分になった。
「いやあ、すまんすまん。つい油断してしまってね」
笑いながら私が朝早く起きて焼いたクッキーを齧る父の頭には包帯が巻かれ、左腕は添木をあてられ固定されている。
聞いたところによると、馬車にはねられそうになっていた通行人を庇い、代わりにはねられてしまったのだそうだ。
父らしいとは思うし、それが職務だとはわかってはいても、無茶なことはしないでほしい。
母を早くに亡くし、きょうだいもいない私にとって、父は唯一の家族なのだ。
「五日くらい入院することになりそうだ」
「わかったわ。ちょうどいい機会だし、お医者様にお願いしていろんな検査もしてもらったら?」
「そうだな。ただ寝てるだけってのも暇だし、そうしようかな。
すまないな、ソフィア。しばらく寂しい思いをさせてしまう」
「エイナルもいるんだし、私は大丈夫よ。五日なんてすぐだわ」
そんな話をしていると、病室の扉をコンコンとノックする音がした。
きっと看護人か医師だと思って扉を開けた私は、目を丸くした。
「……ノルリアン様」
そこにいたのは、昨日も会った黒髪の青年だった。
ノルリアン様の方も、アンバーの瞳を丸くして私を見ている。
「ああ、エドガーか」
「分隊長の署名が必要な書類があったので、届けに参りました」
「そうか。まぁ、入れ」
ノルリアン様 は父に書類が入っているらしい封筒を手渡した。
父はそれを受け取ったものの、なぜか開封しようとしない。
ただ私と ノルリアン様 の顔を見比べている。
「お父様?どうしたの?」
「なにか問題でもありましたか?」
そろって怪訝な顔をした私たちに、父はなぜだかぱっと破顔した。
「いいことを思いついたぞ!
エドガー、おまえソフィアの婿になれ!」
とんでもないことを言い出した父に、私たちはまたそろってぎょっとした。
「えぇ!?お父様、なにを言っているの!?」
「はぁ!?なんの冗談ですか!?」
だが、父はそんな私たちをまるっと無視し、勝手に話をすすめていく。
「うんうん、ちょうどいい!ちょうどいいじゃないか!
ソフィアももう十八歳だし、そろそろ婿を見つけてあげないといけないんじゃないかと思っていたんだ。
エドガーならソフィアを任せられる。
相性も悪くなさそうだしな。
俺ってば、なんで今まで思いつかなかったんだ!」
包帯の巻かれた自分の額をぺちんと掌で打つ父。
そんな父を、唖然として見つめる私たち。
「エドガー、ソフィアはいい娘だぞ。
料理もできるし、気立てもいいし、騎士の仕事にも理解がある。
それに、俺の奥さんに似て顔も可愛い!
ただなぁ、どうしても引っ込み思案なところがあって、家に閉じこもりがちなんだ。
俺の家って、ただの騎士爵だろ?
家のことなんて気にしないでいいから、好きな男と幸せになってほしいって言ってるのに、そんな相手に出会えるような場に出ていくこともなくてな。
これじゃ、行き遅れまっしぐらだ。
こんなに可愛いのに!」
私は父が言うほど可愛くはない。
母譲りのミルキーベージュのふわふわした髪は気にいっているが、瞳はこの国ではありふれた青だし、胸が大きいわけでもない。
不細工ではないにしても、美人というわけでもない。
中の中、といったところだと思う。
父が私を愛してくれていることはよく知っているが、それにしたって親バカにもほどがあるのではないか。
「それからソフィア、エドガーはいい男なんだぞ。
剣の腕が立つのに、それをひけらかすようなことはしない。
きつい仕事も文句も言わずに黙々とこなすから、警邏隊の中でも評価が高い。
まだ若いが、騎士としてはもう一人前だ。
それに、ここが重要なところだ。
こいつモテそうなものなのに、いつまでたっても女っけがないんだよ。
浮気するような男には大事な娘を任せられないからな。
その点もエドガーなら安心だ!」
それは、誰ともつきあう気がないからなのでは?
どうしてそこで私だけ特別枠に収まることができると父は思うのだろう。
いくらなんでも強引すぎる!
「分隊長……いくらなんでも、あんまりでは」
「なにぃ!?エドガーおまえ、俺の娘じゃ不満だってのか!?」
「お父様、それじゃパワハラよ!
上官にそんなこと言われたら、断りにくいじゃないの!」
「不満なわけではありませんよ!
ただ、お嬢様には俺なんかよりもっと相応しい相手がいるでしょうから」
「ノルリアン様にだって、私よりもいい相手がいるはずだわ」
「おまえら、まだ会ったばっかりだろ。なんでそんなことがわかるんだよ」
その指摘には反論できず、言葉につまった。
だって、そう思っているというだけで、根拠なんてないんだから。
「そうだな。突然婿入りなんてのは、さすがに無謀かな。
エドガー、四日後が休日になってたよな?
婚約の前段階ということで、その日二人でデートしてこい!」
苦い顔をする私たちとは対照的に、父はナイスアイディア!とでも言うようにいい笑顔だ。
「とりあえず、親しくなるようお互いに努力をしてみろよ。
そうした上でどうしても無理だっていうのなら、俺もそれ以上は無理にくっつけようとはしないから」
「分隊長」
「エドガー。俺が死んだら、ソフィアは一人になってしまう。
だが、俺は騎士だから、こんな怪我をすることもあるし、なにがあるかわからないだろ?
だから、俺が元気なうちに、俺以外の家族をソフィアにつくってもらいたいんだよ」
「私だって騎士ですよ。いつ死ぬかわからないのは同じではないですか」
「おまえは注意深いから、簡単には死なないよ。俺より強いし、体も頑丈だ」
「ですが」
「ソフィアは男に免疫がない。
おまえが婿にならないにしても、ある程度は男という生き物に慣れておかないと、ソフィアは将来的に苦労することになりそうなんだ。
それは可哀想だと思わないか?
ソフィアのためだと思って、協力してくれよ!」
頼む!と頭を下げる父に、ノルリアン様は慌てていたが、だからといって引き受けていいのか迷っているようだった。
私はそんなノルリアン様を見ながら考えた。
私は自分で結婚相手を見つけることはとっくの昔に諦めていて、そのうち父にだれか紹介してもらおうと考えていたのだ。
そして、父のイチオシだというのが、このエドガー・ノルリアン様。
まだ会ったばかりだが、私としてもマイナスな印象は皆無だ。
それなら、婿になってもらっても、私としてはなんの問題もないのではないだろうか。
もちろん、ノルリアン様が私と結婚したくないと言うのなら、無理にとはいわないが。
でもその場合は、また別の相手を紹介してもらって、仲良くなる努力をすることになるわけだ。
正直なところ、私は異性とどうやって仲良くなるのか見当もつかないし、なにを話していいのかもさっぱりわからない。
こんな私では、誰を紹介してもらったところで、あちらからお断りされる可能性が高いと思う。
だが、それでは困る。
だって、私は結婚したい気持ちはあるのだ。
安定した家庭を築き、大切に育ててくれた父を安心させてあげたい。
父に孫を抱かせてあげたい。
そのためには、どうしても私と結婚してくれる相手が必要なのだ。
「……ノルリアン様」
私は意を決して、口を開いた。
「婿になってくれなんて、おこがましいことは言いません。
私が異性に慣れる訓練に、つきあってくださいませんか?」
私よりかなり高いところにあるアンバーの瞳が驚きに見開かれた。
「私、親族と身近な使用人以外の男性とは、ほとんど話もしたことがなくて……
このままじゃいけないって、ずっと思っていたんです」
私はぎゅっと両手を胸の前で握りしめ、必死でお願いした。
「お願いします、ノルリアン様。
私に協力してください」
ノルリアン様は、私と父の間で視線をさまよわせた。
「……いいのですか?私のようなものが、お嬢様と仲良くするなど」
「おまえだからいいんじゃないか!
他の妙な男だったら、絶対に許さないところだぞ」
「私はノルリアン様がいいんです。
父もこう言っていますし、ノルリアン様は信頼できる方だと思いますから」
ノルリアン様は数秒沈黙し、それから根負けしたように頷いてくれた。
「……わかりました。私にできることなら、協力しますよ」
それを聞いて、私と父は手をとりあって喜んだ。
「引き受けてくれると思ってたよ!ソフィアを頼んだぞ!」
「ありがとうございます、ノルリアン様!
私、一生懸命頑張りますから、よろしくお願いします!」
そんな私たちに、ノルリアン様は苦笑を返した。
「異性に慣れていないのは、私も同じです。
どうなるかわかりませんが、とりあえず挑戦するだけしてみましょう。
こちらこそよろしくお願いします、お嬢様」
ノルリアン様は警邏隊で立派に働いているのだから、私と違って人見知りというわけではないはずだ。
それなのに、なんで異性に慣れていないのだろう。
その疑問も、親しくなれたら解けるのかもしれない。
「おまえら!ここは、握手するタイミングだぞ!」
父に言われて、ノルリアン様は遠慮がちに私の前に手を差し出してきた。
大きくて、剣だこがあって、小さな傷跡なんかもあって、とても頑張っている人の手だと思った。
おずおずと握ってみると、思った通りとても温かくて、なんだか胸の中まで温かくなったような気がした。
「それからおまえら、お互いに名前で呼びあえ」
「えぇ?それはもっと後からでもいいんじゃない?」
「ダメだ!こういうのもタイミングなんだよ!
一度逃すと、二度目はなかなかやってこないんだ。
いいから、今から呼びあえ!」
父が強引なのも、それだけ私とノルリアン様をくっつけたいと思っているからなのだろう。
なら、私も頑張って一歩を踏み出さなくては。
「エ……エドガー、様」
言いながら頬が赤くなるのを感じた。
エイナルと従兄弟以外の異性を名で呼ぶのは初めてだった。
「……ソフィア嬢……」
見ると、エドガー様も赤くなっている。
照れくささと気まずさが入り混じったような表情でエドガー様は目を逸らせ、それがなんだか可愛く思えた。