① 黒髪の青年
「……では、ソフィア嬢。参りましょうか」
黒髪を短く整えた大柄な青年が、ぎこちなく左の肘を差し出した。
「……はい、エドガー様」
その肘に、ミルキーベージュの髪をハーフアップに纏めた私が、こちらもぎこちなく手を置いた。
そろって緊張顔の私たちは、これから公園を散策するデートに行くのだ。
「エドガー様、お休みの日なのに無理を言ってごめんなさい。
頑張りますので、よろしくお願いします」
「いえ、私……俺も、どうせ暇でしたから。
たまにはこんな休日があってもいいでしょう」
会話もまだたどたどしい。
だって、私たちはまだ今日で会うのが三回目で、恋人でも婚約者でもないのだ。
これはデートというより、私が異性に慣れるための訓練と表現したほうが正しいだろう。
遡ること五日。
玄関の扉が開いた音に、私は本から目を上げた。
時計を見ると、いつの間にやらもう父が帰宅する時間になっていた。
いつものように出迎えようと玄関に向かったが、そこに父はおらず、代わりに父と同じ制服を着た黒髪の青年が家令となにやら話しているのを見つけて、私は足を止めた。
私の父は、王都警邏隊の分隊長を勤めている。
仕事柄、危険な場面に遭遇することもあることは、私もよく知っている。
私は一気に血の気が引いた。
「エイナル!」
父が子供のころからブロムバリ家に仕えている家令に駆け寄った。
「お父様になにかあったの!?」
その質問に答えたのは、家令ではなく黒髪の青年だった。
「分隊長は、勤務中に負傷なさいました。
現在、医院で治療を受けておられます」
嫌な予感が的中し、私は目の前が真っ暗になった。
その場で倒れそうになった私を、エイナルがさっと支えた。
「お嬢様、落ち着いてください。
命にかかわるような怪我ではないのだそうです」
それに続いて、青年もはっきりと頷いた。
「安心してください。
私がここに来る前も、消毒が染みるだのなんだの元気に騒ぐ声が聞こえていたくらいですから」
「そう……よかったわ……」
私はほっと胸を撫でおろした。
「ただ、今夜からしばらく入院しないといけないのだそうで、着替えなどが必要になります」
「わかりました。すぐ準備いたします」
家令が慌ただしく去って行くと、玄関には私と青年だけが残された。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙。
十八歳になったばかりの私は、引っ込み思案で人見知りな性格だ。
一人娘で大切に育てられたこともあり、親族以外の男性と会話をしたことすらほとんどない。
(マレーナだったら、気の利いた事くらい言えるんでしょうけど……)
一歳年上の従姉マレーナは、気さくで朗らかで友達が多く、私とは真逆の性格をしている。
そんなマレーナのことを、私はいつも羨ましく思っていた。
「……分隊長の、お嬢様でしょうか」
気まずさに耐え切れなかったのか、青年が口を開いた。
「ソフィア・ブロムバリと申します。
父がお世話になっております」
まだ自己紹介すらしていなかったことに気づき、私は慌ててカーテシーをした。
「エドガー・ノルリアンと申します。分隊長の部下にあたります」
その名前には、私も聞き覚えがあった。
「……この前の剣術大会で準優勝なさった?」
しばらく前に、父がそんな部下がいると自慢していたのを思い出したのだ。
「はい。惜しくも決勝戦で敗退してしまいました」
目の前の青年は、二十代前半くらいに見える。
この若さで準優勝なんて、かなり優秀なのではないか。
「……決勝まで残るなんて、すごいです……」
心からの称賛に、ノルリアン様 はアンバーの瞳を瞬かせて少し困ったような顔をした。
(あ、このひともきっと、私と同じで異性に慣れていないんだわ)
直観的にそう思った。
精悍な風貌ながら粗暴な印象はなく、父より大柄なのにこれだけ近くにいても威圧感もない。
それに加えて将来有望なのは確実だというのに、モテないのだろうか?
私が内心首を傾げていると、荷物を抱えた家令が戻ってきた。
「お預かりします。では、私はこれで」
「あ、お待ちください。私も」
一緒に行く、と言いかけたが、それはノルリアン様 に遮られた。
「もうすぐ暗くなります。女性が出歩くのは控えたほうがいいでしょう。
隊長にはお嬢様が心配なさっていたと伝えておきますから、明日になってからお見舞いに行ってあげてださい」
そう言われると従うしかなく、引き下がるしかなかった。
ノルリアン様は敬礼してから去っていき、私はそれをただ黙って見送った。