告白
初投稿かつ初執筆の作品です。誤字脱字、設定の雑さ等あるかもしれませんが暖かい目でご覧下さい。
「あんたのせいで、康太が死んだんだ!どうしてくれるんだ、この、人殺し!!」
60後半くらいだろうか。目の前で、看護師に羽交い締めにされている初老の男性が、温厚そうな見た目にそぐわぬ大声をあげる。その罵声は当然、康太君の安楽死の担当医だった、私に向けられていた。私は、180cmを超える体を縮こまらせながら頭を下げる。鍛えている体も、今は何の役にも立たなかった。
「申し訳ありません。私共の方では、成人している方からの相談では、本人の意思確認ができ、書類での不備がなければ、止めることは出来ないのです。」
「嘘をつくな!あの子が、自分から死ぬことを選ぶわけがないだろう!あんなに、明るくて、他人思いの、優しい子なのに……」
羽交い締めにされた男性は、最後まで言葉を発せずに、その場に崩れ落ちて嗚咽し始めた。斉藤康太君は23歳という若さで、安楽死を選択した。
仕事があまりに忙しく、残業続きで自分の好きだった本も1冊も読めず、高校時代から付き合っていて、結婚も考えていた彼女に、浮気されて振られたらしい。
それでも会社や彼女のことを恨みきれず、仕事の遅い自分が悪い。仕事を言い訳にして、デートのひとつも出来なかった自分が悪いと、問診の度に言い続けていた。そんな心優しい彼の事だ。家族に余計な気苦労をかけたくなくて、相談しなかったのだろう。死んでしまえば、必ず伝わってしまうというのに。
彼は、診察の度に、痩せていき、頬もこけていった。自分の格好を気にする余裕も失い、最後の診察の際には、浮浪者ぜんとした格好の、ほとんど幽鬼のような状態だった。
私は、その彼の姿に最期を見出し、安楽死を行った。
けれども、若い患者を担当するといつも我々担当医が罵倒される。両親や家族との同意が取れていなくとも、安楽死は実行できてしまう。施行されて間もない法律の、穴が私の目の前に現実となって現れていた。
「申し訳ありません。ただ、彼が本当に望んでいたことですので……。」
私は、ただ、頭を下げ続けた。遺族に近寄ることも、慰めるための言葉も発せなかった。私がなんと言おうが、彼等にとって私はただの人殺しだ。間違っても、お医者様なんかじゃない。6年以上、人を助けるために勉強した結果が人を殺す仕事とは、とんだ皮肉だ。
「山岸先生、この方の対応は私たちに任せて、次の患者さんの問診をお願いします。」
「あ、ああ。」
いつの間にか隣に来ていた看護師に、促されるままにその場を立ち去ろうとする。向けた背の向こうからは、絶えず嗚咽が聞こえていた。
自死内科の担当医になってからというものの、週に一度は必ず遺族の罵声を浴びる。そういう仕事だとわかっていて着いた職だったが、実際に経験してみると、離職率が日本でダントツなのも、頷ける。安楽死担当医が職責に耐えきれず、安楽死を選択したなんてショッキングなニュースが取り上げられなくなってきた時期だ。同僚が安楽死したって、驚きはしないだろう。
「先生、次の患者さんは女性ですので、慎重にお願いします。」
「また女性か。わかった。より細かく問診するようにしとくよ。」
「お願いしますよ?山岸先生が頼りなんだから、美人が来ても流されて心中なんてしないでくださいね?」
先の遺族のことを気にしているのがバレていたのだろう。付き合いの長い看護婦に、からかわれる。そんなに、顔に出ていたのだろうか。
何度安楽死を行っても、遺族を見るのは慣れない。きっと、慣れてはいけないことなんだと思う。こうやって、人に心配されている間は、大丈夫だ。まだこの仕事を続けられる。
「大丈夫ですよ、私は健康で元気そうな人の方が好みなので。」
私が笑顔を取り繕えているのを見て、看護師も笑顔を返して次の患者を呼びに行った。
自死内科では、診察を週を分けて3、4回行う。1度の診察では、どの程度安楽死を望んでいるのかや、他の病気の影響はないか、神経障害の可能性と、その治療可能性はないのかを、詳しく調べるためだ。2度目や3度目の診察の患者さんは、いつになったら安楽死が認められるのか、気が気でない人もいるので、どうしてもこちらも気を使ってしまう。
けれども、今回の患者さんは初診だった。とはいえ、初診の患者さんは、全体の七割を占める。そう珍しい訳では無い。それに、女性の患者さんも、同じくらいの割合で存在する。
ただ、女性の場合は、月経の影響で精神的に不安定なこともある。その為、実際に安楽死が行われるのは、男性の方が多い。だからこそ、見極めが重要だ。今一度気を引き締めて応対しよう。
「門脇さん。門脇 京子さん。」
そう切り替えようとしていると、看護師が患者さんの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。どこかで聞いたことのある名前のように感じたが、毎日のように聞く患者さんの名前のどれかが似た響きだったのだろう。
もうまもなく、次の患者がこの部屋に来る。すぐに診察を始められるように、患者さんの電子カルテを開く。門脇京子。28歳、女性。自分と同い年だ。ただ、一番安楽死の選択数が多い年代でもある。今度はどんなことで思い悩んでいる人が来るのだろうか。どんな内容であれ、きちんと耳を傾けて、辛さを受け止めねば。
カルテに粗方目を通し終えた頃、扉が控えめにノックされた。入室を促すと、扉が開かれる。そこには、私の初恋の相手がたっていた。少しやつれていたり、目の下の隈が目立つが、当時の面影が強く残っている。驚きのあまり、顔を見たまま固まってしまう。聞いたことのある名前なはずだ。顔を見た今では、名前を聞いてなぜ思い出せなかったのか不思議なくらいだった。
「山岸先生、どうかしましたか?」
患者さんを見たまま固まっている私を不審に思ったのだろう、看護師が怪訝そうに尋ねてくる。先程の会話を思い出し、一目惚れしたのではと、勘繰っているのだろうか。実際は、もう10年以上も前に、惚れていたのだ。的外れにも程がある。そんなふうに、上っ面だけの考えが頭を滑る。何か返事をしなくてはと思い、咄嗟になんでもないと誤魔化した。
門脇さんとは、中学一年の頃に初めて出会った。2人とも弓道部に入り、そこで知り合った。私は、一目惚れだった。友達と笑い会う時の屈託のない笑顔や、弓を番え的の前にたった時の真剣な表情が好きだった。性格もよく、子供らしくない、決断力に優れた女の子だった。門脇さんの一挙手一投足を気にしてしまうほど、好きだった。
けれども、教室の隅で本を読んでいるような人種だった自分とは、多く会話する機会はなかった。時折、同じグループにいて、少し言葉を交わすことがある位だった。
だからこそ、そんな淡い初恋は誰にも気づかれることも無く、中学卒業とともに終わりを告げた。進学先が、違ったのだ。たったそれだけで終わってしまうような、儚い夢だった。
そんな、私の青春だった初恋が、何の因果か私の目の前に再び姿を現した。門脇さんは、看護師に促されるままに、患者用の椅子に腰掛ける。その間に、私も思い出にひたっている場合では無いと、意識を切り替える。
「では山岸先生、お願いしますね。」
看護師が、そう言いながら扉を閉めて出ていった。
診察の内容は、その人の人生を左右しかねない情報ばかり詰まっている。なので、プライバシー保護の観点から、医師以外の人間の介在が許されていないのだ。また、安楽死担当医はいつも人不足である。そのせいで、診察はいつも医者1人でやる慣習になっていた。
「今回は、安楽死の相談と聞いていますが、どうされたんですか。」
最早定型句となった導入の質問を、今一度カルテを見て既往歴などを確認しながら行う。どうやら、門脇さんは大きな病気をせずに健康に過ごしていたらしく、カルテには大したことは書いていなかった。
カルテが確認し終わっても、門脇さんは俯いて黙ったままだった。こうやって、黙ったまま、希死念慮の理由や経緯を教えてくれない患者というのは、それなりにいる。それも当然とも言える。死にたい理由を見ず知らずの人間にペラペラと喋れるわけないのだから。それを聞き出すのも、私たち安楽死担当医の仕事だ。
「言い難いことがあれば、話せることや、話したいことだけ話して頂いても構いません。」
門脇さんの方に向き直って、落ち着いた声音になるよう意識して話しかける。けれども門脇さんは、顔をあげないままだ。
「それとも、男性には話しにくい内容ですか?でしたら担当医を女性に変えることもできますよ?」
少し間を置いて、そう問いかけるも、またも返事はなかった。こうなると、なかなか時間がかかる。
それから10分ほど、聞き方を変えてみたり、いくつか考えられる事例をあげてみたりもしたが、反応して貰えなかった。最早、どうにもならぬ。次回の診察の際には、担当医を変更してもらうよう、こちらから言うしかないか。そう考えながら、次回の担当医への引き継ぎを考えていると、唐突に門脇さんがぼそりと呟いた。
「山岸……颯太くん?」
それは、私の名前だった。唐突に自分の名前が呼ばれ、吃驚して思考と行動が止まる。同級生だった彼女が自分の名前を知っているのは何ら不思議なことではなかったが、十年以上たった上に、ほとんど話した記憶もない相手のことを今でも覚えていてくれたとは、心底驚いた。
「やっぱり、颯太くんだったんだ。本当にお医者さんになったんだね。」
彼女は、いつの間にか顔を上げ私の方に顔を向けていた。
「……俺の事、覚えてたんだ。」
「もちろん。忘れる程、薄情な人間じゃないよ。」
私の絞り出したような返答に、彼女は薄く笑いながら言う。
「会うの、中学の卒業式以来だっけ。」
「うん。颯太くん、成人式来なかったからね。」
何とか会話を続けようと、話題を絞り出す。
「大学受験で忙しかったんだ。俺みたいに出てないやつも何人かいたって聞いたけど?」
「医学部だもんね。すごいや。私たちの時から18歳で成人式するようになっちゃったもんね。しょうがないよ。」
「二十歳の時に成人式だったら、みんなに会いに行けたのにな。みんな、元気だった?」
「うん、元気そうだったよ。みんな全然変わってなくて、びっくりしちゃったくらいだよ。」
京子は、口元に手を当てくすくすと笑った。良かった、元気そうだ。先程までは、俯いているだけで、何も話してくれないので、気が気でなかった。
「颯太くん、覚えてる?私が体調不良で部活見学してた日に、颯太くんもサボって見学してたことあったよね。」
「うわぁ、あったあった。真夏で、しかも1番きつい外周ランニングの日だったからサボった日のやつだ。」
嘘だ。きつからったからっていうのも無くはないが、当時の自分は、近くに入れば話す機会があるかもと思って、京子と話すためにサボったのだ。
「あの後先輩に見つかって、みんなの倍走らされてへとへとになってたよね。面白かったなぁ。」
「あれはほんとにキツかった。今でも時折思い出して嫌な気分になるよ。」
「あー、学生時代の嫌なことって、なかなか忘れないよね。私も英語で赤点とったの、よく今でも覚えてるよ。」
京子は、少し遠い目をしながら懐かしそうにそういった。それから、中学時代の昔話に花を咲かせた。部活の顧問がどうだったとか、実は誰と誰が付き合っていたなんて言いう、くだらない話を積み重ねた。
それから高校生になってから、の話もした。京子は弓道をやめて、ダンス部に入ったはいいが、先輩が厳しすぎて直ぐにやめたと控えめに笑いながら話し、私は文芸部に入り、小説ばかり読んでいて、代わり映えのない日々だったと嘆いた。
「そういえば、門脇さんは最近何してるの?」
思い出話は思いのほか楽しく、このまま続けていたかった。久しぶりに嫌なことを忘れて話せる、楽しい時間だった。
けれども私は医者で、彼女は患者だ。少しづつ話題を診察に必要なものの方にシフトさせようとする。
「わたし?私は……離婚しちゃってね。もう、バツイチ。」
それからようやく聞けた彼女の悩みは、とてもあの明るく健気な同級生が経験したとは思えない壮絶なものだった。
「私ね、大学のサークルで知り合った2個上の先輩と結婚したんだ。最初は彼も優しくて、口下手な私を気遣って、色々話してくれたり、バレバレのサプライズで、ディズニーに連れて行ってくれたりもした。楽しかったなぁ。けど、彼が就職した頃からかな。段々、おかしくなっちゃったんだ。」
苦しそうな顔をした後俯き、彼女は、言葉を選ぶようにぽつぽつと話した。私は、相槌を打つことしか出来なかった。
「彼の就職したところが、いわゆるブラック企業だったみたいでね。毎日、相当参ってたんだ。帰ってきても、ご飯も食べずに寝ちゃう日もあったくらい、へとへとだった。その頃は、なかなか会う時間を取れないからって同棲を始めた頃だったから、まだ顔を見れるから幸せだって、思ってたなあ。 」
そこまで言って、俯きがちだった顔を上に向ける。涙がこぼれないよう、堪えているのは明白だった。
けれども話を中断することはせず、噛み締めるように言葉を続けた。
「その少しあと、彼にプロポーズされてね。結婚したんだ。あの時は、嬉しかったなあ。これから、バラ色の夫婦生活が始まるんだ、わたしが彼を支えるんだ、なんて思ったりもしたよ。けどね、だんだん、おかしくなっていったんだ。いつから、とかじゃなくて、いつの間にか。彼は、少しでも機嫌を損ねると、物に当たるようになったんだ。食器とかわっちゃうくらい、はげしく。最初のころは、そんな日もある、彼も辛いんだから、わたしがちょっとガマンすればいいんだって、思ってた。けど、けどね、どれだけたっても、直らなかった。それどころか、わたしにも、物をね、なげつけてきたり、私のことを、けったりするようになっちゃってさ……。」
震える声で、涙を流しながら言葉を続ける。私は、言葉を挟めない。今までも、患者から似たような話を聞いたことはあった。その時は、同情したり、哀れんだりすることはあっても、何も声をかけられないなんてことはなかった。言葉を交わし、相手を見極めるのか、私の仕事だったから。
けれど私は、彼女が、屈託のない笑顔で笑っていた時を知っている。暴力に怯えず、毎日を過ごしていた時を、言葉を交わしたことは少ないとはいえ、共有していた。
だからこそ、何も知らない私は、何も言うことは出来なかった。
「その頃になるとね、アザとかもかくせなくて、友だちにもしんぱいかけちゃってさ……。それで、友だちに相談したとき、はなしを聞いてくれた友だちから、きいちゃったんだ。彼に、会社で、仲のいいオンナの人がいるって。わたし、バカみたいだよね。」
とうに隠しきれなくなっていた涙をカーディガンの袖で拭いながら、彼女はこの部屋に入ってきて初めて私と視線を合わせた。拭いきれず溢れた涙が、重力に従って頬をつたう。
私は、彼女から目を離せなかった。どこか、今にも死んでしまいそうな、ここから消えてしまいそうな気がした。
「くわしく聞いたらさ、どうも、わたしが、妊娠したときに、付き合い始めたらしいんだ。ほんと、最低だよね。わたしは、結局流産しちゃって、産んであげることも、できなかった……。そ、それで、かれに、直接、聞いたんだ。ほんとに、会社の人と、つきあってるの、って。うそだよね、って。そしたらね、かれ、わらったんだ。『いまさら、きづいたのか。ばかだな。』、って。わたし、なにも、いえなかった。いままでの、ぜんぶが、まるでまぼろしで、なにも、なくなっちゃった、みたいだった。」
最早こらえる事も辞めた嗚咽と、彼女の声だけが部屋に響く。しゃくりあげながら言葉を続ける様は、悲痛な現実から自分を守ろうと、子供のように戻っていく様にも見えた。
それから、少しの間彼女はどうにか涙を止めようと、言葉を止めていた。きっと、一、二分のことだったと思う。けれども私には、その何十倍にも感じられた。
「ごめんね、聞きたくないよね。同級生の、こんな話。」
「……そんなことないよ。これが仕事だから。」
私に出来るのは、彼女から目をそらさず、話を聞くことだけだ。今、それが出来なければ、私はきっと医者で居られない。ずっと後になっても、どこかでこの出来事が尾を引く。
彼女は、そんな自分の事ばかり考えていた私の内心も知らず、悲痛に微笑んだ。
「実はね、颯太くんがここで働いてるって、知ってたんだ。中学の頃仲良かった子に、聞いてね。それで、安楽死の事考えた時、思い出して。」
「そうだったんだ。」
「うん、そう。それでね、見ず知らずのお医者さんには、私の事話せる気がしなかったけど、君ならできるかもって思ったんだ。迷惑かけて、ごめんね。」
私は、口を噤んで首を振る。唐突に、何か言わなければ、彼女は死んでしまうと思った。
けれども、言うべき言葉も、言いたい言葉も、喉を通ってこない。口を開くことも、叶わない。
私がもがいているうちに、彼女は椅子から立ち上がる。
「今日は、ありがとね。ちょっと、すっきりした。颯太くんは、元気でね。」
目が赤く腫れた笑顔でそういうと、彼女は振り返り、扉の方へ歩き出す。何か、言わなければ。何かを、彼女に伝えなければ。思わず、私も立ち上がっていた。
彼女が、扉に手をかける。今が、ラストチャンスだ。私の、俺の言いたいことはなんだ。今、言うんだ。なんでもいい、言って引き止めるんだ。声さえ掛ければそれで……
「山岸先生、どうしたんですか。ぼーっとしちゃって。もしかして、あの患者さんに惚れちゃいました?ダメですよー、それは。」
閉じた扉を眺める私に、後ろから看護師が冗談をかける。私は、何も言えなかった。彼女には、声をかけれなかった。そこに残ったのは、初恋の人すら救えない、愚か者の無気力感だけだった。
数年後、同窓会で出会った友人に、彼女が自殺したと聞いた。私は安楽死担当医を辞め、救命救急医になった。