12話 妹
「……」
アニス・アイスフィールドは祈りを捧げていた。
それは、結界を展開するための儀式。
魔力と祈りを神に捧げることで奇跡を起こしてもらう。
結果……
天から光が降り注ぎ、それらが形成されて壁となる。
結界だ。
魔物や瘴気の侵入を防いで、国の平和を守ってくれる。
「ふう……」
「おつかれさま、アニス」
結界を展開したところで声をかけられた。
振り返ると、多数の護衛を引き連れたカイム・イングリウム第二王子の姿が。
結界を展開したばかりのアニスは疲労を覚えていて、汗をかいている。
ただ、カイムは特になにもしないで、笑みを浮かべていた。
その笑顔こそが特効薬だと言わんばかりに、優しく笑いかけている。
「カイム様? どうしてここに……」
アニスが驚くのも無理はない。
ここは国を囲む壁の外。
下手をしたら魔物に襲われてしまう。
そうでなくても、盗賊などが出没するため治安は最悪だ。
「愛しい婚約者ががんばっているのだ。ならば、私もがんばらなければなるまい」
「……そうですか、ありがとうございます」
一瞬、アニスはとても冷たい表情をするが……
それを気の所為と思うような速度で笑顔を浮かべてみせる。
「いつ見ても、アニスの力は素晴らしいね」
カイムは笑みを浮かべつつ、アニスが張った結界を見る。
巨大な光の壁は、天に届くほど高い。
ずっしりとした重厚感があって、魔物や瘴気の侵入は絶対に許さない、と言っているかのようだ。
頼もしい、の一言に尽きる。
「さすが、我が国の新しい聖女だ」
「ありがとうございます。ですが、殿下を始め、他の皆様の尽力があればこそ……です。私一人でできることなど、大したことはありません」
「謙遜を」
「いいえ、本当のことです。殿下に守っていただいているからこそ、私は、安心して力を使うことができるのです」
「ああ、その通りだ。私は、全力で愛しい君を守ろうではないか」
「……」
再び、一瞬だけどアニスが凍えるような目をするが、カイムはそれに気づかない。
他の者も気づかない。
誰も……気づかない。
――――――――――
「はぁあああああ……」
家に戻ったところで、アニスは深いため息をこぼした。
それからベッドに寝て、両手足を大きく広げる。
淑女にあるまじき振る舞いだけど……
アニスにとって、これは普通のことだった。
プライベートは、いつもこんな風に過ごしている。
そのことをカイムは知らない。
両親も知らない。
アニスの素の姿を知るのは、ただ一人。
「……アルティナ姉さま……」
アニスはベッドに横になりながら、大好きな姉のことを思い浮かべた。
アルティナとカイムの婚約が決まった時、そんなばかな!? と、アニスは心の中で絶叫した。
アルティナは聡明で優しく、まるで女神のような人物だ。
対するカイムは、無自覚に権力を振りかざすことが当たり前になっていて、それを自分の力と勘違いしている。
釣り合うわけがない。
アニスは全力で反対したものの、話はどんどん進んでしまい……
アルティナとカイムは、正式に婚約をしてしまう。
「自分は美しいと思い、それを公言するナルシスト。王家の力を自分のものと勘違いして、迷うことなく振りかざすことができる傲慢。自身が上に立ち、他者は必ず下にいると思いこんでいる勘違い。女性は男性に尽くすべき、立てるべきと考えている時代錯誤な古い頭……そんなバカ王子が、アルティナ姉さまの婚約者になった時は絶望したわ」
カイムに嫁いで幸せになれるわけがない。
人生をメチャクチャにされるだけだ。
そんな最悪の未来を避けるために、アニスは影で努力を重ねた。
カイムの矯正を試みた。
優秀な者にサポートしてもらえないか頼んでみた。
せめて、相思相愛になれるように支援した。
しかし、それらの試みは全て失敗した。
カイムの傲慢な性格は治らない。
むしろ、なんでも言うことを聞くアルティナと一緒にいたことで、『自分はなにをしても構わない、全てが許される』と思い込むようになってしまった。
これに関しては、一概にカイムを責められない。
婚約者となったアルティナが諫めなければいけないところもあるのだけど……
でも、それはとても難しい。
アルティナは、物心ついた時からカイムの婚約者候補として育てられてきたため、彼に対して絶対服従の立場にいる。
カイムにものを進言するということは、彼女の中では絶対にありえないことなのだ。
「だから、アルティナ姉さまは、どんな状況でも殿下を受け入れてしまう。殿下のために尽くすことが正しいと、そう思い込んでいて……どのような状況になっても、どれだけ不幸になっても、自分のせいと責めてしまう。アルティナ姉さまは、優しすぎるのよ……」
鉄仮面と言われている姉。
でも、誰よりも優しい心を持っていることをアニスは知っていた。
「あのまま殿下と結婚したら、アルティナ姉さまは絶対に不幸になる」
そう確信したからこそ、アニスは悪になることにした。
最低最悪の手段を取ることにした。
自分が身代わりになり、カイムの新しい婚約者になることで、アルティナとの婚約を破棄させる。
姉を守るために姉を傷つける。
そのような策をとりたくはなかったけれど、他に方法がなかった。
苦渋の決断を下したアニスは、さっそく行動に移った。
まずはカイムに取り込み、彼の好みの女性を演じた。
関係者と連絡を取り、自分の味方とした。
そうやって色々なところに手を回して、二人が婚約破棄するように仕向けた。
結果……カイムはアルティナと婚約破棄をして、アニスと新たに婚約した。
ただ……
「あのバカ王子……今思い返しても腹が立つわ」
なにをトチ狂ったのか、多数の貴族が集まるパーティーで婚約破棄と新しい婚約を発表したのだ。
頭が足りなすぎて、当時、アニスは一分ほど思考が停止した。
そうなるようにアニスが仕向けたとはいえ、公的な婚約をあのような場で破棄するなんて。
しかも不義などの理由ではなくて、カイムの一方的な感情によるもの。
下手をしたら、王家とアイスフィールド家の戦争になっていた。
「そんなこともわからない、究極のバカだったなんて……ほんと、殿下とアルティナ姉さまが結婚しなくてよかった」
カイムは、アルティナの聖女の資質を疑問視していた。
使える魔法は治癒魔法と結界だけ。
発動に時間がかかる。
魔力量も少ない。
「こんな聖女は見たことがないとか、ありえないとか、落ちこぼれとか……あーもうっ、思い返したら本当に腹が立ってきたわ! あのバカ殿下は、聖女のなにを知っているの!? アルティナ姉さまのすごさを、なんで理解できないのよ!」
確かに、アルティナは魔法を二つしか使うことができない。
しかし、それは家の責任だ。
アイスフィールド家が全て悪い。
アイスフィールド家も男尊女卑の思考が根付いていて……
カイムの婚約者となるなら、必要以上に力を持っていはいけない。
聖女して最低限のことができればいい……なんて考えを持っていた。
故に、アルティナは治癒魔法と結界を展開することしか知らない。
それだけしか学ぶ機会がなかったのだ。
「でも、アルティナ姉さまは天才よ」
治癒魔法の習得には一年。
結界の習得には十年かかると言われている。
しかし……
アルティナは、どちらも一日で習得してしまったのだ。
ありえない。
長い聖女の歴史を振り返っても、そんな無茶苦茶なことをした人物はいない。
紛れもなく、アルティナは天才なのだ。
魔法の発動に時間がかかるのは、治癒魔法を使っているようで使っていないからだ。
普通の治癒魔法は傷口を塞ぐだけで、痛みは残る。
流れた血の分、体力を失う。
すぐに動くことはできず、下手をしたら傷口が開いてしまう。
それなのに……
アルティナが使う治癒魔法は、傷を完璧に癒やしてしまう。
跡をまったく残さずに、失われた体力すら戻してしまうという、まったく別の治癒魔法なのだ。
そんなものを使うとなれば、時間がかかるのは当たり前だ。
アルティナの魔力量が少ないのは確かだ。
しかし、その少ない魔力で、とんでもない治癒魔法や結界を作り出している。
魔力の転換、効率がとんでもなく良い。
これもまた、彼女の才が為せることだ。
「それなのに、アルティナ姉さまが無能だとか……! あーもうっ、本当に腹が立つわ!!!」
ぽこぽこ、とアニスは枕を両手で叩いた。
「鉄仮面とか言われているけど、でも、アルティナ姉さまは優しいんだから……」
いつも一緒にいてくれた。
悲しい時、寂しい時は慰めてくれた。
わがままを言っても、なんでも受け入れてくれた。
でも、度が過ぎるときちんと叱ってくれた。
感情が表に出ないだけで、優しくて強い女性なのだ。
「アルティナ姉さまは……今、なにをしているのかしら?」
カイムと関わらせたくない。
アイスフィールド家とも関わらせたくない。
一人のアルティナとして幸せを掴んでほしい。
だから、同盟国でもあり、親戚でもある家に行くことに賛成したのだけど……
「……また、会いたいな。頭を撫でてほしいな」
アルティナことを想いつつ、アニスはそっと目を閉じた。
――――――――――
アニスは知らない。
アルティナが追放されて、命を狙われたことを。
カイムとアイスフィールド家が結託して、企んだということを。
なにも知らない。




