少女は私に滅びを告げる
ある日、神殿を訪ねた私に、占い師が予言を託した。エディスという少女が汝に滅びをもたらすであろう、と。
だから、貧民街に住む面識もない幼い彼女を殺した。数年後私は学院で養子としてひきとられ男爵令嬢となった彼女に再会した。
「はじめましてライアさま。よろしくお願いします」
貴族になったばかりで地位が低い、しかも季節外れの特例編入生。然るべくして向けられた冷ややかな目線。それも次第に変わっていった。
トップとは言えないが、張り出しに載る程度に高い成績。温厚な人柄。そして、何よりも高い魔力。
「気にくわないわ」
一般的に魔力適正は地位の高さにおおよそ比例すると言われる。例外もたくさんある。ただその中でも、彼女は特大の外れ値だった。
噂では王族を超えるとも言われている。彼女は平民どころか貧困街の出身なのに。
「滅びとは、こういうことでしたのね」
トップを争う程度には優秀な成績と、彼女が編入する以前ならトップを争えた程度の適正。成績でその差を埋めるのは厳しかった。
高い地位に甘んじず、能力で優れている、その評価だけが私の取り柄なのに。
「っ……うえぇ」
お父様。お母様。私が優秀な成績を修めると褒めてくれる両親。
そうでもしないと関心を示さず、兄二人に執心な両親。
人気のない庭園の隅の隅。胃の中にある物すべて、地面にぶちまけられていた。
「大丈夫ですか?」
うずくまる私に影が差す。
「無礼を承知ではありますが、拭わせていただきますね」
白い手袋が装着された手が、こちらに伸ばされる。手元に掴まれた安っぽいハンカチで、私の口元は拭かれた。
「こうやっていると、落ち着きませんか」
そう言って、しゃがみ、背中をポンポンと叩いてくる女。
ああ憎たらしい。
お人よし。
私は、こいつが嫌いだ。
「前に、近づくなって言いましたわよね……」
やわらかい毛質のブロンドヘアーは昔見たそれと変わらない。まさしく、彼女こそが私を滅ぼす女、エディスだ。
「困っている人を放っておくほうが、良くないと思いますので」
彼女は私の返答に困ったように笑う。
***
小さい頃、自ら乞食の格好をし、彼女を殺しに行った日。今でも私は覚えている。刃を突き立てた時の感触。どさりと倒れる音。驚愕から無を示す彼女の顔。
確かに殺したはずの、何も抵抗も出来なかったあの子。
***
編入直後、講義室で彼女が挨拶にまわっていた。
私の順になった時、確かに言った。
「私、平民とは口を利きたくないのよ」
彼女と関わりたくない。
そんな一心で思わず発せられる言葉。
私の取り巻きはもちろん、部屋中の人間が一瞬固まった。だが、その中で彼女だけは、その重圧から解き放たれたかのように佇んでいる。
彼女は、困ったような笑顔を浮かべた。
「じゃあ、れっきとした貴族として認められるよう、頑張りますね」
言い返されると思わなくて、私は呆気にとられる。それからというもの人々は、彼女の能力に、何よりも人柄に、絆され、惹かれていった。私の取り巻きもいつの間にかあいつに執心した。
取り返そうとも思えなかった。
学園における社交なんて、正直もうどうでもいい。周辺貴族との親交なんて、兄たちに任せとけばいい。婚約者なんて、入学直後、両親に決められた。未だにそいつの顔を私は知らない。
ただ、勉学に、魔法の訓練……成績に残るものに関しては熱心に励んでいた。そのときだけは、両親に褒められるから。
それすら彼女が奪うとは思っていなかった。王家を凌ぐともいわれる、彼女の魔力。彼女が魔力の実技演習を披露した日、私の世界が滅ぶ音がした。
それから苛立ちが募る日々は続く。彼女がこちらに度々話しかけてくることも、余計に苛立たせた。
『ライアさまは、いつも頑張ってらっしゃいますね』
『あなたは、たまにつらそうな顔を見せるので、心配になります』
『この教科を教えていただけますか? えぇ、正直他の先生よりも、教え方が上手なんですもの。……ふふ、ライアさまは優しいですね』
でも、何よりも苛立たせたのは、彼女の言葉を後生大事にとっておこうとしてしまう、自分自身だ。
彼女のくれる言葉は、私がかつて両親から貰いたかったそれによく似ていた。
***
背中を叩かれる感触で、意識が戻る。
「困っている人を放っておくほうが、良くないと思いますので」
酸っぱいにおいがすると思えば、地面が吐瀉物で汚れている。それを聖人ぶって介助する女。
――誰のせいでこうなったと思ってるのか。
「……反吐が出るわ」
「そんな汚い言葉を使ってはいけませんよ」
「私は、ただただ関わらないで欲しいだけよ」
きっ、と彼女を睨みつける。私は目つきが悪く、これだけで大抵の人間は怖じ気づく。
それでも彼女はただただ、いつものごとく、困ったような笑い顔を浮かべ、首を傾げた。
「何がおかしいのよ」
「だって、ライアさまがかわいらしいんですもの」
あいさつの後に、今日の天気はいいですねと言うかのごとく、私を可愛いと言った彼女。
「は?」
――この女は、何を言ってるの?
あまりに唐突なそれに、私は思考停止してしまう。ゾッとする、艶めかしい声色だった。頬は分かり易く紅潮していた。これは、あの品行方正な彼女? 温厚と知られたあの彼女?
こんな顔、見たことない。
「私、知ってたんですよ。貴女が私を殺そうとした人間だって」
薄着の女を不躾にまなざす男、絶世の美男子に恋焦がれる少女……彼女はどちらのようでもあり、どちらでもない。ただ強く私を欲望している……それだけが良く解る。
「っ」
本能が警鐘をならした。今すぐこの場を離れろと。
薄められた瞳が開かれる。大きく開かれた瞳孔の、その深淵に映るのは私だった。
恐怖で身がすくむ。
かつて自分を害した人間を『かわいい』という感性。それは私には理解しがたいものだった。
「今でも思い出せます。背中から刃を突き立てられた時の事。あの瞬間の重くなる体を。刺しっぱなしのまま呆然としながらおとうさんおかあさんと呟きだしたあなたを」
「来ないで」
――彼女を殺害した当時。
父と母は、予言の内容を知ると、以前よりも露骨に兄を重んじるようになった。わざわざ予言が下るほどだ。きっと娘は若いうちに死んでしまうだろう。時間をかけて世話するのは無駄だろうと。そうして私は見放された。
ただ私は両親の愛を取り戻したかった。
だから彼女を殺した。
「……っ」
回想を振り払うがのごとく、彼女へ魔法を放つ。
背を向け駆けながら、手のひらサイズの火の玉を一つ、二つ、三つ。
瞬時に彼女の周りに張られる障壁は、それを難なく防いだ。半透明の障壁が解除される。彼女の口元はは不自然なまでに急な弧を描いていた。
「私、一目惚れしちゃったんですよ。あの時」
怖い。
「近づかないで!」
彼女は何がおかしいのとばかりに、くつくつと笑う。誰かここに来て、と祈ったが人影の一つも見当たらない。
ここで、攻撃魔法を人に放ったのは紛れもなく私で、間違いなく立場が危ういのも私だ。それでも、誰でもいいからここに来てくれ、と思った。
怖い。
「あの頃は、唯一の肉親だった母が死んで、呆然と生きていたんです。そこに、貴女が現れたんです。私を突き刺す貴女を見て――これなら死んでもいいって思いました」
浮ついた口調で話しかけられるが、言ってる内容は狂気そのものだ。一歩後ずさると、彼女は二歩踏み込む。
「そうしたら、たまたま高名な魔術研究機関所属の人が通りかかって、異変に気付いたみたいで――そうしたら、こんな体に」
唐突に彼女がナイフで自らの腕を切りつける。地面に血が滴る。雑草がその血を受けると瞬時に枯れていく。
いつのまにか彼女との距離が次第に縮まっていた。
「ここでは言えないような試験中の蘇生術とかいろいろされて……全身の体液が毒になってました。おまけに本来は無かった魔力が私に産まれちゃったみたいです……あ、これ禁術でした。ここだけの秘密で。うふふ」
「……っ」
地面が、ちょうど拳サイズに隆起し、私はそれにつっかかった。彼女の行使した魔法だろうか。受け身が取れず、全身を強打する。激痛で身動きが取れない。
「貴女に会いたくて、機関の人に納得してもらえるように、頑張ったんですよ? 人体実験も。貴女を知ろうと頑張ったんですよ? 聞き込みしたり、侵入したり……うふふ、これ以上詳しくは言えませんが」
彼女が、地べたで這いつくばる私の目の前に足を運ぶ。立ち止まると、片足を軸にし、鼻歌交じりで1回くるりとまわる。その仕草は幼い少女そのもので。
――私の中には、恐怖を通り越して困惑だけがある。
「私は貴女を愛してる。そして、貴女も私を愛してる」
「……違う」
「違わない」
切りつけてない方の手で私の腕を掴み、立ち上がらせる。どんなに逃げようと思えども、私の肉体は抵抗を諦めていた。
彼女のオーラのようなものをひしひしと感じる。王家を凌ぐ魔力の持ち主でもある、この噂が本当であることを本能で理解した。
「私は、貴女がずっと求めてやまないものをあげれる」
「そんなものない」
「目を閉じてください」
ハンカチで口をふさがれる。瞬間彼女の顔が近づき、その上から口付けられる。
「……気持ちが悪いわ」
「でも貴女が望むこと、望む言葉、見つけてそれを与えられるのは、きっと私だけですよ」
最後の抵抗としてまた彼女を睨みつける。彼女はくすくすと、その慈愛の籠った笑みを浮かべるだけ。
そりゃそうだろう。
人間は、しっぽを膨らせ威嚇する猫を恐れない。
「……ああ、かわいくて、可哀想なライアさま。頑張り屋のライアさま」
ため息を漏らし、先ほど押し当てたハンカチの、私の口が当たったほうを、ぺろりと彼女は舐める。
気色が悪い。そう思いながらも、今までに感じたことないほど自分の鼓動が高鳴る。私は彼女の言葉に、行動に、満たされている。
欲しかったものを奪ったのは間違いなく彼女。なのに彼女に心動かされているのも間違いなくて。その事実が悔しくてたまらない。
「今はこれで我慢してあげますね」
彼女は、安心させるかのように微笑む。それは不気味でもあり、聖母のような神々しさすら感じる笑みだった。
「でも私を捨てようとしたら、口付けて差し上げますからね。この毒だらけの唇で」
先ほどの接吻を堪能するかのように、彼女は唇を舌でなぞった。
「永遠のまどろみを与えるような、深く、情熱的な……」
彼女は爬虫類のような目で私を見つめる。瞳孔の奥深く、焼け付けるかのように。私の瞳も固定されたかのように、彼女から目を離せない。
「お慕い申し上げます」
もう――逃れられない。
彼女からも、運命からも。
「お嫁に行くなんて、絶対許しませんからね……愛してます、ライアさま」
「……っ」
「照れる貴女も可愛らしいです」
そして、彼女の与える滅びが、ほろ苦くもありながら、甘やかであることに……気付いてしまった。
ここまで読んでいただきありがとうございます