9. 予想外な出来事(過去 後編)
朝になると、シリウスがリアンに会いに来て、昨日は可愛かった、早く結婚したいと話してきたが、リアンの頭にはその言葉が残らなかった。リアンは今朝の夢のことが気がかりで、愛する人の甘ったるい話に何も思わなかった。
二人はいつものように近くの湖畔まで散歩をし、そこでゆっくりと湖を眺めていた。
風が頬をくすぐり、空気が澄んでいるので、穏やかな気持ちになる。
どうしよう。心が騒つく。
いつものように心安らかになれず、リアンは焦っていた。
今朝の生々しい夢のせいで、そんな気持ちにはなれない。
あんな鮮明な、痛みも流れ落ちる血も感覚として覚えている。
あれは星宿の力ではないの?
リアンは右手の親指に星形の痣がある。けれどついに成人するその時までなんの力もなかったので、たまたま星形に見える痣がここにあるのか、そう思っていた。
あの奇妙な夢がただの勘違いとは思えず、リアンはシリウスの顔を直視できない。
(誰にも知られてはいけませんよ)
幼い頃に両親に言われたことを思い出したが、シリウスになら、告げていいのではないか、そんな気がした。
シリウスは王になる。そして、私もその隣に座る。だから、これは、避けるべき未来として、彼に伝えた方が良いのではないかしら。
そんな気持ちから、リアンはシリウスの袖をツン、と引っ張り、隣に座る彼をこちらに向けた。
「シリウス……私、実は……」
「ん?」
優しく話しかけるシリウスにリアンは今朝の夢の話だけをした。まだ、星やかもしれないとは、告げれない。
すると、シリウスは一瞬固まって、その後、フッと笑った。
「それは夢の域を出ないよ。僕は死なないよ、リアン」
そう言って、シリウスは自身の秘密を見せてくれた。己の痣を見せると「星宿の力が、私にはあるのだよ。だから大丈夫」リアンへ笑いかけた。
どうしよう。私は何にも言えてない。
リアンはシリウスが隠していた秘密を自分に打ち明けたのに、驚愕なんかなくて、不安だけが心を占めているのに、驚愕しているふりをしたその顔はとても複雑なものだと思う。
シリウスの表情よりも、今もなお自分が隠している事実が後ろめたくて、心が苦しくなってくる。
私も言ってしまいたい。私の右手の親指にも同じものがあるよ、と。
けど告げれば、今まで顕在化しなかった能力と、昨夜のあまりにも現実に近い感覚まで伴う夢がただの夢ではないと、告げるようなものだ。
だから、黙って笑顔を作るしかない。
「星宿の力があるの? すごい。シリウスの治世は安泰だわ」
これはなんの因果なのだろうか。
一番告げたい人に、何故か言えない。子供の頃に言われ言葉が鎖のように私を縛っている。
でも、それだけではない。私が言えないのは、これが事実だと認識したら、幼い頃から描いていた『幸せな未来』が崩れるからだ。
だから、この秘密を隠し通さなけれざならない、そう思っているんだわ。
彼は私の抱えている秘密と同等のものを打ち明けたのに。
シリウスが自宅まで送ってくれたのでリアンは屋敷の門扉の前で、シリウスに礼を言って屋敷の中へ入る。
二人がいつも行う習慣だが、何故かこの日はとても名残惜しく感じた。
後ろめたさが、そうさせているのだろう、とリアンは思っていたが、うまく割り切れない。
屋敷に戻るとリアンの両親が、リアンに駆け寄り、何故かそこはかとなく自分を気遣う態度を見せるので、リアンは両親を促した。
成人の儀でリアンを見た現王が気に入り、リアンは現王の側室としての輿入れが決まったことを伝えた。
「なぜ、ですか?」
そうか、落胆が心を占める。でも、どこか安心もしている。
「リアン、シリウス殿下はお前を愛している。けれども、お前も殿下も愛する者が婚姻を結べるほど地位は低くなく、リアン、お前は自分で相手を指名できるほど地位は高くない」
「シリウスは知っていますか?」
シリウスは知っていて、何にもないような顔をしていたの?
すがるように父を見ると父は首を横に振る。
「わからないが、知らないと思っている。お前とシリウス殿下の婚姻を望んでいたのは、殿下と王妃様だ。私は所詮、侍郎と言う身分だ。陛下も諸侯たちも、侍郎の娘が未来の王妃となるには、あまりにも身分が釣り合わないと言っておられた。それでも、殿下はお前との婚姻を望み続けてくれたんだ」
私、全く知らなかった。狼狽するリアンを気づかないながら父は続けた。
「陛下は兼ねてよりシリウス殿下には他国の姫と婚姻を結び、諸国との繋がりを持ちたがっていたのだよ」
「他国の姫……ですか?」
リアンは胸騒ぎがした。シリウスの固まった表情がこびりついて離れない。
「ああ、鳳国の姫だ」
シリウスのあの固まった表情は、そういうことだったのね。
「どうして、お父様が? その話をご存知なのは、礼部だからですか?」
「礼部は外交と祭事を執り行うからね、そういう話は一番に耳にする。陛下はリアンを側室にあげることで、憂いもなくなったから、随分と前から上がっていた鳳国の姫との婚姻関係を推し進めるだろうね」
「そう……ですか」
父はすまなそうに、拳を膝の上できつく結んだ。
リアンは頭が真っ白になり、ヘナヘナとその場に座り込んだ。母はリアンに駆け寄り、娘を憂いて、泣きながら抱きしめた。
「リアン、王の側室となることは王の勅命だったの。ごめんなさい。私達に拒否権はないの」
わかっているわ。お母様。私はね、随分前に話が上がっていた鳳国の姫との話を知らなかった。
私はシリウスと結婚の約束をしているのに知らなかったわ。
私はあの夢の話をしたのに、知らなかったの。
私は星宿の子かもしれない、それを言えなかった。シリウスは私の夢の話をしたのに、鳳国のことをずっと隠してきた。
結局私達は一番伝えなければならないことを、互いに隠していたのね。
成人の儀をしたというのに、伝えにくいことを隠す幼な子だったのね。
⭐︎⭐︎⭐︎
リアンは、昔を懐かしむように目を細めていたが、その後、クスリと自嘲した。
「その後、先王陛下への輿入れの前にシリウス様には私が星宿の子であることを伝えたわ。彼はまた固まって、ごめん、と謝ったの。そして、王妃は息子の毒を使って命を落としたのよ」
アルデバランは微動だにせず、じっとリアンを見ていた。
かける言葉を持ち合わせていなかった。
「互いに諦めきれなければ全てを捨てて逃げれば良かったのに、それができなかったわ。その結果、私達は実に中途半端なことをした」
私を娘のように可愛がってくれた先王妃様。その子が先王の側室になることを、息子の愛するものをいとも簡単に奪ってしまう夫に息子の毒の力を使って、復讐をした。
自死という選択をし、この国の法に則り、夫を玉座から引き摺り下ろし、死ぬまで後悔させ続けた。
そして、自分に子が宿せないと知り、先王妃様と共闘して、夫と私の相引きを黙認した現王妃様。
彼女は今も夫の行動を黙認している。
弟にはめられ、自分の毒を用いて弟をはめ返し、断罪したシリウス。
「私達は私の見た夢の通り殺されなかったわ。けれど、私達以外を傷つけて殺したの。だからね、せめてこれ以上、彼女だけは、これ以上傷つけたくないのよ」
「それで私に協力しろと、そういうことですね?」
「そうよ」
アルデバランは「わかりました」と静かに返答した。
「私達王の星は、リアン様と同じように先読みの力があります。私はリゲル様がこの世を長く安寧としてくださる王と、先読みで出ました。だから、私は彼が王となることを望んでいます」
リアンは目を大きく見開いた後、一筋の涙を頬に落とした。アルデバランの言っていることがわかったからだ。
先読みは全ての王の星にあるが、それぞれが見る未来は異なる。だからこそ、その時代毎で、自身の王とする者が共通ではない。
高確率で起こりうる未来なだけであり、先読みも外れることがある。
それほど、先読みの力はそあてにはならないならない。
そう彼女に真っ直ぐ伝えてあげたいが、リアン様は立ち直れないくらい落ち込むかもしれない。
言えない言葉を飲み込み、アルデバランは代わりに微笑んだ。
「いいですよ。どこまでもお付き合いします」