4. 牽制
リアンの家に入ると、カルトスは部屋の中央にある卓の前にある椅子に腰掛けると、リアンが淹れた茶をすする。
カルトスの隣に腰掛けているレグルスは首を左右に振って、辺りを見渡している。
「それにしても……」
「質素?」
「それもそうですが、護衛が一人もいない、と言うのが俄に信じられず、探してしまいました」
「おい!」
レグルスの不躾な発言にアルデバランが思わずツッコミを入れた。
「私がいるから、護衛は不要だと、リゲル様が王帝へ進言し、承認されたのです。護衛がいたら、不便ですからね」
レグルスはアルデバランを見たあと、卓に置かれた茶に目を落とす。
「………まあな」
(お前が、な)
リアンは澱んだ空気を払拭するように、にこやかに微笑み「なにか、困ったことがあって、中央にきたのよね。私はリゲルの家に遊びに行っているから、終わったら、アルビーちゃんが迎えにきてね」と言って、そのまま、家の外を出た。
「あ………、家主を追い出してしまった……」
カルトスが、しゅん、と肩を落としていると、アルデバランはレグルスの向かい側の席に座り「問題ないですよ。私の使者が空から護衛をしておりますので」と言って気にしないように声をかける。
(そう言うところではないのだけれど……)
「ありがとう」
アルデバランは、カルトスの指にはめられた指輪に視線を落とす。
「結婚ーーされるんですよね?」
「はい……」
どこか苦々しく、カルトスが返答したので、アルデバランは察したように息を吐く。
「リゲル様へ結婚のご報告にいらしたのですね。明日の昼頃に執務室へ行くと良いと思います」
「アルデバラン! わざとらしく、話をそらすな」
レグルスが、アルデバランの話を遮って、本来の話の目的へ戻そうとする。
「お前の王もそれを望んでいるのか?」
「我が王は何にもおっしゃっておりません。なぜ、そのように思うのですか?」
「それは、お前の王が思わせぶりがすごいからだ」
レグルスの発言に、時が止まった。
「あの、詳しく教えてもらえませんか?」
アルデバランの言葉に、二人の会話を見ていたカルトスが重い口を開き始めた。
ことの発端は、カルトスの赴任祝いをかねて送られた品だった。
御礼の気持ちを認めた文を送ると、リゲルはまめなのだろう。そこから度々文通が続いた。
そして、誕生日には必ず装飾品や衣服を送ってくれるようになったのだ。
王族が私用の文を送るなど、前代未聞である。ましてや、それが王位継承権第一位となれば、かなり慎重に動かなくてはならないのだが、リゲルは17まで虐げられていた王族のため、そのような素養が極めて低い。
「何年も文を送り合う仲なので、この気持ちが恋なのか、尊敬なのか、私自身も分からないのです。ただ、確かめたいとは思っていましたが……」
「私が無理やり、連れてきた。後悔するよりは良いと思ったからな」
レグルスの言葉にアルデバランは、深くため息を吐き、額を手で覆うように隠した。
頭が痛いのだろう。
「それは、貴方の勝手ではないですか、レグルス」
「まあ、互いに後悔がない方が良いだろう?」
レグルスの言葉にアルデバランは何かに気がついたように、覆っていた額から、手を離した。
「……前例がありますからね」
「リゲル様には、ただ、結婚のご挨拶だけをさせてください。それだけ、お願いします」
カルトスの言葉を聞いて、アルデバランは指笛を吹く。どこからともなく、隼が飛んできて、アルデバランの腕にとまった。
「いいでしょう。ある意味、貴方も被害者ですし、取り計らいますよ」
隼はアルデバランに撫でられたあと、キュルキュルと鳴き、そして再び窓から飛び立った。
カルトスは飛び立つ隼を目で追いながら、意を結したように、エメラルドの指輪をキツく握る。
「ありがとうございます」
隼がリゲルの執務室へ訪れた時、リゲルはそれが誰のものか
知っていたので、母に何があったのではと、気がぜっていた。
「おいで」
隼はキュルキュルないて、リゲルの腕に乗ると、リゲルの頭の中に直接、言葉が響いた。
(なるほど……。アルデバランは毎日、こうやって、情報を得ているのだな)
「ありがとう。わかったよ」
リゲルは隼に執務室の机の引き出しに用意していた木の実を
渡すと、執務室を離れ、廊下を歩く。
(カルトスが来ている、だと)
リゲルは足早に廊下を歩き、身なりを整えながら、会ったら何を話すか、と考えていた。
(結婚おめでとう、というべきか、官吏を辞めることを言うべきか……)
リゲルにとって、カルトスは特別な存在だった。
リゲル自身が疎ましいと思っている王室とは無縁で、政治も関係なく、仲が良くなった友である。
まともな兄弟などいないリゲルにとってポルクスとカルトスは弟、妹のように愛しむ気持ちと、分け隔てなく接してくれる貴重な友人だった。
だから、最初は、その両者の域を超えないように接していた。だが、次第に届く文に、少しずつ心境が変わっていった。
カルトスは動物を使役できる。
だが、それをせず、わざわざ文を認めてくれた。文字の変化や、言葉の変化に成長を感じて、次はいつ来るのだろう、と楽しみになっていった。
考える時間が多くなるほど、誕生日や、赴任先であると良いものなどを送っていた。
きっと、喜んでくれるだろう、そんな親心や兄心にも似た気持ちだった。
だが、ポルクスから、カルトスが結婚をすると聞いた時、何故か胸がざわついた。
胸のざわつきはおそらく、わかっている。
わかっているが、どうすることもできない、と思って時が解決してくれるのを待つことにしたのに、今、カルトスが宮にいると聞いて、はやる気持ちとなっているのはなぜだろうか。
リゲルは足早に歩くと、昼間見ていた庭園で、一人練習をしている人物を見つけた。
その者は暗闇の中で、槍を振り回し、赤色の瞳が美しい武官で、カルトスの婚約者であるアルファスだった。
(私は運がないのか、あるのか)
リゲルは薄く笑うと、槍を振り回している人物に気付かれぬよう、そっと廊下を通り過ぎる。
アルファスの振り回している槍の切っ先が、月明かりを反射して、やたらと眩しかった。
リゲルが母の家に着くと、一年ぶりにみるカルトスがそこにいた。栗色の髪は長くなり、背中まであり、長いまつげの奥には緑色の瞳があった。
唇はぷっくりとしており、きめ細かな白い肌が全身を包んでおり、服の上からでもわかる程度に胸も成長していた。
(久しぶりだ………。ああ……、随分と女性らしくなった)
「カルトス、どうしたんだい?」
リゲルが椅子に腰掛けると、カルトスの長いまつげが一度伏せ、また開いた。
カルトスの指先には緑色の石がついた指輪がはめられており、リゲルの視線が石に向いた時、胸が締め付けられるような、今まで、色とりどりの世界にいたのに、突然モノクロの世界になったような衝撃を受けた。
(結婚‥‥するのか)
「リゲル様……、あの、私」
ドンドン。
カルトスが話し始めた矢先、扉を叩く音がきこえ、カルトスは話すのをやめて、扉に視線を向ける。
アルデバランが、扉を開けると、そこにはアルフィアスがいた。
アルフィアスは「失礼します。リゲル皇子」と言って、膝をつくと、中にいたカルトスを見つけ、にこやかに笑った。
「よかった。間に合ったのだな、カルトス」
「アルフィアスさま!」
アルフィアスの顔を見たカルトスは真っ青になり、口元を手で覆う。口元を覆った手には、アルフィアスが渡した指輪があった。
レグルスは腕組みをし、アルデバランはリゲルの様子を横目で見る。明らかに、方向違いをしているのだろう。
表情は変わらないが、心音が速かった。
「窓、開けていい?」
レグルスが突然、そんなことを言うと、リゲルは「ああ、構わない」と返答したとき、心音が少しずつ落ち着きはじめた。
レグルスは窓を開けると、近くにいたリスに指で触れ「こんな空気は早く外に出さないとな」と冗談めかしていった。
「レグルス、笑えないぞ」
「申し訳ございません。リゲル皇子」
レグルスは態と仰々しく挨拶をした。
「アルフィアスさま、どうして、こちらに? こちらはリゲル皇子の母上、リアン様の邸宅ですよ? おいそれと訪問して良い邸宅ではないはず」
アルデバランはゆっくりとアルフィアスを牽制する。
「申し訳ございません。妻の学友であるリゲル皇子に、此度の結婚式の報告に参った次第です。妻より、リアン様の邸宅で、ご挨拶をする旨伺っていたのに、私だけ遅くなりましたこと、申し訳ございません」
アルフィアスは丁寧に、リゲルへ伝えた。
「そうでしたか」
リゲルはそう返答すると、精一杯の笑顔をカルトスに向けた。
「末長く、お幸せに」
「はい……。ありがとうございます」
カルトスの心は虚無となり、その言葉を搾り出すのが精一杯だった。
カルトスはリゲルに頭を下げると、レグルスの前を通り、リアンの家を出て行こうとする。門前で待つアルフィアスの前まで来ると、アルフィアスがカルトスの腰に手を回した。
「皇子、謁見の機会を賜り、ありがとうございます。レグルスさま、妻をお連れいただき、ありがとうございました。それでは失礼いたします」
扉が閉まる音が聞こえ、レグルスは「間に合わなかったか」と、小さく悪態をついた。
リアンの邸宅を離れて、しばらく歩いたところで、アルフィアスがカルトスに問うた。
「なぜ、ここに? 中央に来るのは来週のはず、なぜですか?」
カルトスがゆっくりと口を開こうとした際、背後から声をかけられた。
「カルトス?」
聞き慣れた声にカルトスは顔をあげる。
自分とそっくりな顔をした青年がそこにはいた。
「ポルクス……」
ポルクスはアルフィアスとカルトスの雰囲気を察知したのだろう。
「アルフィアス様、申し訳ございません」
ポルクスは、アルフィアスへ一礼をすると、理由もなく話し始めた。
「実はリアン様の計らいで、カルトスの結婚祝いをしようと、レグルス様に頼んで、少し前に王宮入りしたのです。ですから、ほら、カルトスも指輪をしていますでしょう」
「そうでしたか……。リアン様の……。ああ、だから皆さんいらしたのですね」
「はい。ただ、吏部は仕事が忙しく、やっと終わったところでして、遅くなってすまなかったな、カルトス」
カルトスは首を横に振る。
「そうとは知らず、私はとんだ勘違いをしてしまった。妻が皇子と密会していると、少し疑ってしまった。すまなかった。だが、それならなぜ弁解をしないのだ?」
「こちらこそ、お伝えせぬままでおり、申し訳ございませんでした。カルトスも疑われていると、察したのでしょう。当人が言えば言うほど、疑念は深くなるばかり。そのような時は、貝のように口を閉ざした方が利口ですから」
ポルクスはカルトスの肩を抱くと「連れていっても良いですか?」とアルフィアスに尋ねる。
アルフィアスは首を縦に振る。
「もちろんだ。兄上がいれば安心だ」
遠くの方で、梟の鳴いてる音が響いていた。