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2. 辞職願

 リゲルが朝議を終えて、宮中の廊下を歩いていると、同じ町議に参加していた白服を着たポルクスに呼び止められた。


「リゲル皇子、少々、よろしいでしょうか?」


 リゲルは「わかった。執務室へ来るように」と返答する。


「ありがとうございます」

 ポルクスは右手に作った拳を左手の掌で包み、それを目の位置まで上げて、皇子へ礼をする。


 リゲルは「うむ」と言って、ポルクスの前を離れると、近くにいた従者がリゲルの側を追う。

 その際、従者の腰につけた黒曜石の玉が陽の光にあたって煌めき、ポルクスの顔に反射した。


(5階級上、か)


「もう少し、お立場を考えてから行動なさってください」

 リゲルは後ろから指摘してきた従者を見るため、振り返る。

「何の話だ?」


 リゲルの従者は、ふう、と息を吐く。

「ポルクス様はただでさえ、若くて向かい風が多いです。あなたと仲が良いというのも彼をよく思わぬ人にとっては、目障りなことですよ」


 リゲルは顎に手を置き「わかってはいる」と言って、従者から目を逸らした。


(不器用な方だ)


 従者はリゲルの艶やかな黒髪を見ながら、そのように思った。


 従者の名はルカと言った。

 ルカは元々、王帝シリウスの側近だったが、シリウスからリゲルを教育するよう賜ったのが半年前で、それ以降、リゲルに付き従っている。


 ルカから見ると、リゲルは王族とは思えぬほど威厳も傲慢さもなかった。

 彼は生まれてから最近まで不当な待遇を受けていたため、良くも悪くも一人で何でもしてしまう。


 誰かに考えを聞くでもなく、抱えている問題を共有するわけでもない。


 現時点でリゲル自身が抱えている問題は、さほど多くもない。だが、彼を支えている官吏において、何ら相談もないとなると、不満が湧いてくることになる。

 周囲の不平、不満をなくし、平等に声を聞くことも上に立つ者の役目である。


(気長に行くしかない)


「せい! せい」

 リゲルが、廊下を歩いていると、荒々しい声が聞こえてきたので、リゲルは声のした方に目を向けると、庭園で武官が鍛錬をしている場面に遭遇した。


(今日は宮中訓練日だったか……)


 国のために鍛えてくれている者の前を素通りするなど、リゲルにはできない。

 リゲルは自身の打ち掛けを脱ぎ、ルカに打ち掛けを渡すとそのまま庭園に降り、武官の鍛錬を指導している左軍将軍に声をかける。


「将軍、皆さん、いつもありがとう」


 リゲルの声に気がついた将軍は「リゲル皇子」と大きな声で返答する。


 リゲルはニコリと微笑みながら、近づく。

「今日は暑いので、後で冷たいものを差し入れさせましょう」


 おお! という野太い男たちの歓声が湧くと、将軍が群衆へ睨みつけると、蛇に睨まれた蛙のように歓声はぴたりととまった。

「ありがたい。お心遣い、感謝いたします」

 

 リゲルは将軍へ微笑みかけると、群衆の中にアレクセイがいることに気がついた。


(たしかに、左軍だったな)


 リゲルは緋色の瞳のアレクセイと目があい、話しかけようと口を開いた時、後方から「リゲル様」と声がしたので、口をつぐんだ。


「わかっている」


 リゲルはルカに返答した後、庭園にいる武官へ「次の予定が近いようです」と言って、微笑みかけ、庭園を後にする。


 ルカも廊下から、武官たちへ頭を下げると、リゲルが庭園から上がってくるのを確認した後、リゲルへ打ち掛けをかける。


「なりません」


 ルカの指摘に打ち掛けを整えながら、リゲルは小声で応える。

「わかっている、と言った」


「ですぎたーー」

「いや、ありがとう」


 わかってはいた。だが、興味が勝っていた。

 リゲルはルカへ礼を述べると、執務室へと急いだ。


 リゲルが執務室へ着くと、侍女に茶を出してもらっていたのか、くつろいだ姿のポルクスとアルデバランが談笑をしていたので、リゲルは思わずくすり、と笑ってしまった。


 それを見ていたルカの目が険しかったので、すぐに口角を緊張させる。

 リゲルは打ち掛けを脱いで、近づいてくるアルデバランに手渡すと、執務室の椅子へ腰掛ける。


「リゲルさま、おかえりなさいませ。ポルクス様から伺ったのですが……」

 

 リゲルは興奮気味のアルデバランの言葉を遮るように掌をアルデバランの前に出す。


「話とは、なんだ?」


 ポルクスが、頭を下げてリゲルの前へ立つ。どうやら、リゲルのこの不遜な態度は、半年前からきたルカが原因だろう。

 ポルクスも上司へ報告するような態度を続ける。


「こちらを。カルトスから預かりましたので、お渡しします」


 ポルクスが懐から差し出した手紙は辞職願と書かれていた。


 リゲルは、悲しそうにその手紙を受け取ると、引き出しへしまった。


「随分と、早い、な。私に出さずとも、ポルクス、吏部であるお前が処理すれば良いだろう」


「妹からは学友のリゲルさまへ渡すように、言われましたので」

「そうか」


 リゲルは、苦虫を噛み潰したように眉を寄せた。だが、すぐに平静を取り戻し、卓の右横に積み上げられた書類に目を通し始めた。


「来週、妹がこちらに来るそうです。向こうの家族と食事をするそうです。これで最後かと」


 ポルクスがそういうと、リゲルは書類から顔を上げる。


「……そうか。めでたい話だな」

「はい、とても」

「何か祝いの品でも、贈ることにする」


 リゲルの指が小刻みに震えているのを見たポルクスは、リゲルへ礼をすると、執務室を後にした。


 一連のやりとりを見ていたルカが足早にポルクスの後を追って、声をかける。


「ポルクス殿、なぜ、あのようなことを?」

「妹に頼まれたので、辞職願を直接渡しました。出過ぎた真似をしたこと、申し訳ございません。ですが、皇子と我々は学友でしたので」


 ポルクスは振り返ると、ニコリと微笑む。

「そんなことを聞いていない」

 ポルクスは背筋を伸ばした。


「少なくとも、私の概念では、年頃の男女が、双方の誕生日に毎年贈りものをする関係は、相思相愛と思いました」

「仮にそうだとしても、どうにもならんことがある。次期皇帝と一塊の役人では」


 ポルクスはルカが暗に何を指しているのかを、悟った。悟った上で、眉を動かさず返答する。

(仮に現帝と、リアン様のことを意味したとしても)


「そうですね。ただ、後悔のないよう、振る舞うことはできます。互いに気持ちを押し込めて、何になりましょう。それこそ……いえ、納得のいくことが大事かと」

「それで、其方の妹が傷ついても、か?」

「決めるのは妹です」

「後悔することになる」


 ルカは腰につけた黒曜石が揺れ動くほど大きく踵を返すと、そのままポルクスの前を去っていった。


 ルカは廊下を闊歩しながら、数十年前のことを思いふける。

 

(私は反対できなかった。リアンとの恋を応援することもできなかった。本人たちが自覚をしていても、どうすることもできないのに、お前は、本人すら認めていない想いをこじ開けて、どうするつもりなのだ、ポルクス)



「聡いって、不幸だよね」

 アルデバランがベンチで編み棒を動かしながら、レグルスにそう言った。北部から視察に来たレグルスはアルデバランが器用に編んでいく姿を横目で見ながら、息をついてベンチに座る。


「なに、そのあからさまな態度?」


 不満そうに頬を膨らませているアルデバランを見て、レグルスが、パチンと音を立てて編み棒と系とを取り上げる。


 宙に浮いた編み棒と毛糸は猛スピードで、動いて、マフラーを編み上げていく。


「俺のため、だろう?」

「違います。これは、リアン様が北部へ送る物資です。リアン様の名前を出すと面倒だから、北部の官吏であるレグルスとカルトス名義にしているけれど、断じてレグルスのためではない」


 アルデバランがパチンと指を鳴らし、宙に浮いていた編み棒と毛糸がアルデバランの手元に収まった。

 先程のようなスピードはなく、アルデバランの意志で動く。


 レグルスは興味を削がれたのか、立ち上がると、ふわふわと宙に浮き始め、慌てるアルデバランをよそに、くすり、と笑っい「帰る」と言って、空高く飛び上がった。


「勝手な奴だなあ」

 レグルスがいなくなった空を見上げて、アルデバランは思わず愚痴った。


 ポルクスを見ると、あまりにも頭が回りすぎるのも不幸だと思わずにはいられなかった。

 本人達ですら、気がついているのか、いないのか、いや、気がついてはいるが、互いに蓋をしようときめた想いを、無理やりこじ開けて、後悔する前に向き合わせようというのは、案外酷なものだ。


 アルデバランやレグルスにとってみれば、わかることだが、普通の人間からしたら常軌を逸している。

 決着のつかぬ想いの結末を見てしまっているからなのかもしれないが、身分という超えられぬ壁があるのは事実だ。


「結婚かあ……してみたいな」


 アルデバランは5000年も叶えられていない夢を抱き、息を吐いた。


 

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