1. ポルクスとレグルス
リゲルが王帝の養子となって4回目の夏が訪れようとしていた。
龍王国 王位継承権第一位のリゲルが執務室で書類に署名をしていると真っ白な服を着た少年が、勢いよく扉を開けて入ってきた。
リゲルの友人であり、官吏であるポルクスは、大量の書類と共にリゲルの前に現れると、リゲルの未処理の書類のすぐ横に新たな書類を丁寧に置いた。
「追加だよ」
リゲルは一瞬だけ、筆をとめた後に「ああ」と返事をし、何事もなかったかのように再び署名をしていた書類に目を落とす。
ポルクスの双子の妹のカルトスが手がけている北部の農作に関わる書類だった。
「北部は冬を越す方法がまだ課題だな。だが、この4年でだいぶ改善した」
「‥‥そうですね」
ポルクスはリゲルを横目で見る。
あからさまな他人行儀にリゲルは違和感を覚えたからだ。
「話があるのか?」
この春、第二次成長期を迎え、身長がメキメキ伸び、リゲルの背に届こうとしていた。おそらく、ポルクスはリゲルを追い越すだろう。
そんな男がまだまだ少年臭さを残しながら頬を膨らませていたから、不思議だ。
「カルトスに見合い話が来ているんだ」
リゲルはポルクスの言葉に目を見開き、ドキリとしたが、平静を装った。
「それは………、良かったな。カルトスも17だ。年頃だから、当然と言えよう」
ポルクスはリゲルの表情が曇ったことを悟ったが、敢えて続ける。
「西部の豪族の息子で、左軍の三番隊隊長をしている………アルフィアス」
わざと歯切れ悪く名前を忘れたふりをするポルクスに対し、リゲルに、アルフィアスという人物を想像し、思い出させる時間を作った。
もし、カルトスのことを、ほんの少しでも意識しているならば、何処かにその片鱗が見受けられる、ポルクスはそう考えたからだ。
ポルクスの思惑があたり、リゲルの顔色が硬直したのち、真っ青に変わった。
気持ちが悪い。
リゲルは卓に置いてあった茶を啜って、この胸に込み上げてくる不快感を胃の中へ落とし込んで流し込もうとする。
だが、消えない。
「そうか‥‥…北部の人事異動も考えなくてはな」
「ありがとうございます。カルトスも道半ばで悔しいと思うから、皇子のご配慮、痛み入ります」
ポルクスは執務室を後にすると、眉尻をかきながら息を吐く。
(まあ、あれが現実的な反応だよなあ)
ポルクスは自分の家に戻ると官吏の白服を脱ぎ、風呂を沸かす。竹筒に息を吹きかけながら、炎の揺らぎをみていた。
ポルクスとカルトスの出自は貴族でも豪族でもない平民であり、それも極めて貧しい北部の出身だ。
時期国王とカルトスが結婚するなど、現実的ではない。それでも互いが思いあっているのであれば、側室でもいいではないか、とポルクスは思っていた。
だから、ポルクスは種を蒔いた。
リゲルの行動が、カルトスに恋心を抱いているものなのか、ただ年下の少女を心配する父性のようなものなのかを。
後者であった。
(自分の親と同じことを繰り返すのか、リゲルは)
リゲルから、リゲルの母リアンと現王帝の関係を聞いた事などないし、聞いてはいけないことだと思っている。
だが、朝議の時や、リゲルが王帝の養子になるのを拒んでいたこと、どことなく王帝とリゲルが醸し出す雰囲気から、二人の関係をポルクスが推しはからぬには十分すぎた。
ポルクスは浴室に置いてある扉を開けると、湯船に手を突っ込み、ちょうど良い温度であることを確認した後、火を消して、竹筒を部屋にしまった。
そのまま外扉から、風呂に入っても良いのだが、そういう癖がついていると、他人の家に招待された時、恥をかくことになるから、面倒でも、一度部屋に戻ってから風呂に入ることにしていた。
部屋から浴室に行くと、そのまま服を脱ぎ、湯船から桶を使って湯を汲み上げ、体にかける。
三度ほどかけたところで、湯船に体を沈め、両手で湯を掬うと、そのまま顔にかける。
(王族とは、面倒な生き物だな)
王族とは、この風呂に入る手順のように細かなルールがある。
☆彡☆彡☆彡
カルトスがお見合いの話を耳にしたのは、ポルクスがリゲルへ告げるひと月前のことだった。
見合い話はアルフィアス本人から言われた。もはやみあいではなく、求婚ではないのかと、カルトスは思いながら、アルフィアスの緋色の瞳をじっと見つめた。
「急なことで、困らせているのはわかっている。けれど……」
レグルスが頬を赤らめながら、カルトスを見つめ、そう言ったので、カルトスも首を縦に振る。
「ええ」
正直、カルトスとアルフィアスは知り合ってから大変日が短い、ということはない。
二人が知り合ってからおよそ半年ほどの月日が経っている。
と、いうのも、北部に設けた地下道に対し、カルトスは何度か王都には足を運んでいたからだ。
その大半の訪問において、レグルスも同席していた。一つは子供であり、女であるカルトスが見くびられないために、もう一つは変な輩からの護衛も兼ねていた。
だが、本来、官吏には武官が護衛につくので、当然当初より中央の滞在中はアルフィアスを護衛官として任務を全うしていた。
だが、冬場は北部の治安が悪くなるので、中央から派遣された官吏が二人とも中央へ行くと北部が機能しないと判断したカルトスが、レグルスを北部へとどまらせていた。
その際、カルトスの地位や働きに嫉妬をしている官吏だったり、いわゆる幼児趣味の変態官吏から、彼女を守るために、リゲルが用意した護衛がアルフィアスだった。
アルフィアスは最初、妹に接するように優しくしてくれた。
だが、ここ最近、カルトスの体つきは幼女から女性へと変わって言っていたのを境にアルフィアスも変わっていた。
尻には肉がつき、腰はくびれ、胸元にも少しずつ、肉がつき始めると、身長はポルクスほど伸びなかったが女性らしい身体つきとなったカルトスを護衛していたのがアルフィアスだった。
ポルクスは湯殿から上がると、卓の上に置いてある本をパラパラとめくる。
(かなり、乗り気なんだよなあ)
本の中にはカルトスから来た書簡がいくつか挟まっていた。
その中身はアルフィアスに対して好意的なものが多い。
だが、その書簡の一部には、リゲルのことを心配するような記載も含まれており、ポルクスもカルトスがどう思っているのか、まるで読めない。
カルトスが恋心を抱いていても、それは望みが薄いからかもしれない。
ポルクスは卓の上に置いてあった琵琶を取ると、しゃくりと皮ごと食べ始めた。
(まあ、俺としてはカルトスとリゲルのことはうまくいこうが、どうでもいいんだ。ただ………)
「幸せになってほしい」
琵琶の種を口から取り出し、台所に捨てた。そして、手の上に持っていた芯も同じ台所の片隅に置くと、外に出て井戸から汲んできた水で手を洗う。
まとわりついたべとつきがとれ、気分も晴れた。
手元が暗くなり、誰かが正面に立っていることに気がついたが、ポルクスは顔を見上げるまでもなく、「なんのようですか?」と言った。
地面に揺らぐ髪の毛や、腰についている玉と思われる影の揺らぎ、見覚えのあるよく見た白色の服の足元が見えて、誰であるかなど、顔をあげる必要もなかったからだ。
「カルトスの見合い話の件と、なぜ私がカルトスの側を離れないか、それを気がつくとしたら、君ぐらいなものかと思ってね」
「まあ……、原理を考えれば容易なことですよ、レグルス様」
手についた水滴をピッピと手を振るって払い除け、よいしょと腰を上げる。
そこには、ポルクスの想像通り、ロイヤルスターの一人であるレグルスがいた。
「今宵は星が綺麗だ。星空観光でもいかがかな?」
レグルスはニコリと笑って、片手をポルクスの前に差し出す。
(気障ったらしい……が、悪くない)
「お供しましょう」
レグルスの手にポルクスの手を乗せると、ポルクスの身体がふわり、と浮いた。そして、あっという間に空高く二人は登っていく。
冷山の頂上まで着くと、二人は手を離し、ヨイショと座り込んだ。
夏場だというのにこの山はひんやりと涼しく、寒気すら感じた。
「カルトスが見合いを受けるかどうか、決めるのはカルトスですよ? 貴方は、兄弟とはいえ、そこまで干渉する権利はない」
ポルクスはジトリとレグルスを見る。
正当な意見である。全うだ。
「ええ。存じていますとも」
ポルクスは虫も殺さないような涼やかな微笑みを向ける隣人を冷ややかな目で見る。
「王妃にもロイヤルスターは傅くのですか?」
「王妃か女王かは分かりませんよ?」
(試されている)
ポルクスは生唾を飲み込む。
「3通りあるからですね。リゲルの妻、かつての麒麟国を収めるものの妻または王たる素質がある、と」
「4通りとは思わないのですね」
ポルクスはレグルスから瞳を逸らさなかった。
「龍王国は王位継承権が厳密に決められています。今まで一度も、妻が王についたことなどないです。故に3通りと。ただ、王妃にロイヤルスターがつくことなど、前例がなければ、1択ですが」
レグルスは満足したのか、くすりと笑って、ポルクスに再び手を差し出した。
「冷えますね。帰りましょう」
ポルクスは軽く息を吐くと、レグルスの手を握る。
余計なことをするなという牽制だろうが、そのためだけにここに連れてくる意味がわからない。
レグルスの力で宙に浮いたとき、ポルクスの瞳に冷山から見えた鳳国の景色が目に入った。
(なるほど、4通りか……)