訪問者
南条に連絡を取ると、勤務明けなので遊びにきても構わないと返事がきた。仕事をしているのだから当たり前のなのかもしれないが、最近の南条は何かと忙しそうにしている。休みの日は朝から外出し、夕方になるまで帰ってこない日が多かった。塾の帰り、何度か部屋を訪ねると、いつもと変わらない笑顔で迎え入れてはくれるが、時々酷く疲れた表情を見せる。何をしているのかと訊ねても、知らない方がいいとしか答えてくれなかった。
あんずと共に部屋に入ると、南条は和室のちゃぶ台の上でスマホをいじっていた。必要最小限なことでしかスマホを使用しない南条にしては珍しいことだ。
「GPSトラッカーとスマホを紐づけしていた。手間どったがどうにかうまく起動してくれた」
そういって笑いながら、南条は暖かい紅茶を出して歓待してくれた。肌寒い季節になってきていたが、明奈が訪ねるときは相変わらず部屋のドアを開け放っている。
「明奈の友人かな?」
あんずの前にしゃがみ込み、南条はあんずの目を正面から見つめ、そういった。
南条の問いかけには答えず、あんずは目を伏せたまま明奈の影に隠れた。
「怖がらせてしまったのかな。わたしは明奈の友人で南条という。共通の友人を持っているのなら、きみともいい友達になれると思うんだけどな」
南条の言葉に、あんずがおずおずと顔を上げる。
「あんずなのです。ほんとはアン・ズヨーなのですが、あんずはあんずと呼ばれたいのです」
「わかった。そう呼ぶことにする。初めまして、あんず。できる限り良い友であろうと思う。だからよろしく」
南条が差し出した手に、あんずはぎこちなく触れた。光の勇者である南条の引き込まれるような笑顔を前にしても、あんずは何の反応も見せなかった。
あんずと一緒に、何をするでもなく南条の部屋で過ごした。以前はゴミ溜めのようだったが、徹底した掃除と断捨離を実行したおかげで、南条の部屋は各段に住み心地が良くなっている。
気持ちのいい初冬の土曜日だった。昼過ぎになると、隣室の松本慎太が南条の部屋を訪ねてきた。転生してきた当初、南条は慎太と共に日本語を学んでいた。その習慣が根付き、慎太は今でも南条の部屋へきて、学校の宿題などをしていくらしい。
開け放たれたドアから部屋に入ってきた慎太は、あんずを見て目を丸くした。明奈が慎太にあんずを紹介しようとすると、慎太はくるりと背を向け、脱いだ靴も履かずに部屋から飛び出して行った。しばらくして戻ってくると、慎太は自宅の冷蔵庫から持ち出してきたらしい、市販のプリンとプラスチックのスプーンをあんずに突き出した。
おずおずと手を伸ばしてプリンを受け取ったあんずは、その場にしゃがみ込んでプリンを食べ始めた。瞬く間にプリンを平らげたあんずを見て、慎太はまた自宅へ駆け戻り、同じプリンを手にして戻ってきた。
「美味しいのです。これはご馳走なのですか?」
差し出された二つ目のプリンを受け取りながら、あんずが明奈を仰ぎ見る。プリンをくれた慎太とは視線を合わせもしない。
「プリンだよ。貰ったんだから、ちゃんとお礼言わなきゃね」
慎太の髪を撫ぜながら、あんずを慎太に引き合わせた。分かりやすいアプローチなので、思わず笑い出しそうになる。
初めて会ったときには鼻を垂らした泣き声のうるさい子供にしか見えなかった慎太は、光の勇者だった南条が隣室に住むようになってから見違えるように変わっていった。年頃の子供がみんなそうなのかは分からないが、背丈も数センチは伸びていたし、よく笑う快活な性格になったように思える。学校に行くのを嫌っていたが、最近は喜んで登校するのだと、母親である伊代子が話していた。
上目遣いに慎太を見ていたあんずが立ち上がる。立って並んでみると、あんずの方が少しだけ背が高い。
「お前はプリンですか?」
お前ときたか。思わず脱力しそうになるのを堪えて、明奈はあんずの肩に手を添えた。
「松本慎太くんだよ。ちゃんとお礼をいえるかな?」
「あんずはあんずなのです。プリンは誰ですか?」
「シンタ。マツモト、シンタ」
そう言って慎太は嬉しそうに笑った。明奈の方が照れてしまいそうになるほど自然な笑顔だった。間違いなく慎太は、南条に影響を受けている。
「プリンは美味しいのです。食べますか?」
貰ったはずの二個目のプリンをあんずが慎太に差し出す。食い意地は張っているが、他人に対する思いやりはちゃんと持っているらしい。
「あんずちゃんに上げる。お手伝いすれば、おれはまた明日貰えるから」
「あんずはお前に礼を言うのです。感謝するのです」
誰にならった日本語なのだろう。無礼なのか礼儀正しいのかよく判らない。
陽が西に傾きかけたころ、南条は買い出しに行くといって部屋を出た。食費を抑えているのか、南条は最近自炊を始めた。野菜と肉を鍋で煮るだけのシンプルな料理だが、たまに驚くほど美味いシチューになることがある。戦場で覚えた料理らしいが、思い通りの香草が手に入るといい味になるらしい。
「スパシーバ内藤さんで川口のスーパーまで行くから、小一時間で戻る」
そう言って南条は自転車を漕いで出掛けていった。動くのが不思議なくらい錆ついたママチャリだったが、会社の同僚からただで貰ったらしい。内藤さんというのは自転車をくれた同僚の名前で、愛車となったママチャリの名前となっていた。スパシーバというのはどこかの国の言葉で感謝を表しているらしい。多分、誰かにからかわれて適当な名前を自転車につけられたのだろう。だがそれを疑問にも思わず、南条は愛車となった自転車をスパシーバ内藤さんと呼んで使っていた。
テレビが見たいとあんずが言い出したので、慎太はあんずを連れて隣室の松本家のリビングに向かった。ここ数日、あんずは午後に放映する古い映画を欠かさず見ている。
隣室には伊代子もいるのだろうから、あんずを慎太に預けて、南条の部屋で横になった。かび臭かった和室の畳も、奈緒がアパートの大家に掛け合って新しい物に変えさせていたから、部屋の中には真新しい畳が放つ良い香りがした。
眠りかけたころ、人の気配で目が覚めた。南条が戻ってきたのかと玄関に視線を向けると、玄関口には見知らぬ男が立っていた。
黒いスーツ姿の、痩せこけた背の高い男で、銀色の重そうなラップトップを大切そうに抱えている。
「あ、家の人は今留守にしていて」
訪問販売か何かだろうと思って声を掛けたが、男は表情も変えずその場に立ち尽くしている。
「あの、ご用件は?」
無言のまま、男は靴を脱いで部屋の中に入ってきた。南条の知り合いなのかもしれないが、気味が悪い。
男は手早く室内を見回すと、小さく咳払いして明奈に目を向けた。
「あの子はどこです?この部屋に入ったのは確認しているのですが」
神経質そうな早口で男が問い質す。あの子というのはあんずのことだろう。
「どちら様ですか?答えてくれないなら警察を呼びます」
スマホを取り出しながら誰何した。身元が知れない女の子を連れているのだから、後ろ暗いことがあるのは明奈の方だが、無断で部屋に上がり込んでくる時点で相手の男もまともではない。
「その質問はこちらがしたいくらいですね、オサカベさん。なぜあなたがあの子を連れてるんですか?」
明奈の苗字を知っている。つまりこの男は、父や明奈の素性を知ったうえでここに現れている。