会合
「上司が話をしたいそうなんですが、お時間をいただけますか?」
和室に戻り、鳴倉は南条に告げた。南条と刑部は、ちゃぶ台の上にトランプを広げて、アンを相手に神経衰弱をしている。
「構わないが急いでほしい。警察相手に事情を説明するのは手間がかかる。明日は仕事なので、今日は早めに休みたい」
鳴倉に目も向けず南条が答えた。
「お手間は取らせません。すぐに済みます」
鳴倉はちゃぶ台の上にラップトップを置くためにトランプを移動した。
「あ、場所が変わっちゃった」
刑部が不満の声を上げる。いちいちうるさい女だと思ったが、鳴倉は頭を下げてトランプの位置を戻した。
何かが大きく間違っていた。本来なら怯えて頭を下げるのは自分ではなくこいつらなのにと思うが、怖くて言い出せない。
ラップトップの画面を開いたまま、鳴倉は小僧犬が画面に現れるのを待った。ちょっと待っててといっていたのに、あれから10分は経過している。
「まだなのか?そろそろ夕飯の支度に取りかかりたいのだが」
「不測の事態なので、当方にも事情がございまして」
「でもそれってそちらの都合ですよね。勝手にやって来て不測の事態だから待ってくれって、おかしいです」
もしチャンスがあるなら刑部の腹を殴ってやろう。たぶん手首を痛めるだろうが、それでも構わない。
ラップトップの画面が不意に切り替わった。画面の中央に、足を組んで椅子に座っている小僧犬が映し出された。
画面の中の小僧犬は、何やら小難しそうな本を読んでいた。先ほどとは異なり、ブランド製のスーツを粋に着こなしている。つまり小僧犬は、ただ単に着替えの為に十数分も費やしていたことになる。
カメラが小僧犬の顔に寄ると、さも今気づいたように小僧犬が顔を上げる。
「あれ、撮ってたの?嫌だな。ちっとも気づかなかったよ」
南条と話をさせろと指示を出したのは小僧犬だ。この小芝居に何の意味があるのかさっぱり分からない。
「はじめして、皆さん。あなたが南条さんで、その隣の可憐な女性がオサカベさんですね?国際的犯罪組織「かがやき」の党首、小僧犬助麿といいます」
小僧犬が本名を名乗ることは滅多にない。だが小僧犬といういう通り名はこの業界では有名だ。その通り名に、スケマロなどというフザケた名があること自体初めて聞いた。ついでに言えば国際的犯罪組織「かがやき」の存在も今初めて知った。
カメラが引くと、小僧犬の手には本の代わりに薄桃色のバラが握られていた。
「ピンクのバラの花言葉をご存知ですか?微妙な胸のふくらみです」
違う。まったく違う。ピンクのバラの花言葉は上品と気品、その他に幾つかあるが、微妙な胸のふくらみなどという花言葉は絶対にない。
「それってどういう意味ですか?そんな花言葉本当にあるんですか?ちょっとスマホで検索してみていいですか?」
訂正する前に刑部が噛みついた。
「微妙な胸のふくらみって、今わたしの胸を見て咄嗟に言ったんですよね?それって凄く失礼だし、間違いなくセクハラですよね?」
「えっ?いや、べつにそういう意味では・・・・・」
刑部の勢いに押されて小僧犬が動揺する。矢崎の組織を乗っ取って以来、小僧犬に面と向かって異を唱える人間はいない。
「じゃあどういう意味ですか?女性に対する性的な嫌がらせ以外の意味で、微妙なふくらみなんて言葉使いますか?」
「いや、それはなんというか、ある意味褒め言葉で、人の好みは千差万別といいましょうか・・・・・」
「そもそも初対面の人に対して自分の好みを当て嵌めること自体間違ってると思います。あなたの女性のタイプなんて、わたし知りたくも無いし。会う女の子がみんな、あなたに興味を持つとそう思ってませんか?それって思い上がりだって考えたことありますか?」
勢いを削がれた小僧犬が画面の向こうで項垂れている。
「別に悪気があったわけじゃないし・・・・・。何も年上に対してそこまで言わなくても・・・・・」
「なんですか?ちゃんとこっちを見てはっきり言って下さい」
何かのスイッチを押してしまったのだろう。今の刑部は恐ろしく攻撃的だ。
「いえ、ちょっと調子に乗ってました、あの、す、すいません」
「分かればいいんです。以降気をつけて下さい。わたしだけにじゃないですよ」
「はい。気をつけます。あの、こんなこといったら変かもですけど、今回、その、ぼく刑部さんに叱られてよかったような気がします。なんか色々考える機会ができたっていうか。ああ、もっと考えて発言しなきゃいけないのかなって反省したりして」
「しっかり反省して下さいね」
「いや、それはもう本当に。で、そろそろ本題に入ってよろしいでしょうか?」
たおやかな微笑みを浮かべ、刑部が頷く。
「鳴倉、お前何笑ってんだよ」
画面の小僧犬に指摘されて初めて気がついた。確かに最近の小僧犬は少し調子づいている。小娘にやり込められる姿を見るのは溜飲が下がる。
「では、本題に入ります」
咳払いをして笑みを引っ込めた。
画面の向こうの小僧犬がネクタイを外し、代名詞ともいえる大きなラウンドグラスを掛けた。それだけで小僧犬の様相は大きく変化した。愛らしい小動物だと油断して近づいたら、獰猛な肉食獣が牙を剥いて待ち受けていた。そんな印象だ。
「ガキを渡せ。おれの要求はそれだけだ」
ラウンドグラスの奥から覗く琥珀色の瞳は相変わらず笑っているが、そこに浮かんでいるのは狂暴さを秘めた狂気の光だ。
「理由が知りたい。なぜあんずを連れて行く」
刑部に代わって南条が応じた。
「うるせぇよ。ごちゃごちゃ抜かさねぇで黙って渡せ。今すぐだ」
「話にならないな。あんずが嫌がっている限り、彼女を守る」
小僧犬の顔に笑みが広がる。こういう笑みを浮かべた後は、大抵の場合血の雨が降る。
「そういうことなら早速始めようや。手始めにその男を殺せ。それが戦争開始の合図だ」
伸ばした指の先が鳴倉を指している。
「えっ?わたしですか?」
あまりの展開について行けない。どうして自分が殺されなければならないのか理解できない。
「意味がないな。彼はわたしにとって脅威とはいえない。殺す必要がない」
南条が落ち着いた声で応える。
「意味はあるんだよ。お前がそいつを殺せば、おれも心置きなくこいつを殺せる」
カメラが移動し、パイプ椅子に縛りつけられた中年男の姿が映し出された。目隠しをされ、口に竹の棒を咥えさせられていたが、鳴倉はそれが誰なのか一目で判った。
「お父さん!」
画面に向かって声を上げ、刑部が立ち上がる。ちゃぶ台の上のトランプが畳の上に撒き散らされるが、そんなことは気にも留めていない。