餓狼蝟集
エレベーターが動いている。
正確に言うなら、エレベーターの移動を知らせる階数表示灯が点灯し、籠が上昇していることを知らせている。
移動しているのは、23階にあるこの部屋専用のエレベーターだ。部屋の主である自分以外の人間が使用することはない。
手元のリモコンを操作し、矢崎健吾は部屋の中の大型モニターにエレベーター内の画像を呼び出した。エレベーターの中には、男が二人乗っている。どちらも知っていたが、呼出してもいないのに矢崎の自宅のエレベーターに乗れるほど親しい間柄ではない。
「アポなしとは、いかにも野良犬らしい」
矢崎の呟きに、同じ部屋にいた五人の部下が笑い声を漏らした。五人はいずれも、矢崎に忠誠を誓う生粋の殺し屋だ。
「お客さんなら帰るけど」
ソファで酒を飲んでいた飯塚ひよりが物憂げに矢崎に視線を送ってくる。金で囲っている元アイドルで、顔とスタイルはいいが頭の方はかなり緩い。
「構わない。そこにいろ」
ひよりに構わず、矢崎は部下に目配せをする。エレベーターの中には二人しかいない。矢崎の許可なくこのエレベーターに乗るには、ビルの一階にある警備室のエレベーター制御盤を制圧する必要がある。そうまでしておきながら、のこのこと二人で向かってくる理由が矢崎には分からない。エレベーターの扉が開いた途端、一斉射撃を喰らうかもしれないのだ。
部下がそれぞれ得物を手にする。銃が三人、ナイフが二人。矢崎の側近だけに、所持する銃もナイフも一級品だ。
階数表示灯が23を示し、エレベーターの扉が音も無く開く。
「ちぃ~す。毎度~。オーガナイザー、元気すか?」
場違いに明るい声と共に、小柄な男がエレベーターの扉の影から手を振っている。
「撃たんといて下さいよ。うちら戦争しにきたんとちゃいまっせ」
エセ関西弁だ。本人は猛虎弁といってるが、要は大阪漫才を見てマネをしているだけの紛い物だ。
「招待した覚えはないぞ、小僧犬。殺されても文句はあるまい」
「こりゃまた手厳しい。可愛いわんこが飼い主訪ねて三千里。泣けませんか普通。両手を広げて迎いいれませんか普通」
扉の影から、小僧犬が右手を振りながら姿を現した。160㎝に満たない身長とくせ毛だらけの髪に、小さな顔に不釣り合いなほど大きなラウンドサングラスを掛けている。血色のいい肌のせいで10代に見られるが、実年齢は30に近い。
小僧犬の背後には、背の高い神経質そうな男が控えている。鳴倉という、小僧犬が最近抜擢したチンピラだが、海外の名門大学を卒業しているという変わり種だ。
「いやいや、みなさんお揃いで。なんすか今日は。パーティかなんかすか?」
問いかけを無視して、部下のひとりが乱暴にボディチェックする。小僧犬も鳴倉も、武器は所持していない。
襟を掴まれた小僧犬を、叩きつけるようにリビングのソファに座らせた。リビングルームとはいえ、テニスコート一面ほどの広さがある。高層ビル群の一角にあるせいで、広大な窓の外に見える夜景はいささか見栄えが悪いが、それでも矢崎はこの部屋を気に入っていた。
リビングのソファから取り囲む部下を見上げる小僧犬の姿は、体育教師に呼び出しを喰らった中学生のようだ。
「警備の連中はどうした?殺したのか?」
「とんでもない。事情を話して通してもらったんですよ。いやいや、誠意持って話せば通じるもんですね。警備責任者の、えっ~と、何さんだっけ?」
小僧犬の顔が背後に立つ鳴倉に向く。
「西野さん。西野政好さん。今年高校に入学された娘さんがいらっしゃいます」
「そうそう、西野さん。あの人に頼んだんですよ」
「お前の話が本当なら、そいつは職を失くすだけじゃすまない。そんなことは知ってるはずなんだがな」
「そうなんですか?そりゃあんまりってやつです。西野さんが気の毒過ぎます。あの人は、ただ単に娘さん思いのいいお父さんってだけで」
単純な話だった。小僧犬はその西野とかいう男の家族を人質に取って脅しているだけだ。
「で、もう一度聞く。お前、何をしにここに来た?アポなしで来るんだから、それなりの要件があるんだろう?」
「そう、要件。要件ですよ、わんわん。なんつって。実をいうとですね、ど偉い金脈を探し当てちゃって、そのことで改めてオーガナイザーに相談しようと思ってきたんですよ。ああっと、オーガナイザーって言いにくいんで、オガちゃんって呼んじゃダメすか?」
部下のひとりが小僧犬の喉首にナイフを当てる。
「ダメですよね。解ってるんですけど一応言ってみたんですよ。オガちゃんって、クラスに一人はいる小川くんのあだ名みたいですもんね。そりゃあ無理って話で」
「金脈の話を続けろ。くだらない話はするな」
矢崎の苛立ちを感知したように、部下のナイフが小僧犬の首に喰いみ、血を滴らせる。
「痛いなぁ。人の血ってシミになると落とすの大変なんですよ。このシャツね、死んだ母親の形見なんですよ、たったひとつのね」
ナイフを持つ部下を見上げる小僧犬は薄笑いを浮かべている。
「男物のシャツが母親の形見っていうのは、いくらなんでも不自然です。それに、お母さん生きてますよね。クリスマスプレゼント選ばされましたし」
呆れ顔で鳴倉が指摘する。小僧犬も鳴倉も、自分たちの状況を理解していないようだ。
「ああそう、親父の形見だ。間違えちゃったよ。鳴倉さ、たった今オガちゃんからくだらない話はするなって言われたばっかりだろ。うちのお母さんの話なんかするな」
指先で喉に当てられたナイフを除けると、小僧犬は身を乗り出して矢崎に顔を近づける。
「隠し口座を見つけたんですよ。南米にある銀行の口座なんですけどね、悪いことしたやつの口座で、非合法な金が何十億も入っちゃってるんですよ。そいつを奪おうって思って、まぁ数年前から追っかけてたんですけど、ようやくね、口座特定して、あとは12桁のパスワードだけってとこまで来たんですが、その12桁が分からない分からない」
テーブルの上のスコッチウィスキーを手に取ると、小僧犬は許可もなくロックを作って口をつけた。
「苦っ。よくこんなの飲めますね。あれないすかね、カルアミルク」
「どうやって口座を特定したんだ?」
ソファにふんぞり返る小僧犬に、矢崎は静かに問いかけた。
「苦労しましたよ、そりゃあ。まずね、偽札を作ったんですよ。すっげぇ精巧なやつ。それを数枚、毎月の上がりの中に紛れ込ませておいたんですよ。もちろんもちろん、おれんとこの上がりには入れません。よその連中の上がりの中にそっとね」
苦いと言っていたくせに、小僧犬はうまそうに矢崎のスコッチを口に入れている。言うこと為すこと全てが出まかせな男だが、頭は異様に切れる。そしてそのアイデアを実現させる鳴倉という片腕もいる。
「すっげぇ良くできた偽札だから、特定できるのはそういうのに敏感なやつらだけですわ。で、見たこともない偽札が現れたって騒ぎだす連中を手繰っていくと、どっかの国の不動産会社に行き当たった。まぁ、汚れた金を不動産に変えて、それを担保に金を借りるってのは、マネーロンダリングの基本ですからね」
矢崎にも話が見えてきた。自分たちで精巧な偽札を作り上げ、それをオフリミットした相手を辿っていくことで不動産屋と銀行を特定し、最終的に口座番号まで辿り着いたのだろう。資金洗浄を行うオフショア銀行を敵にするわけにはいかないから、不動産を扱う企業の人間の口を何らかの方法で割らせたに違いない。
「口座は特定したが、パスワードが分からない。で、本人に直接聞きに来たってわけか」
小僧犬が特定したのは矢崎の口座だ。そしてそのパスワードを、矢崎本人から聞き出す気でいる。
「誰を押さえている?おれの親か?女房か?」
小僧犬がのこのことこの場に姿を現したとなると、考えられるのは人質だけだ。だが今の矢崎には、金より大切な物など在りはしない。
「残念だがお前の目論見は外れてるな。誰を人質に取ったかしらねぇが、パスワードを教えてやる気はねぇ。つまりお前は、ここで死ぬってことだ」
酒を一息に飲み干すと、小僧犬はグラスをテーブルに叩きつけた。
「さすがだなオガちゃん。親も奥さんも見捨てるってか。カッコいいねぇ惚れ直すねぇ。やっぱ悪党はこうでなきゃ」
膝を叩きながら小僧犬が嬉しそうに吠える。
「お前の持ってる金と情報網を全部渡せ。楽に殺してやる」
「すげぇすげぇ。マジでB級映画の悪役みたいだ。矢崎お前さ、役者に転向したほうがいいよ。すげぇ迫力」
いつの間にか小僧犬の口調が下卑たものに変わっている。
銃を突き付けられた小僧犬が、部下に促されて立ち上がった。この部屋を血で汚したくはないから、始末は他でやる必要がある。
「今更だけどさ、お前ら、俺に寝返ったりしねぇ?」
取り囲む5人の部下を見比べながら、小僧犬が嘯く。
「あっ、お前ダメ。お前さっき、俺の首に傷つけたよな。気の毒だけどお前はダメ。死刑確定」
部下の一人を指差して喚く。指を差された部下が笑うと、他の四人も同様に笑いだした。小僧犬と同じ立場であるはずの鳴倉までが笑っている。
「参ったね、ほんと。降参、両手を上げて降参しますよ」
小僧犬が両手を上げると同時に、室内に空気を切り裂く乾いた音が鳴り響いた。小僧犬を囲んでいた五人の部下が、糸の切れた人形のように次々と床に倒れていく。
5人の部下はそれぞれが頭蓋を撃ち抜かれていた。向いのビルにスナイパーがいる。だがそれは不可能だ。狙撃対策として、矢崎は最上階ではない23階を居室として選んだ。向い側のビルの屋上からの狙撃の可能性を考えてのことだ。しかも矢崎の部屋の向いは外資系企業のオフォイスだ。バルコニーも無ければ非常階段もない。スナイパーを配置することなど不可能だ。
「いい顔するじゃねぇか、矢崎。わざわざここまで来た甲斐があったってもんだ」
部下が持っていた拳銃を拾い上げると、小僧犬は慣れた手つきで撃鉄を起こし、銃口を矢崎の額に向けた。
「跪きなよ、矢崎ちゃん。でないと後の壁に現代アートみたいに脳みそぶちまけることになるよ」
事態を正確に把握することもできず、矢崎は仕方なく小僧犬の前に膝を付いた。
「飼い犬の前に跪くってのはどういう気分なんだろうね。悔しい?それとも死にたくなくて必死か?」
「嘘だ。狙撃なんてできるはずがない」
「あれ、そこ?そこに意識がいっちゃったか。うん、そうだろうねぇ。不思議だもんね」
矢崎の手前に、鳴倉が同じように床に膝を付ける。
「矢崎オーガナイザーのご指摘はごもっともです。この部屋を外部から狙撃するのはまず不可能。だいたいの方はそう思うでしょう」
「隣を、買収したのか?」
「残念ですが我々の資金では、あの巨大企業を買収することなどできません。でもいい線行ってます。我々が買収したのは、あちらのビルの清掃会社の方です。前途有望な会社だったのですが、社長さんがどうにも若い女性がお好きでして」
清掃会社とスナイパーの関係がいまいち掴めなかったが、鳴倉は喋り続ける。
「屋上に窓清掃用の大型ゴンドラがあるんです。それを二台、こちらの部屋の窓の対面に留め置きし、スナイパーを配置。狙撃システムはMK22に最新式のスコープを搭載したものですが、驚いたのは本物のライフルに対応するスコープが通販で普通に買えるということで」
鳴倉の説明が続くなか、小僧犬はリビングのダイニングテーブルに座るひよりを見つめている。
「まさかまさか、ひよりちゃん?夕方ベイビーズのひよりちゃん?」
銃口を矢崎の額から外すと、小僧犬はひよりの座るテーブルに向けて嬉しそうに歩き出した。
チャンスだった。エレベーターの脇に非常口がある。目立たないよう植栽で隠してあるせいで、小僧犬も鳴倉も扉に気がついていない可能性が高い。
おもむろに矢崎は立ち上がり、非常口に向けて走り出した。床に落ちている部下の拳銃を拾うことも考えたが、窓の外にはスナイパーがいる。応戦するよりも逃げるべきだと判断した。




