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第三十五幕

「間一髪とはまさにこのことだな」


 そう言った直後、宗鉄は呆けているウィノラの手を取り、何の説明もしないまま一目散にその場から駆け出した。


 やがて辿り着いた先は崩壊した見張り櫓の裏側である。


「おい、事情を説明しろ!」


 ようやく意識が覚醒したウィノラは、宗鉄を睨みつけながら摑まれていた腕を激しく退かした。


「それは俺の口から聞くよりも自分で見たほうが早い。ほら、あれだ」


 宗鉄は木片の間からドゥルガーに向かって顎をしゃくる。


 同様にウィノラも木片の隙間から先ほどまで自分たちがいた場所を覗き見た。


 すぐに二人の視界にはドゥルガーがゆっくりと起き上がる光景が飛び込んでくる。


「な、何だと!」


 ウィノラの口から驚愕の声が漏れるなり、宗鉄はドゥルガーの身体に起こっている事を簡潔に説明した。


 すでにドゥルガーは死に、その身に物ノ怪が取り憑いたことをである。


 ただし、あくまでもこれは自分の推測だと付け加えもした。


 何しろまだ取り憑いた元凶の姿を見ていないのだ。


 それでも普通の人間が頭部に鉄砲の玉を喰らっても生きているなど考えられない。


 やはり、死人の身体に物ノ怪が取り憑いたと見て間違いないだろう。


「すでに死んでいるだと……」


 一方、なぜか事情を説明されたウィノラは激しく怒りを露にした。


 ぶるぶると身体を小刻みに震わせ、下唇を血が滲むほど噛み締めている。


 直後、ウィノラは宗鉄の両腕を爪が食い込むほど強く摑んだ。


「どうしたというのだ?」


 態度が急変したウィノラの顔面は青から赤へと染まり、相当に怒りを感じている様は見て取れた。


 だが、よくわからない。何をそんなに怒る必要があるのだろう。


 すると、ウィノラは唾を飛ばしながら宗鉄に説明した。


 いや、それは説明というよりも独白に近かっただろう。


 今まで溜め込んできたわだかまりをすべて吐露するかのようなウィノラの言葉には、宗鉄の胸を穿つほどの並々ならぬ感情が込められていた。


 それも当然だろう。


 盗賊団の頭目と思しきドゥルガーが、まさか十二年前にウィノラの部族を根絶やしにした仇だったとは。



 やがてウィノラの口から吐き出された言葉が途切れると、宗鉄は木片の隙間から再びドゥルガーの様子を覗き見た。


 ドゥルガーはすでに立ち上がっており、千鳥足でそこら辺をぶらぶらと彷徨っている。


 それが自分たちを見つけるためだったのかは定かではない。


 もしかすると、単に人間が多く住まうこの集落に来ることだけが目的だったのだろうか。


「ソーテツ。これからどうするの? ずっとこのまま隠れているつもり?」


 眼前にまで飛んできたエリファスが弱々しい口調で宗鉄に訪ねる。


 無論、いつまでもここに隠れているつもりはない。


 だが、何の手立ても講じないまま出て行っても返り討ちに遭う危険性の方が高いのも事実。


 では、どうするか。


 宗鉄は渋面のまま小さく舌打ちする。


「ねえねえ」


 死人に物ノ怪が取り憑いているのはほぼ間違いない。


 そしてその物ノ怪をどうにか引き離すことに成功すれば勝機は出てくる。


「ねえねえねえ」


 ただ、引き離すことに成功したとしても問題は残っている。


 もしもドゥルガーに取り憑いる物ノ怪が実体を伴わない幽霊のような身体だった場合だ。


 その場合、今以上に鉄砲での射撃が効かない可能性も出てくる。


「ねえってば!」


 口元を手で覆って思案顔になっていた宗鉄に、呼びかけを無視され続けたエリファスは大激怒した。


 宗鉄の耳たぶを引っ張り、鼓膜に向かって大声を浴びせる。


 これには宗鉄も面食らった。すかさず首を左右に振り、甲高い耳鳴り音を掻き消す行動に出る。


「こんなときに遊んでいる場合か!」


 宗鉄は頬を河豚のように膨らませているエリファスを叱咤する。


 それでもエリファスは寸毫も悪びれた様子を見せず、未だ耳鳴り音に悩まされていた宗鉄にびしっと言った。


「それよりもわたしの話を聞いてってば。あいつ、もしかすると〈ダイモーン〉かも知れない」


「だい……何だと?」


 聞き慣れない単語を聞いて、宗鉄ばかりか隣にいたウィノラも首を捻った。


「〈ダイモーン〉っていうのは古の言葉で〈魔神〉という意味なのね。そして本来この言葉は神、または神よりも一級劣る霊的存在を表す言葉だったんだけど、わたしたちアルファルの中では〝禍つ者〟と呼ばれ、周囲に恐ろしい災厄を招く火種として危険視されていた精霊なのよ」


 エリファスは宗鉄とウィノラの顔を交互に見ながら言葉を紡ぐ。


「それに〈ダイモーン〉は酷く貪欲で、人間だろうと動物だろうと精霊だろうと関係なしに精気を食らうの。〈ダイモーン〉自身は影のような形をしているから人間や動物の体内に侵入するなんて簡単だしね」


「つまり、その〈ダイモーン〉とやらが奴に取り憑いていると?」


 宗鉄が訊き返すと、エリファスは大仰に頷いた。


 ただエリファスが言うには〈ダイモーン〉は非常に数が少なく、人間よりもはるかに寿命が長いエリファスでも実際に見たことはないらしい。


「だから、こうは考えられない。もしもあの人間に取り憑いている〈ダイモーン〉がわたしたちの元いた世界の〈ダイモーン〉であり、わたしが封印されていた〈シレルタ〉の解呪に関わっていたとしたら?」


 遠回しに物事を言うエリファスに宗鉄は渋面になった。


「もっとわかりやすく言ってくれないか?」


「もう、鈍い男ね。だから、ソーテツが〈シレルタ〉の封印を解いた際に〈ダイモーン〉と遭遇したんじゃないかってこと? もしそうならわたしたちがこっちの世界に飛ばされた説明がつくわ。何てったって〈ダイモーン〉は魔力の塊だもの。ウィノラの精霊召喚術と共鳴して人間と精霊の二人分くらい異世界に飛ばすことも可能かも……」


「それに」とエリファスは付け加えた。


「それだったらソーテツの記憶が曖昧なのも頷けるわ。人間は予想以上の出来事が不意に起こると脳が正常に機能しなくなるの。つまり、記憶の混乱や消失したりするってこと」


「ほほう」


 宗鉄は何度も頷いて感心した。


 さすが異国の物ノ怪は博学である。


 ならば、今現在ドゥルガーに取り憑いている〈ダイモーン〉がどのような状態なのかもわかるのだろうか。


 エリファスはまじまじとドゥルガーを観察しながら口を開く。


「見た感じ完全に自我を失っているみたいなのよね。もしかするとウィノラの踊りが原因なのかな」


 自我を失っているだと? 宗鉄は鋭い眼差しをドゥルガーに向けた。


 物ノ怪であるエリファスにそう言われると、確かにドゥルガーが目的も無しに彷徨っているように見える。


 これはやはり自我が崩壊し、人間に取り憑いてからも自分が何をしているのか理解してないからなのだろうか。


 それでも脅威には変わりない。


 宗鉄はエリファスに視線を向け、何か有効な策がないか訪ねた。


 物ノ怪のことは同じ物ノ怪に訪ねるに限る。


 もしかすると、人間の自分たちでは考えられない手が浮かぶかもしれない。


「う~ん……そう言われてもね」


 空中に静止しているエリファスは両腕を組み、眉間に皴を寄せながら虚空を見た。


 そんなエリファスを見つめながら、さすがの物ノ怪でもそう簡単に有効な手立ては浮かばないかと宗鉄はため息を漏らした。


 しかし、いつまでも悲観しているわけにはいかない。


 一刻も早く何か対策を講じなければこの集落自体が消滅してしまうだろう。


 人間に取り憑いた物ノ怪に自我がないということは、例えれば物心がついたばかりの童子に刃物を持たせるようなものだ。


「何かないのか、エリファス。あの男の身体からその〈ダイモーン〉とやらを引き離し、他の人間に取り憑く前に仕留める手立ては?」


「むむむ……」


 エリファスの眉間に刻まれた皺の数がより多くなった。


 物ノ怪にも人間と同じく脳味噌があるのかどうかは知らないが、あるとしたら今のエリファスは相当脳味噌を使っている。


 それでも有効な手立ては浮かばないらしい。


 何度も首を左右に振りながら唸り声を上げている。


「なあ」


 そこに第三者からの声が発せられた。


 先ほどから口を噤んでいたウィノラである。


「話を聞いていて少し気になったことがあるのだが言っていいか?」


 宗鉄とエリファスはほぼ同時にウィノラに視線を向ける。


 それが合図だったようにウィノラは一つ一つ言葉を吟味するかのように口を開いた。


「エリファス殿は〈シレルタ〉という道具に封じ込められていたのだったな。


 ではもしその〈シレルタ〉を使えば、実体のないアスラを再び封じ込められるのではないか? それともアスラを封じ込めるには特別な儀式や言葉が必要なのか?」


 宗鉄は瞬時に右手を胴乱の中に突っ込み、半分に割れた〈シレルタ〉を取り出した。


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