自分という存在がどこにいるか、ということ
俺は、主人公に「ちょっと座れ」とジェスチャーで示し、その隣に自分も腰を下ろした。そのまま、目の前に広がる風景を眺める。
すると、今いる貯水タンクの上は校舎で一番高い場所なせいか、ここからは街並みが非常によく見えた。小さく遠くまで広がる住宅街、その間を走る道路と、それに沿って並ぶ、葉の半分ほどが落ちた街路樹。おー、なんかこうして見下ろすと、視野が広がった気分。
そのままじーっと座っていると、下よりも強い風にあおられてパタパタとスカートがはためき、長くなった俺のふわふわの茶色い髪もさらさらと後ろに流される。
……なんかいいじゃん。崇高もいつか先輩とこうやって見ていいぞ。おすすめ。ここで過ごすと先輩は表情変わらないけど好感度めっちゃ上がるからな。……おっと、本題本題。
……で、だ。崇高お前、なんで今怒られてるか分かるか? 分かってないよな。よし、教えてやろう。
ぼーっとこちらを見てる主人公の袖を引っ張り、とりあえず意識を向かせる。先輩との屋上デートのシミュレーションしてるとこ悪いが、さっきのお前は赤点だ。それはまず自覚しておかないとな。
「ねえ崇高くん。なんで遅かったの?」
そう。問題はその1点に尽きる。さすがに来るのが遅すぎた。あれじゃ先輩が無口キャラとか以前の話だからな。お前、今の立ち位置「貯水タンクの上ですれ違った人」だぞ。なかなか聞かんぞその肩書き。
「いや、それはちょっと……」
ところがなぜか顔を赤くして、主人公は顔をそらした。……ほう、黙秘か。やらかした後だっていうのになかなかいい度胸してるね。
ま、でもそれならそれでもいーわ。次から気をつけたら。終わったことをグダグダ言うほどめんどくせーことないもんな。ただ次やったらぶん殴る。
ていうか次から、こいつの背中を押して後ろから俺がついていく、とかした方がいいかもしれん。今回みたいに会話が始まってしまうと、待つっていうのが大変やりにくい。どうせさっきのこいつも、飛んでるちょうちょについうっかり気を取られたとかそういうアレなのだろう。そうすると、放置しておくと次も同じことが起こりかねん。
……あ、それともう1つ。どっちかというと、こっちの方が重要だ。俺は隣の主人公の方に身を大きく乗り出した。
「で、私がもっと聞きたいのはね。さっきの先輩を見て、どう思った?」
「……え? いや、なんでこんなところに? って……」
「それはちゃんと言ってたよ!? 聞いてなかったの!?」
「同じよ、しか言ってなかったような……」
いったん主人公との反省会を止め、俺は腕組みをしてさっきの記憶を思い返した。……ふむ……。確かに、そうかもしれん。そうだよな。途中参加だと意味が分からんか。引用元聞いてないもんな。そもそもお前が遅れたのが悪いんだけどな。猛省しろ。
「空が近いから、この場所が好きなんだって」
「……ああー……さっき教室で汐音が言ってたやつ? じゃああの先輩、前から知り合いだったってこと?」
「ううん、さっき初めて会ったよ」
「……どういうことだよ!?」
そう言って頭を抱える主人公。……そんなに難解か? 崇高ひょっとして空とか興味ない人? なら先輩はちょっときついかもしれんな。あの人、空大好きだから。まあでも相手の好きなものを否定せず受け入れることも大事だぞ。お前はそれが出来る男だって、俺は信じてる。うん、いけるいける。
「で、さっきの話なんだけど。先輩を見て、どう思った? ……すっごく美人だったでしょ?」
「……ああ……まあ……」
「笑顔も綺麗だったでしょ?」
「……まあ……」
「好きに、なった?」
「……だから俺好きな人いるって……っていうかもう今、言う!」
「あっ、そろそろ戻らないと! ごめん私、先行くね!」
そう早口で言って立ち上がり、俺は主人公を残してダッシュでハシゴに駆け寄った。そしてそのまま振り向かず、一目散に駆け下りる。
……あっぶね! 何あいつ、前触れもなくいきなり告白しようとしてきやがったぞ! 自爆テロやめろ。史実に従え。いや史実だと汐音ちゃんの部屋なんだけどな。よってすまんがお前は俺の部屋に絶対入れられん。悪いが了承してくれ。
そして俺が下で待っているにもかかわらず、その後けっこうな長時間、主人公は降りてこなかった。しかししばらく経って、不貞腐れたような雰囲気のまま、ようやくハシゴを降りてくる。それを見上げて、俺はなぜこいつがすぐに登ってこなかったのかをやっと理解した。
……あーなるほどね。俺って勢いよく登っちゃったもんな。そりゃ下にいたらスカートの中身も盛大に見えただろう。そういや俺が上から見た時、ちょっとこいつ目そらしてたわ。
いや、でもそういう紳士的な姿勢はすごくいい。ちょっと見直したぞ崇高。お前のそういういいところはもっと相手に伝えていこうか。
俺が笑顔でうんうんと頷いていると、主人公は何やら不機嫌そうな顔で俺を見つめた。何だお前、さっきのことまだ根に持ってんの? 機嫌直せよ。まあこの場には俺しかいないからどういう顔しようが構わんけどさ。ほら、じゃあさっさと行くぞ。
「……汐音は何に頷いてたんだよ?」
「……え? ああ、今の? 崇高くんのいいところをまた1つ見つけてしまったなって。見直しちゃった。やるじゃん」
「えっ?」
「でもそういうのはさ、もっとどんどん相手に伝えていかないと駄目だよ。私はだいたいわかるからいいけど……ちゃんと言わないと、相手によっては伝わらないこともあるんだし。それって寂しくない? 言葉ってね、やっぱり大事だと思う」
「…………えっ? それってさ、つまり…………汐音! 俺の話を聞いてくれ!」
「はい、じゃあ授業に戻ろっかー」
「えぇぇぇぇ……」
もう俺全然わかんねぇ……と呟いて頭をがりがり掻きながら、それでも俺の後を素直についてくる主人公。その率直さは買いだね。
……え、でもマジでわかんないの? 今やって見せたじゃん? 大切な伝えたいことはどんどん口で言っていけ、ってことだよ。言わせんな恥ずかしい。いいか、お前も俺への告白以外なら応援してやらんでもないんだからさ。何せゲームの世界の俺なんだし。
そして、昼休み。中庭でまた貝森ちゃんと主人公と俺の3人で、お昼ご飯を食べる。
……しかし貝森ちゃん、ゲームでもルートに乗った後はお昼を一緒に食べるようになるんだけど、これまでどうしてたんだろう。別の子たちと食べてたんじゃないの? 急にそっちスルーでも大丈夫?
ただ、それを聞いて「ずっと1人で食べてた」という恐ろしい地雷が出てこないとも限らないので、安易に尋ねるのは自制しておく。
……いいか崇高、これが人間関係におけるさりげない気遣いってやつだぞ。さっきの今であれだが、何でも口に出したらいいってもんでもないみたいなんだ。難しいよな。これは俺もよく失敗するからまだよくわからん。
俺は心の中で主人公へのレクチャーの練習をしながら、もぐもぐと頑張って小さな口を動かし、弁当を次々に頬張る。うん、我ながらうまい。
……いや、今日のこれは俺が作ったんだけど、なんかいけたわ。朝早くに目が覚めて、台所に何となく行ったら自然と作ってた。たぶんこれまでの習慣、ってことなんだろうけど……。
しかしふと、疑問が湧く。俺が汐音ちゃんになってる。これはいい。いや本当は全然全く1ミリも良くないんだが、まあ、ひとまずいいとして。
じゃあ問題。……汐音ちゃんの中身ってどうなったの? 俺が上書きしちゃったとかだったら、申し訳なさ過ぎて死にたいんだけど。でも体の中にいる風でもないし。いやそもそも体の中って何言ってるんだって感じだが。
でも、実際、今の俺の中に汐音ちゃんは感じない。ただ体に染みついた、無機質な習慣だけがある。これは……いったい、何を意味するんだろう。
「汐音先輩、どうしたんですか。卵焼き口に運んだまま固まっちゃって。やたら真剣な顔ですけど。殻でも入ってました?」
「……うん。ちょっと自分という存在がどこにいるか、ってことをね。考えてたんだよ」
「それ卵焼き食べてるときに気になります!?」
なんだかちょっぴりきな臭くなってきた気がします。
これラブコメなのに。