1日目の終わりと。
家に帰ると、主人公が待っていた。……あ、そういやこいつに連絡するの忘れてたわ。すまんな崇高。でも聞いてくれ、非常にいいニュースがある。お前の気持ちわかる子がいるってよ。よかったなぁ。……いやいや礼なんていい。1人の友人として(←ここ重要)、俺にも祝福させてくれ。
今日の行き先とか誰といたのかとかやたらとあれこれ主人公が聞いてきたので、うんうんごめんねはいはいと適当にあしらい、とりあえず、とっととお帰り願う。
俺はそのまま自分の部屋に戻り、ピンク色のシーツが敷かれた柔らかいベッドに、大の字に寝ころんだ。すると、ぽすん、と大変軽い音がする。
うーん……汐音ちゃんこれ軽すぎない? そして、こんな子の弁当を半分奪う主人公はやはり教育が必要かもしれんな……。そのままゴロンゴロンと左右に転がりながら、俺はあらためて今日1日のことを振り返ってみた。目が覚めたらいきなりこんな世界にいて、それから……。
「結構いろんなことがあったな……まあでも貝森ちゃんと知り合えたし……」
今日貝森ちゃんと知り合えたことで、明日以降も彼女が中庭で1人で物を探す、そんな不幸な未来は回避された。それだけでもいい。それだけで、俺の目指す幸せな世界には一歩近づいたと言える。そう考えると今日も、実り多き日であった。あとは……崇高の野郎を誰とくっつけるかだが……。
考え事をしていると、ふわっと眠気がやってきて、自然と身を任せそうになる。まあ、でも……1日で貝森ちゃんは崇高のフィアンセまで昇格したわけだし、これって結構順調なんじゃね? このままくっつくのを見届けさえすれば、残った問題はもう何もないはず。夢が覚めるまではのんびり過ごしてキャラと交友を深める、なんてのもいいかもな……。安心した俺は、うとうとと、そのまま本日2度目の眠りの中へ……。
「汐音ー! 先にお風呂入っちゃいなさいー!」
「あ、はーい」
母上の呼びかけに半ば反射的に返事をして起き上がり、しかし次の瞬間俺は硬直した。……いや風呂? 待って、風呂って何? 入る……とは……いったい……?
「…………えーっと」
「早くー!」
まず脱衣場が第一関門だった。ただ、そこは何とか乗り切る。ていうか今着てるのって朝も着けたしな。うん。誰に見られているわけでもないけど、ぎくしゃくとパステルな色の下着まで全て脱いだ。そしたらなぜか脱いだ下着が猛烈に恥ずかしかったので、脱衣籠の一番下に隠すようにささっと置く。
そしてやたらに左右を見回しながらも風呂場に足を踏み入れ。お湯にそろそろと浸かって、そのまま俺は湯船の端に背中を預けた。普通の大きさの湯船だったけれど、汐音ちゃんはミニサイズなので、足が伸ばせそうなほど余裕がある。……さすがに実際は伸ばすのは無理だろうけど。
そうしてそのまま、立ち上る湯気に興味津々です、みたいな顔で一生懸命上を向いた。……うん。いやなんか、悪いことしてるような気になるじゃん? ほら俺って紳士だから。誰に弁解してるのかわかんないけどさ。
しばらく、心を無にして、そのままお湯の中で身を休めた。ただ、次第に頭に熱が回り、ぐるぐる目が回る。絶対これ顔真っ赤になってると思う。小さな肩を縮こまらせると、顔の半分くらいまでがお湯に浸かり、ぶくぶくと水泡が立った。
「……なあ、これ、ほんとに夢かな?」
天井を見上げたまま発した独り言には、当然返事なんて返ってこなかった。
その後、1時間程風呂場で過ごし、俺は再び部屋に戻っていた。……いや、みなまで言うな。言いたいことは分かる。俺だって普段ならせいぜい20分よ? でもさ、風呂って、風呂じゃん? 体洗わないといけないじゃん? あれがね。実に難問だったね。
……うん、結論から申し上げると、その、全て見ざるを得なかった。だが違う、不可抗力だったんだ。しかし……全部真っ白だし、柔らかいしすべすべだし。スポンジでどこ擦ってもくすぐったいし。「ひゃっ」みたいな声まで勝手に出てしまった。恥ずかしい。あの瞬間を知り合いに見られたらそれだけで俺は自害するだろう。思い出して、また顔が熱くなる。あー……いかん駄目だこれ。
……それでも、しばらくクッションを顔に当ててうつぶせに寝ころび、時折足をバタバタさせていると、次第に熱は引いていった。
……ふう。かつて黒歴史を思い出した時の対処法が役に立ったな。やはり何事も経験だ。そのまま大きなクッションを抱きしめていると、なぜか心が落ち着いた。きっと汐音ちゃんも同じようにして心を落ち着けていたのではないだろうか。一方的にちょっと親近感。
でもさっき死ぬほど恥ずかしい思いをしたこともあり、俺は今日発生した一連の問題について、真面目に考えることとした。ここでの問題。それは言ってしまうとたった1つに集約される。
俺はもう1度、風呂で呟いた独り言を繰り返し、ベッドに背を預けた。ギシッ、と少し軋む音が背中越しに聞こえてくる。
「……これ、ほんとに夢か?」
答えとしては2つしかない。すなわち夢か、それ以外か。夢ならいい。どういう行動を取ろうが、それは起きた瞬間に霧散する。次の日の夜には、1週間前の夕食の献立と同じように記憶の彼方に消えてしまっている、そんな存在だ。
ただもし、夢じゃないのなら――。この世界は……何だ? どうして俺はここにいる?
そんなことを考えていると、次第にまた眠気が襲ってきた。……これ完全に体力切れっぽいな。でも仕方ない。忙しい日だったし。探したし、食べたし、寝たしな。汐音ちゃん、今日1日お疲れさん。
それに、あーだこーだ考えたけど、寝て起きたら自分の部屋に戻れてるかもしれん。貝森ちゃんとの会話ももうけっこう満喫したし、それが一番いいな。まあよろしく頼むぜ。誰に頼んでるかもわからんけど。
俺は脳内会議を打ち切ってベッドに上がり、そのままもそもそと毛布の中に潜りこむ。すると、ふわっと甘い匂いに包まれた。今朝目覚めた時も感じたそれがきっと、汐音ちゃんの匂いなんだろう。甘い、優しい匂い。……いかんな。俺としたことが、なんか変態っぽいことを考えてしまった。
……そして、目を閉じて、意識が闇に落ちていく瞬間。さっき抱いた疑問について、ふと思ったことがあった。それは、どこか恐ろしく、不安になる、そんな考えだった。
――夢か、それ以外か。それが問題。
でも、もし……これが永久に覚めない夢だったら? その2つに果たして差異はあるのだろうか。
「汐音ー! おっはよー!」
「おはよ~」
次の日、目が覚めても普通に俺は汐音ちゃんのままだった。やはり俺のあて先不明の頼み事は聞き届けてもらえなかったらしい。……しかしこれはまずいぞ。この感じだと明日も明後日もおそらくこのままだろうという推察ができる。とすると、勝手に戻れるのは望み薄。それ以外の方法を考えないといけないな。
まあ、汐音ちゃん生活自体はゲームの世界を体感できるって面では悪くないが……。もう少しプチ旅行みたいな、そう、2泊3日が約束されてるとかなら別に構わないんだが、一生汐音ちゃん生活だとちょっと色々精神的に無理。昨日の風呂もそうだし、それ以外にも……。
「汐音、おはよう!」
「あ、うん……おはよ……」
噂をすれば早速来よったで。今日も朝から俺の席にやって来て笑顔を振りまく崇高。現在の俺の憂鬱は8割ほどがこいつで構成されている。
……崇高、お前も友人としてなら付き合っていけんこともないが、お前は俺をひそかに交際対象として見てるだろう。知っているぞ。だがそれは決して許されない罪だ。俺とこいつを同じクラスにしなかった担任に、ただただ今は感謝したい。
「今日も元気なくないか!?」
いやちょうどお前のこと考えてたからさ。……あ、そうだそうだ。今日、これから時間あるか? 今度は屋上に行こうや。貝森ちゃんルートでもいいんだけど、いちおう他のヒロインとも繋いでおかないとな。俺以外ならお前は誰と付き合ってもいい。そう考えるとこいつ幸せもんだよな。もっと喜べ。
「屋上に……? なんでだ?」
「もっと近くで空が見たいから」
あ、ちなみにこれ屋上で高宮城先輩と初めて会った時に言われる台詞な。あの人、屋上の貯水タンクの上でこれまた2週間くらいお前のこと待ってるんだぞ。雨の日も。高宮城先輩ともあろう方になると、天気で空を差別したりはしないということだろうか。すごい境地だ。
ところが、俺が小粋に誘ってやったのにもかかわらず、主人公の野郎はなぜか返事をしなかった。それどころか、級友の女の子モブと一緒に何やら俺から距離を取る。そして、ひそひそと2人で何かを話し始めた。
まあ何だろうが別に構わんが、チラチラこっち見ながら喋んの止めてくんないかな。「なになに?」って素知らぬ顔して混ざりたくなるじゃん。ま、いいか。俺は、近くの席の男子が読んでる少年誌に目を移した。……あれ読み終わったら貸してくれんかな。
「……今日といい昨日といい、汐音おかしいよね」
「いやそれが……昨日の中庭でも後輩の子が……」
「それって不自然じゃない……? で、可愛かったよねって? まさか汐音……頼まれてその子に協力してるんじゃ…………ごめんって。そんな目で睨まないでよ」
そしてやがて、2人は探るような顔でこちらに連れだってやってきた。……お、もう作戦会議終わり? で、どしたん? なんか知らんが、崇高屋上行きたくないんか? 紫外線対策でも忘れちゃった? ……女子かな?
「なあ汐音、昨日の子がまた待ってるとか……なのか?」
「貝森ちゃんはいないよ」
「『は』……?」
あーもうめんどくせえなこいつ。これはしたくなかったが仕方がない。昨日の朝と同じように俺は主人公の制服の袖をぐいぐいと引っ張って、上目遣いで奴を見上げた。
「……ねえ、崇高くん。お願いだよぉ……」
「うっ……。…………わかった! 行くぞ汐音ぇ!」
「あんた、ほんと汐音のこの顔に弱いよね……」
ちょろいもんだぜ。……え、これひょっとして袖引っ張って上目遣い+涙目で「お願いだから何も聞かずに貝森ちゃんと付き合って……」とか言ったら即解決するんじゃね? さすがに駄目か? だがいざという時の選択肢の1つとして、俺の胸にはしまっておくとしよう。
……じゃあとりあえず、行きますか。……屋上、高宮城先輩の元へ。