エピローグ
俺がそのまま思いっきり手を引っ張ると、目を丸くした汐音ちゃんがにょーんと崇高の中から出てきた。……おお、なんか一瞬餅みたいに伸びたぞ。豆知識。魂の状態はなんか知らんがどうやら柔らかいらしい。
「てことは崇高くんも共犯者かぁ」
あんなに至れり尽くせり良くしてやったというのに。この裏切り者め。俺が睨みつけると、崇高はどこか気まずそうに目をそらした。すると、汐音ちゃんが慌てたように手を広げて間に入ってくる。
「私が無理やりに頼んだんだよ。だから崇高くんは悪くないの」
「待って……じゃあ崇高くんは汐音ちゃん本体が中に入ってないのに告白しようとするようなヤバい人格の持ち主ってこと?」
「……それは少し違うかな」
汐音ちゃんは困ったように笑った。そして、どこか気まずそうに指で頬を掻く。
「だって私、崇高くんには一切事情を説明してないもの」
「……ん?」
「だから、『私しばらく崇高くんの中に入るね』ってことしか伝えてないの。何が起きてるか今も全然わかってないと思うよ」
「そ、それで何も言われないの……?」
幼馴染がそんなことをいきなり言い出したとしたら俺は困惑しかしないと思う。まずどんな顔して聞いていいかわからんぞ。というか絵面が想像すらできん……。
「『わかった』って言ってくれたよ」
「俺は汐音の言うことなら何でも聞くさ」
「いやお前な、限度を知れ限度を」
……あれ? こいつもう分離してるよな? なのにやっぱり言動ヤバいんだけど。後遺症かな?
本物の方の汐音ちゃんは、あらためてといった感じで俺の顔をじっと見る。そして何やら何度もぱちぱちと瞬きをした。不思議そうな顔。にしても汐音ちゃんまつ毛長いよな。俺も同じ顔だけど。
「あなたとこうやって直接会うのは初めてだよね。……それで、どうして私の居場所がわかったの?」
「そりゃわかるさ。君のことは俺が一番よく知ってる」
すると、汐音ちゃんは目を丸くする。そして一瞬空いて、ふふっと吹き出した。
「そういえば、私はあんまりあなたのこと、知らないかも」
「なあ汐音」
「「なに?」」
俺と汐音ちゃんが同時に崇高を見つめると、奴はくらくらと眩暈を起こしたようによろめいた。……お、どした。やっぱり後遺症か?
「……えーっと。俺の中にいた方」
「なに崇高くん」
「その、そろそろ事情をだな」
汐音ちゃんはそれを聞いて天使のような笑顔で微笑んだ。そして両手を合わせ、首を傾けて可愛らしく崇高を拝む。しかし、出てきた台詞は大いに冷たかった。
「……明日説明するから、今日は悪いけどもう帰ってくれる?」
「いやさすがに無理があると思うな」
「わかった!」
「……マジかよお前……」
あ、でもなんか今わかったわ。汐音ちゃんが入るって言った時もこんな感じだったんだろうな。
崇高が無事退場した後。汐音ちゃんのしていることを止めさせるべく口を開こうとすると、途中で汐音ちゃんに遮られた。
「言いたいことはわかるよ。いい加減自分の体に戻れ、でしょ?」
「……いやそうだけど、そうじゃないんだ」
「?? どういうこと? どっち?」
「えーっと……汐音ちゃんがやってるのってつまり、崇高が不幸を周りに振り撒いちゃうからそれを何とかしたいんだよな」
「……そうだよ。みんなが不幸になるし、止められないって。だから仕方ないの」
「実は汐音ちゃんが今やってるよりも、もっと簡単な方法があるんだよ。その方が危険もない。それを伝えたいんだ」
「簡単な、方法……?」
怪訝な表情をする彼女に、俺は真剣な顔で事実を伝えた。ある意味残酷だったかもしれない。
「崇高に彼女が出来たらそれでいいんだ」
「…………は?」
「いやそれがマジなんだよ」
「えっ? えっ? 何それどういうこと? 本気でわからないんだけど」
わたわたと大いに取り乱す汐音ちゃん。おお。その焦った表情初めて見た。……そして俺は一通り、事情を説明した。俺がなぜ汐音ちゃんを知っているかに始まり、目覚めたら汐音ちゃんだったことから今日に至るまで。そして、俺が知る限り、崇高の呪いとやらは恋人が出来たら普通に解けていた、ということを。
全てを聞いた汐音ちゃんは黙って下を向いた。かと思うと、何やら一瞬物騒な目つきになる。ふるふると体が震え、ギリギリと何かが軋む音が聞こえた。
「あの…………ポンコツ魔女……っ」
「やばいやばい汐音ちゃんキャラ変わってる」
あれこれリネット大丈夫かな? 死亡フラグ立ってない? 俺はこれ以上汐音ちゃんが暗黒面に落ちる前に、急いで話を元に戻した。
「ということで、誰かがあいつの可愛い彼女になってくれたらそれで解決。……ちなみに汐音ちゃんどう? 先着1名様サービスで安くしとくよ」
「パスかなぁ」
「いやせめてもうちょい考えてあげて……お?」
ピリリリ、と突如部屋の隅から電子音が鳴り響き、俺はそちらに目をやった。……あ、なんか携帯鳴ってる。ちょっと待って。
俺が画面を見ると、貝森ちゃんからだった。なになにどした? ひょっとしてお母さん調子悪いとか? 俺の声援が必要?
「……もしもし?」
「あ、すみません。今病院から帰ってきました。母ももう大丈夫みたいです」
「おお、よかったね。……あれ、どしたの? それ報告してくれるためな感じ?」
「いえ、……さっきセンパイちょっと様子がおかしかったから。どうしたのかなって」
「……お?」
「なんだか遠くに行っちゃうような気がして……なんか、最後だしいいこと言っとこう、みたいな感じだったから」
これもう貝森ちゃんも能力者だろ……。俺は言葉を止め、汐音ちゃんを見た。すると彼女はふるふると首を振り、声に出さずに口を動かした。『もう時間だよ』。……なら仕方ない。俺は貝森ちゃんに事情を説明することをあっさり諦める。でも問題ない。説明しなくても、きっと俺たちがこれまで一緒に過ごした時間は無くなったりしない。
「大丈夫大丈夫。あのね、ちょっと明日から私雰囲気違うかもしれないけど、一緒だから」
「一緒?」
「うん。なんたって根が同じらしいからね」
すると、何やら深い深ーい溜息が電話の向こうから聞こえた。困惑5、疲れ3、その他2くらい? なんか色々籠もってそうな複雑な溜息だった。おいおい大丈夫か? 貝森ちゃんの元気がないと俺心配だよ。
「あれ、貝森ちゃんなんか疲れてる……?」
「いえ、ちょっと電話したことを後悔してます」
「私は嬉しかったよ。電話くれて、話せて。貝森ちゃんと会えてよかった」
「だからまたそういうこと言って……なんですか? いいこと言いたい週間かなんかですか」
「うーん、ま、楽しかったな、って。ほら、なんだかんだで色々忙しかったじゃない」
「忙しかった……? いや、確かにあっちこっち行ったりはしてましたけど。忙しい、っていうのとは違いません?」
思いっきり怪訝な声でオウム返ししてくる貝森ちゃん。いやいや。まだまだ君はわかっとらんな。俺がどれだけ日々追いかけられていたことか。まあ、貝森ちゃんもそのうち身をもって知ることになると思う。グッドラック。
「ううん、それはもう忙しかったよ。常にね。今も、これからもどうやら忙しくなりそう。大変だと思うなぁ私。ああ忙しい忙しい」
「いやだから何にですか。汐音先輩が何に忙しいのか結局わからないままなんですが」
「——だよぉ」
「……え? すみません、よく聞こえませんでした」
俺が思わずぽつりと漏らした言葉が聞こえたのか、隣で聞いていた汐音ちゃんがふっと噴き出した。いやいや笑とる場合か。これから忙しくなるのは君なんだけど。でもなんだか急に気恥ずかしくなり、俺は照れ隠しに思いっきり、受話器越しに貝森ちゃんに向かってもう1度同じ言葉を叫んだ。
「だから! ……私は! 攻略を回避するのに、忙しいんだよぉっ!!」
「いやぁ……さっきのは傑作だったねぇ」
くすくすと思い出し笑いをする汐音ちゃん。俺はその隣で、満天の星空を見上げた。後ろを振り向くと、そこには細く長く続いている道。いつの間にか、俺は彼女に連れられ、この星空に浮かぶ道の上にいた。再び前を向くと、かつて途切れていたというそこには、細くなっているものの確かに先に道は続いている。俺の視線を辿ったのだろう、汐音ちゃんも道の先を見て、目を細めた。
「未来なんてね、本当は見えない方がいいんだよ」
「いや、そうとばかりも言えないかもな。だって、俺は先を知ってたからこそ動けた部分もあるんだし」
「……そうかなぁ」
「そうだよ、きっと」
俺と汐音ちゃんは並んで、続いている道の先を見つめた。霞んで向こうの方はよく見えない。隣の汐音ちゃんもそれは同じなのか、背伸びして目を一生懸命凝らしている。その小さな横顔を見て、俺は思ったことをそのまま口に出した。
「せっかくだから、君とももっと話してみたかったな」
すると、汐音ちゃんは面白そうな顔になり、俺の内心を測るかのようにじっとこちらを覗き込んでくる。その口の端に浮かんだ笑みはどこかちょっぴり小悪魔っぽかった。
「それ、今じゃいけない? これからは?」
「残念だけど、俺はもう戻らないといけないんだろ?」
そうだったねえ、と口の中で呟き、汐音ちゃんはふんわりした表情でくすくすと笑った。そして手を広げ、くるりと突然その場で回る。何で回ったのかはよくわからない。
「なら諦めるしかないかな? あなたが私なら、どうする?」
俺は大真面目な顔で、「潔く諦める」と言った。仕方がないものは仕方がない。すると、「私達似てるかもね」と言い、またころころと嬉しそうに笑う汐音ちゃん。きっと彼女も俺と同じ、手段を尽くして無理ならその時はすっぱりと諦められるタイプなのだろう。……そうだ。別れる前に、これだけは伝えておこう。
「俺、思うんだけどさ。君は1人で全部する、頼りたくない、って言ってたけど、違うと思う。どこかで隣にいてくれる人を求めてたんだよ。手伝ってくれる誰かがいてくれるだけで大分違うもんな。君に俺が追い付けた理由はたぶん、それだ」
「確かに、なかなか心強い相棒だったなぁ。なんたって、私だもんね」
再びくすくす笑う汐音ちゃん。笑い上戸なのかな? ってくらいによく笑う。そういやゲームではこんな風にいつも楽しく笑っていることが多かったっけ。きっとゲームの彼女も、楽しいことばかりでは当然なかったんだろうけど、こんな風に笑うのも本当の汐音ちゃんなんだろうと思う。
「その相棒から、最後の忠告だ。君も自分をもうちょっとだけ大切にしてくれ」
「……そう言うあなたは?」
「俺は……登場人物じゃないからさ」
「ふーん。へー。そういうこと言っちゃうんだ。……なるほど、確かに似てるかもね。私たち」
そして、汐音ちゃんがふと笑うのを止め、黙って俺を見つめた。その瞳に混じる僅かな寂しさを認め、俺は時間が来たことを知る。不意に、すうっと頭上の星が1つ、流れ星となって落ちた。そして、1つ、また1つ。次第にその数は増え、まるで雨のようにあたりに降り注ぎ始める。
「……そろそろお別れか?」
「うん。色々ありがとう。……あなたには、感謝してる」
「なら、俺もこれでお役御免かな。また何かあったらいつでも呼んでくれ」
きっとこれで最後だろう。そうわかっていても、俺は笑顔で汐音ちゃんに握手を求めた。んー、と何か考えながら握り返してくれる汐音ちゃん。そしてふと彼女は何かを思いついたかのように、これまでで一番いい笑顔で、笑った。
「わかった。じゃあ次はね……」
「次って早くない!? まだ何かあんの!?」
最後に、汐音ちゃんは何かを言った。その口の動きを俺は確かに見たが、その言葉は耳に届くことはなく。汐音ちゃんも、立っていた道も、俺自身も、全ては白い光に包まれ、やがて何も見えなくなった。
* * * * * * * * * * * *
……じゃあ次、次ねえ。俺は汐音ちゃんのためなら何でもするというのに。流石に言ってくれないとわからない。いやなんか言ってたっぽいけどさ。聞こえなかったなら仕方ないよな。
結局俺はあの後、目覚めたら現実世界に戻っていて、ついでにいつの間にやら病院にいた。なんでも脳の血管が詰まっただか破れただかで、アパートで倒れて結構ヤバい状態だったらしい。まあそれも無事完治したんだが。めでたしめでたし。さすが俺。
そして1か月ほど入院し、退院の日。薄手の長袖パーカーを羽織った俺は、外の凍てついた空気の中で何度か大きく深呼吸をしてみる。息が白く立ち上り、俺は、季節がいつの間にか秋から冬に変わっていたことを、知った。
そんな俺は今日も変わらず、バイト先から鼻歌交じりに我が家に戻る。しかし、その途中で寄ったゲーム屋で、ふと俺は聞き覚えのある音楽を耳にし、そちらに歩み寄った。
お、あのゲームの宣伝がやってる。モニターに映し出されているのは、貝森ちゃんと柚乃ちゃんだった。画面の向こうの2人は喧嘩しながらもどこか仲良さげにやり合っていた。俺はそれを少ししんみりした気持ちを抱え、少し離れた場所で、ただ見つめる。
……ひょっとしたら、俺がいたあの秋から冬の出来事も……単なるエピソードの1つだったのかもしれない。汐音ちゃんが呼び出した、どこからともなく現れた誰かの話。
ただ、それでも構わない。あの文化祭のマイムマイムを、冬の訪れを知らせる冷たい風の響を聞くたびに、俺は何度でも、あの秋から冬にかけての季節を思い出すだろう。汐音ちゃん、貝森ちゃん、高宮城先輩、北辻さん、リネットに柚乃ちゃん。ついでに崇高。彼女たちと共に過ごした日々が、確かにあった。俺はそれが、心底嬉しかったんだ。それで、十分。
俺は再度、家路を急ぐ。しかし、その途中で定期入れを忘れたことに気が付き、振り返った。おっと、俺としたことが。……すると、間髪入れず、とん、と何か軽いものが腹に当たる。同時に「わ」という声とともに、すとんと目の前で誰かが尻餅をついた。
……いかん。急に方向転換したからか、接触事故を起こしてしまったらしい。俺は座り込んでいる相手に謝罪しながら手を伸ばした。しかしいつまで経っても相手が顔を上げず、手を取ってくれないので、俺は少し困惑する。帽子を被ってるからよく表情は見えないが……。
「あのー……すみません、大丈夫?」
「……」
「もしもーし。立てない? 俺いい病院知ってるから紹介しようか?」
「約束が、違うなぁ」
「……ん?」
どこか聞き覚えのある声に、俺は眉を顰める。聞き覚えがあるっていうか、自分で出した覚えがあるっていうか。俺はもう1度、相手をまじまじと見つめた。帽子の下からのぞくのは、茶色がかったふわふわの髪。大きな瞳。気弱そうに下がった眉。透き通るような白い肌。
「…………まさか」
こちらを見上げるのは、俺がかつて毎日見ていた自分の姿。別の世界に別れてもう会えないはずの、汐音ちゃんだった。なんで、ここに……? 俺は何が起こっているかわからずに、一瞬固まる。すると、彼女は道に座り込んだままこちらを見上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「約束したよね。次はあなたが誘ってくれる、って。忘れちゃったの?」
俺はしばらく動きを止めたものの、苦笑し……やがて、恭しく、もう1度彼女に手を伸ばした。……確かに、そうだったっけ。いかんな、紳士たる俺としたことが。
「なあ、俺と一緒に踊ってくれないか」
汐音ちゃんは最後に見た時と同じように、嬉しそうに笑い。しっかりと、俺の手を取った。
「……はい、捕まえた」
――その時。あの星空の道で、汐音ちゃんが最後に何を言ったのか。俺が聞き取れなかった部分、最後の一言が、不意に脳裏に響いた。どうやら確かに俺の耳には届いていたらしい。……小さく呟かれたそれは今思えば、彼女の静かな決意表明。
「じゃあ次はね……」
「次って早くない!? まだ何かあんの!?」
俺の別れの握手を受け入れた汐音ちゃんは、笑いながら、小さな声でそっと囁いた。
「……次はね。私が鬼だよ」
ということで、完結です!
意外に長くなってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。
また評価やブクマしていただいた方、誤字報告くれた方、感想書いていただいた方にも感謝を。お陰で完結することができました。……では、機会がありましたら、またいつか。




