人と人との絆的なアレ
「……」
「……」
なぜか貝森ちゃんがいつまでたっても手を取ってくれず謎の沈黙が続いてしまったので、俺は手を引っ込めた。うーん、別に汚れてるとかじゃないよな……? 俺が自分の手をまじまじと眺めていると、貝森ちゃんはどこか気まずそうにそれを見つめる。
「いえ、嫌なんじゃなくて……そのぉ……」
もごもご、と口の中で呟いたので、貝森ちゃんの言ってることはよく聞き取れなかった。ま、しゃーないか。同盟というのは相互の了解があってこそ成り立つものなのだ。それに俺と比べたら貝森ちゃんでも十分特別だしな。お前なんぞと一緒にすんなとそういう意味かもしれん。いいよいいよ、そういう自覚とっても大事よ貝森ちゃん。
「まあいいや。それより貝森ちゃん、ここからは未知の領域だよ。注意ね。私にも何が起こるかわからないんだから」
「汐音先輩にも!? わからない!?!?」
お、おう。叫びながら顔をのけぞらせるという貝森ちゃんの大袈裟なリアクションに内心ちょっと引いてしまったものの、俺は頷く。だってゲームでスタンプラリーって制覇できないもん。高宮城先輩と回ったら芸術系でアウト、柚乃ちゃんと回ったら体育会部門か途中で貝森ちゃんと遭遇したらアウト。柚乃ちゃんは貝森ちゃんの後を追ってデートをエスケープしてしまうからな。
「でね、だいたい制覇したからいったん大会本部のテントに戻ろうと思うんだけど」
「なんでテントに?」
「だってほら、ここ見て。他の全ての項目を制覇したら来てください、って書いてあるでしょ」
俺が指さしたスタンプラリー台紙の一番真ん中には謎の空白があり、その言葉だけが書いてあった。とっても怪しい。そりゃ貝森ちゃんに注意喚起もするってもんだ。ま、とにかく行ってみるとするか。
しかし、俺たちが固まってグラウンドにある大会本部へ移動を開始していると、道中、何やら見知らぬ人たちからパシャパシャとやたらに写真を撮られる。なんだこれ。
「汐音先輩の恰好が人目を惹きすぎるんですよ。腕相撲大会の時も、美術部でも、さっきの華道部でも撮られてました。気づいてなかったんですか?」
なんと、俺はいつの間にか、撮られることに慣れきってしまったらしい。精神が自衛を働かせた結果だと思うが、絶対いらん能力だなこれ……。
大会本部の受付の子は、俺が差し出したほぼ全てが埋まった台紙を見て顔色を変えた。そして、奥に座っているいかにも偉そうな上級生の所に駆け寄っていく。
「会長! た、達成者が出ました! 15年ぶりです!」
「……ほう。おや、君たちか。今日は何かある気がしていたよ」
ニヤリと笑ったその上級生は、学ランを羽織って立ち上がった。さっそく北辻さんがパキポキと指を鳴らして一歩前に出る。
「あなたを倒したらクリア?」
「いやいや、俺なんかが相手になるわけがない。なにせ俺もさっきの腕相撲選手権は観戦させてもらったからね。いや、歴史に残る名勝負だった。その前の瓦割りもね。実に大したものだ」
「ということは……もう達成ですか? 達成ですよね? でないとこちらの高宮城先輩が『次は会長を割ってみたい』と言い出しかねませんよ。この方はとても気が短いのです」
「いや、残念ながら最後に1つ。突破してもらわないといけない最大の関門があってね」
俺がけっこう強気に攻めてみたにもかかわらず、会長とやらは全然残念じゃなさそうに肩をすくめた。……肝が据わっておる……。一方、高宮城先輩も、俺の出鱈目な言葉を聞いても見事に表情を変えなかった。なかなかいい勝負だと言えよう。
「最大の関門ですって!? いったい何だっていうの!?」
そして、会長の言葉に北辻さんがすかさず食いつく。……しかしあれだな、さっきから北辻さんリアクションいいよな。柚乃ちゃんはニコニコ笑ってるだけだし、貝森ちゃんは上級生に食い気味に話すほど常識外れじゃないし。高宮城先輩に至ってはもはや部長を見ることすら止めており、ぼーっと空を見上げているだけだった。さすがに可哀想だから、もっと会長、っていうか人間全般に興味持ってあげて。あと崇高、お前はもうちょいなんか喋れや。
「簡単さ。2時間、鬼が追いかけるから、逃げ切れば勝ち。いうなれば『鬼ごっこ』だよ」
「あれ、確かに簡単な……?」
だって誰が鬼だろうが、こっちには高宮城先輩がいるんだ。この人たぶん3階から飛び降りても「痛っ」くらいで済むぞ。わが校がいかに大きいとはいえ、そんな生徒が何人もいるわけがない。まあ1人いる時点でそもそもおかしい気もちょっぴりしなくもないが、細かいことはこの際いい。……これは勝ったな。
「ちなみに君たちの中でリーダー、班長、まあ何でもいいが、代表者は誰かな? ルールの説明をしたい」
「ルール説明くらいケチらずみんなにしてくれたらいいのに」
「まあそう言わずに。……君、ということでいいかな?」
なにやら俺の後ろを見ながら話す会長。その視線を追って俺が振り向くと、みんなは一斉に俺を指さしていた。まあ、別にいいけど……。俺が誘ったし。俺はくるりと会長に向き合い、手を上げて申告する。
「じゃあ私が代表者で」
「では、君が逃げ切れば勝ちだよ。ルールとしては2つ。まず、隠れるのは禁止。もう1つは、学校の敷地内から出るのも禁止だ。以上」
「えっ」
同時に、アナウンスが鳴り響く。
『今から30分後に、イベント"鬼ごっこ"を開始します。校内を逃げ回るターゲットを捕まえると、大会本部から豪華賞品を差し上げます! ぜひご参加ください! ターゲットの姿は校内に掲示しますので、見かけたらご一報を!』
「ということで、言い遅れたが、鬼は君たち以外の全員だ。健闘を祈る。では、30分後にスタートだよ」
そう言って、再びテントの奥に戻っていく会長。……あ、了解。これ交渉しても聞いてもらえないやつね。ならこの条件で何とかしないといかん。……ということは事態は一刻を争うか。
「高宮城先輩! 私を背負って走ってください! 全力で!! みんな、崇高君に聞いて! 『いつもの場所』に私たちは行ってるから。そこで作戦会議!」
間髪入れずに俺をひょいと背に乗せ、走り出す高宮城先輩。場所を告げなくとも先輩には伝わったらしい。さすが主だけある。視線を感じたので後ろを振り向くと、顎を撫でながら会長はニヤリと笑っていた。あのやろう。見てろや、絶対逃げ切ってやるからな。
高宮城先輩お気に入りの場所、屋上の貯水タンクの上に集合した俺たち。ひんやりとした風が吹きすさぶものの、読み通りにここには誰もいない。俺は全員の顔を順に見渡したのち、口を開いた。
「と言っても、正直あまり戦況はよくありません」
「戦況って」
いやこれはもうあの野郎との闘いなんだよ貝森ちゃん。しかしまずった。高宮城先輩に俺を運んでもらえばいいのでは? と最初は思ったのだが、ここに来るまでの間にそれが不可能なことが判明した。というのは、なんか背負われて運ばれるのって、揺れるんだよ。小刻みに。それが内臓にダメージを与えるっていうか。それが証拠に、俺はもうボディーブローを打たれ続けた終盤のボクサーみたいになっちゃってるからね。率直に吐きそう。これで2時間なんて過ごしたら持病以前にリアルに死んでしまうので、他の手段を考えないといかん。あ、死ぬって言っても社会的にって意味ね。
青い顔をして口を押さえながら考え込む俺を見て、貝森ちゃん他もどうやらまずい状況だということを理解してくれたらしい。真剣な顔をしてそれぞれが考え込んだ。
「2時間捕まらなきゃいいんでしょ? かかってくる全員張り倒せばよくない? どれだけいても1度に相手するのって前後左右の4人ずつなんだし」
真剣な顔でグラップラー的な意見を述べたのは、当然ながらと言っていいのか北辻さんだった。この人鬼ごっこって知ってんのかな? 遠い外国の人に「日本には『鬼ごっこ』って遊びがあるんですけどどういうものだと思いますか?」ってインタビューで聞いた時くらいしかこんな意見出てこないだろ……。
「えー、次の意見ありませんか?」
「何よ! もう少し検討してくれたっていいじゃない!」
時間が勿体ない。だって30分後にスタートしちゃうんだぞ。
すると次に、柚乃ちゃんが笑顔でふわりと手を上げた。おお、賢さではヒロイン中随一を誇る彼女なら、きっと有用な手段を……!
「率直に、あきらめる、とかはいかがですかぁ?」
「いやいやいや! もう少し検討して柚乃ちゃん!」
「ですけど、夜桜先輩もうヘロヘロじゃないですかぁ。まだ始まってもいないのに。ここは早めにギブアップして無駄な労力を省くべきでは」
「そんな現実的な案はいらない! 無駄な労力とか言わないで! 足りない部分は根性で何とかするんだよ!! 次ぃ!」
「そんな戦時中みたいな」
すると、高宮城先輩が手をすっと真っすぐ上げた。しかし真顔なのでちょっとシュール。ていうかこの会議いつの間にか挙手制になったのな。順番を守ってて大変よろしい。
「私が背負って2時間逃げ回るとか?」
「それは私も考えましたが、吐いてしまうので無理です。私の内臓は長時間のボディーブローに耐えられるような構造をまだ獲得していないみたいなので」
「根性って何でしたかねぇ。それにちょっと大袈裟過ぎじゃあ……?」
うーん……。なかなか「これだ!」というものは出てこないな……。俺は、寒そうに手をさすりながら考えてくれている貝森ちゃんの方に視線をやった。しかし彼女は申し訳なさそうな顔をして小さく首を振る。
「すみません……私だけ普通なもので、何も思いつきません」
「さっき芽生えた自覚はどしたの貝森ちゃん! それに私も普通だって!」
「普通な人間は道行く人から写真を撮られたりしませんて!」
ちょっと意地になってるっぽい貝森ちゃん。しかし、俺が今撮られるのは主に目立つ服装とそれ専用にカスタマイズされたツインテリボンのせいのような……。だって、外見レベルで言ったらみんなほぼ同じはずなんだ。可愛い、綺麗とジャンルが違うとはいえ。
「まあ、全員で集まってたら目立つから、夜桜先輩が単体で動くか、誰かと一緒に動くか、ってことが妥当かと思うんですけどぉ……」
確かにそうかもしれん。とすると誰と行動するかだが……。
俺はもう1度みんなの顔を順番に見回した。すると、ピコン! と心なしか選択肢が出てきたような気がする。ふむ……。
⇒「ここは万能、高宮城先輩と!」
「いやいや北辻さん!」
「柚乃ちゃんの手段を選ばないえげつなさに賭ける」
「あえて貝森ちゃんの普通さに頼ってみる」
俺は目を閉じてシミュレーションしてみた。高宮城先輩とだと俺が足を引っ張って即アウトな気がする。あと悲劇が起きてしまう予感。北辻さんは有能なんだけど騒がしいから目立つだろう。柚乃ちゃんはヤバイ方法を考え出してくれそうだから頼るのもありかもしれんが……。
俺は薄目を開けて、なんだか元気がない貝森ちゃんの様子を窺った。そしてさっきの中庭での会話を思い出してみる。……よし。ここは貝森ちゃんと組むか! 別に失敗したってその時はその時だ。崇高と俺であの教室の黒い石の横に一晩中張り付くまでよ。それはそれで、「こっそりパクれば全て解決するのでは」という欲望との戦いになりそうだが……。いや、まあ他人に迷惑をかけるのはいかんよな。うん。頑張ろ。
「貝森ちゃん、私と組んで行動してくれる?」
「えっ……? あ、あたしですか? いいんですか……?」
「もちろん! 貝森ちゃんが! いいんだよ! じゃあ決まりね!」
「夜桜先輩が決められたなら仕方ないですね。でも、亜佑美ちゃんだけに任せてしまうのも心が痛みます……私にも何かお手伝いできることがあればいいんですけれど……頑張ってくださいねぇ」
眉を下げ、とっても申し訳なさそうな表情で、柚乃ちゃんはそう敗戦(?)の弁を述べた。しかしその顔には、自分を差し置いて貝森ちゃんが選ばれたことへの怒りがちょっぴり浮かんでいるような……。いやしかしすごいよな。それでも可愛いもん。さすが俺と同じヒロイン。きっと柚乃ちゃんが俺と同じ格好してたら同じように写真を撮られることだろう。
…………ん? 同じ、恰好……? ……そうだ。こういう作戦はどうだろう。
俺はちょいちょい、と柚乃ちゃんを手招きした。ちょこちょこと小さな歩幅で柚乃ちゃんは俺の前までやってくる。そして笑顔のままで首を傾げた。
「はいはい、なんですかぁ?」
「私たち、背格好同じくらいだよね」
体格的には、俺と柚乃ちゃんが小さい、貝森ちゃん普通、北辻さん高宮城先輩大きい、の順。全員標準より細いのは、ゲーム的な都合だろう。俺はふくよかな子も決して嫌いじゃないけど。だってご飯とかめっちゃおいしく食べてくれそうじゃん。そういう意味でも貝森ちゃんって十分いいと思うんだが……おっと。
「柚乃ちゃん、さっき言ってくれた、協力してくれる気持ちに嘘はない?」
「え、ええ……まあ……」
「よし! なら、まず服脱いで。ここで。今すぐ」
「え゛っ」
結局、柚乃ちゃんと俺は一時退場し、お互いの服を交換した。非常に似合っているゴスロリの服を見下ろしながら、柚乃ちゃんはちょっぴり引きつった笑顔で呟いた。
「まさか屋上で脱がされそうになるとは思いませんでしたよぉ……」
「だって着替えに行ってると時間ないかなって」
「夜桜先輩だってそう言われたら嫌でしょ!?」
「私は平気だよ。その陰とかで余裕で着替えられ……こら崇高くん。想像しないで。興奮して出される鼻血ってリアルで見るとちょっと気持ち悪い」
「今のは汐音先輩が悪い」
「あたしもそう思うわ」
「……それはともかく。作戦はこうです。柚乃ちゃんには私に変装してもらい、高宮城先輩は柚乃ちゃんを背負って逃げ回ってもらいます。そしたらみんなそっちに行くんじゃないかなって」
すると、さっきと違ってすごく嫌そうな笑顔で柚乃ちゃんが手を上げた。でもすげぇ、まだ笑顔だよ。さすが猫の被り方に年季が入ってる。
「ちょっとわたしの負担が大きすぎるんじゃないですかぁ?」
「大丈夫! 絶対捕まらないから!! それに捕まったらすぐに身代わりだって白状していいから!」
「……まあ、それならいいですかねぇ。要は時間稼ぎですか」
渋々ながら、といった感じで了承してくれる柚乃ちゃん。しかし高宮城先輩に背負われて逃げ回るという任務がどういうものかを知っていたら、果たして彼女は素直に頷いてくれたかどうか。
「で、あたしたちはどうしたらいいのよ」
「北辻さんはさりげなく高宮城先輩をフォローというか、向かってくる鬼の方々を邪魔していただけたら。やっぱり北辻さんのフォローがあってこそ、高宮城先輩の逃げは完成すると思うんです」
なくても逃げ切りそうだけど、ないよりはある方がいいだろうし。すると、北辻さんはちらちらと高宮城先輩の方を見ながら、これまた非常に嫌そうな顔をしてみせた。しかしその口の端がちょっぴり上がっていたのを俺は見逃さなかった。
「ええ~……ま、そこまで言われたらしょうがないわね。高宮城の足りない部分、あたしがフォローしてあげるわよ」
「あのお……汐音先輩、あたしは……?」
「貝森ちゃんは私と校内を回ろ? こういうのってね、堂々としてる方が目立たないんだから」
「うーん、そういうものですか……?」
貝森ちゃんは大いに異論のありそうな表情をしたものの、頷いてくれる。しかしそのままちらりと柚乃ちゃんの方へ視線を動かした。
「でも柚乃って、汐音先輩ほど髪長くないから無理ありません?」
確かに貝森ちゃんの言う通り、俺の髪は通常だと背中の真ん中くらいまでの長さがあるのに対し、柚乃ちゃんは肩くらいまで。長さのあるふわふわツインテールを再現するにはちょっぴり量が足りない。しかしあらためてこの髪、長すぎるだろ……。嘘みたいだろ、俺のなんだぜこれ。洗うの大変だし、全然乾かないし。汐音ちゃんは切ろうと思ったりしなかったのだろうか。俺なら思う。というか毎日思ってる。
「じゃあちょうどいい機会だし、柚乃ちゃんの長さまで私が髪切ったら……ごめんなさい、冗談なので北辻さんそんな怖い顔しないでください」
「でも、どうします? 柚乃にすっぽり何か被って逃げさせますか。ズタ袋とか」
「ふふ、自分がやったら? 亜佑実ちゃん」
「あたしがやっても意味ないでしょ! 単に顔隠して校内歩いてる変な人になっちゃうじゃん!!」
「なんだ、それならいつもとそんなに変わらないじゃない」
「変わるわ!」
2人がわーわー言い合ってるのを見ながら、俺は頭を回転させた。確かに、顔は伏せてもらうにしても、髪型はぜひとも再現したいところだ。しかし……ふーむ……。髪、髪ねえ……。
「なあ汐音、クラスに借りに行ったらどうだ?」
「え? 髪を、借りに……? 崇高くん……どしたの急に……頭おかしくなっちゃった?」
唐突な電波発言にドン引く俺。全くだ何言っとるんだこいつ、という冷たい目で全員から見られる崇高。すると、慌てたように崇高は手を振り回し、懸命な顔で弁明する。
「いや、汐音のクラス、コスプレ喫茶だろ!? カツラみたいなのも置いてあるだろきっと! そういう意味!」
「……あ」
あった! あったわ! 今朝無理やり着替えさせられた控室にそれらしき箱とか置いてあった気がする。なんだこいついいこと言うじゃん。俺はぱちぱちと拍手をして崇高に賞賛を送る。
「崇高くんすごい! 冴えてる!! 天才!!」
「そうだろそうだろ! 俺も自分の才能が怖い……なんてな! ははは!」
「さっきの汐音先輩の台詞の後であんな無邪気に喜べる竜造寺先輩が怖い」
「記憶力がないんじゃない? わぁ、亜佑実ちゃんとお揃いだね」
「断じて! あれとは違う!」
無事、クラスからカツラをパクってくることに成功し、柚乃ちゃんは高宮城先輩に背負われて出陣した。屋上を去るときに見せた陰った表情が、任務のやばさを今更ながらに彼女が察知したことを告げていたが、わはは、出発してしまえばこちらのものよ。……後でなんか色々買っとこ。酔い止めとか。高宮城先輩酔いはヤバいから。お大事に。
「で、こんなところでゆっくりしてていいんですか? ここ、汐音先輩のクラスじゃないですか」
ひそひそ、と貝森ちゃんがテーブルから身を乗り出して俺に囁く。そう、俺と貝森ちゃんとついでに崇高は、我がクラスがやっているコスプレ喫茶に客としてやってきていた。さっき既にアナウンスがなされ、既に鬼ごっこは開始されているらしい。俺は注文したアイスティーを口に運び、余裕をもって笑った。
「だってここにいるなんて思わないでしょ? へへー、それに変装してるし」
俺は眼鏡を上げ下げしながら対策をアピールする。着ぐるみを着て座ろうとも思ったのだが、その方が目立ってしまうのでは? と俺の理性がストップをかけたので残念ながらやめておいた。言い出さなくてよかったと、さっきの俺を褒めてやりたい。
「確かに印象は違うかも……今度は髪も編み込んでるし」
「北辻さんがやってくれたけど、あの人も大概何でもこなすよね」
「ああ……そうですよ、なのにあたしを選ぶとか」
「そここだわるね貝森ちゃん」
「そりゃこだわりますって……」
貝森ちゃんは悩みの重さを現すように深くため息をつきながら、べたーっとテーブルに突っ伏した。うーん、これは重症だ……。俺は何か貝森ちゃんが元気になりそうなものを探して、窓の外に視線をさまよわせる。……あ。
「見て見て貝森ちゃん、窓の向こう」
「なんですか……?」
「高宮城先輩が校庭の木から木に飛び移ってるよ」
「なんかもうそこまでいくと羨ましくもならない……っていうか柚乃は!?」
がばっと顔を上げる貝森ちゃん。確かに、背負ってたら落ちるよな……。どうなってるんだろ。俺は目を凝らしてみた。
「なるほど……抱きかかえてるね。でも首がガックンガックンなってるから、あれ気を失ってるんじゃないかなあ。北辻さんも下走ってよくついて行ってるけど」
「柚乃よ……安らかに眠れ……」
貝森ちゃんはそう呟いて目を閉じ、静かに十字を切った。……あれ、貝森ちゃんってキリスト教? いやまあノリだけかも知らんけど。
「まあそれはともかくさ、せっかくだし明日の予定組もうよ。今日は結局スタンプラリー制覇で時間かかっちゃったから、明日こそ文化祭を楽しもう」
「あ、結構熱意ありますよね。なんでなんですか?」
「それはね――」
その時、突然、よく通る声で誰かが俺に声をかけてきた。それは、俺もよく知ってる人の声だった。
「汐音! どう? 儲かってる!? ていうかなんで客席に座ってるのあなた」
「お母さん! しーっ! しー!」
俺はガタンと立ち上がり、口に指を当ててストップをかける。クラスの人間には隠れてることを言ってるから大丈夫なんだけど、客に鬼ごっこ参加者がいないとも限らないからな。いや、まあこんなところでお茶してるやつは鬼ごっこスルー組だと見込んで俺もここで忍んでいるわけだが。決して油を売っているわけではない。
しかし俺の言葉を聞いて、なぜかざわざわとクラス内は揺れた。
「あれが汐音のお母さん……!? いや、めっちゃ美人系じゃん……! 意外……!」
「汐音ちゃんも大きくなったらあんな感じになるのかもね」
「あははは、なんか恥ずかしいよなこういうのって」
「なんで君が照れるの崇高くん」
とりあえずお前は座れや。しかし俺が崇高を着席させたばかりだというのに、母上殿はなんだか怖い笑顔でこちらに寄ってきた。そしてそのままぐいっと崇高の腕をつかむ。
「痛っ……え、なんですか?」
「あなたに汐音の母として聞いておきたいことがあるの。ちょっと来て。来なさい。いいからさっさと来い。今すぐ」
ぐいぐいと引っ張られ、あっという間に崇高は教室の外に連行されていった。なんだか無事で済まない気がする。俺は貝森ちゃんを見習って、見よう見まねで十字を切った。
「グッドラック、マサタカ」
「なんで片言なんですか」
「気分だよ気分。それより、明日明日。明日のこと決めちゃおう」
「今の、汐音先輩のお母さんでしたよね?」
「そうだよー。我が母上殿」
「うわなにその呼び方」
「お母様って呼ぶのは柚乃ちゃんくらいじゃないかなあ」
「あいつも何だその呼び方……いえ、やっぱり親から違うんだなあって」
アンニュイな感じで母上殿が消えていった教室の扉を見つめ、遠い目になる貝森ちゃん。その扉の向こうから、かすかに人の叫び声がしたような気がした。怖っ。何だ今の。
「うちの親なんてあれですよー。あたしを見たらわかると思いますけど、心底普通ですもん」
「そう? でもけん玉とかオルガンとか、得意じゃない。ああいうのカッコいいと思う」
「もはやなんで知ってるかは聞きませんけど、全然カッコよくないですよねそれ」
「そんなことないよ」
貝森ちゃんはやれやれ、という感じの笑みとともに首を振ったけれど、俺が真面目な顔をしていたせいだろう、ちょっと不思議そうな表情を浮かべた。
「……なんでです?」
「子どもが生まれた時のために、って一生懸命練習した特技だから」
あれは貝森ちゃんルートの最後の方だったか。親の仕事の都合で転校しそうになって、自分は親に愛されていないと貝森ちゃんが家出した時、貝森ちゃん母がぽつりぽつりと話してくれたエピソードだった。それを聞いて涙する貝森ちゃん(ゲーム)。一緒にむせび泣く俺。
貝森ちゃんは俺の言葉を聞いてはっとしたように動きを止め、黙ってちょっとだけ下を向いた。……そのまま黙っているべきか迷った末、俺は優しく声をかけることにした。だってゲームの時はめっちゃくちゃそう思ったもん。俺がこの子を抱きしめてやりたいって思ったもん。今こそその時では。
「貝森ちゃん、泣いちゃいそう? いいよ、私も一緒に泣いてあげる」
「…………最低な慰め方だ……っていうかほんとに泣いてる!?」
ゲームをプレイしてた時の俺の1/10ほどだったが、俺も思い出していつの間にかもらい泣きしてしまっていたようだった。でも恥ずかしくなんてない。しかしぐすっぐすっと涙を拭いて俺が顔を上げると、貝森ちゃんは目の周りこそちょっと赤くなってはいたものの、なぜか全然泣いていなかった。……お、おう。ドライやね。まあ、あれはあのシチュだからこそ泣けるところはあったかもしれん。
「……ま、いいです」
「……ん?」
「汐音先輩が何を知ってようが、乗せられてやろうって。そう言ってるんです」
「……おお! ほんと!? やった! やったぁ!」
俺はすぐさま立ち上がり、くるくるとその場で喜びのダンスを踊った。一通り舞い終わり、すとんと席に着く俺を、一転呆れたような顔で貝森ちゃんは見つめる。
「なんで踊ったんです今」
「知ってる? 文化祭で流れるマイムマイムって、古来に水を発見したヘブライ人が思わず踊ったものが起源なんだって」
「……つまり?」
「喜びと踊るのは表裏一体なんだよ貝森ちゃん」
「へーそうですか」
くるくるとグラスの氷をかき混ぜながらも、貝森ちゃんは一応頷いてくれた。
「で、2日目ですけど。目的としては何になります? いちおう協力すると言った手前、聞いておきたいんですけど」
「目的はね。……ただ、遊ぶこと」
「へ? 遊ぶ……? ……あーはいそうですか。それは楽しみですねー」
「あ! 疑ってるっていうか私が何か隠してると思ってるでしょ! そういう目だ! それは!」
「違うんですか?」
「遊ぶだけっていうか……柚乃ちゃんは、こういうお祭り参加したことないからただ回るだけでもいい思い出になると思うし。だってわたあめ食べたことないんだよ!? 絶対食べさせて、最後のわたでもなんでもなくなったやつを食べるときの微妙な気分とか味わってほしいし。……高宮城先輩はああだから。もう少し、周りに興味を持ってもらえたらいいなって。だって勿体ないじゃない。先輩はね、きっかけがあったらめっちゃくちゃ好奇心旺盛なんだよ? 北辻さんだって、これから先、近くにライバル店ができた時にデザートを思いつくきっかけはここで屋台巡りと舞台観たからだって言うんだから」
いかんなんかついめっちゃ早口になってしまった。まあともかくこの文化祭ってイベントの宝庫なんだよ。ぜーはー息をつく俺を、貝森ちゃんはポカンと口を開けてしばらく眺める。と、急におかしそうに笑いだした。しばらく笑いやまない貝森ちゃんを前に、俺は大変居づらい時間を過ごす。
「……え、今笑うとこあった……? 私の熱い想いを表明した、とっても感動的な場面だったはずなんだけど」
「くっくっ……あいつあんな顔してわたあめ食べたことないんだ……それは絶対食べさせたいですね……!」
「あ、うん……そうだけど、メインの話そこ?」
「聞いてて思いました。そういえば……私も最近、家で寂しくなること、なくなったな、って」
「おお……それは何より、だけど……話繋がってるかなこれ?」
「繋がってますよ」
笑い過ぎたのか、涙を拭いて、貝森ちゃんはすっと俺に手を伸ばした。その意図がわからず、俺は彼女の顔を見つめる。すると、貝森ちゃんはもう1度、笑った。これまで見た中で一番綺麗な、透き通るような笑みだった。
「協力します。センパイに。……あらためて、よろしくお願いします」
「あ、うん……よろしくね」
がっしりと俺たちは固い握手を交わした。そして貝森ちゃんは俺の方にそっと身を乗り出し、ひそひそ、と囁いてくる。
「で、センパイの最終的な目的って聞かせてもらってもいいですか」
「なぜに小声……ま、まあ2つあって。1つは、みんなが幸せでいられたらいいなってこと」
うんうん、と力強くうなずいてくれる貝森ちゃん。以前は同じこと言っても笑ってた気がするけど、今回は真剣に聞いてくれてる気がする。きっとこれまで築いてきた俺たちの絆、そしてさっきの俺の熱い演説が時間差で効いてきてしまったのだろう。さすが俺。そしてさすが貝森ちゃん。まだ戻ってこない崇高ならこうはいかない。
「そして、目的はあと1つ、実はあってね。あと1つは……」
「1つは……?」
「いなくなった私を探すこと」
「じ、自分探し!? ……ふっ……ふふっ……なんか身構えてたら思ったより中二なのが来た……」
再び顔を伏せ、しばらく肩を震わせて笑う貝森ちゃんの後頭部を、俺は複雑な思いで見つめた。……いやぁ……人と人との絆って難しいよな……。うん。
マイムマイムの話はイリヤの空でやってましたね。確かめていませんが、水前寺先輩が嘘を言うとも思えないのできっと本当なのでしょう




