文化祭、開始。
「――て! 目を開けてくれ!」
ガタガタと体を揺らされる。それにしても随分長く揺らすなぁと思っていたら、どうやら私は運ばれているらしかった。道理で地面全体が揺れているような感覚がするわけだよ。でもこれ、真っ暗な中で揺られると酔いそうになる。やめてって。どうせ崇高くんでしょこらやめて。
しかし、ぐらぐらと回る感覚の中で、突然ふっ、と音が消える。そして、不意に視界が切り替わった。目を閉じて横たわっていたはずなのに、いつの間にか私は1人、星空に浮かぶ細い道の上にいた。
……ああ、またこの場所だ。
後ろを振り返ってみた。私の後ろにも細い道は途切れずに、ずっと続いている。目を細めてみると、その道の上にかすかに浮かぶ、連続した無数のスクリーンのようなもの。その半透明のスクリーンには、色々な光景が映し出されていた。例えば、私から一番近い場所にあるそれには、昨日崇高くんが「友達と喧嘩した」と言って泣きついてきた場面が浮かび上がっている。
……もう少し、しっかりしてほしいんだけどなぁ……。まあ、人には向き不向きがあるものだ。彼にもきっと輝ける場所が世界のどこかに用意されているのだろう。……そう、信じておくとしよう。それよりも、問題は。
私はもう1度、後ろでなく今度は前、その道の先へ視線を移した。さっきとは違い、ぐっと力を入れて本気で目を凝らす。すると、私のいる場所からそう遠くない位置で、道は終わっていた。じっと見続けると、それがどのあたりかが辛うじて見える。……おそらく、高校2年生の夏、……いや、服装からして秋、か。そこで私の道は途切れているらしかった。
やはり、今のうちに何か手を打っておく必要があるだろう。なぜなら、おそらくこの道は……。
「……汐音!」
ぱちりと目を開ける。すると、そこには血相を変えてこちらを覗きこむ崇高くん。その向こうには、風に揺れている白いカーテンと、同じく白い、壁と天井。微かに鼻をつく、消毒液の匂い。……どうやら、病室か。また私は倒れたらしい、と予想を立てておく。最低でもニアピン賞くらいは貰えるんじゃないかなぁ。
と、崇高くんが私のベッドに顔を埋めて、突然おーいおいと大声を上げて泣き始めた。ちょっ……やめ、それやめて! もうやめてって! び、病室だってばここぉ!!
私は思わず周りを見渡し、ここがどうやら1人部屋だったことに今更気づいて、ちょっとほっとする。ちょっとだったのは、これが自分の幼馴染なんだ、という事実をどう受け止めていいかが分からなかったからだ。崇高くん、毎度ながら貴方の存在は私にはちょっぴり重すぎるよ。
「よかった……! もう、目が覚めないかと思って……!」
「やだなぁ。大袈裟だよぉ崇高くん。……だからね、今すぐそれを止めてね、いい子だからね」
「大袈裟って……! だって、もう息もほとんどしてなかったし……!」
「あ、そうなんだ……。でも、私は死なないよ。だって……」
私はそこで口をつぐんだ。やっぱり言わない、という意思は間違いなく伝わったはずなのに、崇高くんは私をまじまじと見つめた。
「だって、何だ?」
「……それより、ごめんね。今、何日?」
「いつも通り過ぎだって……で、だってって?」
私がその問いには答えずニコニコと笑っていると、やがて私の心配性な幼馴染は肩を落とした。私がこうなると何も答えなくなることを、彼はよく知っているのだった。私は窓の外へふいっと視線を映し、心の中でだけ、彼の疑問への答えを呟く。
……だって。私には間違いなく、高2の秋までの未来はあったから。小さい頃から何度も見たあの星空の中の道。私がおそらく死にそうになると行くあの道は、きっと私の過去と未来だ。行くたびに、それをまざまざと見せつけられる。
そしてだからこそ、これまで何度倒れても、私はあまり危機感を抱くことができなかった。なぜなら、高2までの未来がある私は少なくともそれまでは死ぬことはないのだ、と半ば気楽に認識していたし……同時に、そこから先が何度見ても見当たらない私は、きっとそこで死ぬのだろう、とも……理解していた。それこそ小さい頃から、ずっと。
……だから、手を打つと言っても……。
私は落ち込んでしまった崇高くんを置いておくことにして、ふと手を広げ、窓から差し込む日の光に透かしてみた。その手の内には、光を通してはっきりと見える薄い血の赤。それを見ていると、まだ自分が確かにここにいるということを実感できる、気がした。ただ、残り時間はもうそんなに多くない。
「さあ、どうしたものかなぁ……」
* * * * * * * * * * * *
「……いやそっからどうすんの」
朝、ベッドから身を起こして俺の口から出たのはそんな感想だった。今の、夢? 窓に映った姿が今よりもうちょいミニマムだったところを見ると、もう少し前の汐音ちゃんだろうか。なら、あれは過去の記憶、ってこと?
でも、そうだとすると汐音ちゃん明らかにカウントダウン始まっちゃってたじゃん。海外行ってないのに。しかもゲームだと海外行くのって2年生の終わりなのに、その前の秋に終わりが来とる。秋って今じゃん。というか今半分冬だから、おそらくもう過ぎてる。
と、すると……? あの後、彼女は一体、どうしたんだろう……?
いくら考えてもその答えは出なかった。俺がもう1度すっぽりと布団を被って寝転ぶと、ふと枕元のイルカの時計と目が合った。イルカは、何も言わずに無機質な目で俺を見返す。……7時。いつの間にかもう起きる時間だった。
俺はそっとベッドから床に足を下ろし、もう1度枕元を振り返る。そこには、イルカの時計。ゲーム内で汐音ちゃんが一番気に入っていたもの。
……そうか。汐音ちゃんは少なくとも、この部屋から何も持って行っては、いない。
朝食のパンにバターを塗り、もぐもぐと少しずつ咀嚼していると、母上殿がウキウキした様子で口を開いた。母上殿はいっつもテンション低くはないが、今日は一層高い。そのせいか、なんだかそわそわと体を動かしている。
「ねえねえ、今日は崇高くん、迎えに来てくれるって?」
「みたいだねぇ」
「なんでそんなに冷めてるの? せっかく一緒に登校できるのよ! こんな一大イベントの日にね!! お母さんにはこんなことなかったわ!!」
「うん」
「お父さんとはね、大学の時に会ったからね」
「大学には文化祭ってないの?」
「うっ」
胸を押さえてテーブルにぱたりとうつ伏せになる母上殿。あったけど行ってない、という返事を全身で表現していただいたので、俺はそれ以上何も言わないこととした。
やがてむくりと身を起こし、何事もなかったかのように母上殿は笑顔で話を続けた。
「でも、晴れてよかったわねえ。今日、めっちゃくちゃいい天気よ」
「うん。お母さんも来るんだっけ?」
「当たり前よ! 娘の一大イベントの日に行かないわけにいくもんですか!!」
「私は何もしないんだけど……」
すると、母上殿はなぜかニヤニヤと笑みを浮かべた。このこのぉ、みたいなリアクションも取ってくる。しかし俺にはとんとピンとこなかった。4股デートがバレているのかと一瞬思ったが、それを娘の一大イベントとはさすがに表現しない気がする。しかも4股かけるのは崇高だしな。まったくけしからん奴だ。
「だからぁ、崇高くんよ」
「あ、やっぱり4股デートで正解なの?」
「4股!? あなたそんなに浮気性だったの!? いや我が娘ながらヤバいくらいに可愛いから出来そうは出来そうだけど!! 駄目よそんな!!」
「いや、4股するのは崇高くんだから」
「……何ですってぇ!?」
その時、ピンポーン、とチャイムが鳴った。おそらく主人公が俺を迎えに来てくれたのだろう。本当なら高宮城先輩北辻さん貝森ちゃん柚乃ちゃんの家を順番に回って呼び鈴を鳴らして欲しいところなのだが、それはさすがに求めすぎか。奴にはこの後、その分働いてもらうとしよう。
俺は席を立ち、鞄を手に取った。振り向いて、頭を抱えたままわなわなと震えている母上殿に挨拶する。
「じゃあもう時間だし、行ってくるね。また着いたら連絡して」
「後でお母さん、崇高くんに話があるわ。4股なんて……! さすがに許されないわよ……!」
「あ、それは許してあげて。私が望んでることだし」
「あなたその年でどんな爛れた性癖持ってるの!? ……あなたぁ、娘が、私達の娘がわからないわ……」
もう1度ばったりとうつ伏せになってしまった母上殿は気になったが、普通に喋ってはいたので置いて玄関を出た。
するとそこにいたのはやはり崇高。今日の主役であり、中心であり、主人公。俺はさっそく上から下まで崇高の服装をチェックする。……ほうほう。制服なのだが、今日はキッチリと決まっている気がする。……うむ、悪くない。やるじゃん!
俺は思いっきり主人公の背中を何度も叩き、最後の仕上げとばかりに激励した。と、ぺちぺちと軽い音が響き、なんだかくすぐったそうな顔をされる。……い、いや、こういうのは強弱じゃない。気持ちが伝わればいいんだよ。
「期待してるからね! 崇高くん!」
「お、おう。汐音も文化祭、楽しみだって言ってたもんな!」
「……あれ? 言ったかな?」
「ああ。夏前に確かに言ってた。俺が汐音の話を覚えてないわけない」
お、おう。そうか。……夏前? なら、それは俺じゃなくってきっと本当の……。
俺が下を向いて立ち止まり、今朝見た汐音ちゃんの夢を思い返していると、突然ぎゅっと手を握られた。隣を見ると、不自然なまでに前だけをまっすぐ向いた崇高が、俺の手を握ったまま足早に歩き始める。
「ち、ちょっと崇高くん……放してってば……! っていうか痛い……!」
俺は手を繋がれているので自然と引きずられながら早足になる。引っ張っても全然抜けない、どころか手がミシミシ言っている。こいつ後で説教だな。女子と手を繋ぐときに握力は必要ないという生まれたてのゴリラでもわかることをこいつはどうもまだ理解できてないらしい。
どうやら離してくれなさそうだ、と理解した俺はやがて抵抗を諦めた。今日、登校時にいい思い出を作ってやる代わりに、こいつはこの分も上乗せで死ぬ寸前までこき使ってやろう。
その時、一陣のひんやりとした風が吹き抜け、ぶるりと思わず身が震えた。俺は前を行く崇高の背中を、そしてその向こうにある空を見上げる。母上殿の言う通り、今日は雲一つない、よく晴れた秋の空だった。高く青く澄みきった、秋晴れというのが相応しい空。しかし時折舞う風の冷たさは、冬がそう遠くない場所まで確かに来ていることを知らせてくれているようだった。
文化祭を楽しみにしていたという汐音ちゃん。彼女は秋の先にあるこのイベントに、いったい何を見たんだろう。しかし俺がどれだけ目を凝らしても、空の向こうには答えは見つけられなかった。……ただ、答えが出なくとも、等しく時間は過ぎて。文化祭当日が、始まる。
開始……できませんでした!




