対策、文化祭(中)
「今日は汐音先輩、いらっしゃらないんですか?」
「そうなんだよ。なんでも他の友達と……食べると……急に言われて……」
「ああ! しっかりしてください! ……まさかこれ今日あたしが面倒見ないといけない感じ……?」
茂みの向こうに見える景色の中では、崇高が立ち眩みのような感じで、芝生の上に座り込むところだった。俺は植え込み内部にある狭いトンネルの中で、そろそろっと少しずつ、四つん這いのままで前進する。体を動かすたびにガサガサと体に枝や葉が触れて音をたてるが、それは風に揺られる木々のざわめきに紛れ、主人公たちの注意を引くことはなかった。
やがてしばらく進んだのち、俺は目標のものを発見した。チェックのスカートに包まれたお尻。この秘密基地の主、柚乃ちゃんだ。貝森ちゃんがここで昼食を取っていることを知った彼女ならここにいるかと思ったが、予想通り。俺はさらに接近し、ひそひそと前にいる柚乃ちゃんのお尻に話しかけた。
「ねえ柚乃ちゃん、ちょっといい?」
「……ひゃっ!?!?」
お尻と足が狭いトンネル内でどすんばたんと暴れた。ばきべきべきっ! と小枝が折れる音が響く。……やっべ、これさすがに聞こえたんじゃね? 俺はこっそりと、中庭の様子を窺った。
予想通り。幾重にも重なった枝葉の隙間から見える中庭では、貝森ちゃんが眉を顰め、きょろきょろとあたりを不審げに見回していた。
「何か、変な音しませんでした? あと声も……」
「……貝森、今、何か言ったか? すまんがよく聞こえなかった」
「いえ……あたしが悪かったです……」
ナイスだ崇高。お前に気を取られてるお陰で貝森ちゃんはこちらに集中できていない。
しかしふと、高宮城先輩がこちらへ視線をふらふらと彷徨わせた。まるで、何かを探しているような。そして次の瞬間、葉っぱ越しに俺と目線ががっちり合う。……あ、ヤバい。早くもバレたわ。そうだよな。先輩は崇高に気を取られたりしないもんな。
しかし、先輩は一瞬目を見開いて動きを止めたものの、すぐに無表情に戻り、手元のペットボトルに視線を移した。……よっしゃ。「なんだ汐音ちゃんか」って思ってくれたみたいだ。……いやそれはそれで複雑だが。俺、先輩の中でそんな茂みの中で這いずり回っててもおかしくないくらいのわんぱくキャラなの?
「な、ななな、なんですかぁ……!? なんでここに……!?」
ひそひそと怒鳴る、という、なかなか器用な真似を柚乃ちゃんがしてきた。俺は柚乃ちゃんのお尻に向かって優しく話しかける。……いや、植木の中のトンネルが狭すぎて方向転換もできないからな。ここ出る時とかもバックで出ないと駄目なくらいだし。
「ここなら柚乃ちゃんも素直に話せるんじゃないかと思って」
「この状態で!?」
顔を突き合わせていないから自信は持てないが、ぷんすかと揺れるお尻を見る限り、柚乃ちゃんはどうやらお怒りのようだ。確かに俺も四つん這いになってる状態で背後の人間とお尻で談笑できるかと言われると少々心もとない。
「そもそもどうして夜桜先輩がここにいるんですかぁ!?」
「あ、それは簡単だよ。この前のお昼、柚乃ちゃんここから覗いてたでしょ。誰だろうと思ってたんだけど、そしたらこの前そっちから話しかけてくれたから」
「……! き、気づいてたんですか……!? に、忍者みたいですね……。ちなみにそれ、亜佑美ちゃんにも……?」
「言ってないよ。柚乃ちゃんが嫌がるかなぁと思ったから。……言った方がよかった?」
「いいえぇ! 止めてくださいぃ!」
ひとまず柚乃ちゃんが落ち着くのを待った。俺もお尻の揺れ具合で相手の動揺っぷりを計ったことはないので確かなことは言えんが、揺れが少なくなっていくのを見ると、大方の予測はできる。……でも柚乃ちゃん、気配に気づくのって忍者か? それ隠れる方じゃない?
「で、何を話したいかというとね。1つ、お願いがあって来たんだ」
「……亜佑美ちゃんと仲良くしろ、ですかぁ?」
お断りだ、という感じが左右に揺れるお尻から明白に伝わってくる。……あれ? これひょっとして、意外に人間ってお尻で他人と会話できるんじゃね? 人には無限の可能性があるって言うもんな。ただ俺にこのテーマを究明することは今日以外は難しそうなので、この研究の続きは後世に委ねることとしたい。
「柚乃ちゃん、嫌そうだね」
「あったりまえですよぉ。大嫌いですもん」
……こんなに貝森ちゃんと柚乃ちゃんの仲が悪い理由。それはひとえに先輩との関係性にある。そもそも柚乃ちゃんも貝森ちゃんと同じく手芸部。なのだが、なんで彼女がその部を選んだかというと、これには大きな理由があった。
というのも、簡単に説明すると。柚乃ちゃんには同じ中学校でかつて非常に世話になり、尊敬していた女の先輩がおり、その先輩が高校で手芸部に所属していたのだった。当然入部届を出し、一番に部に顔を出したかった柚乃ちゃん。ところがここで問題が発生する。
……彼女は、細すぎるせいか、俺ほどではないが体がとても弱かった。入学早々体調を崩し、簡易入院する柚乃ちゃん。そして10日ほどの療養期間を経て学校に戻ってきた彼女が見たのは、一番に手芸部に入部して件の先輩に可愛がられるポジションを確立していた貝森ちゃんだった……。
……うん。誰も悪くない。悪くないがゆえに、解決しづらい。だって貝森ちゃんが「先輩を横取りしちゃってごめんね」って謝ってすむもんでもないし。そもそも謝ることじゃない。そしてそれを聞いた柚乃ちゃんは2度と手芸部に姿は現さないだろう。俺が彼女の立場ならきっと一番言われたくない台詞だ。
つーん、としているらしき柚乃ちゃんだったが、俺は別に貝森ちゃんと仲良くしろと言うつもりはなかった。それって人に言われるもんじゃないしな。それに、話し合って殴りあいでもしないと君たちはきっと仲良くなれん。夕暮れの河原で殴り合うと友情が芽生えるのは、世に多く存在する古典作品の数々からも明らかである。行ってこい。個人的には体格差から貝森ちゃんのKO勝ちに1票を投じたい。
「いや違うよ。それより、文化祭、一緒に回らない? 私、柚乃ちゃんと楽しく文化祭過ごせたら嬉しいな。ほら、こんな風にお尻とじゃなく面と向かってお話ししたいしさ」
「それより……って。そういえば……!」
俺の一言で、ずっと自身のお尻と一方的に会話されていた今の現状を柚乃ちゃんは思い出したらしい。彼女は狭い空間内で器用に足をばたつかせ、憤慨のお気持ちを大いに表明する。
「……それがほんとならですよ! もうほんっと、さいってーの誘い方ですよねぇ! 場所といい、タイミングといい! 夜桜先輩が女性じゃなかったらもう変態ですよぉ!」
「うーん……完全に否定できないのが辛い」
それにその言い方だと中身男な俺がパーフェクト変態みたいじゃん。いやでもさ、君は君で貝森ちゃんを見守るタイプのストーカーでしょ。動機は愛情じゃなくて怨恨だけど。しかしストーカーはいかん。前も言ったがそれは人道に外れとる。貝森ちゃんと仲良くしろとは言わんが、そっちは即刻辞めなさい。……そうか。ストーカーという変態から見たら常人の中の常人たる俺も変態に見えてしまうということかな。危ない、自我が揺らいでしまうところだった。
……しかし柚乃ちゃんもこの状態ならさすがに素で喋ってくれるな……。猫かぶりモードが外れたのは俺のプレイ時は中盤以降だったが……。いや、すっげえ懐かしいな。もうプレイしてたのがはるか昔みたいな気がする。俺の部屋は今も俺の城として存在し続けてるのだろうか。冷蔵庫の中にある、賞味期限が3か月切れた卵も。卵ってやつは1人暮らしで10個入りを買うとなぜあんなに高確率で余るのか。
「……えへへ、でもなんだかこんな風に話せると嬉しいや。ひょっとして私達、仲良くなれるかもね」
「耳悪いんですかぁ!? だいたいなんでわたしが亜佑美ちゃんの先輩と……一緒に……」
急激に、しゅん、としてしまった柚乃ちゃん。『先輩』という言葉で何かを思い出したのだろう。
「貝森ちゃんの先輩ということは、柚乃ちゃんの先輩でもあるから。……違う?」
「絶対違います」
「まあ、そういう意見もわかるけどねえ」
私の先輩、っていうのにこだわってるもんな柚乃ちゃん。ただ残念ながら(?)、その先輩は万人を愛する聖人だった、っていうのが上手くいかないところだ。
黙り込んでしまった柚乃ちゃんのお尻から目線を外して、俺はよいしょとトンネルの中でなんとか体勢を変え、仰向けになって上を見上げた。すると、植木のアーチを抜けてくる柔らかな木漏れ日がちらちらと目に入る。遠くで、わいわいと騒いでいる誰かの声。ただ、このトンネルの中は何の音もせず、外界から隔離されているように静かだった。
……確かに秘密基地だ。ここを「内緒ですよ」と顔を赤らめて教えてくれる柚乃ちゃんの表情を見ることができなかったのは残念だが、それは主人公に譲るとしよう。
それからしばらくの間も、沈黙がその場を支配した。しかしふと、俺の頭の上から、柚乃ちゃんの小さな声が聞こえてくる。
「……なぜ、仲直りしろと言わないんですか」
「だって、柚乃ちゃんはもうわかってるみたいだし」
「きっと事情を聞けば、夜桜先輩はこう言いますよ。……そん「そんなことで仲違いしたの? なんて、私は言わないよ。事情は知らないけどね。それはきっと柚乃ちゃんにとっては大事なことだったんだろうから」
「……。そうですか」
「なかなか物事って、思ったとおりに運ばないものだねえ」
「そう、なんでしょうね……」
そして再び沈黙が降りる。……柚乃ちゃんは分かってる。貝森ちゃんは悪くないと。ただ、それで割り切れないこともある。だから1度は2人で向き合うべきなんだ。今のままじゃ、いつまで経っても解決はしないんだろうから。
……そうは言ってもすぐには難しいかもしれんけど。2人ってたぶん2人きりで話したことあんまないと思うし。そうするとなかなか最初の一歩を踏み出すのもハードル高いよなぁ。何をきっかけにしたらいいかすらよくわからん。
「まあ、いいですよぉ」
「……え?」
「文化祭です。……ただし。この場所のことを誰にも言わないこと。それが条件です」
「ほんと!? ……やった! やったぁ! ありがとう柚乃ちゃん!」
「条件、忘れないでくださいね?」
「もちろん! ……あ。そうだ、友達1人連れてきていい?」
「亜佑美ちゃん以外なら」
「さすがに私もそこまでギャンブラーにはなれないなあ」
ならいいですよ、と柚乃ちゃんは承諾してくれた。……お。そろそろ昼休みが終わってしまうな。戻らねばならん。俺が四つん這いに戻り、バックでそろそろと後退を始めると、同じように俺の前の柚乃ちゃんもついてきた。やはりこのトンネル内ではこれが正しい作法らしい。
そして、ようやく、といった感じで俺は外の世界、中庭に戻ってきた。同時に、陽の光が眩しくて目をほとんど瞑ってしまう。やはりあの中は日光もいい感じでガードされていたようだ。
続いて柚乃ちゃんも茂みからガサガサ音をたてつつ出てきた。柚乃ちゃんも一瞬目を細めたものの、その目がまん丸に開かれた。……お? どしたん?
「よ、夜桜先輩! スカートめっちゃくちゃめくれてます! そ、その、パ、パンツ! 見えちゃってます!!」
俺は一生懸命後ろに手を伸ばしたものの、いまいちスカートがどうなっているかは把握できなかった。しばらく悪戦苦闘している俺を見かねたのか、柚乃ちゃんが俺の背後に回ってくれた。そのままごそごそとスカートをいじってくれている気配がする。俺はおとなしく目を閉じて、されるがままに身を任せた。
「あーもう、狭いところで擦って動くから……服に変に絡まっちゃったんですねぇ……えーっと……はい、外れましたよぉ」
そして、俺の足元には、ふわりという感触が再び戻ってきた。おおー。確かにこんな感じだったわ。スカートに慣れてないから異常が察知できんかった。サンキュー柚乃ちゃん。
お礼を言おうと思って振り向くと、柚乃ちゃんはまた俺の背後を見つめてなぜか目を丸くしていた。……え? まためくれちゃった? そんなすぐめくれるもんなん? スカートってひょっとして反重力発生する機能あったりすんの? 俺はまたごそごそと後ろを探ってみたが、今度こそ確かにスカートは定位置にあるようだった。なら、なんで……?
俺が振り返り、柚乃ちゃんの視線を辿ってみたところ、すぐに原因は判明した。そこには顔を真っ赤にしてその顔を両手で覆った貝森ちゃんがいたからだ。なんで顔真っ赤なのかはよくわからんけど。
「ゆ、柚乃が汐音先輩のスカートめくってる……」
……いや理由分かったわ。そして同時に、面倒な場面を目撃されたのだということも理解してしまう。柚乃ちゃんもまずいと思ったのか、焦ったように早口で貝森ちゃんに声をかけた。
「待って亜佑美ちゃん! ち、違うから!!」
「めくってるなんてもんじゃなかった……思いっきりがばっとまくり上げてた……しかも外で……」
「柚乃ちゃんは私のスカートを元に戻してくれてたんだよ」
冤罪なのでここは訂正しておいた。すると貝森ちゃんは、柚乃ちゃんの声には疑わしい顔しかしなかったが、俺の話には一応耳を傾けてくれたようで、おずおずと尋ねてくる。
「で、でもあんなにめくれることあります……? 後ろもう丸出しでしたよ……?」
そんなに!? いや、でもあんな狭いところでずりずり動いたら貝森ちゃんもそうなるって。……あ、けど秘密基地の存在は内緒なんだっけ。えーっとえーっと。そもそも俺には女子がスカートめくれる状況というのが他にどういうのがあるのかよくわからん。
しかし答えに困って眉を下げたままわたわたしている俺を見て、やはり貝森ちゃんは背徳的な行為を俺たちが働いていたとどうやら認識してしまったらしい。何も言わずに身を翻し、ダッと物凄い速度で彼方へ走り去っていった。
「亜佑美ちゃん!? ちょっと、ちょっと待ってぇ!?」
と、柚乃ちゃんも貝森ちゃんを上回るスピードでそれを追いかけ、同じくこの場から姿を消した。柚乃ちゃん体力ないはずなのに。……あれ? でもこれで追いついたら、1対1の話し合いの場、できちゃうんじゃね? ……ただ、できたとしても。俺の期待する話題には、どうやらなりそうにない。
俺はもう1度、自分のスカートの位置を確認しながら、中庭を見渡して。誰にも聞こえないくらいの大きさで、しみじみと呟いた。
「それにしても物事って……なかなか思ったとおりに運ばないものだよねぇ……」
汐音ちゃん「ストーカーはいかん。人の道に外れとる」←
なぜか終わらなかったので(中)になりました




