接触、北辻さん(下)/来襲、柚乃ちゃん(上)
俺はカタンと勢いよく立ち上がり、貝森ちゃんに迫る北辻さんの前に立ち塞がった。視界の隅であわあわする主人公。椅子の後ろにさっと隠れる貝森ちゃん。
カッカッ、と盛大に足音を鳴らしてやってきた北辻さんは俺の前で立ち止まり、血走った目でギロリと俺を睨みつける。……なんか毛が逆立って、ガルル、という唸り声が聞こえるような気がする。しかしここは負けてはいけない。俺も腰に手を当て、胸をそらして大きく息を吸い込んだ。
「あんたらねぇ!!! いったい何しに来たわけ!?」
「お料理、とっても美味しかったです!! ごちそうさまでした!!」
「どういう了見!? いったいどの面下げて来たのよ!?」
「感想を申し上げますと……私は今日食べた中だとエビチリが……ぜー、ぜー、特に好きでした!!」
「そんなこと聞いてないわ!! 何しに来たって聞いてるんだけど!!」
「ご説明……しましょう……」
「……あ、え……? う、うん。……何よ。急にテンション下げるわね……」
テンション下げるっていうか、なんか早くも肺と喉が限界。3曲くらい全力でカラオケで熱唱したくらい悲鳴を上げてる。汐音ちゃんどうやら気管支系も弱いらしい。俺はしばし息を整え、言葉を続けた。
「高宮城先輩がいつも言ってたんです。北辻さんっていう、たった1人の尊敬してるライバルがいて、その実家の定食屋さんはとっても美味しいんだって。聞いてた通りでした」
いつもどころかそんなこと1回も言ってはない。……言ってはないが、ゲームでは北辻さんって部活関係で高宮城先輩に認識されてるたった1人の人間だったはずだ。そう聞くと高宮城先輩のヤバさの方が際立つ気もするけど。あの人ほんと社会生活大丈夫?
あと後半は、高宮城先輩とここにデートで来た際に先輩自身が言ってたからこれも嘘じゃない。その時はこの人にめっちゃ絡まれたから俺はよく覚えている。後半とか3分に1回くらいのペースで水注ぎに来たからな。そんなに気になるならもういっそのこと同席したらよかったのに。
と、高宮城先輩(仮)のコメントを聞いて北辻さんはなんだかやたらにそわそわし出した。かと思うと、下を向いて突然髪をいじり始める。……なにこれちょろっ。もう完全に高宮城先輩に恋する乙女じゃん……。
「ふ、ふーん……そ、尊敬してる、ねえ……あ、あいつもなかなか可愛いとこあるじゃない」
「高宮城先輩のライバルなんて凄いですよね! ……背も高いし、スタイルいいし、綺麗だし。憧れちゃうなぁ……。私も北辻さんみたいになりたい……」
「そ、そう? まあ、貴方も可愛いわよ? ていうか何なのもう、可愛すぎ。別種の生き物?」
「ほ、褒められてます?」
「もちろん。大したものよ、このあたしがここまで手放しで誉めるなんて。光栄に思いなさい」
尊大に、女王みたいな誉め言葉をくれる北辻さん。しかし確かにこの人からすれば絶賛に近い。さすが本気バージョンの汐音ちゃん。貝森ちゃん曰く、戦闘力が高い、だっけ。でも誰に対する戦闘力かを考えると、それって全然嬉しくないな……。……おっと。この流れで再訪の了解を取っておくか。
俺は両手を胸に当て、じっと北辻さんを見上げた。ここは正直に気持ちを伝えよう。今日頂いたのも、全てが高レベルのメニューであった。俺の中の料理人魂というか、そういうものがなんだか燃え盛っている気がする。
「……また来ても構いませんか……? 他にも色々気になるメニューがあるんです」
「来ればいいじゃない。それは自由よ」
「良かったです……。私、ここのエビチリのファンになったので」
それを聞いた北辻さんは初めて顔をほころばせ、にっこりと嬉しそうに笑った。その笑顔は、高宮城先輩のようにその場の空気を変えるほどの力はなかったけれど。曇りなく輝いて印象に残る、いい笑顔だった。まるで見るだけでこちらの心も暖かくなる、そんな力を持つような。
「奇遇ね。私もそうよ。なかなかあなた見所あるじゃない」
嵐のように去っていった北辻さんの背中を見送り、貝森ちゃんが椅子の後ろからようやく顔を出した。そしておずおずと口を開く。
「あの、汐音先輩、不用意な発言すみませんでした」
「いやむしろナイスだよ。ほらかまいたちって3匹で役割分担して行動するっていうじゃない。あんな感じ。貝森ちゃんが突破口を開いて、私がそれを広げて。そして崇高くんがばーんと……ばーんと……」
そこで俺は言葉をいったん止める。そしてそのまま視線をすーっと隣の主人公に動かした。貝森ちゃんも同じように目線を主人公にスライドさせる。……そういやお前何してたっけ? 今ほんとにこの場に存在してた?
「そもそも竜造寺先輩って喋ってました?」
「正直、あの人の怒ってる顔が怖すぎて俺は何も言えなかった。鬼ってあんな人のことを言うんだろうな……噛みつかれるかと思った……」
いや、それはそうなんだが。いちおうさ、お前汐音ちゃんのこと好きなんだろ? 好きな女の子がその鬼の前に1人で立ってるんやぞ。ここは恐怖を抑えてでも庇ってほしかったところだよ。こいつほんと突発的な出来事に弱いな……。
「あたしも同じだったから強く言えませんけど……。背高いし迫力あるし。……汐音先輩はよくアレと正面から言い合えましたね……」
「いやアレって。北辻さんめっちゃいい人だから。それに話もちゃんと聞いてくれるし。……でも……あーそっかぁ……崇高くん紹介するの忘れてた……」
ていうか俺も名乗ってなくない? たぶん北辻さんの中での今の俺の呼び名って「可愛い別種の生物」だぞ。もうトトロじゃん。確かに汐音ちゃんは見た目小動物っぽいけど。
……まあ、北辻さんと知り合いにはなれた、のか……? それにしても、鬼? 崇高今鬼って言った? 最初の印象が悪いっていうのが恋愛の始まりにはありがちだけど、さすがにこれって悪すぎない? 大丈夫か?
今から追いかけて自己紹介だけでも、と思ったら、北辻さんは北辻さん母に引っ張られ、厨房奥に消えていくところだった。あー客に怒鳴り散らしちゃったもんな。あれは説教されるぞ……。
ともかく「北辻さんと知り合いになる」という目標は無事達成できたので、俺たちは定食屋をおいとまし、今日のところは引き上げることとした。まいどありがとねー! という店員さんの声を背に、店を出る。
その夕暮れの帰り道、貝森ちゃんがちょこちょこっと寄ってきて、歩きながらこそこそっと俺に囁いた。
「そのぉ……さっき庇ってくれましたよね? ありがとうございました」
「ここは任せてって言ったじゃない。……あーでもしくったなぁ……」
あと貝森ちゃんがロックオンされたのって俺が高宮城先輩の名前出したからだしな。それでちょっと助けてお礼言わせるって何それ当たり屋? だから感謝はいらんぞ。……しかし自己紹介できなかったのは痛かった。このペースじゃ、きっと、間に合わない。……間に合わない? 何、に?
よっぽど深刻そうな顔をしてしまっていたのか。黙り込んだ俺の方を、貝森ちゃんがなんだか心配そうにのぞき込んでくる。
「汐音先輩、何か焦ってます……?」
「……うん、そうかも」
汐音ちゃんは『そんなに待ってはあげられない』と言っていた。あれはたぶん本当だ。でも、『私に追いついて』と汐音ちゃんに言われても、正直俺はどうしたらいいのかが分からない。今の行動を続けていて、果たしていいのか……? かといって探すといっても、じゃあどこを? ってなるよな。これは少し考える必要があるかもしれん。
「もし何か、あたしで聞けることだったら聞きますよ。1人で悩まないでください」
「んー、ありがとう。……もう少し整理して、また相談するかも……」
「今日はクッキー作り、どうします?」
「今日はいいかな……。また明日にでも、お願いできる? 貝森ちゃんの作るクッキー、食べてみたい。作り方も気になるし」
「あ、じゃああたしレシピ書いて持ってきますよ。では、また明日、ということで」
「うーん……追いついて、追いついて、か……」
次の日。俺は今日も、朝に崇高がやって来る前に中庭に脱出し、ベンチに座って上を見上げながら考えを続けていた。オリジナルな汐音ちゃんに走って追いつけるものなら今すぐにでも駆け出すところなのだが、そういう訳にもいかないよなぁ……。
「こんにちは! お隣、いいですかぁ?」
考え込んでいた俺は、不意にかけられたその声で意識を戻す。少し鼻にかかった甘い声。俺が振り向くと、すぐそこに、手、足、体の全てがほっそりした、華奢な女の子が立っていた。ふわふわとした雰囲気で、大変女の子らしい子。
その子はハンカチを敷いた後、ちょこんとベンチに腰を掛ける。その単純な動作すら優美で、どこか可憐さを感じさせた。ただ、なぜかはぁはぁと肩で息をしてる気がする。
「ふふふ、あんまりかわい、らしいから、つい声かけちゃいましたぁ。でも先輩、ですよね? 何か考え事、してらしたんですか?」
……来よった。今会えるヒロインのラストである柚乃ちゃん、向こうから来よったで。さっそく獲りに来たか。いや俺が貝森ちゃんのものなの? って聞かれたら困るけど。でも最近よくつるんでるもんな。
けどなんで柚乃ちゃんそんな疲れてんの? 息上がっちゃってるじゃん。この子は貝森ちゃんと同じく手芸部なんだけど、手芸部って俺が知らないだけで、朝練で校庭10周とかそういうメニューでも毎日消化してるんか?
……だが、ちょうどいいかもしれん。というのも、この子ってさ、ヒロインで一番賢いんだよ(俺調べ)。試しにちょっと相談してみる? ほら、あくまで一般的な話としてね?
俺は隣に座る柚乃ちゃんの方へよいしょと向き直り、さりげなく今の俺の悩み事についてアドバイスを求めてみることとした。柔らかい笑顔でニコニコとこちらに微笑む柚乃ちゃん。よし、聞いてくれそう。
「これはたとえばの話なんだけど」
「えぇ、なんでしょう?」
「他の世界から来た人間があなたの体に……憑依でも乗っ取るでも、まあ何でもいいんだけど入ったとしてね?」
「…………へっ? は、はぁ……?」
「あなたってどこに行くと思う?」
「ち、ちょっとわたしには……わからないですねぇ……そんなことを考えたこともなかったもので……」
「どこに行くのかなぁ」
「ど、どこに行くんでしょうねぇ」
俺たちは2人で並び、揃って空を見上げた。とりあえず、わからん、ということが分かった。自分が知らないということを知っている者はそれすら知らない者より前に進んでいると聞くが、ほんとにそう? 全然進んでる気しないんだが。




