『定義するものが、存在するものである』
俺が昼食を終え、教室に戻ってくると、黒板は何やら色とりどりの文字でびっしりと埋まっていた。なになに。……タコ焼き屋、演劇、メイド喫茶、お化け屋敷。〇や△、正の字がそれぞれ注釈のように書き込まれており、何度も書いて消した跡も。どうやら我がクラスも昼休みを使って文化祭のイベントについて論議していたらしい。まあ好きにしてくれ。俺は手伝ってやれんが。
すると、席に着いたばかりの俺のところに、女子生徒モブがタッと足早に駆け寄ってきた。この子は高宮城先輩のところに行く時に崇高とごしょごしょやってた子だ。どうやらあいつと友達らしい。それを考えると、つい俺は迎えながら遠い目になってしまう。
……友達、か……。貝森ちゃんと先輩は崇高の友達か、と言われるとまだちょっと心もとない。……なあ君、今からサブヒロインになるつもりとかない? あ、ひょっとしてその報告に来てくれたとか?
ところが、彼女はそんな決意を表明してくれるために俺のところに来たわけでは残念ながらなかったようで、俺の机の前までやってくると、いそいそと口を開いた。
「私、文化祭でライブやりたいんだ」
「あ、うん……やったらいいと思うけど……」
お、おう。ライブだろうが大喜利だろうがはたまたマグロ解体ショーだろうが、好きにしたらいいやんけ。駆け寄ってきてまで言いたいんか? まあその熱意は伝わった。ただ君さ、ぶつける先、間違ってない?
しかしその話には続きがあった。どうやら彼女の陳情先は間違いなく俺であったらしい。その子は、突然がっしりと俺の手を握りしめ、声のボリュームを3割ほど跳ね上げる。
「でね、汐音にボーカルかギターかベースかキーボードをやってほしくて。汐音なら、絶対人気出るしお客さんも大勢見に来るよ!」
「……えーっと、もう1度言ってくれる? いまいち自信が持てなくて」
「ライブをやろうと思うんだ」
「あ、そっちじゃなくて。ボーカルかギターかベースかキーボード、の方」
「なんだ、聞こえてるじゃない。このこの、自信が持てないとか言っちゃって」
自信が持てないのはお前が正気かどうかだよ。汐音ちゃん音楽まったく駄目なんだぞ。友人ならそれを知らんはずがなかろう。今時カラオケで童謡を歌うのはこの子位では。……いや、それだと苦手かどうかは分からんか。まあつまり、流行の音楽とかあんま興味ないんだよ。
ってことで、ボーカル駄目だろ。で、ギターかベースかキーボード、って選択肢広くない? 全然メンバー集まってないじゃん。それに全部できねぇよ。お菓子作りならともかく。でも舞台上でギターがいきなりお菓子作り出したらおかしいじゃん。客も困惑するだろ。俺たちは何を見せられてるんだ、って。高校の文化祭の出し物とはいえ、さすがに許される範囲というものがある。
「ごめん……悪いんだけど……無理。私、音楽って止められてるから」
「そんなことあるの!? ご、ごめん……お医者さんにだよね……」
まあしかし、応援になら行ってやらんこともない。せっかく言いに来てくれたんだしな。なんなら舞台の上に崇高の野郎を乱入させてもいいぞ。あいつ歌上手いはずだし。俺もゲームの中では何度も舞台ジャックをしたものだ。
……いや現実では許可取ってないとすぐ降ろされて終わりなんだろうけど、ゲームの中だとみんな歌声に聞き惚れる、みたいな感じだったからな。聞き惚れて動き止めるってあいつヤバない? それもう一種の妖怪じゃん。ゲームの俺だけど。
トボトボと去っていく女子モブ。……そういやあの子自身は何したかったの? ボーカルかギターかベースかキーボード以外ってことだろ? ……トライアングルとか? それでライブしたい、というのはなかなか根性があるとも言えるのか……。まあ俺に関係ないところで頑張ってほしい。
すると、見計らっていたかのように、お次のモブがやってきた。今度は男女のペア。……なに? 俺の前でやりたいことを宣言すると願いが叶う、みたいなノリなの? こいつらに永遠の愛でも誓われた日には、俺は机をひっくり返してしまいかねない。今の俺には第三者の幸せを祈る暇はないのだ。
ちょっと張り付けたような笑顔になってしまっているであろう俺の前で、2人は続けざまに口を開いた。
「夜桜さん、俺たち、お化け屋敷やりたいんだ!」
「あ、うん……やったらいいんじゃないかなぁ……」
「でね、これをお願いしに来たんだけど……汐音ちゃんには座敷童をやってほしいの! ……想像しただけでぴったりだし、絶対似合うから! こんな可愛い座敷童がいたら、お客さん大行列だよ!」
「……うーん……」
さっきよりはまだマシな依頼だが……。確かに似合うのは間違いないだろう。だが俺が今の体力でずっと立ちっぱなしでいられるのか、と言われると正直心もとない。ずっと布団で寝てる座敷童とかならできるけど。そんなのいるか? あとお化け屋敷だと途中抜けがしにくそう。ただでさえヒロイン巡りというイベントが俺には課されてるというのに、クラスに張り付いている余裕はおそらく俺にはない。
「ごめん、私、座敷童苦手だから……」
「座敷童が苦手!?」
「というか、お化け屋敷が苦手で。中にいたらたぶん私ずっと絶叫してると思う」
「そ、そうなんだ……じゃあしょうがないかな……」
俺の言い訳もある意味ホラーだった気がするが、彼らはいい人だったらしくそれで引き下がってくれた。ずっと絶叫て。そんなんお化け屋敷の中で客が見たらトラウマになるわ。これさっき思い出した貝森ちゃんinお化け屋敷のイメージに引きずられたな。しかしつくづく貝森ちゃんには悪いことをしてしまった。
「汐音~、お願い! 頼みたいことあるんだけどさ」
「その前にちょっといい? なんでみんな私のところに来るの」
3人目が俺の前に現れて何か言おうとする前に、疑問を口にする。っていうかちらちらとこちらを窺っている人間がまだ複数いるところを見ると、3人目では終わらないのではないだろうか。なに? 文化祭って俺の許可制だったの? 汐音ちゃん闇の権力者?
「だって仕方ないじゃない。汐音が可愛いから……」
「……から……?」
「どうしても出し物が決まらなくて。だから汐音がどれに賛成するかっていうのは大きいんだよ。確保するだけでほぼ決定な一大戦力だからね」
「なんでそうなるの……」
「汐音が可愛いから。どれするにしてもメインになるでしょ。だからよ」
「そ、そっかぁ。……そうなの?」
まあ汐音ちゃんは可愛いから、その部分は否定せんけども。……俺が賛成したらなんでもいいって? ヒロイン巡り、って言ってもこいつらは果たして頷いてくれるのだろうか。
「で、どれがいい? ……演劇良くない?」
「ちなみに演目は?」
「不思議の国のアリスとかどう?」
「あー……」
あのひらひらの青いワンピース、確かにめっちゃ似合いそう。ただそれアリスが汐音ちゃんありきじゃん。主役なんて断じて俺はやらんぞ。台詞が覚えられん。一言も発しないならまだいいけどな。でもそれきっと駄目じゃん。客も困惑するだろ。あの主役の子だけミュートになってる……ってなっちゃうぞたぶん。そんな前衛的な劇に俺は出演者として名を刻みたくはない。
「恥ずかしいからダメ」
「恥ずかしくないよ! 絶対似合うって! それに他の演目でもいいから! 何かやりたいのとかある?」
似合うかどうかで拒否してるんじゃないんだ。モブDよ、俺の話を聞いてくれ。問題は台詞の量が多いか少ないかなんだ。
「百歩譲って千と千尋のカオナシとかならいいけどねぇ」
「あれ仮面被ってるじゃん!! もったいな!! それにほぼ喋らないし!! メインって言ってるでしょ!!」
「豆知識だけどカオナシって映画のどのバージョンのCMでも10秒以内に登場するからもうあれメインだよね」
「意味わかんないけど汐音がやりたくないのはわかった」
そして俺たちの会話を聞いていたその他の級友も、わらわらと俺の机にやってきた。どうやら演劇は受けが悪そうだ、と判断して自分の推しをプッシュしに来たらしい。
「タコ焼き! タコ焼き! タコ焼き!」
「いや金魚すくいだろ! タコ焼きなんて人によって出来上がりに差が出るものを提案するなんて、正直頭を疑うね!」
「今何月だと思ってんだ! ここは上品かつ精緻なバランスが求められる水の芸術! アクアリウムだって!!」
「あわわわわわわ」
三方向から違うジャンルの企画を叫ばれて、ちょっぴり目が回ってしまう。水産物を焼くかすくうか見せるかどれなんだ。だいたい俺は聖徳太子じゃない、順番に喋らんかい。それ以前に何もせんと言ってるだろうが。えーい野郎ども、落ち着けい!
俺は両手を机に思いっきり叩きつけ、まずは聴衆を黙らせることとする。ぺちぺちーん、という非常に軽い音がした。だが、いちおうそれで皆は聞く体勢になってくれたようで、しーんとその場に静寂が訪れる。
「聞いて、私はねぇ……!」
いや待て、しかしだ。何もしない、というのも良くないか? ただでさえ「汐音ちゃんのやりたいやつにしよう」とか特別扱いされてるというのに。クラスのマスコット枠みたいだからまだ許されてるようだが、これ以上我儘を言ったら女子の世界では迫害されてしまうかもしれん。悪口とかなら別にいいんだけど、靴隠されたり鞄を池に放り込まれたり教科書を墨塗りされたりすると困る。母上殿に心配をかけてしまうからな。
「……えーっと……裏方がやりたい、かなぁ。何に決まっても頑張って手伝うから。だからみんなのやりたいのに決めてほしいんだよ。あんまり私、当日動けないと思うし」
「……裏方……? なんで!? 勿体ない……!」
「いや待て。……で……して……」
設営なら当日の日中は暇だろうし、食べ物でも事前に作れるものを俺が量産する係になれば問題ない。要は文化祭の日にフリーになれればいいんだ。正直出し物が何だろうが大差ない。
何やらひそひそと向こうの方で話し合っていたモブ一同は、やがて再びこちらに、なぜか全員でやってきた。そして、眼鏡をかけた頭の良さげな男子がすっと前に一歩出る。
「ちなみにさ、夜桜さん。裏方の定義ってどこまでかな?」
「て、定義!?」
「定義するものが存在するものだからね」
「な、なんか数学者みたいなこと言い出したよぉ……う、裏方の定義? 現場に出ないお手伝い、みたいな……? 普通そうじゃないの……?」
「……だってさ。それならやってくれる、と」
「う、うん……まあ……」
それを聞き、納得したように去っていく級友の方々。……え、今ので何か納得できるとこあった? ま、まあ伝わったよな? 当日の俺はヒロイン巡りで忙しいってさ。