予感ってだいたい後からしか思い当たれないよね
「ど、どしたの? 貝森ちゃん」
あんまり固まってるから、心配になって俺が声をかけると、びくっと貝森ちゃんは反応した。そして何やら恐ろしいものを見る目で俺を見返す。
……いやどしたんほんとに。シュークリームがお気に召さない、ってわけでもなさそうだったから、後の可能性としてはタイミング的にほぼ3つか。
すなわち(1)きんぴらが嫌い(2)クッキーが嫌い(3)クッキーに2日って……うわ、この人時間かかりすぎ……の3つ。タイミング的にたぶん(3)か。まあ俺も聞いてちょっと思った。生地寝かせるって何? 職人か。俺の中ではクッキーって、こねてすぐオーブン行きなイメージなんだが……。
しかしこれは逆にチャンスかもしれん。貝森ちゃん式クッキーの作り方を教わりつつ、仲良く喋る、いい機会では。そこで俺の変な疑惑も晴らさんといかんしな。どうやったらいいかはいまいちよくわからんけど。しかし貝森ちゃんには原作知識があるってことは隠しつつ、全て見通すみたいな能力はない、それを納得してもらわないといかん。
……あれこれ無理ゲーじゃね? ま、まあとにかくここは挑戦あるのみ!
「貝森ちゃん! また今度はさ、クッキー一緒に作らない? ふふ、ちょうどよかったぁ。それで、出来上がったの一緒に食べようよ」
「……!? あ、あたし!? あたしですか!? ひょっとして何か起きるんですか!?」
ずざざっと貝森ちゃんは後ろに3歩ほど下がった。ちょっと彼女とも仲良くなれた気がしてたのに、開いた距離が心の遠さを表しているようで、俺は少し悲しくなる。貝森ちゃんはどうやらオカルト完全否定派らしい。でも違うんだ。俺にそんな変な力はないんだって。
「ううん、ちょっと話したいこともあるし。今のままだと嫌だなぁって」
「話したいこと、ですか……?」
俺が笑顔で語りかけると、貝森ちゃんは腰が引けながらもいちおう返事をしてくれた。ただ目がめっちゃ泳いでる。……おおう。俺の立ち位置がなんだか崇高寄りになってしまっている気が。悲しい。
……これあれじゃね? クッキーの話始めた崇高のせいじゃね? あれ崇高の罠だったん? 俺と同じ位置にお前も落ちろ、みたいな。他人の足を引っ張るそういう企みは幸せは生まんぞ。俺が粉砕してくれるわ。
「貝森ちゃんも気になってること、あるんでしょ? 2人でゆっくり話そうよぉ」
「べ、別にあたし気になってることなんて、ないですよ」
「いやいや気になってなかったら朝あんなこと聞かないでしょ……あ」
いかんつい突っ込んでしまった。両手で口を押さえた俺を、ビシッと凍り付いたような表情で見つめる貝森ちゃん。
「なななななんで朝のことを……あ、竜造寺先輩から聞いて……?」
救いを求めるように視線を主人公に送った貝森ちゃん。しかし、「?」という疑問符を浮かべた主人公を見て、やたらに絶望した表情になった。
……いやそんな怖がらんでも。あ、ひょっとして貝森ちゃん、怖がり? ……そうだったっけ? むしろゲームでデートした時はお化け屋敷とかキャーキャー言いながら楽しんでた気がするが……。あれまさか恐怖の悲鳴だったの? それでよく最後に告白OKしてくれたな。心広いわ。
……待てよ。そうするとこの、貝森ちゃんが俺に変な疑惑を抱いてる状況はどっちの意味でもまずいな。とすると……。いや、でも普通に言ったらよくね? 俺の方が先にいたんだし、何も悪いことはしていない。
「聞いてないけど、見てたからね。私、ちょうどあそこにいたから」
「見てた、ですか? でも誰もいなかったはず……」
「えー、ずっと真横にいたよ? すぐ隣」
「ま、真横……? ど、どこですか?」
朝に自分と崇高がいたあたりをちらりと見る貝森ちゃん。隅っこのそこには壁と茂みしかなく、確かに一見隠れられるようなスペースはない。だが、あの茂みは中身がスカスカなのだよ。それさえ知れば不思議なことは何も……あ。でもあそこサブヒロインの柚乃ちゃんの秘密基地だったわ。俺がそれを暴露するのはなんか駄目だな。
……じゃあどこだよ。あそこ茂み以外だと壁しかないんだが……。か、壁? 壁でいける? なんとか笑ってごまかせない?
「ふふ、あの壁のあたりでずっと立ってたよぉ。グーで何するんだろうって、見ててちょっとドキドキしちゃった」
「ひえっ」
アカンこれ失敗やわ。貝森ちゃん真っ青。冷静になって考えてみたら朝から校舎の陰の壁沿いに立ってるって、それはそれで恐怖だな。地縛霊じゃん。ここは俺だけだと何ともできん。第三者に介入してもらおう。……第三者。この場には2人いるが、俺は一瞬たりとも迷わなかった。
「先輩! 助けてください! 私はただ貝森ちゃんと仲良くクッキー作りたいだけなんです……」
「どうして難しいのかしら?」
「えーっと……」
真顔で尋ねる高宮城先輩に目を合わせず、視線をさまよわせる貝森ちゃん。そりゃ「この人全部見通せる能力持ってそうで怖いんです」とは胸を張っては言い辛かろう。ここはそこを利用するしかない。
「じゃあ作ってくれるんだ?」
「……そのぉ」
「あ、嫌、なんだ……そう……」
「……あーもう! そんな顔しないでください! わかりましたよ! 作ります! 何度でも作ってやろうじゃないですか!」
貝森ちゃんは突如として立ち上がり、やけくそのように胸を張って宣言した。おお、さすが根性の女。そして心変わり早いな。なんでか知らんけど。
その俺の疑問が顔に出ていたのか、貝森ちゃんは諦めたように笑った。
「汐音先輩、ごはんお預けされた子犬みたいな顔するんですもん……あんなのずるいですって」
あ、俺もその顔見たことある。デート断って他の子に会いに行こうとする時に、一瞬だけ出るんだよ。今にも泣きそうだけどそれを無理やり我慢してる、みたいな。あれを振り切って行けるほど、俺は鬼畜にはなり切れなかった。だから少しでも人の心を持った人間は、汐音ちゃんルートに1度足を踏み入れたら脱出は不可能なんだ。恐ろしい。俺ももう汐音ちゃんルート5回は見てるわ。
……しかし貝森ちゃん来てくれるんだって。やった! やったぁ! 俺はニコニコ笑って貝森ちゃんの手を握りしめ、そのままぶんぶんと何度も振った。困ったような顔の貝森ちゃんは、それでも離さずに振り回されるままでいてくれる。そして俺がずっと放さないと、さすがに貝森ちゃんも「ん?」という顔になった。その顔を見上げて、俺はもう1度にっこりと微笑んだ。
「じゃあ、何度でも一緒に作ってくれるということで。あらためて、これからもよろしくね。……私はさっき、作るって貝森ちゃんが言ってくれて……嬉しかったよ」
「……あーもう! ほんっと!! ずるい!!」
あらためてじたばたと足踏みをする貝森ちゃんだったが、もう遅い。ははは、目撃者のいる前で言質は取ったぜ。せっかくだから週5でお菓子作りって名目で呼び出しちゃおうかな。……それはさすがに多すぎ?
その後、ぜーぜーはーはーと息をついていた貝森ちゃんも、しばらくしたら落ち着いたようだった。再び、俺たちは輪になって座る。俺はお茶を飲みながら上を見上げた。今日も秋晴れの、いい天気だ。……あ。秋といえば。
「そういえば、もうすぐ文化祭だねぇ」
「あー……確かに。汐音先輩は何か予定あるんですか?」
「うーん……私は帰宅部だし、クラスで何か言ってたかなぁ……」
そもそもここ数日サボってばっかりだからな。まあ別にどうでもいいや。クラスの予定なぞ俺には関係ない。そんなことより、崇高の野郎を誰かヒロインとデートさせなきゃならんからな。何人かイベントがあったはずだし。……そういや貝森ちゃんもなかった? 君、ちょっくらこいつとデートしてみない?
俺は文化祭の予定について頭を巡らせ始めた。2日間という限られた時間の中で、複数のヒロインのイベントを消化するためにはどうするか……。ミステリーの犯人ばりに、タイムスケジュールを緻密に組み上げれば、決して不可能ではないだろう。
……ただ、この時俺は知らなかった。俺がいない間に、クラスではとんでもないことが決定されようとしていたのだった。