クッキー
「貝森……お前、頭大丈夫か……? ……いや、待てよ。そういえば……あれは不思議だったな……」
前半部分を聞いて、ダァン! と思いっきり足を踏み鳴らした貝森ちゃんだったが、後半部分を聞いてピタリと動きを止めた。ちなみにその時の貝森ちゃんの表情は俺の位置からはあまりよく見えなかったものの、その手は両方ともがグーに握られていた。続いた言葉がなかったら果たしてどうなったのか。想像すると恐ろしい。
「そういえば? 竜造寺先輩、何か思い当たることがあるんですか?」
「俺に嫌なことがあった日は、必ず俺の好きなものを作ってくれてたんだ。最近まで、ずっと」
それを聞いて、貝森ちゃんは非常に複雑な顔をした。麦茶だと思って飲んだらそれがめんつゆだった時、人はあんな顔をするのではないだろうか。
「いや、そういうのじゃなくてですね……もう少し、何か……」
「でもそうなんだぞ。俺が学校で友達と喧嘩して帰ってきた時も、先生に怒られた時も。汐音の家に遊びに行ったら、テーブルの上にいつも手作りのクッキーが用意されててな。次第に、嫌なことがあった時はいつも自然と行くようになったんだ。汐音は自分からは何も聞かないんだけど、全部わかってる、みたいな顔でいつも笑って迎えてくれた」
「優しい話じゃないですか……っていうかこれ、のろけですよね。ひじょーに、一方的な。……駄目だこれ、昨日の汐音先輩の台詞との温度差がヤバすぎる……」
「ん? どうした?」
いい思い出っぽく懐かしげに語る主人公と、ひきつった顔でうなずく貝森ちゃん。はたから見てたらとても同じ話題について話している2人には見えない。まあ何について話してるかっていったら俺の話なんだけどな。
……けどそうだよな、俺昨日「生理的に無理」とか言っちゃってるしね。そらキツいわ。俺が聞く側ならそろそろ両手を上げてギブアップしてる。
しかし貝森ちゃんは、無理やり作ったみたいな笑顔で、なんとか話を続けた。……おお、さすがガッツあるわ。根性でいうとヒロイン随一(俺調べ)なだけある。
「い、いえ……そ、そうなんですね……でも汐音先輩、いい人じゃないですか」
「そんな当たり前のことを確認するために俺を呼んだのか。……まあ、それならいい。いつでもいいぞ」
「ああもう……。……えーっと。……じゃあ、その、ですね……もし。もしですよ? 汐音先輩が竜造寺先輩を嫌い、とか言い出したらどうします?」
「死ぬ」
「……死にますか」
「腹を切って死ぬ。潔く」
「あ、そこお揃いなんですね」
「お揃い?」
「いえなんでもないです」
手をぶんぶん左右に振って一生懸命否定する貝森ちゃん。しかしなんか見てて思ったんだけど、貝森ちゃんどれも動作大きいよな。頑張り屋な面が出てていいと思う。
……それと今、崇高のやつなんかヤバいこと言わなかった? なんて? 俺に嫌いと言われたら死ぬ? いやいや、お前がヒロインと結ばれないだけでみんな不幸になるんだぞ。それが死んだらどうなるか。それってたぶん、世界の終わりじゃん……。
ということはあれだな。やはり、他のヒロインのことを早急に好きになってもらわないといかんな。万一俺に告ってきたら嫌いと言わざるを得ないわけだし。
俺は校舎の方へ向かう二人の後ろ姿を、茂みの中から見送った。そのままシュークリームをぱくりと一口。……お。うまい。注文通りに甘さ控えめ。さすが俺。これなら、昼もきっと……。
「……このシュークリーム、ほんっとにおいしーですね!」
「先輩、お味はいかがですか?」
「悪くないわ」
おお。これは「欠点がない」。すなわち先輩的には最上級の誉め言葉なのだ。さっそくいただいてしまったか、先輩式星3つを。俺がこの評価をデートで貰えるようになったのは後半部分だったが……。これは俺も成長しているということだろうか。
その日の昼休み、高宮城先輩は普通に中庭に現れた。そして何も言わず、俺の隣に腰を下ろした。
「先輩、お昼は?」
「これよ」
そう言って先輩が置いたのは、水の入ったペットボトルだった。この人、お菓子以外の食事に基本あんまり興味ないからな……。だからそんなに細いんだと思う。腕相撲したらたぶん全キャラ中で一番強いけどな。いったいどういう理屈なんだ。この世界の砂糖ってプロテインよりも強いの?
「甘くないのにきちんとコクと甘さはある。これは絶妙ですよ。職人技です」
「13個も作ってくるの、大変だったんじゃないか」
そう。意外にぱくぱくいけてしまったので、朝につい3つも食べてしまった。だから昼の俺の割り当ては1個だけである。まだけっこうお腹いっぱい。……正直しばらくシュークリームはいいな……。
「貝森ちゃんが手伝ってくれたから。むしろ中心になって作ってくれたというか。今回は貝森ちゃんfeaturing私、みたいな感じだよ」
「なんだ自画自賛かよ貝森……」
じとっと横目で主人公から見られ、貝森ちゃんは大いに慌てた。ぱたぱたと大きく手を振って否定する。
「いや、ちがっ……違いますよ!? ほぼ全部汐音先輩が作ってたじゃないですか!?」
「貝森ちゃんが混ぜてくれた生クリームってシュークリームの中心みたいなもんでしょ? だってクリーム入ってないシュークリームってもうそれサクサクした空気入れじゃない」
「それは明らかに違うわ」
「でもなんか『中に何も入ってなくて残念』って感じは伝わってきました」
こうして話していると感じるのだが、やはり俺の睨んだ通り貝森ちゃんと高宮城先輩は相性が良い。あまり物怖じせず、誰に対してもよく喋る貝森ちゃんと、一言だけたまにコメントをくれる高宮城先輩。俺も結構喋るので、高宮城先輩の言葉の少なさも気にならないというか。
よし、後はお前次第だ崇高。さりげないトークで自分をアピールしてみせろ。いいか、さりげなくだぞ? こういうのはギリギリ気づかれないくらいがいいんだ。なんかその方がカッコいいもんな。
「そういえば、高宮城先輩は水だけで足りるんですか? こいつの弁当旨いですよ。食べてみたらどうですか?」
「なぜ他人のものをあなたが代わりに薦めるの?」
「……」
うわぁ……言ってるそばからさっそく撃沈しとる……。しかし言い出すならせめてもう少し早くだろ。なんで先輩がデザートに突入した時点で切り出すんだこいつ。……崇高、お前がスロースターターなのはよくわかった。ただお前のスタートを世界は決して待ってはくれないんだ。まずそれを理解しようか。
「明日、私、先輩の好きなおかず入れてきますよ。楽しみにしといてください」
ちなみに先輩の好物はきんぴらごぼう。あれうまいよな。ところが、ふとその時横から視線を感じたので振り向いてみる。すると、貝森ちゃんが何やら俺の方をじっと見ていた。……なんだ? 俺は何度か先輩と貝森ちゃんを見比べた。
……好物が、気になってる? あ、ひょっとして。確かに聞かないと不自然だったかもしれんな。ていうか貝森ちゃんの好物、俺ちゃんと聞いたっけ?
……あー! 朝のあれってそういうこと? でもそうならヤバくない? 好物知ってるだけで全部見通せる力とか、貝森ちゃんの発想はさすがにちょいとぶっ飛びすぎ。俺の原作知識もある意味全部見通せると言えなくもないが、それでもゲームになってない細かい部分は分からないしな。
「…………ちなみに、先輩は何がお好きですか?」
「きんぴらよ」
「じゃあ明日のおかずはそれで! 明日もここで、待ってますね」
「わかったわ」
ふふ、これで貝森ちゃんの疑惑も無事回避した。そしてナイスだ崇高。お前のアシストのお陰で明日も先輩が来てくれることが確定したぜ。ただな、1つ問題がある。お前はパスでなくシュートを打つ係なんだ。ゴール前でやたらにパス回しをするみたいな後ろ向きなプレイは求められてない。この後のミーティングでその辺振り返っておかねばならんな。
俺は自分に振り分けた唯一のシュークリームをくわえながら、険しい顔で主人公の今後のポジション教育について思いを馳せた。
「ていうか、シュークリームって全部で13個なんですか!? じゃあ汐音先輩なんで1つなんですか? ……3人に4つずつ配ってたからあたしもっとその袋の中に残りがあるものかと……もう4つともおいしくいただいちゃいましたけど……」
「俺は最初から気づいてたぞ。こっそり袋の中を覗いたからな」
「じゃあその時点でおかしいと思ってくださいよ! ……ごめんなさい!」
「自分が損をする形の公平は良くないわ」
先輩と貝森ちゃんからなぜか俺はいたわりと謝罪の視線を送られる。まずシュークリーム3つくらいでそんな大騒ぎせんでええやんけとも思うが、それ以前に、そもそも俺って我慢してないからな。善意を詐欺ってるみたいで大変よろしくない。訂正が必要だろう。
「えーっと……いや、私ももう4つ食べたから……」
「それ明らか1つ目じゃないですか」
「あ、朝に食べたんだよ」
「へえー……食の細い汐音先輩が朝から? それはそれは、ずいぶんと食欲旺盛だったんですね」
「3つ食べたよ」
「さすがに無理があるわ」
いや、だからその無理のツケが今来てるんですよ。触ってみる? 俺の腹、昼食開始時でけっこうぽんぽんだったよ? あとなんか責められてない? 食べないのってそんな大罪なの? じゃあ水しか飲んでない先輩が大手を振って歩いてるのがまずおかしいじゃん。それともあれか、やっぱ甘いものって特別なん? 女子のそういう価値観って俺にはよくわからん……。
――しかし、こうなると俺の味方は同じ男のお前しかいない。頼む崇高。
俺の送った視線を受け、主人公は「俺に任せろ」とばかりに大きくうなずく。おお、わかってくれたか。今この瞬間だけはお前が頼もしいぜ。
「そういえば、汐音は自分が食べるより食べてもらうのが好きって昨日言ってたもんな」
……それフォローになってるか? でも俺が昨日言ったことを覚えていた、それだけでお前に100点をやりたい。やりたいが……でもさ、その「そういえば」っている? 貝森ちゃんと先輩がなんかうさんくさいものを見る目になっちゃってるんだけど。だって何も言わなかった後付けの言い訳にしか聞こえないもんな。
「そ、そうなんだよぉ! さすが崇高くん! わかってくれてるね!」
だが乗っかるしかない。崩れ落ちそうな橋だろうが、希望があれば人は突っ切るしかないのだ。さて……その結果は……。
俺は先輩と貝森ちゃんが主人公に送る視線でそれを判別しようと、こっそり2人の表情を窺ってみた。すると2人とも、地面になぜかよく落ちてる片方だけの軍手を見るみたいな目で、主人公の方を揃って見ていた。……いやごめん、君たちそれどういう感情なん……? でもなんだかあまり好印象ではなさそう。明らかに無機物に向ける視線だった。ここは話を変えなければ。
俺は「いいこと考えた」という風に、ポン、と手を叩いた。頼む、風向きよ、奇跡が起きて変わってくれ!
「そうだ! 今日は先輩の好きなシュークリームだったから、明日は貝森ちゃんか崇高くんの好きなおやつを作ってきてあげよう」
「あ、いいんですか? じゃあ竜造寺先輩どうぞ。あたしはチーズタルト昨日貰いましたし」
「明日だろ? だったら貝森でいい。俺は明後日だな」
……聞こえてきたその台詞に耳を疑ってしまう。俺だけではなかったようで、貝森ちゃんもどこかうろたえたような様子で、主人公と俺を何度も見比べていた。……崇高! それだよ!! そういうの待ってた!! シュートできるじゃん!! ……え、でもお前急にどうしちゃったの? まさか孵化? 孵化したんか?
一方、おろおろとする俺と貝森ちゃんと違って、さすがに高宮城先輩は冷静だった。
「あなた、何を企んでるの?」
……いや、これ先輩もちょっと混乱しているかもしれん。それほどの衝撃をさっきの主人公の台詞は俺たち全員に与えたのだ。
ぶすっとした顔になる主人公。どうやら自分の台詞が周囲には受け入れがたいものだったらしい、ということくらいはさすがに察知したようだ。
「いや、だから、2日かかるからです」
「というと?」
「俺の好きなのはクッキーなんですけど。汐音のは生地を冷蔵庫で長時間寝かせないと駄目らしくって。だから明日の昼にはまだできないんですよ」
「……なるほど。よくわかったわ」
そういや中庭で崇高言ってたな。悲しいことがあった時にいつも作ってくれたクッキー。そんなん食べて昔の悲しいこと思い出したりしないのだろうか。そこんとこ大丈夫なん?
「…………え?」
呆然としたような呟きがふと耳に入る。振り返ると、貝森ちゃんだった。……なんか顔色が悪い。下を向いたり、上を向いたり。そして大きく見開かれた目で、俺を見た。思わず、といった感じでその口が開く。
「…………2日……?」