先輩と後輩。
「……そう」
高宮城先輩は俺の言葉を聞いて一瞬だけ目を閉じたものの、すぐに立ち上がった。そして何も言葉を発しないまま、こちらに背を向けて、早足で歩きだす。……どうやら、今日はここまでらしい。まあ昼食には誘えたし、良しとすべきか。
……あ、でもいかん。無事終わったような気になってたけど、肝心のノルマを達成してないわ。ていうか歩くのはやっ! ちょっ、ちょっと待った!
「先輩!」
すると、先輩は辛うじて足を止め、しかもなんとあろうことか振り向いてくれた。よっしゃ。これノルマなくても関係そこそこ作れてるんじゃね? だって主人公が仮に呼びかけたとして、スタスタ去っていく未来しか見えないもん。
ところが俺が喜びを噛み締めていると、先輩はじっと俺を見て、目を細めた。……いかん。「用があるならはよ言えや」と思ってらっしゃる。早くしなければ。うだうだしてたら好感度が崇高になってしまう。
「その……先輩はどうしてこの場所に?」
「あなたはどう思うの?」
「え? えーっと……空が広いから、でしょうか……?」
聞き返されると思わなかったのでうろたえてしまったものの、辛うじて俺はゲーム内の先輩が言っていた言葉を返すことに成功した。……でもなんか俺の知ってるのと流れ違うな。これ大丈夫か?
すると、俺の返答を聞いた先輩は、面白そうにくすくすと笑った。……「花が咲いたような笑顔」という言葉があるが、先輩の笑顔は場の空気を一瞬で変えた。何ていうか、先輩のそれはただ、とてつもなく透き通っていて、全員の目を奪う。隣の貝森ちゃんが少したじろぐのが分かった。そうだよな、普段無表情だけあって、先輩の笑顔は純粋に破壊力ヤバいからな。
「……正解」
それだけを言い残し、先輩は身を翻して、早足で今度こそ去っていった。俺たちはその後ろ姿が見えなくなるまで見送る。
……まあ予定とは違ったけど……成功したと見ていい、か? もうちょい主人公と喋ってほしかったところではあるが、それは高望みってもんだろう。今の崇高に任せてたら先輩は10秒で席を立ってしまいかねないしな。そう考えると屋上で会った時から全然進んでない気も……?
いやでもほんと、崇高どうしたん? お前ほんとにゲーム内の俺か? 恋愛シミュレーションゲームの主人公に要らない3大要素が「人見知り」「非常識」「優柔不断」なんだけど(俺調べ)、お前このままだとコンプリートしそうじゃない? 主人公云々関係なく、それってヤバくね?
……まあ、いいか。俺はそれ以上考えるのを止め、貝森ちゃんと主人公をねぎらうこととする。2人ともなんか疲れた顔してるし。いや、先輩ルートはマジで最初の方、精神力使うから。ほんとお疲れ。
「ふふ、どうやら今日は成功だね。2人ともお疲れ様」
「さっきので成功なの!? ……あ。成功なんですか……?」
「もちろん。80点つけてもいいかもね」
「あたしの中では8点くらいなんですけど……」
「俺もそのくらいだ」
「お? お? ……2人、ひょっとして気が合うんじゃない?」
「「それはない(です)」」
そ、そう……? 左右からそんなきっぱり否定せんでも……。俺ちょっと悲しくなっちゃう。
そして、先輩との交流も無事終わった帰り道。俺はお菓子屋で買ってきたスイーツ的なものを貝森ちゃんに手渡した。だって貝森ちゃん全然関係ないのに付き合わせちゃったからね。っていうか主人公を奪い合うという意味では先輩とライバルですらある。早くそんな関係になってもらいたい、という激励の意味も込めて。
「はい、良い子の貝森ちゃんにはチーズタルト!」
結局、貝森ちゃんは遠慮してお菓子屋では何も買わなかったので、代わりに彼女の好物をセレクトしておいた。俺も伊達に彼女とのデートを繰り返してはいない。こういうさりげなさが大事なんだぞ崇高。見てるか? いや俺は事前知識でズルしてるけどな。だから現実世界の俺の話はやめろ。泣いちゃうから。
ところが、俺の隣を歩いていた貝森ちゃんは、受け取りつつ、少し怪訝そうな顔になる。
「……チーズタルト? シュークリームじゃ、ないんですか?」
「え、うん。あれは先輩用。先輩は実はシュークリーム大好き人間だからね。貝森ちゃんはこっちが好きでしょ?」
「……えっ?」
「あれ、嫌いだった……?」
……マジかよ。俺としたことが。いやでも今はシュークリームな気分なの? 確かに他人が食べてるところ見たら自分も食べたくなるもんな。これはそれを計算に入れてなかった俺のミスだ。申し訳ない。次は挽回させてくれ。
考え込みながら、それでも受け取ってくれる貝森ちゃん。なんていい子なんだ。そして一方、主人公は何の悩みもなさそうに、プリンを嬉しそうに鞄に入れていた。すまん、主人公の好みってゲームに出てこないから、それレジ横で安売りしてたやつな。でも喜んでくれて何よりだわ。……じゃあ、今日は解散!
その後、一目散にマイホームに帰った俺だったが、明日の先輩のためにさっそくシュークリームを作る作業に入ることとした。しかし、ここで早くも問題が発生する。というのも、冷蔵庫を開けてみても何が必要なのかがさっぱりわからん。……カスタードクリームってあれ何でできてんの? 栗か?
しかし、俺が考え込んでいると、何やら必要なものがポンポンと浮かんできた。おそらくこれが汐音ちゃんレシピなのだろう。……卵、生クリーム、牛乳、薄力粉、バター……。ほーん。見た限り、生クリームが足りないな。じゃあ、買いに行きますか。
というわけで。俺は帰ってきて5分で、再び玄関の扉を開け、次なる目的地に急いだ。本来なら1人を攻略するだけだからこんなに忙しなくはないはずなのだが、今の俺って同時攻略を手伝ってるようなもんだしな。大変だが仕方ない。
……ただ崇高の野郎は今頃自室でゆっくりしていると思うと、ちょっぴり複雑なのも事実。せめて奴が誰かヒロインと結ばれてくれたら俺の苦労も報われるというものだが……。
「あ、汐音先輩。買い物ですか?」
「貝森ちゃん! 今日はよく会うね」
買い物かごを下げてスーパーをうろうろしていると、さっき別れたばかりの貝森ちゃんと遭遇する。たぶん彼女の方は別に同時攻略とかではなく、普通に買い物だろう。それを示すように、かごの中には割引シールの貼られたお惣菜の数々が。きっとあれが夕飯なのか。
……うーん……。俺が1人暮らしなら我が家のディナーに毎日招待するのもやぶさかではないのだが、今は食事は夜桜家の母上殿に頼っているからなぁ……。
……せめて、何か俺にできることはないかな? するとその時、「私にくれるのはシュークリームじゃないんだ……」という帰り道の貝森ちゃんの台詞が、何度もエコーがかかって俺の脳裏にホワホワと蘇った。……あ、いいこと考えた。
「ねえねえ貝森ちゃん。この後、時間ある? 実はちょっと手伝ってほしいことがあるんだよ」
「まあ、ありますけど。……え、次も誰かのところに行くとかじゃないですよね」
さっそくちょっと逃げ腰になっている貝森ちゃん。いや、まあわからんでもない。高宮城先輩は接するのにエネルギー使うもんな。でも今回は違うんだよ。明日その先輩を釣るための獲物を作成しないといけないのだ。
「私、今からシュークリーム作るつもりなんだ。そこで、生クリームを的確に混ぜる係に貝森ちゃんを任命したいの。これは大役だよ」
「それ誰でもできません?」
「……崇高くんでも?」
「あの人はできなさそうですね……いえ、はい。いいですよ、暇ですから」
「じゃあ混ぜる係の貝森ちゃんにさっそくお願い。まず私を生クリーム売り場に連れて行って」
「そこからですか!? ……なにこれ不安しかない……。え、いっつもお弁当は汐音先輩が作られてるんですよね? あれ実はお母さんが作ってたりとか? あたし、別にがっかりしたりしませんよ? ほら、ちょっと正直になってみましょうか」
「うう、貝森ちゃんがなんか執拗に自白させようとしてくる……怖い……。もう! さあ、行くよ」
俺は貝森ちゃんのかごを引っ張って行こうとしたものの、どっちに行っていいかわからずすぐに立ち止まった。貝森ちゃんはそれを見て、呆れたように溜息をつく。
「ほら、もう……こっちですよ。汐音、先輩」
彼女はそっと俺の手を取り、そのまま優しく引いた。そしてお互いの手で繋がったまま、ゆっくりと俺たちは店内を歩く。温かくしっとりとした彼女の手の感触は、なんだかやけにくすぐったかった。
「まるで貝森ちゃんが先輩みたいだねぇ」
「まあ外見だけなら明らかにそうですよね。汐音先輩が下げてると買い物かごもやたら大きく見えますし」
「あ、こら! 私はね、これから40センチは伸びるんだからね。晩成型なんだから」
「汐音先輩は晩成型という言葉にいくら何でも夢を持ちすぎです」
……火にかけた鍋にバターと水を入れ、塩をぱらぱらと少々。沸騰したら火を止め、ささっと薄力粉を振るう。よくかき混ぜた卵を加え、木べらでリズミカルによく混ぜる。5分程度混ぜ続けると固さが生まれてくるので、ぽてっと落ちるくらいになれば皮の生地は出来上がり。
カスタードクリームは、ボウルに入れた卵黄と砂糖を勢いよくかき混ぜ、温めた牛乳と追加の砂糖をそこに投入。鍋に移し、温めながらとろみをつける。もったりした後もさらに少し混ぜたものを冷やし、そこに生クリームを少しずつ投入して、完成。
生地をオーブンに入れ、しばし焼きあがるのを待つ。うーん……でも見ててもオーブンって焼けてるのかどうかよくわからんな……。ずっと生焼けにしか見えん……。
「これ絶対詐欺だ……あ。詐欺でしょ……」
「言い直しても一緒だよ貝森ちゃん。どしたの? 混ぜ具合よかったよ。GOODだよ」
「いや汐音先輩、生クリームの売り場が分かんない人の手つきじゃないでしょ。……売り場分からなかったなんて絶対またこれ嘘だ……連れ込まれた……」
「いやマジでわからなかったよね。あれ牛乳と同じ扱いなんだ。端っこにあるから気づかなかったよ。確かに色は似てるけど……。私、甘いもの売り場に売ってるのかとばかり」
「それがわからない人間は卵を片手で割りませんて。それに甘いもの売り場ってなんですか。……もうこの人なんなの……あたし全然わかんない……」




