7話 人形と公園
燦々と照らす太陽。煩いセミの鳴き声。そして何より暑い気温。こんな嫌になるようなコンディションの中でも元気な青年がいた。この青年の名は久我大我。彼は今日人生初の女の子とのデートを迎えている。そしてこの彼の相手は人形。しかしただの人形ではない自我を持った美しい球体関節人形、その名も胡蝶。大我の愛玩人形だ。
「うわっ、これが外か、初めて出てみた……それにしてもなんで全く人がいないんだ?」
「それはね、この時間帯はみんな仕事に行って会社にいるからだよ」
「えっ、でも大我は今日は仕事が休みだって言ってたよな?」
「おっと、そういう細かい事は気にしないでおこうか、それに人がいないほうがかえって都合が良い、さぁどこにデートに行く?」
「うーん、そう言われてもな……オレ外に出たことねぇからわかんねぇし……おっ!」
「どうした?」
「大我、この沢山地面に生えてる大きな棒はなんだ?」
「あぁ、それは電柱」
「じゃあ、あの箱は?」
「あれは自動車」
「じゃあ今度はあのバランスが悪そうな奴は?」
「そっちは自転車」
外に出た胡蝶は目に映るもの全てに興味津々で何かある度に大我にあれは何かと尋ねる。それを大我は平然と答えるが、胡蝶はそれを純粋にすごいと言って尊敬の眼差しを大我に向ける。大我はそれに気分が良くなった。
(デートって、もっと緊張するものかと思ってたけど全然そうでもないな、むしろ普通にしゃべるだけで楽しいな)
「大我、あっちに早く行くぞ!」
「あっ、こら待て!」
胡蝶が急に左右も確認せずに道路に飛び出そうとした。すると道路の向こうから車が走って来ている。
「――危ない!」
「――キャッ!?」
間一髪のところで大我は胡蝶の手を思いっきり引いた。そして車が通り過ぎるまで胡蝶を大事に抱きしめた。
「おい、急に道路に飛び出そうとするな、轢かれるぞ!」
「あ、あぁ……ごめん」
「いいか、道路を渡るときはちゃんと左右を確認して歩道を渡れ!」
「……わかった」
大我に怒鳴られて胡蝶はシュンとした。
(必要な事だけど、少し怒鳴りすぎたな)
落ち込んだ胡蝶を元気にさせようと大我は片手を胡蝶に差し出した。
「ほら、手をつなぐぞ、そうすれば安全だから」
「……うん、手を繋ぐ」
胡蝶は素直に大我の手を握った。この時お互いの手の感触が頭に思い浮かんだ。
(あっ、胡蝶の手の肌がヒンヤリしてる、それに思ったよりも小さいしやわらけえ……なんだか大切にしたくなる)
(大我の手ってオレの手より大きいな、それになんだか温かい……この手に握られてると安心する)
ニギニギ、ニギニギ。
二人は暫く互いの手の感触を堪能しながら歩いた。こうして、少しずつ二人の間に絆が芽生え始め、温かい気持ちが二人を包み込んだ。もしこのまま二人を遮る障害がなければ、もしかしたら人間と人形という相見えない存在同士が結ばれる事になるかもしれない。
「あっ、そうだ、ちょうどこの先に公園があるし、行ってみるか」
「公園?」
「あぁ、公園は楽しいぞ、遊具もあるから遊べる」
大我は胡蝶を公園へと案内し、そこにある遊具の遊びを胡蝶に教えながら楽しむ事にした。幸い公園に人はいない、二人だけで遊び放題だ。
「まずはこれ、スプリング遊具! こうやって乗りながら前後に揺れる!」
「うおっ、なんだこれちょっと楽しいかも」
ブン、ブン、ブン、ブン!
「ちょっ、ちょっと揺らしすぎるから押さえて」
「あははははっ!」
ブン、ブン、ブン、ブン!
胡蝶は地面にスプリング遊具が設置するまで揺らした。やり過ぎだ。
「じゃあ次はシーソー、こいつは結構楽しいぞ!」
……。
「……大我、お前が重すぎてオレは全然地面につかない、面白くねぇ」
「やめてくれ、それは地味に傷つく、因みに言っておくが俺はデブじゃなくて筋肉で重量があるだけだからな」
「分かった、お前は筋肉がついたデブって事だな」
「だからデブじゃねぇ、もう行くぞ……次はジャングルジムだ」
……。
「ははは、このジャングルジムとやらの頂上はいい景色だな」
「おい胡蝶、そんな所に立つと危ないぞ……ってあれ、やばっ、ジャングルジムの中に挟まった」
「お前バカだろ、なんでそんな図体してるのにわざわざ中を通って登ろうとしてるんだ?」
「いや、少し理由があって……(ジャングルジムの中から上を見上げて、胡蝶のスカートの中を覗こうとしたなんていえない)」
この後、大我は無事にジャングルジムから脱出できたが、当然胡蝶のスカートを覗こうとしていたのがバレてぶん殴られた。
「ううっ、痛え……」
「大我、次はアレをやりたい!」
「アレ? なっ、アレは別名殺人遊具と名高い回転ジャングルジム、まだあんのかよ……流石にアレはまずいからやめとこうか」
バカなガキの頃、大我は回転ジャングルジムに捕まって遊んでいたが好奇心で回転中に手を離して吹っ飛び、そのまま地面に激突して死にそうになった。流石に同じ過ちをする胡蝶にさせる訳には行かない。
「だったら次はあの揺れる鎖に乗りたい」
「揺れる鎖って……あぁブランコの事か、よし分かった俺が押して揺らしてやる」
胡蝶をブランコに乗せて後ろから背中を押す。大我は力強いのですぐにブランコは大きく揺れる。
「楽しい……楽しいぞ! すごい、外にはこんな面白いものが溢れてるんだな、アハハハハハハハ!」
胡蝶は長い黒髪をなびかせて笑い声を上げる。その様子は大我の心をより一層温かいものにした。そして大我の悩みであった胡蝶が持つ暴力性も、はじめからそんなモノは存在しないとして、悩みから消え失せた。
「んっ? あれは……よっと!」
「ええええっ! ちょっ、危な!」
胡蝶が急にブランコから手を離して前に飛んだ。大我は一瞬胡蝶が地面に激突してしまう思い心臓がキュッと締め付けられた。しかし一方の胡蝶の方は見事華麗に地面に着地を決め何処かへ駆け出した。
「おい急にどうした、待て――げっ、そっちはマズイ!」
胡蝶が駆け出した先には、砂場で丁度三歳児あたりの男女の子供が二人いて遊んでいた。
「おいお前達、ここで何をしてるんだ?」
「……オネエちゃんだえ?」
「オレは愛玩人形の胡蝶だ」
「お人形?」
「そうだ……ふふっ、なんかお前達小さくてかわいいな」
「オネエちゃんもかぁいいよ」
「そうか、ありがとな、よしよし」
「ちょおおおおっと待ったあああ! 胡蝶お前は何やってんだ!」
「オニイちゃんだえ、オネエちゃんのおともだち?」
「えっ? えーとそうだよ、お兄ちゃんはこのお人形のお友達なんだ、君達砂遊びの邪魔して悪かったね、お兄ちゃんたちもう行くから! バイバーイ」
「ばいばーい!」
大我は焦った状態で胡蝶を三歳児達の元から引っ張って行き、すぐにその場を離れた。
……。
「胡蝶、なんて事するんだ、子供とはいえ他人にお前が知られたらマズイだろ!」
「なんでまずいんだ?」
「それはお前が、他人に見つかったら俺が変態扱いされて社会的に死ぬからだ!」
「なんだよそれ……オレといるのが恥ずかしいって事か?」
「あっ、違う……そうじゃなくて――あぁ、もぅこの話は今は無しだ、それよりなんでさっき子供の所に行ったんだ?」
「それは自分でもわからない……見た瞬間、急にあの子供を可愛がりたくなる気持ちが大きくなって体が勝手に動いてた」
大我は胡蝶から事情を聞いて内容から察すると胡蝶が母性に目覚めたのだと思った。だとしたらそれは別に悪い事でもない。寧ろこうして胡蝶の心境に変化が起きているので良い事だ。
「そうか、なら仕方ないな」
「……うん」
「それにしてもやっぱ外は暑いな、少し喉が乾いたから自販機で飲み物を買ってくる、胡蝶はここのベンチで座って待っててくれ」
大我は胡蝶を置いて移動する。その間胡蝶の方は先程の自分の行動を見つめ直していた。
(なんで オレ、さっき子供を可愛がる行動をしたんだ……何かオレらしくない行動の気がする)
胡蝶は確かに子供が好きな方ではあるが、積極的に触れ合いに行くタイプではない。しかし何故かあの時だけは違った。あの時の自分は砂場で遊ぶ三歳児達が、誰か別の人物と重なって見えて、その人物を可愛がるように三歳児達と接していた。
『――胡蝶お姉ちゃん』
急に頭の中で可愛らしい女の子の声が聞こえた。しかしそれが誰で自分とどんな関わりがあるのか全くわからない。
……。
「おーいお待たせ……どうした、頭を押さえて、具合が悪いのか?」
「いや別に、なんでもない」
「そうか、ならいいけど……」
大我がペットボトルのジュースを買って戻って来た。そしてプシュっとフタを開けると中身をごくごくと飲み始めた。
「……んっ、ぷはぁ! やっぱ夏に飲むキンキンに冷えた炭酸は最高だぜ――って、おいなんだよその物欲しそうな目は、ダメだぞ胡蝶、お前は人形なんだから飲めない」
胡蝶は大我のジュースをガン見した。なんだあの飲み物は。大我だけ気持ち良さそうに飲んでズルい。オレもそれを飲んでみたい……人形だからとかどうでも良い!
「大我、それをオレに少し分けろ」
「ダメだ、絶対に人形のお前が液体を口にしたらマズイ」
「良いからよこせ」
「ダメったらダメだ」
「なら……力ずくで奪わせてもらうぜ」
「面白い……かかって来い」
大我は余裕をアピールする為、わざとペットボトルを両方の手に投げて行ったり来たりさせてた。胡蝶はそれを見ると溜息を吐いた――その瞬間。
――シュバン!
「――はい、いっただきー!」
「はっ……えっ? 何、今の一瞬?」
「じゃあさっそく大我のジュースをオレが飲みまーす」
「いやいや、ちょっと待てお前さっき何やったんだ?」
「何って、お前のジュースを高速で捕まえた」
「どうやって!?」
「うーん、力を抜いて腕を思いっきり突き出すのかな……それにオレ実は動くものを捕まえるの得意なんだ。だからたまに部屋に出る黒い虫もお前の雑誌で退治してるぞ」
「ぎゃあああ! アレお前だったのか、俺のお宝エロ雑誌のお気に入りのページにわざとGの死骸を挟んでたのは、お陰で気持ち悪くなって捨てる羽目に……」
「オレ以外の女をエロい目で見るのが悪い……さてと話は終わり、約束通りこいつはオレが飲ませてもらうぜ」
「おいおい、大丈夫かよ」
大我の心配をよそに胡蝶はジュースを口に含んで飲んだ。果たして液体を人形の体に入れるとどんな変化が起きるのだろう。
ごくごく、ごくごく。
(あーあ、胡蝶のやつあんなに一気に飲んじまって……でも意外と何も起きないな)
胡蝶は初めて飲むジュースの美味しさに驚いた。こんな体験今までした事ない。この舌でシュワシュワと炭酸が弾ける心地良さと程よい甘さ。こんな物が自分の身近にあったのか。コレを今まで味合わせてくれなかった大我はやっぱズルい。そう思って残りのジュースを残す事なく全部一気飲みした。
「ぷはぁ……美味しかったぜ」
「お、おい胡蝶――」
「なんだ? 悪いがもう全部飲んだから空だぜ」
「そうじゃなくておまえの体から……」
「――えっ? あっ、これは!?」
なんと飲んだジュースは全て胡蝶の体の隙間という隙間から全て溢れはじめた。最初は首元の隙間で、次に胸の隙間。そして先後に下半身の隙間から液体が溢れてワンピースを濡らした。まるで失禁でもしたかのようだ。
「胡蝶が……お漏らしした」
「バカ、それを言うな、ぐすっ……うわああああん!」
デリカシーの無い男大我。この男の一言は胡蝶を十分に傷つけた。
「ごめん、俺が悪かった! 取り敢えずベンチにでも座ってくれ、それから濡れた所を拭こう」
「うううっ、ぐすっ……まさかこんな事になるなんて、オレ、自分が情けなくて恥ずかしいよ」
「大丈夫、夏だし日差しも強いからすぐにワンピースも乾くって」
胡蝶は恥を欠いて落ち込んだ。こうしてみるとか弱い少女だ。流石にこの状態の胡蝶を見て大我は不運で可哀想に思った。やはり人形の体というの不便なようだ。しかしこういう時、不運というのは重る。
「あのー……もしもし?」
「すみません、ちょっとあとにしてくれますか……ん?」
大我は後から声をかけられて嫌な予感がした。そして恐る恐る振り返るとそこには見回りの警察二人が立っていた。
「お兄さん、少しお話しても良いかな?」
「あっ、ハイ……(国家権力が来ちまったあああっ!)」
――どうなる、大我と胡蝶。