4話 人形と朝食の出来事
今日から自我をもった胡蝶と何でもできるし、会話だって楽しめる。
大我は朝からこの事実に胸を躍らせてウキウキし、鼻歌を歌いながら筋トレ後のエネルギー補給をするために朝食を作り始めた。
今日の朝食はタンパク質を摂取するために豆腐たっぷりの味噌汁とあとは白米を茶碗に山盛りだ。もちろんこのあと大我は胡蝶の分も少なめに朝食をよそって用意してあげた。
「よーし、完成、胡蝶も一緒に食べよう!」
「……えっ、オレも?」
大我はハッとした。ついいつもの癖で人形である胡蝶の分の朝食を用意してしまった。このような行為は本来不要だ。
「知識では知ってるけどオレって食事って行為ができるの?」
「さぁ、どうなんだろ……胡蝶は自我を持ったことで空腹感とか湧いてないのか?」
「空腹感?」
「もしかしてわからない? えーとじゃあまずはじめに、食べ物の匂いを嗅いで口から涎とか出たりするか?」
「ちょっと試してみる……クンクン、匂いは良い」
「……そうか(へぇ、一応胡蝶は嗅覚があるんだ)」
「涎……今オレの口の中に出てるのか? フガフガ」
「お、おい」
胡蝶は腹話術人形のような上下にしか開かないパカパカした口をしている。そしてそれを頑張ってより大きく開くため指を使って開いて固定した。そうやって大我に口腔内を見せて確認させる。これは決して食事中にやってはいけない非常に行儀の悪い行為だ。しかし今の大我にそれを咎める気力は無かった。なぜなら……。
(ヤバッ……女の子が口開けてるのって、なんかエロい)
「フガガ(どうだ?)」
「あぁ、エロい――じゃなくて! 早く口を閉じろ」
「ふぅ……どうだった?」
「えーと、出てなかった」
「そうか、他になんか空腹の時に起こる現象はあるのか?」
「そうだなぁ、お腹が空くと腹が締め付けられて違和感がある(なんだろうこのやり取り、まるで幼児に物事の仕組みを教えてるみたいだ)」
「ふーん……別にそんな感じはしないな、ということは?」
「――胡蝶は食事する必要がないって事だ」
「何だと!? じゃあせっかくお前が作ってくれたこの食事は無駄って事か……なんか勿体無いな」
「気にするな、俺のミスだから」
その後大我は胡蝶の為に用意した朝食も自分が食べる事に決めて黙々と食事をした。その間胡蝶はその様子をじーっと観察していた。どうやら胡蝶は食事というものにとても興味があったようだ。
(これからずっと胡蝶は旨い物があっても食べることができないんだ……可哀相だな)
胡蝶は人形なので人間のように生活すると今回のように出来ない事が出て来る。そしてとりあえず今は胡蝶は食事は出来ないのでご飯を用意しなくていいという事を大我は改めて理解した。
「なぁ大我、今日は何をするんだ? というかお前はいつも何をしてるんだ?」
「――うっ(き、来た……何をしてるかなんて質問、その質問は底辺の日雇労働者の俺にとってタブー。ここで正直に言った瞬間、女の子は全員俺に興味をなくしてしまう……ここは無視して聞いてないフリをしよう)」
……。
「なぁなぁ、オレはお前は何をしているのか気になるから言えよ、それに今朝もどこに行ってたんだ?」
「えーと……(クソっ、胡蝶のやつしつこいな、無視してるのに聞き返してくる)」
胡蝶は今朝感じた孤独というものが嫌だったので、単純に大我が何をしていて、それがいつ終わり、いつ大我が自宅に帰ってくるのか知りたいだけだ。なので例え大我がどんな職業についていようと差別したりするつもりは無い。しかし大我はプライドが高いので中々正直に自分がやっている事を言えない。
「俺は……何でも屋だ、だから毎日色んな仕事をこなしてるんだ、ハハハ(嘘は言ってないよな、だって毎回日雇の仕事の内容は違うしね)」
大我は日雇労働者だが、一つの会社に雇われている訳ではない。毎日違う会社の違う内容の違う現場で労働をしている。なので色んな知識やスキルが身についているが、それが役に立つ事は残念ながらあまりない。
「何でも屋か……すげえなお前、だから器用なんだな」
「えっ!? 見下したりしないのか?」
「なんで見下す必要がある、オレはお前をすげえやつだと思うよ、だってこうしてオレの着物の帯を綺麗に素早く結んでくれるし、この顔の化粧もお前が施してくれた。これはお前がなんでも屋とかいうのをやっていて器用だからできた事だ。オレにはそれが出来ない……だからお前はすげえやつだと思うよ」
「胡蝶……ありがと(俺はいい買い物をした、こんないい人形絶対に手放してやるもんか)」
今日は朝から胡蝶が良い子なので気分がいい、これからもずっとこういった良い事が起きてほしい。大我は心の中でそう願うのだった。
……。
ピンポーン。
暫くして外で呼び鈴がなった。大我は胡蝶を奥の部屋に隠して玄関の扉を開ける。するとドアの前に宅配の業者がいてダンボール二箱を配達に来ていた。大我はそれを受領した。
「――ハイ、確かにサイン貰いました。ありがとうございましたー!」
「――はい、どうもー……よっしゃ、頼んでた物が来た」
「なんだそれ?」
「ふふふ、気になるか、気になるよな?」
「うわっ、なんかお前ウザいな、だったら別にオレは気にならねぇ」
「えぇ〜、いいのかなぁ、全部胡蝶の為に頼んだものなんだけどな」
「……なんだと、だったら早く箱を開けろ」
「ダメだ、胡蝶が俺の出す条件を飲んでくれるなら開けやるぜ」
「チッ……良いだろう」
「おや、やけにあっさり承諾するんだな」
「まあな、但しもしお前がオレに変な条件を突きつけたならそのときは……多分お前の顔面の皮膚が崩壊する」
胡蝶はそう宣言すると、突然腕を脱力させて揺らし始める。何かの予備動作だろうか。もし仮に一般人がこの時の胡蝶の行動を見ているなら変な動作をしていだけと思い、別に気に止める事はないだろう。しかし武術に心得のある大我はこの胡蝶の動作に危機を感じた。それから急に自分の顔面が熱くなるのを感じた。恐らくこの顔面が熱くなる現象は身体が警報を発している。ここに強烈な衝撃――例えるならば鞭のようなモノが当たるぞ、気をつけろ――と。
「ちょ、待て待て落ち着け別に変じゃない、変じゃないから! 簡単な条件を出すから、そのヤバそうな何かを繰り出そうとしないで!」
「そうか、ならその変じゃくて簡単な条件とやらを言ってもらおうか、くくく」
どうやらこういった交渉については胡蝶の方が大我より上手のようだ。こうして胡蝶は勝ち誇った笑みを浮かべて大我を見下した。そして大我は先程のウザイ態度を改めて渋々条件を出した。
「えーと、俺の条件っていうのはその……胡蝶に俺がチョイスした服を全部着てほしいんだ」
「はっ? なんだそんな事か、それくらい別に構わねえぞ」
「……言ったな?」
「――えっ?」
「もう、お前は俺の出した条件を承諾した、だからこれからこの届いたダンボールの中にある服を全て着て貰う!」
「な、なんだと、大我……てめえオレを謀ったなあああっ!」
「そうだ、見事に引っかかってくれたな胡蝶、俺は弱気な態度を取れば、お前は調子に乗って何でも気にせずに承諾すると見抜いていた」
「くっ……てめぇ、大我ああああぁあ!」
「胡蝶おおおおぉお!」
大我と胡蝶は大声で叫びあった。なんだかんだ二人してノリノリだ。しかし二人共急にハッとしてテンションを下げた。なぜならこうして騒がしくすると部屋の壁が薄いので、隣に住んでいる須賀の元まで音が響いてしまう。そうなれば昨夜のように須賀の逆鱗に触れること間違いない――しかしあれだけ騒がしくしていたのにも関わらず、須賀は怒鳴って来なかった。
「ふぅ、なんとか隣にはぎりぎり騒がしくしてたのは聞こえなかったみたいだな……さて、早速俺が選んだ一着目を着てもらうぜ」
「ハイハイわかったよ、だからさっさとオレが着る服をだせ」
胡蝶は大我にぶっきらぼうな態度をとったが、内心はどんな服を着ることかできるのか期待で胸を膨らませていた。
今自分が着ている紅い着物はもちろん良い。しかしもっと違う物を着てみたい。そして自分を着飾ってより美しく愛されて可愛がられる人形になりたい。そんな思いが胡蝶の心の中で暴れる。そんな中ついに大我が胡蝶の為に用意した服を箱から取り出す。
「――よしこれだ、胡蝶これを着てくれ!」
「あぁ良いぜ、なんせオレはどんな服でも似合うからな、くくくっ」
「その通り、だからこれ――園児服を先ずは着てくれ」
「……は?」
胡蝶の期待は無惨に打ち砕かれ、一瞬にして部屋の空気が静まり返つた。
「胡蝶はまだ自我を持って生まれたばかりで見た目に反してまだ精神年齢は本当は幼いからな、だとしたら先ず格好は幼児から始めようと思う、それで俺は胡蝶の先生になって色々教えてあげる役目ってわけ」
「なぁ……大我――」
「どうだ、いい考えで気に入ってくれたか?」
「――ふんっ!」
「――ッ痛、イッテエエエエエ!」
胡蝶は最初に大我に宣言したとおり、腕を一気に脱力させると器用に球体関節の特性を利用し、そのまま腕をブンッと振って音速のムチ身を繰り出した。そしてそのムチ身は大我の頬にクリーンヒットして大我を悶えさせた。
「イタイイタイ! イタイヨオオオ! 皮膚が裂けたああああっ、顔面崩壊したあああああっ!」
「裂けてねえし崩壊してねぇよバカ、冗談だ。それよりオレに似合うもっとマシな服はねぇのかオイ!」
「あります、ありますけどこの服も絶対に似合うんで着てください、オナシャス!」
大我は胡蝶の強烈な痛みを伴う技を食らったのにも関わらず、めげずに胡蝶に園児服を進める。そうまでして自分にこんなしょうもない服を着せたがるのかと胡蝶は怒りを通り越して呆れた。
「あぁ、もう分かった……てめえの言うとおりこの変な服を着てやるよ――ったく」
「マジで!? やったぜ、じゃあ早速準備するからその間に着替えてくれ」
「何を準備するんだよ」
「もちろんの教育の準備だ……今日は俺は先生となって幼稚園児の胡蝶ちゃんに色々教えて上げる日だ!」
「うわ、こいつ変態かよ(うわ、こいつ変態かよ)」
「おいおい、心の声が正直に漏れてるぞ」
「うるさい、やるならさっさとやるぞ」
こうしてよくわからないが今日は大我の幼稚園が開園したのだった――。