――Day2 09 : 02
「それじゃ、どこから始めようか……」
俺が姉さんを置いて一人で行動しようと思ったのは、実は姉さんの体調の問題とは別にもう一つ理由があった。それはある類の物を探すのに、あまり姉さんを同行させたくなかったからだ。
今から俺が探そうとするもの……それは即ち武器、もしくは武器になりそうな何かだった。
石垣さんが取った今朝の言動。彼が本当に今日の暴露対象者で、自分の秘密の守る為に他の参加者を脱落させようと画策したのなら、それは厳密な意味では殺人を肯定しているのと同じだ。
それに加えてもう一つ、堀江さんが去り際に言い残した言葉がずっと俺の脳裏にこびり付いて離れない。
『……こんなことはあまり言いたくないけど、気をつけることね。この先、本当に何があるかわからないから』
まだ今は……いや、今も十分に悪い状況だが、この先もっともっと人たちに余裕が無くなれば、自分の秘密を守る為に他人を生贄として差し出す行為に出るかもしれない……それももっと直接的な手段で。
それは石垣さんに限っての話じゃない、このゲームの参加者全員に当てはまる話だ。そして堀江さんのあの言葉は、そうなることを見越しての忠告のように聞こえてならなかった。
「くっそッ、使えそうなものはないのかよ……!」
1階の事務棟。手当たり次第に辺りを調べてみたが、何一つ使えそうなものが出てこない。
あるのは古いダンボールにノートに書類の束に、中身のないパソコンなど……武器になりそうなものは何一つ見当たらなかった。
だからか、知らず知らずに募った焦りが苛立ちに変わって口から出てくる。
もし最も直接的な手段、暴力を伴うやり方で他の参加者が俺や姉さんを脅してくる場合、俺はそれに対処できるのか?
……情けない話だが、在日米軍のスミスさんは元より、警備会社勤めの堀江さんはもちろん、羽野さんや石垣さんにも勝てるかどうか怪しいところだ。
だから武器が要る。手慰め程度しかならないにしても、万が一の為に俺にできることを全てやらなければならないんだ……ッ。
「松永君? こんな所で何してるの?」
ふいに掛けられた声に、俺は後ずさりするほど驚いて後ろの方に振り向いた。
「さ、桜井ッ?」
事務棟の部屋入り口に立っていたのは桜井音刃だった。彼女は髪をかきあげて、さっきの質問を繰り返した。
「んで、松永君はここで何を?」
俺は一瞬どう答えるか返答に迷ったが、結局正直に話すことにした。
「何か武器になりそうなものはないかって、探してたんだ」
「……武器?」
桜井がそう聞き返す。俺もまた辺りを物色しながら付け加えた。
「……この先、ここにいる人同士で争いが起こったときの為さ。何も持ってないより、何か武器になるものがあった方が少しはマシだと思って」
そして対話が途切れ、少しの間が開く。彼女の存在は気になったが、俺はあえてそれに構わず部屋の物色を続けた。
「松永君は、本当にそんなことが起きると思ってる? ここに集められた人同士で、殺し合うようなことが」
再度掛けられた彼女の問いに、俺は調べていた机の引き出しを閉めて手を止めた。
「……そんなこと、起きて欲しくなんかないさ。でも」
俺は言葉に詰まった。殺し合い……それは俺があえて口には出さなかった言葉だった。
自分でもそんなドラマや映画でこそ出てきそうな事が現実で起きるものかと、半信半疑なところがないわけじゃない。
未だ自分の状況が上手く飲み込めてない俺だ。これは何かの確信や確証を持っての行動ではない。
「……でも、可能性で考えたら十分あり得ることだと思う。それも、そう遠くない時期で」
厳密に言えば、石垣さんがあんな言動を取った時点で間接的ではあるがもう起きている現象とも言えた。
でもそれを口にはしなかった……いや、口にできなかったのは、単にそうだと認めてしまうのが怖かっただけかもしれない。
「へえ……」
桜井は感心しているような、または気のなさそうな、何とも性質が不明瞭な声を漏らした。
俺もいったん彼女から視線を離して、別の机の引き出しを調べ始める。そして背中越しの彼女に話しかけた。
「秋吉さんは……どうだった?」
「部屋まで付き添ってからは、私もわからない。ただ、色々とショックが大きいようね。自分の殻に閉じこもってしまった感じだった」
中々辛辣なことを平然と言ってくる桜井に思わず苦笑する。そして今度は彼女から俺に質問が返ってきた。
「そっちこそお姉さん、松永すみれさん……だっけ? 彼女とあの小さい子はどうしたの?」
「二人なら部屋で休んでるよ。……あまり、体の調子が良くなくて」
そう話しているうちに、俺の中でまた焦りと苛立ちが募り始める。
今は呑気にこんな話などしている場合ではないのだ。もう二時間ほど探し回っているのに、成果らしきもの一つ上げていない。その事実がまた俺を焦らせる。
俺は自分の唇を軽く歯で噛み、出てきそうなため息を強引に押し留めた。そしてそんな俺を見て何を思ったか、改まった口調で桜井が俺に話しかけてきた。
「ねえ、松永くん」
「……どうしだ?」
俺が桜井の方に向き直ると、彼女は事務室の扉を閉めて俺に近づいてきた。そして俺と鼻の先が届く距離まで接近する。
「な、なんだよ……?」
急に縮まった距離感に焦って、咄嗟に上半身を逸らして距離を取る。
一体これは何の展開なんだと……訳がわからなくて冷や汗を掻く俺とは反対に、桜井は真剣な顔のまま俺にこう告げた。
「私と手を組まない?」
「手を、組む……?」
一瞬それが何を意味するのか、ゲシュタルト崩壊でも起こしたかのように、その言葉を理解するのに中々難儀する。
「そう。この先のことを考えると、味方がいた方が色々メリットがあると思うんだけど……どう? ここを無事脱出するまで協力し合うのは」
ようやく桜井の言っていることが理解できるようになる。
確かに姉さんを除いて他の参加者全員が暫定的な敵になり得る状況の今、安心できる他人の存在が増えるのは心強い。
別にそれは桜井の能力如何に関係なく、味方が増えたという事実だけでも心に余裕を持てるようになるからだ。
……我に返って、二三歩後ろに退いて彼女と距離を取る。
相変わらず真剣な顔で俺の返事を待っている桜井に、俺は素直な疑問をぶつけてみた。
「でも、なんで俺なんだ?」
誰かと組むのなら、もっと頼りがいのある人が他にも沢山いるように思える。
行動力があって冷静沈着な堀江さんや、言動は多少荒っぽいが羽野さんも何かと頭のきれる人だ。そしていざという時は軍人のスミスさんがもっとも頼れる存在だろ。
卑猥な考えだが、俺と組むことで桜井が得られるメリットは少ない気がした。
「それは、松永君と組むのが一番安心できるからよ」
「あ、安心?」
言っている意味が一瞬理解できなくて思わず聞き返す。そして桜井は笑みを浮かべて理由を説明した。
「松永君と組むと、君の姉さんとあの百合ちゃんて子も一緒に組むことになるでしょ?」
「あ、ああ……それは勿論」
「他の人たちと違って、松永君は最初からチームで動いているから、一度組めば後から裏切られる心配はないから安心できるってこと」
「ああ、そういう……そうか」
彼女のその言葉をはっきり理解したわけじゃないけど、何となく意味は感じ取れた。
要は桜井から見て、俺が他の人たちより裏切らなさそうに見えた……そういうことだろ。
「それで……どう? 私と組まない?」
改めて提案する彼女に、俺は自分の右手を差し出した。
「俺は歓迎だよ。姉さんたちも、きっと了承してくれると思う」
俺としても誰も彼も敵だと思うより、少しでも味方が多い方が助かる。そしてそれは桜井にも言えることだろ。
俺は姉さんという支えがあるが、桜井は一人でこの狂ったゲームに参加している。だからできれば、少しは彼女の力になってあげたいとも思う。そして姉さんなら反対するどころか、俺より歓迎するはずだ。
「……ありがとう。これからよろしくね」
差し出された俺の手を見て、彼女も手を出して握ってきた。
この握手は言うなら同盟の証。
傍からみれば何の意味もなさそうなことだが、こうやって手を触れ合うことで彼女に対する信頼が増してくる気がするから不思議なものだった。
「それで松永君、具体的にはどんな物を探してるの?」
「そうだな……野球バットみたいのがあったら理想的なんだけど」
桜井の問いに、俺は事務室内を見回しながらそう答えた。
「でも、そんなものがこんな施設にあるとは思えないけど」
「……まあ、そうだけどさ」
別に武器と言っても、それは自衛の為であって積極的に人に向けて使う気はさらさらない。だから見た目のインパクトが大事だと思っていた。
つまり、他人から見て威嚇になりそうな物という観点で野球バットとかが分かり易いと思ったが……そうそう思い通りに事は運べない。
「それなら掃除用具とかは? 探してみた?」
俺の意図を察知してか、桜井が部屋の隅にある大きい用具箱やキャビネットを指差してきた。
「ああ。さっき粗方探してみたんだけど、使えそうなものは何もなかったよ」
用具箱にはドライバやネジなどはあったけど、金槌のような鈍器の類はなかった。そしてキャビネットの中は空っぽ。雑巾掛けの棒すら入っていなかった。
「ふーん……それで机の引き出し?」
「ああ。何かカッターナイフとか入ってないかと思ってさ。でも、どうやらそういのもないみたいだな」
正直、刃物はその殺傷力からして気が引ける。でも最初の当てが外れた以上、探せるだけ探してみようと思ったのだ。
「他の部屋も全部調べたの?」
「他の事務室か? この区画の部屋なら一応な」
「そっか……」
さすがに桜井も手詰まりか肩を竦めては考え込む。俺は軽く頭を振って考えを整理してから彼女に話し掛けた。
「もうここにいても収穫はなさそうだし、下の階を探してみないか? 何か使えそうなもの……別に武器じゃなくても、何かあるかも知れない」
「……そうね、行ってみよ」
最初に下の階に行ったとき、その物々しさと独特の雰囲気に圧倒されてよく調べてはいなかった。だから改めて物色してみる価値はあると思える。
俺たちは事務棟を出て、地下への階段を下っていく。
「それにしても……ここの匂は慣れそうにないね」
地下エリアに足を踏み入れた途端、湿気に満ちた淀んだ空気が鼻を刺激してくる。
何かが腐ってるようなその匂いに、桜井が鼻を押さえて眉をひそめた。俺も自然と顔をしかめてしまう。
「ようー兄ちゃん。そっちも調べモノかい?」
聞き覚えのある独特な口調と声を追って視線を向けると、正面のどでかい扉の前に羽野さんがいた。
いつものにやけ顔の彼は片手に火がついた煙草を持っていて、空いたもう片手を俺たちに振っていた。
「どうしたんですか、その煙草……どこから持ってきたんです?」
俺がそう聞いてみると、羽野さんは煙草を一度吸い込んで煙を宙に吹かしてから答えた。
「なーに、元々俺が持っていた物さ。そもそも携帯以外の所持品は取られてないようだしな」
そう言って羽野さんはもう一度煙草を吸って煙を吹き出す。その煙が空中に広がって高い天井近くまで昇り、薄い煙の幕を作り出した。
「お前さんこそ、一緒にいた別嬪さんはどうした? 新しい彼女とデートの真っ最中かぁ?」
煙を避けて俺たちが近づくと、羽野さんがからかうような口調でそうを言ってきた。
「……姉さんなら部屋で休んでます。羽野さんは一体ここで何を?」
姉さんが別嬪なのは当然として、彼女とかそういうくだりは綺麗さっぱりスルーした。一々訂正するのも馬鹿馬鹿しいし、時間の無駄だろ。
「ちょっと、この扉のことが気になってな……」
さっきとは打って変わって真面目な顔の羽野さんが、目の前に陣座する巨大な扉に視線を向けた。
「俺の感じゃぁ、間違いなくこの先に何かある気がするんだがな……」
「どうして、そう言い切れるんですか?」
考え込む仕草でそう言ってくる羽野さんに桜井が聞き返す。
「はっ! それは俺の長年の記者としての感ってやつだぜ、お嬢ちゃん?」
ニカッと笑って羽野さんがそう答える。
……まあ、そういう何かの感ってやつがあるかないかは別にいいとして、俺もあの扉の事は気になっていた。
今まで探索したエリア以外に他の場所がまだこのゲームの舞台として存在するとしたら、それはここから繋がっているとしか考えられなかった。
「さっき、松永君に言ってましたよね? お兄ちゃん『も』って。他にもここに来た人がいたんですか?」
「……鋭いな、嬢ちゃん」
俺が考え事をしている間に出た桜井からの質問に、羽野さんが感心したようなそぶりで目を細め彼女を見返してきた。
「実はさっき、あのポニテールの女も来てたんだよ。……正確にはあの女が一番最初にここへ来て、その後で俺が来たってわけだ」
「堀江さんが?」
俺が聞き返すと、羽野さんが頷いて答えた。
「ああ、あの堀江って女だ。……あの女は匂うぜ? 何か隠しているのは間違いない。さっきもこの扉の鍵穴をこそこそ調べていたしなぁ」
堀江さんもこの扉が気になっていたのか。でも、扉を調べていたくらいで疑心に思うのもどうだ……?
それに何かを隠しているのは堀江さんだけじゃない。ゲームの参加者皆がそれぞれ秘密を抱えているのだから、何かを隠しているというのは俺たち全員に当てはまる話だろ。
「まあ、怪しさだけで言えば、あの軍人野郎が断トツだがな? くくッ!」
羽野さんはそう言い捨てて、口元を歪ませて笑う。そして俺たちの横を通りすぎて歩き出した。
「そんじゃお疲れさんー。何かわかったら情報交換しようやー」
返事を待たずに羽野さんは階段を上がって行った。彼の靴音が壁に反響する。
今の何気ない羽野さんとの会話で、俺たちの……ここに閉じ込められた人達の間にできた不信感と排他性がどれだけ膨れ上がっているのかマジマジと見せ付けられたような気がする。
何がどう間違ってこういう結果になったのか……それとも、今まで表面上取り繕っていただけで、最初から各々の中では端から他人なんて信用していなかっただけなのか。
どっちにしろ、俺にはそれらが爆発する時がそう遠くないような気がしてならなかった。
「俺たちも行こう」
「……そうね」
羽野さんの足音が完全に聞こえなくなってから、俺たちは顔を合わせて軽く頷き合う。そして鉄格子の向こう側に足を踏み入れた。