――Day3 15 : 44
倉庫から出て、舗装されてない天然洞窟ようなトンネルを抜けると、看板に『出口』と書かれた扉の前に着く。
そしてその間に崩壊も収まって静けさが戻ってきた。
「…………」
俺と百合ちゃんをここまで連れてくるのに疲れ果てたのか、桜井は服が汚れるのも構わず地面にへたり込んで荒い息を吐き続けていた。
俺がぼーっとそれを眺めていると、突然頭の上から耳障りなノイズ音が鳴る。そして件の声が聞こえてきた。
「もう一人、脱落者が出ました」
例のごとく、いつもと同じその言葉とその声。
だが今回はそれを聞いただけで体が震え出した。瞬く間に体中から嫌な汗が噴き出してくる。
「松永すみれ。彼女は一見優しく一生懸命な良い看護師に見えますが、家族である弟を男性として愛した異常性愛者でした。純真な弟をたぶらかし、堕落させた魔女です」
「違うっ! 勝手なことを言うなッ!!」
我慢できず天井のスピーカーに向けて叫んだ。
その内容が嘘だから……ではない。姉さんを異常者だの魔女だのと蔑むことが許せなかった。
「あろうことか、その恋路を邪魔する実の父親を見殺しにして、弟を独り占めしようとした殺人者でもあります」
「なん、だと……?」
父を……見殺しにした? 姉さんが……? そんなっ、バカな……ッ。
「アルコール中毒で倒れた父親をわざと放置して手遅れにし死に至らせた彼女は、親戚の助けも振り切って弟を自分の手元に置こうとした。自分の為なら弟に掛かる苦労すら厭わない悪女、それが松永すみれという女です」
「違う……違うッ! それは、違うんだ……っ!」
仮に……仮にあいつの言うことが全て事実だとしても、姉さんと一緒にいたいと思ったのは俺も同じだった。
いくら貧しくても、毎日アルバイトで忙しくても構わなかった。俺は……姉さんと一緒にいられれば、それだけで良かったんだ。
それを……まるで姉さんばかりが悪いように言うあの声の主が許せなかった。俺たちをこんな狂ったゲームなんかに参加させたのはあいつだ。
あいつの……あいつのせいで姉さんが、死んだんだ……ッ!
「出て来い! 早く出て来い!! 殺してやる、殺してやるーーっッ!!」
憎悪を超えた殺意が溢れてきて止まらない。喉が切れるほど叫び続ける。だがもう止まってしまったスピーカーからは何の返事も返ってこない。
……この怒りをどこにぶつければいい? 俺は、この感情をどう処理すればいいんだ……ッ。
そんな気が狂いそうな最中、ふいに視界に入った百合ちゃんを見て、俺は彼女の胸ぐらを掴んだ。
「お前の……ッ……お前のせいで、姉さんは! 姉さんはっ!!」
感情を抑えられない。小さな子供の百合ちゃんをぶん殴りたい衝動に駆られる。八つ当たりだとわかってる。姉さんもこんなことを望んではいないことも。
それでも姉さんの最後のあの笑顔が……涙が、脳裏に浮かんで離れない。本当に気が狂いそうだった。
「松永君!? 子供にまで何をしてるの!?」
慌てて駆け寄った桜井が俺を百合ちゃんから引き離そうとする。それがさらに俺を苛立たせた。
「離せっ! こいつが……こいつの身代わりになって、姉さんが!」
「…………悪くないもん」
急に喋りだした百合ちゃんの声に一瞬言葉を失う。その小さな顔に再び目を向けると、大きい二つの目玉が俺を見上げていた。
「私は悪くないもん。……あのお姉さんが勝手に死んだだけだもん」
……走る途中、拳銃を落としてなかったら、俺は今すぐそれを取り出してこのいたいけな子供に向けてぶっ放していただろ。
頭が真っ白に塗られていく。これが、助けられた人間が言える台詞か……ッ!
「お、お、お前……ッッ!?」
言葉が上手くまとまらない。頭が沸騰してもう何がなんだかわからなくなってきた。その間も百合ちゃんは喋り続け、聞きたくもない言葉を吐き出す。
「でもこれでもう助かったよね? ここから出れば家に帰れるし、ひひひひひひひっ!」
さも楽しそうに、最後は天真爛漫に笑うその姿を見て、俺は怒りと同時に心底恐れを感じた。
……人間って、こんなにも醜悪になれるのか。
「それじゃ百合は先に行くね? バイバイ~お兄ちゃん、お姉ちゃん」
唖然として見ていた俺と桜井を残して、百合ちゃんが『出口』の扉を開けて中に入っていく。
「ま、待てっ!!」
慌てて立ち上がり、その後を追って部屋に入る。部屋の中は正方形のホールの形をしていた。そして前を走っていく百合ちゃんの後ろ姿を発見する。
「待て!」
俺がそう叫んで走り出そうとした刹那、急に天井から巨大な鉄柱が落ちてきて百合ちゃんの頭の上に落下した。
そしてそれは百合ちゃんを飲み込んで地面に深々と刺さる。
「…………ッ!?」
床と落ちてきた柱の隙間から赤黒い液体が溢れ出てくる。
……圧死。数十トンはするであろうを鉄の塊の下敷きになって、百合ちゃんは死んだのだ。
「……清瀬百合。可愛い顔立ちで、子役に出てもおかしくない愛らしさを持つ少女ですが、彼女はいわゆる先天的なサイコパスです。公にはなっていませんが、彼女は3年前に両親を自分の手で殺しています。それで親戚筋をたらい回しにされますが、その行く所々で問題を起こし、最後は精神病棟に移されました。まさにこのゲームの舞台に相応しい人選だった彼女が今、惜しくも脱落しました」
まだ小学1年か2年くらいにしか見えない子供が……さらに三年前に、親を殺した?
もう色々なことを経験してしまったが、それでもにわかには信じられない話だった。そしてその血に染まった床を見ながら、俺は気になるヒントの文面を思い出していた。
『救いを求めるオルペウスよ。神の怒りを恐れるならば、這い蹲りその頭を垂れるべし』
……オルペウスは一度は妻エウリディケを取り戻すが、地下世界から地上に帰る途中、約束を違え振り返って後ろを見たせいで、結局は妻を取り戻せなかった悲運の人だったはず。
だったら正解の『出口』も、そこを抜けるには正しい約束事を守る必要がある……か。
「松永君……? いったい何をして……」
俺が急にうつ伏せになって地面を這って移動するのを見て、桜井が怪訝そうな顔をして聞いてくる。
「桜井も俺と同じようにして。……死にたくなかったらな」
最初はそのヒントが何を意味するのかわからなかったが、多分この部屋には赤外線センサーのようなものがあって、一定以上の高さのものが通ると、あの柱が落とされる仕組みになっているんだろ。
そして俺の予想通り、反対側の扉まで這って移動する間、百合ちゃんを圧死させたあの柱が振り落とされることはなかった。
「…………」
扉の前で立ち上がり門を開く。そして入った部屋は、まるで最初の俺たちが目覚めた部屋のように真っ白な、そして何もない部屋だった。
「……すごいね、松永君。どうやってああすれば通れるとわかったの?」
少し遅れて桜井も部屋に入ってきて、そんなことを聞いてきた。
「……別に」
「別に、って」
桜井が困惑した表情を見せるが、実際、俺にはどうでもよかった。
……それこそ、柱が堕ちてきてその下敷きになっても、それでも構わなかった。だから自分の感に任せて行動した。それがたまたま正解だっただけのことだった。
「…………」
周辺を見回すが、何一つ置かれてない白い四面部屋は無機質そのもの。俺たちが入ってきた扉以外何もない空間だった。
どうすればいいか立ち往生していると、突然天井が割れて壁が降りてきた。そしてその壁が俺と桜井の間を遮断する。
「お、おいっ!? 桜井! ……桜井!?」
壁を叩いて彼女を呼んでみるが返事がない。そしてまたスピーカーからの音声が部屋の四面から反響して聞こえてきた。
「おめでとうございます、松永和也さん。あなたは本ゲームを見事クリアしました」
俺はその声のふざけた物言いを遮って言い放った。
「桜井は? 彼女はどうした!?」
「桜井音刃さんも、あなたと同じくゲームをクリアした人間です。だからご安心を」
どの口がそれを言うんだと思ったが、あえて口には出さなかった。……今さらそれを言ったところで、どうにもならない。
「ゲームをクリアした貴方に、出来ることなら特典を贈呈したく思います。何か思いつくことはありますか?」
「特典……?」
確か端末で見たルールの最後にそんなことが書かれていた気がする。俺は唇を噛んで静かに自分の願いを告げた。
「だったら……だったら、姉さんを生き返せろ」
「………………はははははは!」
少しの間をおいてスピーカーの声が耳障りな笑い声を上げる。そして返事を返してきた。
「それは不可能です。我々は別に神でもなんでもございません。そんなことができるわけもない」
潮笑うかのようなその声に苛立ちを覚える。俺は絞り出すように言い出した。
「じゃ……お前を……俺の手で、お前を殺させろ。……殺させてくれ……っ!」
どうしようもない怒りと憎悪に塗られた呪いの言葉が口から飛び出る。それでも彼の声はどこ吹く風の如く平然とした声で答えた。
「それも出来かねます。それはゲームのルール違反になりますから」
「じゃ! 結局何ができるんだ!? 何もできないじゃないかっ!」
これも駄目あれも駄目っていうなら最初から聞くなと、そう聞き返したくなる。
「なんで……なんで、こんなことをするんだ。人が人を殺すように仕向けて……いったいお前は何が楽しい!?」
「それは最初にお答えした通り、何故という質問に意味などありません。そして勘違いしないで頂きたい」
「勘違い、だと?」
俺は思わず聞き返した。あのわざとらしいヒントの配分と施設の仕組み、それに銃器の類まで。……どこからどう見ても紛争を引き起こす為に誂えたものでしかないのに、それが勘違いだと?
「そうです。あの西山教授も言いましたよね……? 彼は悪質で最低の人間だったが、彼が貴方たちに言っていたことはあながち間違ってはいない。全員が生きてゲームをクリアする方法は確かにあった。それをあえて蹴ったのは貴方たちだ。それをこっち側に責任転嫁しては濡れ衣というものです」
詭弁だ。それは単なる可能性の問題で、その全員が生き残る可能性をわざと限りなく落としたのは紛れもなく向こうの仕業だ。
「まあ、何も思いつかないのなら今はそれでいいでしょ。では私はこれで……」
「お、おいっ! 待てッ!!」
急に声が途切れ、俺の声にも反応しなくなる。そして正面の壁が横に開かれ、その先に新たな階段が現れた。
「……ここから行け、ってことか」
階段に足を踏み入れる。そして伸び伸び続く螺旋状の階段をただただ上がり続けた。
体力も気力も底を尽き、少し歩いただけで眩暈がしてくる。そして時間の感覚が曖昧になり始め、道幅が段々狭くなり天井も低くなって歩くのすら窮屈になった頃、階段の先に天井に貼り付けられた鉄の蓋が道を阻めているのを見つけた。
「くっ、うぅぅぅッ……っ!」
足を踏ん張って手と肩でその板を上へと押し上げると、勢い余って体ごと外に飛び出て地面に転がる。
その地面から伝わる柔らかい土の感触に驚く。そして耳を打つヒグラシの音に顔を上げた。
「………………」
木々に囲まれた野外。もう日は傾いて周りは赤色に染まっていた。
鼻を突く土の匂い。久しぶりに浴びる太陽の光に目が痛む。そして辺りを埋め尽くすヒグラシの音、音、音。
「…………ッ……うあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーー!!」
種類のわからない感情のうねりに耐え切れず、俺は喉が裂けるほど奇声を上げた。
喉が痛み、目から涙が溢れ出した。それでも止まらない……そんな俺の叫びだけが、山奥の森に木霊していた。