――Day3 13 : 17(下)
「よおう……元気にしていたかい、諸君?」
ニヤリと笑って俺たちを見回す教授の手には、その言葉とはまったく似つかわしくない散弾銃が一丁握られていた。
「隠れろッ!!」
思考停止しを起こしていた頭がようやく正常に動きだすと同時に、俺は物陰に体を飛ばしながらそう叫んだ。
「おやおや、逃げるのかい? まあ、それでもいいさ……」
心底楽しそうに話す西山教授にますます困惑する。何故今頃になって現れたのか、そして何故彼が銃なんか持っていて、それで……なぜ秋吉さんを撃ったのか。
訳がわからないことの連続に頭がおかしくなりそうだった。
「…………ッ」
物陰から顔を少し出して、倒れた秋吉さんの様子を確認する。完全に動かなくなったその体から、急激に血溜まりが床に広がっていた。
「……秋吉さんは?」
姉さんが俺の腕を掴んでそう尋ねる。俺はゆっくり首を横に振るしかなかった。
「そんな……ッ!」
姉さんの顔が歪む。俺は声を張り上げ教授に話しかけた。
「何で、こんなことをするんですかっ!?」
どうせ隠れている場所など最初からばれている。ただ銃の斜線上から隠れる為に物陰に入ったに過ぎない。
だから会話でも何でもして対策を考える時間が欲しい。
「何でって……そんなのも、決まっているじゃないか。ここから脱出する為だよ」
幸いなことに教授は話しに乗ってきた。俺はさらに声を出してその訳を聞いてみた。
「ここから脱出する為と、秋吉さんを殺したのと、何の関係があるんですっ!?」
「……何を不思議がることがあるんだい? 脱落者を出してヒントを集めて脱出できる『出口』を探る、今まで君たちもそうしてきたじゃないか」
何を当たり前のことを聞くんだって調子で教授が答える。そして自慢げに話を続けた。
「最初にワシが言った通りに動いていれば、誰も死ぬことなく全員でここから出ることも不可能じゃなかった……それを勝手な真似をして、台無しにしてたのは君たちの方じゃないか! ……このゲームはな、一人でも死者が出れば駄目なんだよ。誰かが死ねば、その連鎖はもう止まらなくなる……今のようにな! ああ……そうさ、ワシは何も悪くない。こうなった以上、全てのヒントを集めてここから抜け出す方法を探る……それが最善だ!」
教授が喋ってる間、俺は辺りを見回して必死に抵抗する手段を考えた。そして秋吉さんの遺体の傍に落ちている拳銃と、その横に転がっているスミスさんの遺体を見て閃く。
「……松永君、松永君」
そのとき、ふいに桜井が小声で俺を呼んできた。振り返ると彼女がある一点を指差してくる。
……暗くて見え難いが、奥の方に扉が一つだけあった。多分あそこから奥の方へ逃げようと、桜井はそう言いたいんだろ。
「……桜井、姉さん。よく聞いて」
相変わらず一人熱に入って語っている教授を横目で確認して、俺は静かに二人に計画を説明した。
「合図したら、奥の部屋に逃げて。俺が囮になる」
「そんな、危険すぎるよ……ッ!」
姉さんが真っ先に反対する。それに少し遅れて桜井が俺に聞いてきた。
「何か、考えがあるんだね……?」
「ああ。このまま逃げ続けても、いずれ捕まるか銃で撃たれるかさ。……ここであの人を止めないと」
俺は姉さんの手を掴んで、その顔を真っ直ぐ見つめて言った。
「姉さん、大丈夫だよ。……俺を信じて」
「和也……っ」
姉さんの目から視線を逸らさず見つめ続ける。やがて姉さんは観念したようにため息をついて言った。
「わかったよ……。でも、もし死んだりしたら……絶対許さないから」
そんな姉さんに俺は力強く頷いてみせた。そして物陰から飛び出る準備に入る。
「……ふふ。まあ、安心したまえ。君たちの事もここを出たら研究発表してやるからな。それがせめてもののワシからの供養だ。だから……そろそろ死んでくれたまえっ!」
そう言って教授が威嚇に散弾銃を一発、宙に向けて発砲した。俺も時を同じくして物陰から飛び出た。
「今だ、行けっ!」
そう桜井たちに合図して、俺は教授の視界を通り過ぎて秋吉さんの前に落ちていた拳銃を拾った。
「出たかっ!!」
教授が俺に向けてまた発砲する。でもスミスさんの遺体の傍にある機械の陰に俺が身を隠したのが先だった。
そして機械の鉄の部分がけたたましい音を立てて削れて、その破片が吹き飛ぶ。
「ちっ! 二手に分かれたか……」
俺とは別に、奥の方から扉が閉まる音を聞いて教授が舌打ちする。
……どうやら姉さんたちも無事避難したらしい。
「止めてください! その銃は!? どこから持ってきたんですか!」
拳銃は回収した。だがさっき秋吉さんが全弾撃ちつくしたから、当然撃てる弾は入ってない。だからもう少し時間が必要だった。
俺は何とか時間を稼ごうと教授に問いかけながら、半分物陰の中まで入っているスミスさんの体、その服のポケットの中を調べた。
「はは、これかい……? 隣の施設の3階にある部屋だよ。君は見てないのか、空の楽器ケースを? そこに閉まってあったんだよ」
……あった。小さな皮袋。その中には拳銃の弾がびっしりと入っていた。
おかしいと思っていた。この拳銃は装弾数6発のリボルバー。別にガンマニアじゃなくても、誰でも名前くらいは聞いたことのあるポピュラーな拳銃の一つだ。
でもスミスさんが俺たちを追いかけながら撃った弾数と、さっき秋吉さんが撃った弾数を合わせれば、とうに6発は超えている。だから予備の弾丸を必ず持っていると踏んだのだ。
「まあ、お喋りはここまでだ。そろそろ出てきたまえ……その方が楽になる。なーに心配するな。すぐ君の姉とお友達も一緒にあの世へ送ってやるから、寂しくないぞ?」
喜々として語る教授の話を聞きながら、なんとか拳銃から薬莢を捨て、弾を装填し終える。
教授と俺との距離はおよそ20メートル。下準備は整った。覚悟もできてる。だが……薄暗いこんな場所で、しかも本物の銃を撃った経験もない俺が一発で教授に当てられのか?
…………無理だ。もし彼を一発で制圧できなければ、銃を持っているのがばれて銃撃戦になる。そうなれば散弾銃と拳銃だ、俺の勝ち目は薄いだろ。
「さあ、観念したまえっ!」
もう一発の威嚇射撃が隠れている場所の手前の床を削る。
……俺は、自分の意志とは関係なく勝手につり上がって歪む口を閉じることができなくなっていた。開いた口から乾いた笑いが漏れてくる。
あの西山教授のように自分も狂ってしまったのか? ……わからない。
俺は銃を構えて物陰から上半身を出した。そして正面から教授を、正確には教授の後ろにある、ガソリンが入っているタンクに照準を合わせた。
―ー俺の手にある拳銃を見て、驚愕の表情に変わる教授。そして慌てて散弾銃の銃口を俺に向けようとする。
その瞬間がまるで静止画面のようにゆっくりと流れる。俺はありったけの憎悪を込めて、引き金を引いた。
「……地獄に落ちろッ」
撃ってすぐ物陰に身を隠す。その瞬間、周りの空気を吸い上げる爆発音と共に、遮断物の隙間から凄まじい熱気が吹き出て横を通り抜けていく。同時に腕や頬といった露出された肌にピリッとした痛みが走る。
……そして爆発と熱気が収まると、俺はゆっくり外の様子を確かめた。
「…………」
部屋の入り口辺りは全焼し、ガソリンが入っていた燃料タンクは無残に破け散ってほとんど原型を留めていなかった。
そして焼け残った地面に、同じく焼け落ちた西山教授の死体が転がっていた。
「和也っ!?」
奥の扉が乱暴に開かれて、そこから姉さんが飛び出してきた。
「大丈夫!? さっきの音は? ……怪我はない?」
姉さんが俺の体をあっちこっち触って確かめる。俺はなんとか笑みを作って答えた。
「大丈夫だよ、姉さん。少し火傷したくらいで、なんともないよ。それより……」
俺が教授の遺体に視線を向けると、安堵していた姉さんの顔も複雑なものに変わる。
……そうだ。理由はともあれ、俺は……自分の手で、人をひとり殺したんだ。
「……火傷も酷いけど、この分じゃ爆発の熱を吸い込んで一気にショック死……ってところかな」
姉さんの後から出てきた桜井が教授の遺体を見て淡々と検分を始める。俺はただそんな彼女の後姿を見て、また部屋一帯を見回した。
体から熱が冷めてくる分、襲ってくる震えも増していく。3人ものの遺体が転がり、血溜りを作って、爆発で半壊した部屋の様子は……まるでこの世の出来事とは思えない地獄絵図に見えた。
「続けて多くの脱落者が発生しました」
そして例の如くスピーカーからの音声がまた聞こえてくる。俺たちはただ黙ってそれを聞き入れるしかなかった。
「ブライアン・スミス。彼は自分を横須賀米軍基地に所属する在日米軍と名乗っていましたが、それは真っ赤な嘘です」
……!? その新しく明かされた事実に、俺は彼の遺体に改めて視線を向けた。
「確かに彼の国籍は米国ですが、決して軍人ではありません。彼は祖国でも犯罪経歴を持ち、なお日本でも多数の暴行とレイプ事件を起こした凶悪な犯罪者です」
……犯罪者が他の人を差して犯罪者だと罵るのも滑稽な話だ。……いや、人を殺したという意味では、俺もその仲間入りか。
「秋吉真由。高校の頃から援交で中年の男たちから金をせびり、大学に入ってはヤリサーに入って乱交と薬物にまで手を出した売女、それが彼女の正体です。あげくに集団イジメを主導したり、痴漢冤罪をでっち上げてそれをネタに金をむしったりと。やりたい放題。もはや人間として最小限の道徳観念すら失った獣です」
できることなら、もうあの声を聞きたくない。でも耳を塞いだ程度で聞こえないものでもない。
俺は耳障りなその声を何とか聞き流しながら、スミスさんの遺体から或る物を探した。
「西山広人。彼は他人が書いた論文をさも自分のものとして学会に発表したり、学生たちに代筆させたりと、学問の徒としてあるまじき行為を繰り返してきました。最近では自分で草案を考えた論文が一つないくらい怠けたくせに、名誉欲だけが非常に肥大化した腐った人間でした」
俺はスミスさんの後ろポケットに入っていた彼の端末を探し出して立ち上がった。
丁度スピーカーの音声も途切れて、姉さんが俺の傍に寄ってくる。
「どうしたの、和也?」
スミスさんの端末を操作してみる。でも、画面には何も映らなかった。
「……この人が堀江さんを殺して得たヒント、それはこの端末にしか転送されてないだろ? だからそれを確認しようとしたんだけど……駄目みたいね」
端末は起動すらしない様子だった。
考えられるのは二つ。何かのはずみで端末が壊れたか、またはゲームの参加者が死んで脱落したら自動的にその端末が使えなくなるのか……俺には圧倒的に後者の可能性の方が高いように思えた。
「秋吉さんと西山教授の方も駄目みたいね」
向こうで調べていた桜井がそう言ってくる。俺は自分の端末を取り出した。
「……そういえば」
俺は自分の手で教授を殺した……正当防衛に近いが、殺しは殺し。それなら俺にも新しいヒントが入ってくるはず。
そして案の定、端末には新しいメッセージが一件入っていた。俺は端末を操作し、それを開けようとした。
「松永君、ちょっと待って」
「……? どうしたんだ、桜井?」
急に呼ばれて俺はいったん手を止めて桜井を見た。すると桜井は咄嗟に困惑した顔をして言葉を濁す。
「あ、いや……別に」
「……そうか?」
また急に黙りこくった桜井を見て、俺は首を傾げる他なかった。
まあ色々あって、さすがの桜井も頭の整理が追いつかないんだろ。改めて端末を操作してヒントを開く。
そこには今までとは違う、俺の予想とはかけ離れた文面が書かれていた。
『積み重ねた罪によって、崩壊は始まる』
あまりにも不吉なその文章に背筋が凍る。そして……その悩む暇さえも俺たちには残されていなかった。
「……えっ?」
急に地面が、施設全体が激しく揺れ始める。地震かと思いきや、いきなり足元の床に大きい亀裂が走った。
「な、何だ!?」
驚いて横に飛び退くと、その瞬間床が真っ二つに割れて隆起と沈降を始めた。
傾く床の上で倒れないよう何とか持ちこたえる。ふらつく百合ちゃんを抱きしめて姉さんが叫ぶ。
「何!? いったい何がどうなってるの!?」
躍動する地面の一部が急に下に埋もれ、巨大な穴を作り上げる。そしてその奈落は徐々に周りのもの全てを飲み込み始めた。
……崩壊。文字通り、施設全体が崩れ落ちていく。
「とにかく逃げよ!! ここにいたら俺たちも飲み込まれるッ!」
まるでシンクホールのように飛躍的に広がる底なし穴を見て、やっと我に返って俺はそう叫んだ。
「奥の方に! 早く!」
いち早く動き出した桜井が例の扉の前で手招きしてくる。それで俺たちも慌てて走り出した。
床同様、天井の機材が土砂と共に地面に落ちてくる。未だ揺れ動く床を蹴って何とか扉をくぐる。
「走れっ! 少しでも遠く離れるんだ……ッ!」
扉の先の古い倉庫を横切って走る。地面の揺れとひび割れで何度も転げそうになって、その場所にまた穴が開いてシンクホールを作る。それを何とか掻い潜って前へ進む。
その刹那、ふと隣を走っていたはずの姉さんが視界から消えていることに気がづく。俺は振り返って姉さんを探した。
「姉さん!?」
少し後ろの方で、姉さんは立ち止まって辺りを見回していた。
「姉さん、どうしたの!? 早く行かないと!」
刻々と迫ってくる崩壊。だが俺の催促にも姉さんは一向に足を動かそうとしなかった。
「百合ちゃんが見当たらないの! ねえ、百合ちゃん見なかった!?」
「え?」
慌てて辺りを見回すが、薄暗い照明と堕ちてくる土砂で視界があまりにも悪い。実際5メートル先もまともに見えない状況だった。
「あそこ!」
先頭に立っていた桜井が倉庫の隅で木材の下敷きになって倒れている百合ちゃんを指差しで知らせる。
「百合ちゃん!」
「姉さん!?」
咄嗟に止める間もなく、姉さんが百合ちゃんの方に飛び出した。そして木材を退かして百合ちゃんを助け起こす。
「百合ちゃん、大丈夫!?」
姉さんの呼び声に百合ちゃんも頷き立ち上がる。その時、姉さんの足元に大きな亀裂が走るのが俺の目に入ってきた。
「姉さん、下!! 危ないっ!」
「……え?」
亀裂が割れて周りのもの全てを飲み込む。反応が遅れる姉さん。俺は足を蹴って姉さんの元に走った。
「姉さーーんっ!?」
姉さんが百合ちゃんを飛ばすのと、陥没する床に姉さんが飲み込まれるのはほぼ一緒だった。俺はその穴の縁に体ごと突っ込んで手を伸ばした。
「……姉さんっ……ッ!」
「か、和也……?」
……何とか、本当に何とか、俺は姉さんの手を掴むことに成功した。
腕一本にぶら下がって揺れる姉さんの足元には、底の知れない真っ暗な暗闇が広がっていた。
「は、早く……反対の手を……っ」
「う、うん……」
両手で掴むよう俺が催促すると、姉さんも空いた手を伸ばしてくる。
そのとき、俺の胸元の床が穴の中に飲み込まれて、俺の上半身も穴の中に突っ込んだような形になる。
「くううう……ッ!」
体重の中心を維持するのがままならない。穴の外に出ている腰と足が震えてきた。
でもここで気張らなくては俺も姉さんも一緒に奈落の底だ。何としても耐えるんだ……っ!
「姉さん……ッ……何をしてるっ、早く!!」
手が止まってしまった姉さんを再度催促する。でも姉さんは下の方をじっと見ているだけで、答えを返してはくれなかった。
「……姉さん?」
やがて姉さんが顔を上げて俺の顔を見て微笑んだ。そして、手を伸ばして俺の頬を撫でる。
「……姉……さん……?」
心にどうしようもない不安と言い知れないざわめきが過っていく。姉さんの左目から涙が一粒、流れ落ちた。
「……ごめんね? 和也」
そして姉さんは自分で俺の手を離して……穴の中に飲み込まれていった。
「ねぇ……さん……ッ?」
もう見えなくなった姉さんを探して、穴の中の暗闇を呆然と見つめる。
頭が……上手く回らない。俺は……今、何をしていたっけ?
「松永君ッ!!」
後ろから俺の体を引っ張る力によって穴から引き出される。
そしてさっきまで俺がいた場所も穴の中に飲み込まれ、跡形もなく消えていく。
「死にたいの!? 自分で穴の中に入ろうとするなんて、正気!?」
……俺はどうやら、自分の足で穴に飛び込もうとしていたらしい。
「姉さんが……姉さんが見えないんだ。探さないと……」
そうだ……俺が、俺が姉さんを助けないと。この世にたった一人の家族なんだ。俺が姉さんを守るんだ……っ。
「松永君……すみれさんは、もう……」
言い辛そうに唇を噛んで目を逸らす桜井を見て、俺は彼女に言った。
「どこかロープとかないか? 穴の中が結構深いようなんだ」
地面がまた揺れる。堕ちてくる土砂を振り払って辺りを見回していると、桜井が感情を抑えた無機質な声で話しかけてきた。
「……下に降りて、どうするの?」
「当然、姉さんを助けるんだよ」
なんで当たり前のことを聞くのか不思議に思って答えると、いきなり桜井が俺の頬を叩いた。そして初めて聞く感情的な声で俺に言い放つ。
「すみれさんはもう死んだんだよ! 目を覚ましてッ! それとも、すみれさんが折角君を生かしてくれたのに、ここで死ぬつもりなの!?」
「姉さんが…………死んだ?」
頭の全てがそれを、その言葉の意味を否定し続ける。それを認めてしまうと何もかもが壊れてしまいそうで、怖くて怖くて仕方がなかった。
「とにかく走って! 今は何も考えないで、前だけ見て走って!」
桜井の手に引っ張られ俺は走った。走る途中、何を……何を考えていたか思い出せない。
ただ施設が崩れ落ちる崩壊の光景とその音を、俺はどこか遠くから眺めているような感覚で見ていた。