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インサイド・リポート・ゲーム  作者: 冬野未明
13/18

――Day3 05 : 33 

 スミスさんたちが部屋を出てから一時間くらいが経った。百合ちゃんも泣き止んで、俺たちは相変わらず話し合うこともないまま、沈黙の中で時間を浪費していた。

 だがそれも仕方のないこと……あまりにも色々なことが次々に起こったせいで、それを受け止めるのに必死で、これからのことを考える余裕などなかったからだ。


 何故スミスさんは俺たちを殺さないまま閉じ込めておくのか。

 そもそも、あの拳銃はどこで手に入れたのか。これから俺たちはどうなるのか。頭の中で色んなものが飛び交っていく。

 今はそんなことを考えてもどうしようもないと理解しながらも、どうしてもそんなことばかり考えている自分がいた。


「姉さん……そろそろ離してくれない?」


 隣で俺にくっついている姉さんに小声で話しかける。

 スミスさんたちが出て行ってからずっと、姉さんは俺の腕を掴んでは離さなかった。さすがにちょっと気になってきて、掴んでいる姉さんの手をやんわりと剥がす。


「……姉さん?」


 怒った顔で俺を見てくる姉さんに戸惑っていると、姉さんが厳かな口調で話してきた。


「あんな無茶は、もう絶対しないで」


 一瞬何のことか考えてしまう。

 ……スミスさんに飛び掛って捻じ伏せられて、銃口を突きつけられたことを言っているんだろうか。


「でも、それは」


 あれは確かに無茶だったが、今でも間違った選択をしだとは思えない。あのまま彼が姉さんの体を弄ぶのを、ただ黙って見ているのは耐えられることではなかった。


「駄目よ、そんなの」


 俺の言葉を遮って姉さんが言う。俺は頭を掻きながら、それでも抗議を続ける。


「でもあの時は……」

「ダメっ」


 だが姉さんは有無を言わせない口調で、俺の弁解を強引に打ち切る。


「……わかったよ。心配させてごめん、姉さん」


 そんな俺の言葉を聞いて少しは満足したのか、姉さんが俺の頭を撫でてきた。背は俺の方が高くなったのに、無理して俺の頭を撫でる姉さんの姿がおかしくて思わず苦笑が漏れる。

 そして部屋の隅で壁を背に立っていた羽野さんが話しに混ざってきた。


「けっ。こんな状況だってのに、お暑いこったぜ……」


 羽野さんの嫌味に気恥ずかしくなって、俺と姉さんはお互い一歩くらい離れて立った。


「ったくよぉ、これだから最近の若いやつらは……」


 そんな俺たちを見てぶつぶつ言いながら、羽野さんはポケットから煙草を取り出して口に咥える。そして彼が煙草に火を付けようとすると、桜井がそれを止めさせた。


「やめてください。狭い部屋で煙草なんて、煙はどうするんですか?」

「……ったく。世知辛い世の中だぜ、まったくよ」


 厳しい桜井の口調に、羽野さんは文句を言いながらも口に咥えていた煙草を煙草ケースに戻した。


「まあ、いいか……丁度いい頃合いだしな」

「……何が、丁度いいんですか?」


 意味ありげに笑う羽野さんに俺が聞き返すと、彼は自分の端末を見ながら変なことを俺に聞いてきた。


「あいつらが出てから……一時間くらいは経ったな、今?」

「……? まあ、そうですけど」


 俺が答えると、羽野さんがおもむろに自分の上着のポケットに手を突っ込んでは何かを取り出してきた。


「じゃ、そろそろこっから出るとしようや」


 羽野さんの手の中にあるもの。それは複雑な形をした一つの鍵だった。


「それは……何なんです?」

「この施設のマスターキーのようだぜ? まあ、この地下にいる部屋はまだ試してないから、開くかどうかわからないけどな」


 そう言って羽野さんが扉の方に近づく。その急な彼の話に、俺は戸惑いながらも質問を重ねた。


「……いつから、そんなものを?」

「最初に職員棟の方を一人で調べたときに見つけたのさ……」


 羽野さんがさも何でもないことのように、さらっとそう言ってのける。

 ……そういえば初日に下の階を最初に調べたのはスミスさんで、上の階を最初に調べたのは羽野さんだった。……じゃ、あれはその時に見つけたのか!


「それを今までずっと黙って隠していたんですか?」

「まあな」 


 責めるような桜井の言葉にも、羽野さんは臆面もせずそう言い返す。


「じゃ、最初の日の夜に二階堂さんたちがいる部屋に忍び込んだのも、それで?」

「そうだぜ? ……悪いかよ?」


 二人のやり取りを見て、初日の夜中にカメラを持った羽野さんが優奈さんたちの部屋から廊下に叩き出されたことを思い出す。

 あの時は何がなんだかよく知らなかったけど、あれはそういう事情があったのか。


「最低ですね」

「けッ、何とでも言え」


 桜井の非難にも、羽野さんは肩を竦めるだけで答えて扉の鍵穴に鍵を入れた。そして鍵を回すと、すんなりと扉のロックが外れる音がした。


「……すごい」


 思わず感嘆の声が漏れる。そして羽野さんが俺たちの方に振り返って言ってきた。


「問題はここからだぜ、兄ちゃん? ただここから出て闇雲に動き回っても仕方がねえ。ばったり奴らと出会ってしまったら、それだけでアウトだ。どう動くかくらい、決めておかないとな」


 確かに、せめてこの部屋を出て最初にどこへ向かうかくらい考えて動かないと話にならない。俺は少し考えて皆に自分の意見を述べた。


「……新しく開いた扉、その先の方に行きましょ。ここから脱出する為にも、何があるのか確かめないと」


 色々と口惜しが、今はまずスミスさんたちを避けて新たな手掛かりを探る方が先だと思えた。それは他の人たちも同じ考えのようで、皆がそれぞれ頷いてくる。


「……決まりだな。そうと決まれば、こんな場所に長居は無用だ。さっさと出ようぜ?」


 羽野さんが先陣を切って、そっと扉を頭一つ分だけ開ける。そして廊下に誰もいないことを確認すると、振り返って俺たちに言ってきた。


「やっぱりこっちには誰もいないみたいだ。今のうちにずらかろうや」


 羽野さんの合図と共に皆が部屋を出て行く中、俺は一度後ろに振り返った。すると、相変わらず目を開いたまま横たわっている痛々しい姿の堀江さんの遺体が視界に入ってくる。


「…………」


 堀江さんの遺体に近づいてそっと目を閉ざしてやる。……ただの自己満足、気慰めでしかないと思いながら、俺は上着を脱いで彼女の体に被せた。

 そのとき、縛られた彼女の手……拳の隙間から光るものを見つける。


「……これは」


 そっとそれを手に取る。いつか見た堀江さんのピッキングツール。

 その針のように尖った先端を見て、彼女がそれを武器に最後まで必死に抵抗しようとしたことが伺えた。


「和也、どうしたの?」


 部屋の外から姉さんが俺を呼んでくる。俺は最後に堀江さんの遺体に視線を送って哀悼の意を捧げた。


「すみません。……これ、借りて行きます」


 スミスさんが持っている拳銃に比べると、あまりにも頼りない武器ともいえない代物。俺はそれをポケットにしまって部屋の外に出た。


「どうしたの、松永君?」


 外に出ると、桜井が怪訝そうな顔をして俺に聞いてくる。俺は頭を掻いて言葉を濁した。


「いや、ちょっとね」

「ぐずぐずしている暇はないぞ? 早く移動しようぜ」


 羽野さんの催促する声で、俺たちはできるだけ足音を立てないようにして歩き出した。

 その長い通路を進む中、俺は一つ気になったことを羽野さんに聞いてみた。


「羽野さんが持ってるその鍵、あの鉄門には合わなかったんですか?」

「……ああ。あの辛口の嬢ちゃんとお前さんが二人でここに来たときに俺と会っただろ? 実はそんときに試してみたんだが、あれは駄目だったな」


 羽野さんが後ろからついてくる桜井を横目で見てそう言った。


「そうですか」


 会話はそれきりで再び沈黙が訪れる。そして例の鉄の扉の前に到着して、俺たちはいったん立ち止まった。

 ……その半開きになっている扉の隙間から冷たい風が吹き出していた。その先に広がる薄暗闇の中で、辛うじて見える無骨で年季の入った下に続く階段。……奈落へ通じるアギトとは、よく言ったものだ。


「行こう」


 俺は乾く喉に唾を飲み込んで、その先へと足を踏み入れた……いや、入れようとした――後ろから聞こえた銃声が鳴り響く前までは。


 広間に反響する大きい轟音に体が硬直する。恐る恐る後ろに振り返ると、俺たちに銃口を向けたスミスさんが秋吉さんを連れて立っていた。


「その場から一歩も動くな。下手な真似をしたら、二度と歩けないようになるぞ」


 油断なく銃口を突きつけてくるスミスさん。俺たちはその言葉に従うしかなかった。


「……そうだ、そのままじっとしていろ」


 ニヤリと笑って、スミスさんが徐々にこっちに近づいてきた。そして俺たちと5メータくらいの距離で立ち止まる。


「まずは質問だ。どうやってあの部屋から出てきた?」


 彼の問いにどう答えるべきか、俺たちの間で互いの視線が飛び交う。その沈黙にもどかしさを感じたのか、スミスさんが苛立った声で言い放った。


「どうやら一人くらい死んでから返事を聞くしかなさそうだな……っ!」


 銃の引き金に掛かっている彼の指が徐々に締まる。そんな緊張の中、羽野さんが一歩前に出て口を開けた。


「鍵だ! ……マスターキーがあってよ、それで出てきた」


 そう言いながら、羽野さんがゆっくり懐に手を入れて例のマスターキーを取り出した。


「ほう……やはり貴様も何か持っていたか」


 口の端を吊り上げて、スミスさんが首を動かして秋吉さんに合図する。すると秋吉さんが羽野さんの方に近づいてきた。


「そいつに鍵を渡せ」


 言われた通り羽野さんが鍵を渡すと、それを受け取った秋吉さんはそのまま後ろ歩きでスミスさんの後方に下がる。


「そういうあんたも、その銃はここで見つけた掘り出しもんか?」


 羽野さんが肩を竦めてそう聞くと、スミスさんが頷いて答えた。


「ああ、この階を調べたときにあったものだ。ふっ、貴様と同じようにな」


 ……二人のやり取りでやっと理解が及ぶ。拳銃にしろマスターキーにしろ、言ってしまえばそれらは究極のところ紛乱を引き起こすような代物だ。……そこで二つ目のヒントが生きてくる。


『生とは、さらなる罪の積み重ねであるならば。それを恐れぬ者よ、手を伸ばしてそれを手中に収めるべし』


 つまり手中に収めるべきは、拳銃やマスターキーといった代物。それで他人を出し抜いて騙したり殺してしまうような罪を犯そうと、それでも構わないと思う者はそれらを探し出して手に入れろ……そういう意味だったと、今になって理解する。


「では次の質問だ。あの眼鏡のデブ、どこにいるか知ってるか?」

「……西山教授のことですか?」

「ああ、確かそんな名前だったな」


 俺が聞き返すとスミスさんが頷く。そして羽野さんが首を傾げて答えた。


「あの野郎なら、息子の遺体を置いた病室にあるんじゃねぇか?」

「いや、その部屋に男の死体はあったが、あのデブはいなかった」


 俺たちは顔を見合わせるが、当然教授の行方を知っている人はいなかった。そんな俺たちの様子を見て、スミスさんが銃口を外して言ってきた。


「まあいい……お前たちには別のことで役立ってもらう。ついて来い」


 スミスさんが拳銃を見せびらかしながら俺たちに歩くよう催促する。そして俺たちに選択の余地はなかった。

 彼に誘導されるがまま、地下の階段からまた見慣れた1階に出る。歩く途中、先頭に立って歩くスミスさんに羽野さんが聞いてきた。


「なあ……俺らに何をさせようってんだ? 説明くらい、してくれてもいいだろ?」


 そんな羽野さんの問いに、スミスさんは歩を止めないまま答えた。


「すぐわかる。黙って歩け」


 そして俺たちが着いたのは、1階の最後に残った『出口』の前だった。

 そこで足を止めたスミスさんが俺たちの顔を値踏みするように見回すと、羽野さんに向けて言ってきた。


「お前、この中に入れ」

「……はあ? 何でだい!?」


 その突然の宣告に羽野さんが素っ頓狂な声を上げる。それに比べ、スミスさんはあくまでも冷淡に答えを返した。


「別に貴様らに選択権はない。言ったろ、別のことで役に立ってもらうと」


 そう言ってまた銃口を突きつけるスミスさんに、さすがの羽野さんも固まって口を閉ざしてしまう。


「別に悪い話じゃないだろ? もしここが当たりなら、お前はそのまま脱出すればいい。少なくとも、今ここで脳みそぶちまけて死ぬよりはマシだろ?」


 ……いや。聞こえはいいが、結局それは俺たちを生贄にしてハズレの『出口』を潰していくってことだ。彼のその卑劣な物言いに、気づけば奥歯を食いしばっている自分がいた。

 

 でも、どうすればいい……? 何もいい方法が思いつかない。だからって、このまま見ているわけにもいかない。

 そして俺が悩んでいる間も事態は進行していく。沈黙を破って羽野さんがゆっくりと頷いた。


「まあ、いいぜ……? お前ぇさんの言う通り、少なくとも生きて出られる可能性はあるわけだしな……」

「羽野さんっ!?」


 思わず彼の名を叫ぶと、スミスさんがせせら笑いながら俺に銃口を向けてきた。


「おっと、お前は黙っていてもらおうか」


 今すぐにでも食って掛かりたいという衝動を何とか抑える。

 今ただ闇雲に行動しても、どうすることもできない。俺はスミスさんの動きを目で追いながら隙がないか伺った。


「最後に軍人の兄ちゃんよ。一つだけ聞きたいことがあるんだが、いいか?」

「……なんだ?」

「なんで、よりにもよって俺が一番バッターなんだ?」


 羽野さんの質問にスミスさんが声を出して笑う。そして凄んだ目をして羽野さん……というより、その後ろにいる俺たちを見て話した。


「そこの女たちは、俺が楽しんでから『出口』に突っ込んでも遅くない。それに、あのガキは何かと使えそうだ。生かしてさえおけば、あいつの姉ってヤツは言うことを素直に聞いてくれそうだしな」 


 欲望にまみれた下劣な笑みを浮かべて、平然とそんなことを言ってのけるスミスさんに頭が沸騰する。自分でも息が荒くなるのを自覚した。

 

 ……あれで軍人とか、冗談じゃない! いや軍人以前に、人間としてあれは許せない……ッ! 

 怒りに染まった頭が弾けそうなくらい軋む。


「そうかい……やはり、テメエぇは相当クズだなーっ!?」


 引きずった笑みを浮かべて『出口』の方に歩き出したかと思った羽野さんが、突然その進路を変えてスミスさんに突撃した。


「くっ、貴様っ……!」


 でも羽野さんの渾身の突撃もその体格差のせいか、スミスさんに少しただらを踏ませただけで、すぐ反撃の態勢を取り始める。


「うあああーーーっッ!!」


 そこに、俺は一か八かの心境でスミスさんに体ごとタックルを仕掛けた。それでやっとスミスさんが地面に尻を着く。


「くっ……貴様ら……ッ!」


 だがスミスさんは相変わらず手から銃を落とさないまま、すぐ俺たちを睨んできた。それを見て一瞬どうするべきか迷ってしまう。


「何をしてるっ、早く逃げろ!!」


 そこに聞こえてきた羽野さんの声。最初に反応したのは桜井だった。彼女が真っ先に身を翻して走り出した。


「姉さんっ!」

「うん!」


 姉さんが百合ちゃんを抱え上げる。そして俺たちもスミスさんから背を向けて走り出した。


「待てーっ!! 貴様ら、タダじゃおかないぞ!」


 怒り狂った叫び声を上げて俺たちを追ってくるスミスさんの足跡がすぐ後ろで聞こえてきた。


「止まれって言うのが聞こえないのかっ、ファッキングジャップ!」


 その叫びのすぐ後、数発の銃声が廊下に響いた。すぐ後ろから発せられた轟音に耳鳴りがする。そして下に続く階段の手前で、最後尾でついて来ていた羽野さんが突然倒れた。


「どうしたんですか!?」


 振り返って羽野さんに駆け寄ると、彼はすぐ立ち上がって言ってきた。


「大丈夫だ……ッ。ちょっと転んだだけさ……だから走れっ!!」

「は、はい!」


 迫ってくる足音の恐怖に、俺たちはまた無我夢中になって走り出した。

 階段下りると、先に到着した桜井と姉さんが俺たちを待っていた。


「どうするの、松永君!?」

「……あの扉から出よ!」


 議論している時間はなかった。俺たちは最初に考えていた通り、地下の鉄門を潜って更に下へと降りていった。

 階段を駆け下りていくにつれ、地下の階で感じでいた饐えた匂いも段々と濃くなっていく。


「何だ、ここは……何かの倉庫か?」


 階段を下り切ると、上より更に暗く湿気に満ちた空間に出た。

 何かの倉庫のようその場所には、わずかだけど機械が作動するときに出るモータの回転する音が聞こえていた。


「見て、あそこ! また『出口』があるよ!」


 百合ちゃんを地面に下ろして周りを見回していた姉さんが、倉庫の中にある『出口』と書かれた扉を見つけて教えてくれた。


「……でも、今はもっとここから離れないと」


 まだ上からは足音が忙しなく聞こえていた。ここに下りてくるのも時間の問題だろ。俺は通路側の奥にある、錆びた鉄扉に手をかけてそれを開いた。


「何だッ……ここは」


 そしてその扉の先には巨大な空洞が広がっていた。建物3階以上の高さがある天井。そこから紐で吊るされた照明が映すその空間は、まさに地下トンネルか防空壕のような場所だった。

 長い通路は反対側の突き当りが見えないほど続いている。そしてどこかに地下水路があるのか、水が流れる音がわずかだが聞こえていた。


「……ここから出よ、早く!」


 その光景に一瞬圧倒されていた俺たちは、我に返って地下トンネルを渡り始めた。


「百合ちゃん、もう少し頑張ってね……ッ!」


 桜井が先頭に立ち、姉さんが百合ちゃんの手を取って走る。その後ろを俺と羽野さんが続く。ある程度トンネルを渡ったところで、入り口当たりから怒声が響いて聞こえてきた。


「貴様らーーっ!! そこにいるのはわかっている! 逃げられると思うなよーー!?」


 反響する音からして距離はかなり離れていると思われたが、だからって安心はできない。俺たちは足を速めて移動を続けた。


「和也、あそこ!」


 感覚としてトンネルを半分くらい渡ってきたときだった。よく見ないと周りの壁と見分けがつかない古い扉が一つあるのを姉さんが見つけた。


「…………」


 一瞬皆の足が止まる。腐食して色褪せたその扉には、最近まで使われた痕跡は見当たらなかった。近づいて扉のノブを掴むと、錆び付いていたノブが折れて砕ける。

 何とか扉を少しだけ開けてみると、その隙間から更に下へ続く階段が現れる。


「……ここも後回しだ。まずはこのトンネルを渡り切ろう」


 照明すらない真っ暗な階段と、その下から聞こえる薄気味悪い機械の音。その何とも言えない不気味さに、皆が黙ってその場を離れる。

 そしてまた走り出してしばらく、俺たちはやっと終着点に辿り着く。


「……開けるよ?」


 長いトンネルの突き当たりにある鉄の扉。断りを入れて桜井が門を開く。その先はさっき見た地下倉庫と似た作りの場所だった。


「おい、そこの荷物だ。奴らが入ってこないようバリケードを作るんだ……ッ!」


 最後に入って扉を閉めた羽野さんが、扉にロックを掛けて俺たちにそう言ってきた。


「……そうですね。向こうはマスターキーも持ってますから」


 この扉が例の鍵で開け閉めできるのか定かではないが、どっちにしろロックを掛けたくらいで安心はできない。

 俺たちは急いで倉庫内にあるダンボールや、積まれている木材などを運んできて扉を塞いだ。こんなものただの気休め程度にしかならないが、時間稼ぎくらいにはなるだろ。

 そしてやっと一息つけるところで、突然羽野さんがその場に倒れた。


「ぐうぅぅッッ……くっ……ッ」


 くぐもった声で苦しみだして、羽野さんが自分の腹を押さえてうずくまる。そして腹を押さえる彼の手が黒ずんだ赤に染まっていく。


「羽野さんっ!?」


 俺は羽野さんに駆け寄った。彼の手の隙間から溢れるそれは、血……だった。


「はは……ドジ、踏んじまったぜ……ッ」


 力なく笑う羽野さん。俺は向こう側の施設の階段辺りで羽野さんが一度倒れだのを思い出した。


「やっぱり、あのときに……!?」


 何でそのときに気がつかなかったのか。……自責の念が膨れ上がる。羽野さんはわざと打たれたのを隠してきたんだろ。そう思うと一気に目尻が熱くなった。


「傷を見せてくださいっ」


 姉さんも駆け寄って羽野さんの腹部を押さえている手を退かそうとするが、彼はそんな姉さんの手を払いのけた。


「よせやい……っ。これは……駄目だ、助からなね……多分」


 そう言って羽野さんは腹部から手を離して、自分の右胸辺りの服を掴む。そしていつの間にかそこからも血が滲み出ていた。


「まさか、肺にも……ッ!」


 姉さんの顔が歪む。それで羽野さんがゆっくり頷いて言ってきた。


「ああ……当たりどころは悪かったらしい……まったく、ついてねぇぜ……っ」


 腹部と肺。二発も銃弾に撃たれてなお、ここまで走ってきて……俺の中で取り留めのない怒りと、ぶつける当てのない憎しみばかりが募っていく。


「姉さん、羽野さんは……助からないの?」


 聞きたくないそのことを絞り出すように口にする。姉さんは唇を噛んで、顔を落としたまま静かに現実を告げた。


「出血が多いよ……それに、肺が損傷してはもう長くは……」


 もうあれこれ動き回ってここまで来るのに結構時間が経っている。それを考えると、今まさに羽野さんの命が消えようとするんだと……そう実感した。

 その時、その場にいる全員の端末が音を出して鳴り響く。端末を見ると、新たなメッセージが一件到着していた。


『本日の新たな暴露対象者が選ばれました。そして貴方はその対象から外れました』


 それを見て、もう午前6時が過ぎたことに気がづく。

 またも暴露対象者が決まって俺はそこから外れたが、昨日と今日とではそれに対する感想が全く違っていた。

 ……たった1日の間に、あまりにも多くのものが変わってしまっていた。


「は、ははは…………。おいおい……これは何の、冗談だ……ッ?」


 急に力なく笑い出した羽野さんに視線を戻すと、彼はおもむろに手を伸ばして俺の肩を掴んだ。


「おい、兄ちゃん……今日の生贄は、どうやら俺らしいぜ……?」


 もうだいぶ血の気が引いている彼の顔をもう見ていられなくて、俺は顔を落として歯を食いしばった。


「もう、そんなこと……どうでもいいじゃないですかっ」


 今死にゆく彼に、あまりの仕打ち……どうせ死んだら秘密は公開される手はずではあるが、それでもこれはあんまりだった。


「まあ、そう言うな……それよりもだ。俺が今、死んだら……俺は、あのヤンキー野郎に殺されたことになるよな……? それじゃぁヒントも、あいつの独り占めになるって、わけだ……」

「それ、は……ッ」


 何て答えればいいかわからなくて口を噤む。

 羽野さんはそんな俺を見てせせら笑うと激しく咳き込んだ。そして血まみれになった手で自分の端末を操作し始めた。


「そんなことは、悔しくて堪らねぇからな……」


 そしてすぐ俺たちの端末にまたアラームの音が鳴る。端末を取り出して確認する。

 ……そこには『羽野輝明の秘密が公開されました』というメッセージと共に、『秘密』のフォルダに新たなファイルがアップされていた。そして『ヒント』のフォルダにも新しい文章が入ってくる。


「へへっ……これで、少しは腹の虫が収まるってもんよ……」


 そう言ってクスクス笑う羽野さんは、さっきと比べて目に見えて衰弱していた。


「おい兄ちゃん……ちょっと、座らせてくれねぇか?」


 羽野さんがノロノロした動きで上半身を起こそうとするのを慌てて手伝う。すると彼は、懐からおもむろに煙草のケースとライターを取り出した。

 そして煙草を一本口に咥えてから、突然気づいたように桜井の方を見て言った。


「よぉ……嬢ちゃん。今回は、勘弁してくれよなぁ……」


 そう言って一笑いして煙草に火をつける羽野さん。

 桜井は何か言いたげな顔で口を開いたが、結局声を出すことなく最後は口を閉ざした。


「ふうぅぅぅぅぅ…………」


 羽野さんが吐き出した煙草の煙が空気中に溶けては薄まっていく。


「……ついてネエナ、俺ってばよぉ…………」


 その言葉が最後だった。羽野さんは糸の切れた人形のように煙草を持っていた手を地面に落とした。

 飛び散った煙草の吸殻が床に飛び散る。そして二度と、彼の手が動くことはなかった。

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