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インサイド・リポート・ゲーム  作者: 冬野未明
12/18

――Day3 04 : 09

 何もやる気にはなれず、食堂の片隅の椅子にもたれて……あれから幾許かの時間が経過した。

 隣の席で姉さんが俺を心配して声を掛けてくる。


「和也……少しは落ち着いた?」

 その声で、先程の自分の取り乱しようを思い出す。

 なぜあんな奇声を上げたか、今でもよくわからない。でもさっきと比べて少しは頭が落ち着いてきたように思えた。


「うん。もう大丈夫だよ、姉さん。……ごめん。心配、掛けたね」


 自分でも驚くくらい弱々しい声が口から出てきて、慌てて喉を整える。テーブルを挟んで反対側に座っていた羽野さんが嫌味を言ってきた。


「まったくだぜ、これだからガキは……。あんくらいで取り乱してよぉ」

「羽野さん、それは言いすぎじゃないですか?」


 少しむっとした顔の姉さんが羽野さんに抗議するが、俺は姉さんの手を掴んで首を横に振った。そして羽野さんに軽く頭を下げた。


「すみません……でも、もう平気ですから」


 俺の謝罪に羽野さんは肩を竦めて鼻息を出したが、それ以上は特に言ってこなかった。

 またも沈黙が訪れるかと思った刹那、桜井が俺に話しかけてくる。


「松永君。送られた新しいヒント、確認した?」

「……いや、まだ見てない」


 正直、今の今までそれには全然考えが回らなかった。そう思うと、やはり自分が精神的に程々まいっているということを否が応でも認識させられる。


「確認してみて、早く」


 彼女の急くような口ぶりに、俺は渋々端末を取り出して画面を開いた。

 更新された『秘密』のフォルダを素通りして、新着した二つの『ヒント』を開いて確認する。


『全ての罪には、その数だけの許しを。たとえ、それが望まない許しの道だとしても』


『五つの罪を飲み込んで、奈落へ誘うアギトは開かれる』


 同じく自分の端末でそれらを見た羽野さんが舌打ちして頭を掻く。


「ったく……相変わらず謎々みてぇな文章だなぁおい。こんなもんがヒントかぁ? 何を言ってるのかさっぱりだ」


 そう言って乱暴に端末をしまう羽野さんに反して、俺は何となくこれが何を意味するのか、理解できそうなな気がした。


「このヒントで言っている罪は、ここに集められた人達が抱えている秘密……それを意味するのではないでしょうか」

「……秘密、だと?」


 羽野さんが動きを止めて俺の話しに食いついてきた。俺は淡々と自分の見解を他の皆に述べた。


「秘密と暴露、その二つがこの殺人ゲームのネックですよね……。その中で秘密を罪に置き換えれば、秘密を持っている者は即ち罪を犯している者になる。そう考えれば、ここでの許しとはゲームのクリア条件を満たすことだと考えられるんじゃないですか?」

「……つまり、このフレーズの許しは『出口』から脱出を試みる……その行為自体を示しているってことか」


 そう言って自分の顎を撫で回して考え込む羽野さん。やがて彼は驚きの顔になって立ち上がり、俺に言ってきた。


「それじゃ、この罪の数だけの許しをっていうのは、『出口』数が全部で13個存在するって意味か!?」

「……多分、そうなんじゃないですか?」

 13人の参加者、13個の罪、そしてその罪の数だけの許しとは13個の『出口』……その解釈で合っているか何の確証もない。

 でも、俺には確信があった。あの悪意に満ちた声には、明らかに俺たちを裁こうという意思が込められている……そう感じたからだ。


「すげーな、兄ちゃん! でかしたぞ!」


 羽野さんがカッと笑ってそう話した後、次には端末の画面を食い入るように見つめた。そしてその解されていた表情が再び固まっていく。


「おいおい……。これって、ヤバイんじゃねぇか……?」


 俺も改めてもう一つのヒントの方を確認する。それが何を意味するのが……そして導き出される一つの答え。そのおぞましさに体が震え出した。


「五つの罪を飲み込む……これを松永君の解釈で解くと、5人目の脱落者が出たとき、奈落へ誘う門が開かれる……そう考えてよさそうね」


 桜井が自分の端末を見ながら、そのヒントを解析する。そして羽野さんがテーブルに拳を振り下ろして言い放った。


「決まってんだろ! あの地下のでっかい扉のことだよ! 間違いない……本当に『出口』が13個いるなら、他の場所に通じる道がどこかにあるってことだ。だったら、あれしかないだろ!」


 興奮気味で語る羽野さんとは違い、桜井はあくまでも落ち着いた口調で俺に忠告してきた。


「……気をつけた方がいいと思う。これからは特に、ね」


 5人目の脱落者。今まで死んだ人は、合わせて計4人。そして後もう一人誰かが死ねば、新しい道が開かられるという推測。

 だったら誰かを脱落させて、その5人目を作って試せばいい……そんな考えを、残っている人たちの中で誰かがするかも知れない。桜井はそれを言いたいんだろ。

 

 そしてその不吉な予測は、俺が思っていたよりも遥かに早く現実のものとなって現れた。


「続きまして、5人目の脱落者が発生しました」

「そんなっッ!?」


 驚きの余り半分くらい腰を椅子から浮かせてしまう。いったい何が起こったんだ? 本当に地下の扉を開く為だけに、誰かが他の人を殺してしまったとでもいうのか!? 

 

 いや、落ち着け……ただ残っているもう一つの『出口』から外に出ようとして、仕掛けられていた罠にはまって殺されただけかも知れないんだ。

 俺たち参加者の中に人を殺めた人物がいるという証拠はどこにもない。……少なくとも、今は。


「今回の脱落者は、堀江彩夏。彼女は表向き警備会社の社員ということになっていますがその実、企業の機密を盗み出して、それを売る産業スパイでした」


 一瞬頭を殴られたような衝撃に足元が覚束なくなる。

 あの理知的で冷静な堀江さんが、死んだ……? 脱落者の名前に、他でもない堀江さんの名が告げられるとは思いもよらなかった。


「彼女は、企業が社運をかけて作り上げた技術と情報を競争相手に売って金を得ていた。そのおかげで多くの企業が倒産、または資金難や株価の暴落といった割を食っている。努力には正当な対価が支払われるべきだ。それを捻じ曲げる彼女は、ただの悪質な泥棒でしかない。そして泥棒には、それに相応しい罰と末路が必要です」


 聞く側の気を逆撫でする言い方をわざと選んで話しているかのようなスピーカーの音声に、俺は爪が食い込むのも構わず拳を握り締めて必死に感情を押さえつけた。


「……おい。誰か次のヒント、送られてきたヤツはないか?」


 スピーカーからの音声が途絶えてしばらく、端末をじっと見つめていた羽野さんが顔を上げて俺たちに言ってきた。


「…………」


 羽野さんの言葉に互いに視線を合わせては首を横に振る……その繰り返し。その確認作業が終わると、羽野さんがまた端末に視線を移して呟いた。


「やはり、来てねぇな。これは……やべぇんじゃねぇか?」


 次のヒントが端末に送られてこない……それが何を意味するのか。

 急いで端末をタップしてルール項目を開く。そしてこのゲームの例外条件、それに目を走らせた。


『参加者の脱落が他の参加者の手によって引き起こされた場合、秘密に対しては残っている参加者全員が知ることができるが、ヒントは脱落を引き起こした参加者のみが得られる』


 未だに送られてこない次のヒント。それはつまり、堀江さんの死が他の参加者の手によって引き起こされたもので、ヒントもその人だけがもらっている……そう考えるしかない。


「…………ッ」


 もう処理が追いつかなくなっている頭を、何とか働かせて状況の把握に努める。

 姉さんもヒントが送られてこない意味に気がづいたか、端末を握り締めて不安な顔を隠しきれないでいた。腕を組んで座っている羽野さんは一見落ち着いて見えるが、テーブルの下の足は忙しなく貧乏ゆずりをしている。桜井は鋭い目付きで辺りを見回して、何かを警戒しているかのように見えた。


「……地下に行ってみよ。本当にあの扉が開いたか、確認する必要があると思う。それと……堀江さんの事も調べないと」


 俺は椅子から立ち上がってそう提案した。

 ……目の前で起きていることを否定しても仕方がない。まして悲しんでいる暇も存在しない。今ここでこうしていても事態は何一つ好転しないから。


「……そうね、何がどうなっているか確かめないと」


 最初に姉さんがそう言って立ち上がった。桜井がそれに続く。


「私も行く。協力関係は、こういうときの為にあるんでしょ?」


 そう言った彼女は俺だけが見える角度で片目を瞑ってみせる。そして最後に、羽野さんも渋々といった様子で席から身を起こした。


「そう、だな……ここでグダグダしてても、しゃぁねぇか」


 百合ちゃんも姉さんの手を掴んで着いていく意思を示してくる。これでこの場にいる全員が下の階に行くことが決まった。

 そして下の階へ移動する最中、桜井が俺の隣に来て注意を促した。


「気をつけて。ここにいるメンバーを除くと残りは3人……その中に堀江さんを殺した人がいるってことだから」

「……ああ、わかってるさ」


 そして階段を下り始めると、その独特の湿った空気と不快な匂いが俺たちを出迎える。


「相変わらず、すげー匂いだぜ……」


 辺りを見回しながら羽野さんが舌打ちした。

 階段を下り切って、真っ直ぐ中央の扉を調べる。ドアノブを回してみると案の定、扉のロックが外されていた。


「……開いてる」


 ゆっくり扉を押してみると、更に地下深くへ繋がる階段が姿を現した。


「やっぱり、開いていたか……」


 近づいてきた羽野さんがその先に続く階段を見てそう呟く。

 ……これで俺たちの推測は当たっていると証明された。従って三つ目のヒントの、『出口』が全て13個存在するという解釈も確信が持てるようになる。


「そこで何をしている?」


 ふいに掛けられた声に、俺たち全員が声がした方に振り向いた。……錆び付いた鉄格子が耳障りな音を立てて開かれる。そしてその内側からスミスさんと秋吉さんが出てきた。


「そこで何をしているのか聞いている」


 スミスさんが再度同じ質問を投げかけてくる。俺はそれに答えながら、さりげなく姉さんを後ろに退かせた。


「この扉を調べていました」

「ほう……開いたか」


 口の端を吊り上げて鼻息を出すスミスさんに、今度は羽野さんが彼に質問した。


「あんたら、今までどこで何をしていたんだ?」


 その問いに秋吉さんの顔が一瞬強張るのを、俺は見逃さなかった。だがスミスさんの方はいつものと変わらない感じで返事を返してきた。


「彼女とここを調べていた。お前たちはどうなんだ? どうやら、続けて三人も死でしまったようだが、何か知ってるか?」


 そう言いながら近づいてくるスミスさんに、俺たちは自然とその分後ろに下がって彼との距離を取った。


「……おいおい、そう警戒しないでくれ。俺たちも状況が掴めなくて混乱しているんだ、な?」


 自分が警戒されていることに感づき、スミスさんは肩を竦めて秋吉さんに同意を求める。

 そして秋吉さんは相変わらず引きずった顔のまま、やっとの様子で口を開いた。


「え、ええ……ここを、調べてました」


 以前とは口調すら違っている彼女に、姉さんが恐る恐る声を掛ける。


「秋吉さん、大丈夫? すごく疲れた顔だけど……何かあった?」

「だ、大丈夫だって言ってんじゃんっ。あたしの事はもう、放っておいてよ……ッ!」


 秋吉さんが急に苛立ちを募らせて声を荒げる。その急な変わりように、姉さんも咄嗟に何て言えばいいか思いつかない様子だった。

 ……それにしても、今の対応はあまりにも変だ。特に秋吉さんが見せた態度は情緒不安定にも程がある。今まで彼らに何があったのか……俺の中で疑惑が益々膨れ上がっていく。


「それより、堀江彩夏って言ったか。あの女の遺体をあそこで見つけた」

「……!? それは本当ですかッ!?」


 急にそんなことを言い出してきたスミスさんに、俺は驚きのあまり思わず聞き返した。すると彼はさっき自分たちが出てきた鉄格子の向こうを指差した。


「ああ、あの向こうの部屋だ。行ってみるか?」


 彼のその言葉に俺たちは互いに顔を見合わせる。そして何故か人たちの視線が俺に集まってきた。


「行ってみよ。行って……確かめないと」


 スミスさんの事は確かに怪しいが……いったん彼の事は置いておいて、まず堀江さんがどうして死んだかを確かめることが先決だと思えた。

 皆が頷くのを確認して、俺は静かに彼に告げた。


「……案内してください」

「ああ、こっちだ」


 スミスさんが先頭に立って薄暗い廊下を進んでいく。後ろから彼を注意深く観察してみるが、特に不審な点は見当たらなかった。秋吉さんがスミスさんにくっ付いて行動している……それが不自然といえば不自然だが。

 

 あの二人の間に何の接点があって一緒に行動するようになったんだろ? 秋吉さんが錯乱した時に最初に止めていたのがスミスさんだから? ……わからない。 


「着いたぞ。この部屋だ」


 随分歩いて奥まったところにある部屋の前でスミスさんが立ち止まる。

 彼がロックを外して扉を開くと、中から饐えた匂いが吹き出してきた。そして部屋の真ん中にある寝台の上に、両手を拘束具に縛られた堀江さんが横たわっていた。


「そんな、堀江さんッ!!」


 彼女に駆け寄ろうとして、床に転がっていたペットボトルを蹴っ飛ばしてしまう。 そして俺は、その場から一歩も動くことができなかった。

 

 ……彼女の服はボロボロ、体の至るところに乱暴された跡と思われる痣ができていた。

 頭に水でもぶっ掛けられたのか、髪と顔が濡れて床まで水浸しになっている。特に首筋に今も鮮明に残っている閉められた跡。

 そんな無残な姿で、堀江さんは目を見開いたまま息絶えていた。


「誰が、こんな……ッ」


 腰から力が抜けてふらつくのを何とか踏ん張って立ち留まる。今までは人が死んだといっても、遺体がこんな惨い姿になったものを見たことはなかった。

 だからか、この惨事を目の当たりにしても中々口から言葉が出てこない。姉さんたちも唖然として言葉を失っていた。


「……完全に死んでるぜ。まあ、当然だけどよ……」


 唯一、素早く堀江さんの遺体に近寄っていた羽野さんがそう告げる。

 何故……こんなことになっているのか。これはもう誰かの手によって殺されたというのは疑う余地もない。そして俺のこの苛立ちと、ぶつける当てのない怒りはどうすればいい……。

 俺は、黙って後ろに立っているスミスさんに状況を聞きだそうと振り返った。


「これは一体どう、いう……っッ!?」


 だが俺は、最後まで言葉を発することができなかった。振り向いた俺の額に冷たい金属質のものが当てられたからだ。

 ……拳銃。その冷たい銃口が俺に向けられていた。


「か、和也っ!」


 驚いた姉さんが俺の名を叫ぶ。そしてスミスさんが口の端を吊り上げて言ってきた。


「おっと、誰も動くんじゃない。こいつの脳天に風邪穴が開くのを見たくなかったらな」


 その一言で、その場の空気が完全に凍えた。固まっている俺たちを見て満足したか、スミスさんが笑う。


「そうだ、それで良い」


 ……あれは本当に、本物の銃なのか? 実物を見たことがない俺にわかる訳もなかった。

 ただ自分の頭に今、銃が向けられているという事実がどうしようもなく俺を不安にさせる。


「……なぜ、こんなことをするんですか?」


 俺は何とか搾り出すようにそんな言葉を口にした。

 ……スミスさんはあの拳銃をどこで手に入れた? なぜ俺たちを脅す? 堀江さんを殺したのは彼なのか? 

 言葉を口にする間、色んな疑問が頭の中に浮かんでは消えていく。


「はっ! 何故かって? ここから脱出する為に決まっているだろ」


 俺の質問を鼻で笑い飛ばすスミスさんに、今度は羽野さんが口を開く。


「やはり、この女を殺ったのは……お前さんか?」

「そうさ! そのバカ女、のこのこ俺の後を付けてきたからな。目障りだったところに、丁度いいタイミングであのヒントが出てきたってわけだ。そうだろ?」


 とんでもないことを平然とした顔で語るスミスさんは、最後に意地の悪い目付きで秋吉さんに同意を求めた。


「え、ええ……」


 そして秋吉さんは俺たちから目を逸らしたまま、スミスさんの問いにただ頷く。

 それを見て、滅多に怒らない姉さんが責めるような口調で秋吉さんを問い質した。


「秋吉さん! あなたは何で彼と……そんな人と一緒にいるんですか!?」


 でも秋吉さんは姉さんの方を見ようともしない。ただ視線を地面に落としているだけだった。


「もしかして、その人に脅されていますか……? 話してください、秋吉さんっ!」


 姉さんがまた彼女に呼び掛ける。

 すると今度は秋吉さんが急に顔を上げて、俺たちの方を見てきた。……苛立ちが爆発したかのような顔で。


「そんなの……そんなのッ、あんたらと関係ないじゃん! 何も知らないくせにっ! だからさ……もう、あたしのことは放っておけったら――――――ッっっ!!」


 悲鳴にも似た叫び声を上げて怒り出す秋吉さんの姿に、姉さんを含め全員が言葉を失って見入っていた。

 そして静まり返った部屋の中で、秋吉さんがぶつぶつと独り語を呟く。


「そうよ……あたしは何も悪くない……悪くない……へへ……ここから出る……あたしは……」


 呂律の怪しい声で訳のわからないことを呟く彼女は、はっきりいって普通の精神状態には見えなかった。

 そしてそんな彼女の言動が気に障ったのか、不機嫌な声のスミスさんが彼女を咎める。


「うるさい、お前は少し黙ってろ」

「あっ……ッ! ご、ごめんなさいッごめんなさい……」


 スミスさんの一言で、消え入るような声で『ごめんなさい』を繰り返す秋吉さん。

 そしてそんな彼女の代わりに声を上げてきたのは、本当に誰も予想だにしなかった人物だった。


「う、うぅ……ッ……うはああぁぁぁぁぁぁ~~~~んっ!!」


 いきなり百合ちゃんが大声で泣き出した。正直に言って、今まで声すらまともに聞いたことがない俺にとって、まさか百合ちゃんが大声で泣くなど想像もしていなかった。


「うるさいガキだな……テメェの頭から吹っ飛ばしてやろうか?」


 眉間に皺を寄せ、苛立った声のスミスさんが銃口を百合ちゃんの方に向ける。

 それに怯えてか、百合ちゃんは更に大きい声で泣きじゃくる。そしてスミスさんの目付きが一瞬にして変わる。


「…………」


 拳銃の引き金に掛かっている指が徐々に引き締まる。その瞬間だけがまるでスロー画面のように俺の目に映ってきた。

 止めないと……そう思っても体が上手く動かない、その時だった。


「止めてください! 子供が泣いているだけじゃないですか! 子供に銃なんか向けて……恥ずかしくないんですか、あなたは!?」


 その百合ちゃんの前に姉さんが飛び出て、両手を広げ百合ちゃんを庇う。姉さんの一喝に、引き金に掛かっていたスミスさんの指の動きも一瞬止まった。


「ほう……」


 スミスさんが値踏みするような目で姉さんを見つめる。姉さんの体中を遠慮のない視線が行き来する。

 その絡みつくようなネットリした視線に、姉さんが不快感を顕にして手で体を隠した。


「な、なんですか……?」


 姉さんの抗議に構わず、スミスさんは姉さんに近づきながら話した。


「俺は今、気分が悪い。お前が俺の相手をしてくれるんなら、あのガキの命は助けてやってもいいが……どうする?」


 そう言いながらスミスさんが姉さんの顎の下から頬までを手でなぞる。

 姉さんは不安と恐怖で足が震えながらも、気丈に彼の目を正面から睨み返した。だがスミスさんは薄ら気持ちの悪い笑みを浮かべて、姉さんの顔に自分の顔を近づける。

 ……それ以上はもう、我慢の限界だった。


「姉さんに触れるなーッ!!」


 俺の中で何かがぶち切れて、そのまま飛び出してスミスさんに体ごと突撃する。でもそのすぐ後、俺の視界は反転した。


「くっ……っッ!?」


 ……左の頬に熱のこもった痛みを感じる。そして俺を見下ろすスミスさんの勝ち誇った顔が見えた。

 ……そして自分がスミスさんに殴られて、そのまま倒れてしまったことにようやく気がつく。


「勇気は買うがな、ジャップ」


 そう言いながら倒れた俺の頭に銃口を押し付けるスミスさんに、姉さんの慌てふためく声が聞こえた。


「待って!! 待ってください! 私なら、私なら何でもしますからっ!」

「駄目だ、姉さんっ!!」


 俺は姉さんの言葉を遮った。

 ……自分が情けない。姉さん一人守れなくて、その上で姉さんを身代わりに助かったとして何になるか。

 それだけは……俺のちっぼけなプライドでも、それだけは許せそうにない。俺はせめてものの抵抗として、ニヤついた顔で俺を見下すその男の目を真っ直ぐ睨み返した。


「ふっ、まあいい」


 しばらくそうやって目を逸らさず睨み合いを続けていると、スミスさんが急に鼻息を出して俺の頭から銃口を外した。


「…………?」


 俺を殺すのを止めた理由がわからなくてスミスさんを見上げるが、彼は俺から背を向けて歩き出した。


「お前たちはこの部屋で大人しくしてもらう。……下手な真似をしたら、次はないぞ」


 最後に振り返って俺たちに……特に俺に向けてそう言い残して、スミスさんは秋吉さんを連れて部屋を出て行った。

 扉が閉まって外からロックが掛かる音が扉越しに聞こえる。その一部始終を俺たちはただ見ているしかなかった。

 そして彼らが去った後、百合ちゃんの泣き声だけが部屋の中に響いていた。


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