58 訓練終わりとジャガイモの魔女
ここに来てだいぶ経った。
ついこの前までは全身筋肉痛でひーひー泣き言を言ってたが、山岳を登っての偵察のお仕事にもけっこう慣れてきた。
人の順応力ってのはすごいものだ。あれだけ苦労した斜面にも身体が慣れてしまった。
どこをどうやって歩けばいいのか。どう息を整えればいいのか。感覚が学んでいる。
『すごいよね、いちサンって』
「ん? 何が?」
『前はあんなに辛そうに登ってたのに、もう慣れてて……すごいなーって』
「環境がいいからな。ちゃんと飯は出るし、寝床もあるし、教えてくれる奴もいる。だからここまで来れたんだと思う」
今日も山を登り切ると、腰の短剣がそんな俺の変化を讃えてくれた。
ここから眺める朝の世紀末世界は相変わらず広大だ。いつ見てもいいものだ。
それに褒められて少し気分がいい。姿こそ無機物だが、女の子からの言葉はうれしい。
「ワンッ」
風景の中に異常がないか眺めていたら足元で犬が吠えた。ニクだ。
「……まあ、涼しい顔してついてくるこいつもすごいと思うけどな」
『確かにそうだね。この子、いつもついてくるけど疲れないのかな?』
あれから黒のジャーマンシェパードは山に登るたびについてきている。
よっぽど体力があるのか、険しい道も元気に走破してご覧のとおり涼しい顔だ。
「今日も異常はないな。せいぜい徘徊してるドッグマンぐらいだ」
俺は水筒を開けてニクの口に流し込んでやった。美味しそうに水を飲んでる。
荒野を観察していると殺風景の中にまた異物が見つかる。黒いドッグマンが一匹。
『またいるね……。たまに見るけど、なんで襲ってこないんだろう?』
「アレクが言うにはあれでも臆病らしいんだ。近くに仲間がいないと警戒心が強まって何もしてこなくなることが多いんだとさ」
前にあれだけ恐ろしく感じたドッグマンも、知ってしまえば大したことはない。
あいつはあんな見た目と強さで臆病だなんて笑える話だ。ボルターみたいなところで群れていないと何もできないなんて。
何度も殺されて嫌な思いはしたが、ただの内弁慶と分かった時は気持ちが変わった。
「おい! 何見てんだ! 死にたくなかったらボルターに帰りやがれ!」
岩陰からしつこくこっちを見ているドッグマンに中指を立てて今の強さを証明した。
果たしてその言葉が通じたのか分からないが、黒い獣が訝しむように睨んでいる。
『……いちサン、やめよう? アレク君も言ってたよね? 関わらない方がいいって』
「大体何なんだアイツ、前からずっと見やがって! 俺を食おうとしてるのか知らんけどあの時は違うんだぞ、やんのかコラ!」
向こうは悔しそうだ、ここぞとばかりにもう一つ中指を追加。あの時とは違うんだぞ。
足元で「グルルル……!」とニクが唸る。そうだこっちには頼もしい犬もいるんだ。
『――グルルルルルルルルルルゥッ!!』
……遠くからそんな犬の声が聞こえてきた。お怒りになってる方の。
丸くなってこっちを見ていたドッグマンが身体を開いて走ってくる――あっやべえ。
「あーいや冗談だ……おい、おいっ! 来るな! 来るなクソッ!」
犬の化け物がどすどす跳ねるように突っ込んできた!
――俺の馬鹿野郎! 慌てて背中から弓を取って引きながら矢をつがえた。
『刺激しちゃダメって言ったよね!? なんで煽っちゃうの!?』
「ごめん調子乗ったッ!! 何やってんだ俺ッ!?」
後退しつつ弓を構える――ダメだ、動きが速くて狙いが定まらない。
矢じりの先でドッグマンの巨体は緩やかなジグザグで走っている。こいつ、矢をよけようとしてやがる!
「バァゥッ!」
離れていた姿が目の前で迫って、まずいと思った瞬間。
違う犬が吠えた。ニクだ、ニクが化け物に噛みつきに行った。
毛むくじゃらの足に噛みついて、動きを遮られたドッグマンが止まる。
「グルルルルルルルァァッ!?」
「ニク!? ……グッドボーイ!」
弦をしゅっと引く。噛みつくニクを剥がそうと体を振る身体に向けた。
指を開放した。弓の向こうで矢が刺さったのか、揺らぐ。
「う、うおおおおおおおおおお……ッ!」
どこに刺さったか分かるはずもない、とにかく撃った。
動きを緩めたところに次の矢をつがえて放す、つがえて撃つ、ぶっ放す。
ニクが離れていく。あちこちに矢を生やしたドッグマンが明らかに苦しんだ。
「……グルルルルルルオオオオオオオオオオッ!」
「おいおいマジかよ冗談だろ……!?」
『ま、まだ生きてるよ……!? 早く……!』
なんてこった、全然動きが止まらない。
普通の生き物だったら動けないだろう。なのに勢いは削がれていない、むしろ増した。
ドッグマンが突進しようと身構える。早く次の矢を……畜生、一本も残ってない!
*ぼすっ*
絶体絶命としか言えない中、そんなドッグマンの頭がいきなりはじけ飛ぶ。
遅れて、遠くから銃声が――
「……いや、もう大丈夫みたいだ」
サンディだ。助けてくれたのか。
監視所を双眼鏡で覗くと大きな胸のお姉ちゃんが手を振っていた。
……調子に乗るんじゃなかった。馬鹿か俺は。
「何事だ。ドッグマンに追われてたみたいだが」
横たわるドッグマンの前で立ち尽くしていると、下からアレクが登ってきた。
助けに来たというよりは様子を見に来た感じだ。呆れてすらいる。
『……いちサンが調子に乗って挑発しました』
「ごめんなさい」
見栄を張らないで素直に謝った。短剣からも包み隠さず言われながら。
すさまじく呆れられてる。何やってんだこいつ的な視線を向けられたが、
「このドッグマンは前々から辛抱強く獲物を狙っていたようだからな、どの道襲われるのは時間の問題だった。仕方のないことだ」
「じゃあこいつを何度も見かけたのって」
「お前のことをいいカモだと思っていたのだろう。まあいい、剥ぐぞ」
アレクは何事もなかったかのように大ぶりのナイフを――おいどうするつもりだ。
『えっ。剥ぐって――もしかしてドッグマンをですか!?」
「おいおいおいおい嘘だろ、まさか食うのか?」
何もためらうことなく犬の化け物に刃先を入れ始めた。マジかこいつ。
「ドッグマンはひどい匂いだが皮や脂肪は何かと使えるものだからな。持ち帰るぞ」
「に、肉も……?」
「肉は捨てる。もしかしたら人間を食っているかもしれんからな。人を喰らったドッグマンなど誰が食うものか」
刺さった矢が抜かれて、皮に切れ目が入っていく。ニクもドン引きだ。
しかも「見てないで手伝え」とばかりの予備のナイフがこっちに突き出される。
「内臓の一部は薬の材料になるそうだ。イチ、腎臓近くの線を取り出すぞ」
「うっっわ……」
『うえ゛っ……』
「クゥン……」
……今日も朝から最高の思い出ができた。
◇
緊急射撃という撃ち方がある。
ボスが言うには陸軍の射撃術の一つで、敵を発見すると同時に照準動作を省いて銃弾をぶち込むやり方だ。
つまり照準をあわせないで標的を直視して撃てばいいだけである。
しかし実際にやってみるとそう簡単にこなせるはずもない。
今までの経験から照準器は必ず覗くものと染みついている俺には、意識してやろうとしてもちぐはぐになってしまうわけで。
そんなわけでこびりついたクセを治してもらうべく、ボスたちは一計を案じた。
それは単純な方法で、小銃のサイトをテープで塞ぐだけである。
さらに銃の反動をうまく受け止めきれてないということで、足の位置や構え方を徹底的に矯正された。
左足を前に出し、右足は地面に埋め込むように後ろへ。
ひとたび銃を構えたらストックを肩に当ててきゅっと絞って、上半身の重心を前に傾けながらまっすぐ構える。
これを狂ったように繰り返して、ようやく理想の姿勢を手に入れた。
最初は15m先の人間大のシルエット、これは十発撃って八発当たるようになった。
しだいに慣れてくると30m先のターゲットに直視で撃たされる。
しかし案外やってみれば慣れるもので、気づけば俺はテープを外しても直接当てることができるようになっていた。
「ターゲットは十体、装填した弾数は十発。一発も外すんじゃないぜ?」
「準備よし、いけるぞ!」
「いい返事だ、装弾と同時に始めだ」
場所はいつもの射撃場、今回はツーショットがそばにいる。
しっかり地面を踏んで借り物の突撃銃をまっすぐ構えた。
といっても、150年前の骨董品の機関部に猟銃のストックや手作りの銃身、拳銃のグリップをまぜこぜにしたものだが。
「……やる前に質問。また俺で賭けとかしてないよな?」
「もっと早くやるって知ってたら賭けてたのにな。残念だ」
「そうか。次は俺に賭けてみてくれ」
「そのつもりさ兄弟」
十発入りの弾倉をベルトから抜いて銃に差し込んだ。
チャージングハンドルを引ききった、初弾装填完了。
左端のシルエットに銃口を向けてトリガを引く。
たたんっと素早く二発分の銃声、命中。
その右の標的へ構えて二連射、命中。
その次も、その次の次も、一つずつ目で狙いを定めながら撃った。
合計五体の標的が五秒足らずで全滅した、我ながら完璧だ。
「……よっしゃ! 見たかツーショット!」
「お見事、記録更新だな! プレッパータウンの人間らしくなってきたぞ!」
「おいおい、これでやっとかよ」
「食堂にいるやつらだって、お前よりもうちょっと上手だぜ? まあこれでやっと実戦に出せるレベルにはなったかもな」
しかし反応を見るにこれで最低合格ラインみたいだ。
いつも厨房で住人たちの腹を満たすために汗水流して働いている二人が、俺より銃の扱いがうまいというのも変な話だけれども。
「どうだミセリコルデ、前より早くなっただろ」
『なんだかすごく撃つのが早くなったね。前は一つずつ丁寧に撃ってたけど、てきぱき的を選んで撃つようになったっていうか……』
「構え方も反動の逃し方もしっかり覚えたみたいだね。どうやらお前さん、やり方さえしっかりしてればかなり早く熟達できる才能があるようだ」
それなりの結果に満足していると、遠くで見ていたボスがやってきた。
褒められてるんだろうか。もしそうならうれしい話だ。
「今日も撃たないんですね、とうとう機関銃でも持ち出すかと思ったんですが」
「なんだい、撃ってほしいのかい?」
「いいえ全然。弾の無駄でしょう」
「掠ったぐらいじゃ怯まなくなっちまったからね、つまらないもんさ」
『わたしもなんだか慣れちゃったよ……』
ここ最近はもうこっちに向けて銃をぶっ放されることはない。
基礎と度胸を得た新兵には緊張感の次に、より実戦的なスキルが大切らしい。
「あんたは大分強くなった、ということで近いうちに実戦を経験してもらうよ」
訂正、もう実戦に放り込まれるみたいだ。
「実戦……ですか?」
「なんだい、びびってんのかい?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
「まさか訓練だけで終わるわけないだろう? ここのモンには必ず実戦を経験してもらってるんだよ、誰もがね」
「…………マジですか」
『ひえー……』
一体ここはどういうコミュニティなんだろう。
いまようやく知ったが、これじゃ本気で戦闘民族のありさまである。
「心配すんなって。まずは近隣の盗賊ぶっ殺すぐらいの仕事からスタートだ」
「それにプレッパータウンの選りすぐりたちと一緒に行動してもらうから大丈夫さ」
「お手柔らかにお願いします……」
こうして二人から実戦に参加するようにいわれてしまった。
けれども別に構わない、この町のためになるなら本望だ。
たとえ今の俺に拒否権があったとしても使わないだろう。
「……それで、あんたらの進捗はどうだい? ミコのいう『あっちの世界』の情報を探してたそうだけど」
「ぜんぜんです。あっちの世界の物がこっちにきてるぐらいしか」
『……わたしのいた世界の魔物がいるのは分かるんですけど』
こっちはこっちで向こうの世界に行く手掛かりはないかと必死だった。
しかしどうしても『MGOのものがGUESTの世界に来てる』ぐらいの情報しかない。
そもそも魔法が効かない現象だってある、行く先は謎だらけだ。
「……この世界に来てもう45日目になるんだけどな」
『もう、そんなに経ってるんだ……』
「知り合いのシドレンジャーズっていうやつらに向こうの様子を聞いたんだがね、各地に見たことのない土地や遺跡があるそうだ。あとはなんかの遺跡みたいなところで槍持ったトカゲみたいなミュータントと交戦したとかね」
『……トカゲ、巨人? それってもしかして紫色で、模様が入ってませんでした?』
「そういやそんな見た目だったらしいね。でもシエラ部隊のやつが迫撃砲で強引にぶっ殺したそうだ。まさか知り合いかい?」
『それ……かなり強いボスモンスターなんですけど……』
ボスが言うにはこのウェイストランドは混沌としているらしい。
「とにかく、この世界がおかしくなってるのは確かさ。まあそのおかげでやっとシャワーが使えるようになったんだがね、きれいな水にも困っちゃいない」
そういうボスはさっきからまずそうに何かをぼりぼり食べていた。
クッキーみたいな何かだ、ただしごつごつとしていて岩のようというか。
水脈が完全に戻ったとかでずっと使われなかったシャワールームが解放されたようだが、食糧事情は相変わらずだ。
「……ところでボス、さっきから何食ってるんですか?」
「クッキーらしいよ。ただ原材料はメスキートだ」
「メスキートってなんですか?」
「そこらへんに生えてるマメ科の植物のことさ。ようは甘ったるい豆なんだが小麦粉の代用品にもなる、コーヒーだって作れるよ」
その代用品で作られたクッキーがこっちに差し出される。
けっこう分厚いが匂いも色もクッキーだ、ということで一口かじってみるが。
「んふっ」
噛み応えのあるぼりっとした感触の後、それはもうぱさぱさに。
素朴な甘さのクッキーだ、名前の後に「のような何か」と足さなきゃいけない。
「ユニークな味ですね。特に口の水分を持ってかれるところが」
「ウェイストランドの地面みたいな感じがするだろう?」
「飲み物なしだと拷問にも使えると思います」
「ったく、最後にちゃんとしたパンを食ったのは100年以上前の話だ。誰か小麦の種でも見つけてくれないもんかね」
「……100年以上前?」
ぼそぼそのクッキーを片付けると、ツーショットが瓶を何本か抱えてやってきた。
「本日の配給だぜ。ジンジャーエールとマナポーション、ボスには大好きなビール」
「こんな暑い日はビールでもキめないとリーダーとしてやっていけないね」
「ありがとう、ツーショット。こいつが待ち遠しかった」
良く冷えたジンジャーエールをもらった、もちろん辛口。
物いう短剣は『好物ってわけじゃないんですけど……』と悲しそうだ。
「ミセリコルデ、飲むか?」
『うん、飲ませてほしいな?』
フタを開けて、青い液体が揺れる瓶の中へとミセリコルデを突っ込んだ。
沈んだ刀身からごくごく聞こえ始めて、少しずつ中身が減っていくのが見える。
彼女はこうして吸収してマナを補充できるそうだ、いつ見ても面白い。
「なあ、マナポーションって味あるのか?」
『ちょっぴりあまくて、そこにかすかな塩味が混じってるような味かな。後味はまったくないけど……』
「なんだそりゃ、スポーツドリンクかなんかか?」
「そういえばシェルターの連中がカクテルの材料にして飲んでたのを見たよ。人間が飲んでも大丈夫なのかい?」
「ボス、そのカクテルなら飲んだことあるぜ。経口補水液で割った酒の味だった」
『飲んだんですか……』
どうやら魔がさして飲んでしまった猛者がいたみたいだ。
良くあんなのを飲もうと――そもそもあっちの世界の人たちはこんな青色の液体を飲みまくってるんだろうか。
「……いい子、一杯飲んでね」
「ワンッ」
そう、ちょうど近くで犬皿いっぱいの青い液体をぴちゃぴちゃ舐めてるニクのように。
……いや待て、なにやってんだこの姉ちゃん。
「っておい! 何やってんだサンディ!?」
「……飲むかなって、思ってたの」
「ウォンッ」
ぼさっとした髪とジトっとした目の彼女――サンディは一体何を考えてるんだろうか。
黒いシェパード犬は青い液体をおいしそうに飲んでしまってる。
「……大丈夫なのかよオイ」
『の、飲んでも害はないと思うよ……?』
「わたしものんだけど、大丈夫だったし」
「……サンディ、お前さんはもうちょっと論理的に物事を考えな」
今日もプレッパータウンはにぎやかだ。
辛口のジンジャーエールを一口飲んで、北の方にある町の姿を見た。
アルテリーの連中が襲撃してきた際の傷跡は塞がりつつある、もう二度とあんなことは起こしたくない。
「――本当なんだ! 悪魔のような角と尻尾が生えてて、箒にまたがって空を飛んでいたんだ!」
……そんな風景を目で確かめていると、珍しく落ち着きのないアレクの声が。
俺たちは「なんだよ」と野次馬根性で荒ぶる褐色男子の方へと向かった。
「あー、なんだって? 箒? 悪魔? なにいってんだおまえ」
「だから! 魔女がいたんだ! すぐそこの畑の近くに!」
すぐ向こうで地上の見張り要員がアレクに対応している、面倒くさそうに。
肝心の褐色肌の弟はかなり取り乱してる、あいつらしくない様子というか。
「何事だい。せっかく休憩してたってのに」
「ボス、いいところに。アレクが妙な奴を見かけたとか取り乱してるんですが」
「ヴァージニア様、聞いてくれ。魔女だ、魔女がいたのだ」
ボスが面倒くさそうに近づくと、それはもう落ち着きのない様子で食いかかる。
サンディが憐れむような視線を向ける必要があるぐらいには。
「聞いてくださいよボス、こいつがいうには魔女が農場をうろついてるそうなんですよ。勝手にジャガイモを植えたとか」
「……誰かアレクのやつにクスリでも勧めたのかい?」
「……キまってるとしか思えませんが、妙なんですよね。いつのまにかびっしり植えられてるんですよ、ジャガイモが」
「誰かが植えたんじゃないのかい?」
「そんなわけないでしょう、地上の畑は計画的に使えと徹底してたじゃねーですか」
……なんだかいつにもなく変な会話が繰り広げられている。
「……アレクのやつ姉ちゃんたちにいじられすぎてついにおかしくなっちまったか、かわいそうに。イチ、ミコさん、お前もこんな風になんなよ」
「なあサンディ、その、あんまりアレクのこといじめんなよ」
「いじめてない」
「本当だ! 信じてくれ! さっきも見たんだ、そこに魔女が!」
ガチガチの胸筋と高身長が売りの褐色男子がここまで取り乱す原因とは一体。
俺はアレクの指がまっすぐ指し示す方向へと目を向けてみた。
雑多な作物を作るために整備された小さな農場がそこにある。
「……ボス、あそこの畑に誰かいませんか?」
しかしなんだろう、見慣れないやつがいる。
畑の周りを小さな女の子がちょこちょこ歩いていた。
妙な格好だ。魔法使いみたいなとんがり帽子をかぶって、世紀末世界向きじゃないひらひらとしたスカートをはいている。
「なんだい、あんたもついにイカれたのかい。気をしっかり持ちな」
「いや、イカれちゃいませんけどあそこに……」
それが幻覚だという確信は一切ないので指で示した。
大きな杖を背負った女の子が。そこで革製の鞄をごそごそしていた。
びっくりするほどサラサラの白い髪を乾いた風に躍らせていて、ちょこちょこした仕草は小動物みたいなかわいらしさがある。
だが……背中にはこう、見慣れないものが生えている。
悪魔の翼みたいなそれが左右に広がり、しかも頭には柔らかく尖った二本の角が。
「いた! あいつだ!」
確かにアレクのいうような特徴と完全に一致していた。
彼女は何食わぬ顔でジャガイモを取り出し、すさまじい勢いで地面に叩きつけると。
「オラッ! 孕めッ!」
近くに刺さってたシャベルでぺしぺし地面を叩き始めた。
『…………』
そんな様子を目の当たりにした俺たちはさすがに理解が追い付けなかった。
やがて視線に気づいたんだろうか、悪魔みたいな小さな魔女は爽やかな表情で。
「あら、どうかしましたの?」
それはもう、にっこり微笑んできた。




